第二部 祭りの夜 )
 岐阜市は揖斐・長良・木曽の三大川にめぐまれ水の恩恵によくしたものの、そのいっぽうで洪水になやまされつづけた。そんなこの地に水防の神さまとして、おおおくの信仰をあつめる伊奈波神社がある。主祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)だ。金華山のふもと近くに位置し、長良川の近くでもある。そしてまた駅前から東西をはしる二本の大通りをへだてて、(こがね)神社がある。五十瓊敷入彦命の妃である渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)が主祭神としてまつられている神社だ。財宝・金運・商売繁盛の神さまとしてあつい信仰をあつめている。
 その金神社の境内ととなりあわせになっている金公園での祭りに静子をさそった。かぞえきれないほどの夜店がならんでいて、それらの店から子どものなかに混じっておとなの歓声も聞こえてくる。そのなかでも射的の店は、黒山のような人だかりだった。
 赤と白のコスチューム姿の人形を指さす子どもが、口を大きく開けている――そう、さけんでいる。
「お父さん。あれだよ、あれだって。ウルトラマンだって! どこ、ねらってるの! 
おかしなんて、ぼく、いらないよ。お父さんのへたくそ!」
「ばあか! お父さんはじょうずなの。あんな大きい物なんか、当たっても落ちないのよ。だから落ちそうな物をねらってるんじゃないの。ほんと、バカなんだから」
「バカバカって、いうな! おネエだって、あたまわるいだろうが」
「ふん。あんたよりは、ましよ」
 父親のうしろでふたりが諍いをはじめた。言い負かされた男の子が涙目になりながらも、「おねえだってバカじゃんか!」と、なんども姉にくってかかっている。
「ちょっと、ふたりとも。もう止めなさいって。笑ってらっしゃるでしょ、みなさんが」
 母親が止めにはいらなければ、いつまでもつづいていただろう他愛もない口げんかだ。わたしと静子は顔をみあわせて笑った。いや、わたしたちだけではない。とり囲かこで見まもる人たちもだ。 しかし当の父親だけは、しんけんな顔をしてうちつづけている。いままさに、男の子がほしがるウルトラマン人形にむけて、何発もなんぱつもだ。
「やったぞ! 悟、落としたぞ。どうだ、凄いだろ!」
 にがわらいの店主から受けとるさいの子どもの笑顔は、おおきく鼻をふくらませて得意満面だった。
「あなた、いくら使ったの。ずいぶんと使ったんじゃない? ひょっとして買ったほうが安いんじゃないの」
なかばなじるような母親のことばに、「まあな。しかし父親の威厳が、このていどで買えればやすいもんだ。見ろよ、悟のよろこぶ顔を。店で買っても、こんなにはよろこばないぞ」と、喜色満面にこたえていた。

 ぼくにとっての祭りの一番は、なんといっても見世物小屋だ。しかし最近では、よほどのことがなければ見かけることがない。もう過去の遺物となってしまったのだろうか。静子とはほとんど毎日のように顔を合わせているというのに、休日に会うときはこころが浮いてくる。制服は体にぴったりフィットしているスーツ姿で、私服のときにはゆったりとしたワンピスやらブラウスにスカートが多い。制服姿は大人びて見えるけれども、私服は姿ではまだ田舎娘まるだしに見える。そういう意味では制服の方がと思えるのだが、なんというか匂いがちがうように思う。コロンとか香水とか、そういったものは付けていないはずだから、内面からかもし出されるものだ。制服姿と私服すがたでは――こういうことをいうと「エッチなんだから」と、肩をたたかれるだろうが――色香のようなものを感じてしまう。
 伸ばしのばしにしてきた祭り見物に、最終日になった今日にやっとでかけてきた。さすがに人出がおおく、ときに肩がぶつかり合うほどだ。あちこちで「いってえ!」と、ことさら大げさに言い合う声がきこえてきた。そのあとなにやら言い合う声があったが、すぐに笑いだすところをみると、どうやら仲間内でふざけあっているらしい。と、ぼくの耳に、あのなつかしい呼び声がきこえてきた。
「さあさあ、お代は見てのお帰りでけっこーだよ〜。さあ、急いだいそいだ〜。でもー、心臓のわるいかたはやめとくれよ〜。化けてでられちゃあ、あたし、いやだからねえ〜。でもねえ、きれいなおねえさんの幽霊なら、だいかんげいだよ〜」
 あわてて辺りを見まわしてみるが、それらしい小屋はない。
「静子ちゃん。いま、呼び込みの声がきこえなかった? いまさ、きこえてきたんだよ」
 しかし彼女は「しらなーい」と首をふり、怪訝そうな表情を見せている。自分に興味のないことには、まったくといっていいほど興味をしめさない。なのでいまだに店では浮いた存在のようだ。まあ、そのほうがぼくにとってはうれしいことだけれども。辺りをキョロキョロと見まわしながら、「綿あめなんて子ども向けだし、イカの姿焼きはお口がよごれるし…」と、ひとり言をつぶやいている。
 とつぜんに「あったあ!」と声をあげて、お目当てのりんご飴を売る夜店へとだっとのごとくに駆けだした。ぼくにいわせればリンゴ飴も子ども向けのお菓子のひとつにしか思えない。りんごそのものに毒どくしい赤色の飴をぬりたくった、醜悪なお菓子としか思えない。ちいさな子どもが口を真っ赤にしてぺろぺろとなめているさまは、たとえはわるいが吸血鬼のように思えてならない。人ごみをかきわけてまで追いかける気にならずに、ひとり取りのこされたぼくは、かたわらの玉垣に腰をかけた。
「ああ、わるいんだ。ばちがあたるよ!」
 りんご飴を、さも愛おしそうになめながら、静子がもどってきた。口のまわりを毒どくしく真っ赤にして、同じく赤い舌でペロペロとなめている。えものを紙でまいて、愛おしげにみつめている。やっぱり吸血鬼に見えた。しかしこんなかわいい吸血鬼なら血をすわれてもかまわないなと、心内でつぶやいた。
「ねえ。あっちにね、おばけやしきがあるの。はいってみない?」
「おばけやしきって、またか? このあいだ入ったばかりじゃないか。怖いこわいってぼくにしがみついて、一歩もうごけなかったろうが。それなのに、またか?」
「いじわる! でもまた、はいりたいんだもん。このあいだのは、西洋のおばけだったでしょ? ここのは、日本のおばけみたいなの。日本のおばけは知ってるからさ、そんなにこわくないんじゃない? ねえ、行こうよ。あ、そうそう。さっき新一が言ってた呼びごえって、そのお化けやしきじゃなかったの? 頭のはげあがったおじさんが、一生懸命大きな声をはりあげてたわよ」と、目をかがやかせて、ぼくの手をひっぱる。ひといち倍こわがりのくせに、こわいものみたさではいりたがる静子だった。
 立ちならぶ屋台を過ぎると、うっそうとした樹木が両脇にある。10メートルほどの間隔だろうか、街灯がたっている。
裸電球のまわりを無数の蛾やらの虫が飛びかっている。虫によわいぼくは、できるだけ上を見ないようにしながら、それでもぼくを攻撃したりはしないよなと考えながらあるいた。「はやく、はやく」とぼくをせかせる静子は、虫にたいする嫌悪感がまるでなく――というより、信じられないことに、好きだという。
 故郷の熊本では、毎日のように虫の収集にあけくれたという。夏休みの課題は、あたりまえのように昆虫採集で、大きな菓子箱のなかにびっしりとピン止めしたらしい。さらに信じられないことには、それらの箱を、就職時に岐阜市まで持ち運ぼうとまで考えたことだ。ひと箱ふた箱どころか、両手の指でも足りないほどの箱数だったという。さすがに古いものは虫たちも朽ち果てていたとか。しっかりと防腐剤処理しはじめた三年ほど前のそれらは、なんとか原形をたもっていたらしい。で、それらだけでもと考えたものの、母親に止められてあきらめたのだという。

 そんな祭りの時期になると、決まって中学時代の友人をおもいだす。中学三年に進級してすぐのことだった。ある事件をその友人がひきおこした。うしろの黒板に、とつぜん五線譜を引き「クラスの歌」というタイトルのメロディを書きはじめた。ざわつく声も気にせず、いっきに書きあげた。
「みんな。これに、歌詞をつけてよ。みんなで歌おうよ。それで、卒業後も同窓会のときなんかにさ、校歌といっしょに…」
「なんだよ、それ。許可、もらってんのかよ」と、友人の声をさえぎって、とがめる声がそこかしこから飛んだ。
「許可って、そんなの…。卒業したら、みんなわかれちゃうんだし。良い思い出になればと思ってるんだ。このメロディが気に入らなきゃ、替え歌でも良いと思うんだ」と、友人も引きさがらなかった。結局のところこの事件は、担任の「良いんじゃないか」のひと言で、まくひきとなった。そしてその後、女子の文字で歌詞が書きこまれたけれども、卒業にいたってもだれも歌うことはなかった。
 もともと浮いた存在であった友人は完全に無視される存在となってしまい、その連れであるぼくは変人あつかいされる始末だった。そんな友人との冒険談が、思いだされた。ふたりの中学時代の記念にと、お祭りにやってきたおりのことだっだ。
「そこのお兄ちゃんふたり。哀しいかなしい、へび女を見ていっておくれな。それはそれは奥ぶかい山の中で生まれそだったむすめで〜、食べる物にことかいたことから〜、とうとうへびを食べるようになっちまいました〜。ある日猟師が〜、とある山の、山中ふかくおしいって〜」
 その呼びごえがおもしろく、つい足をとめた。その折々の口上の出来いかんによって客足がちがらしいが、そのときの呼びごえの主は相当に年季がはいっていた。もう五十をこえた、頭が禿げあがりかけている赤ら顔の男だった。その口から発せられるつぶれたしゃがれ声が、どことなく怠惰的な雰囲気をかもしだす。いまにも倒れそうな、むしろでかこわれた小屋にみょうにあっていた。ときとして男の口上が聞きとれなくなるのだが、それもまた興味心をあおりたてた。
 なん組かの親子づれが、子どもにせがまれて列に並んだ。そしてアベックがふた組つづき、女子ふたり組もつづいていく。ぼくもまたつられるように友人とともにその列にならんだ。そまつな小屋で、台風が襲ってこようものならたちまちに吹き飛ばされるように見える。つっかい棒がされてはいるが、サーカス場のようなしっかりとしたテント作りではなかった。
 ちいさな男の子が列をはなれて横手にまわっていった。すぐに、「コラッ!」というがなり立てる声き聞こえた。(むしろ)をめくって中にでも入ろうとしたのだろうか。
 小屋に入ってすぐに、『人魚姫』という看板に出くわした。すこし先になにやらあるようだったが、ぼくのところからはまだ見えない。ときおり間延びするテープの声がきこえるだけだ。
「不老長寿の霊薬として珍重される人魚の肝でございます。数おおくの人魚が、こころない人々の犠牲になったのでございます。△▽海の海底ふかくにかくれすんでいたこの人魚、嵐のよるに海面へとうかびあがってまいりました。そこへ沖から命からがらにげもどった漁師につかまってしまったのでございます。そしていままさに肝をとらんとしたそのとき、通りがかったお坊さまが、無用な殺生をするでない、とその漁師をさとして助けられたのでございます。そしてその人魚が巡りめぐりまして……」
 そのテープ途中でさえぎるようにように、赤ら顔の男が口上をのべはじめた。ぼくとしてはいかにしてこの小屋に来たのか知りたかったのだけれど、ギロリとにらまれて、口をつぐまされてしまった。
「さあさあ、お兄ちゃんお嬢ちゃんたち。どうぞ静かに見てちょうだいな。大きな声を出しては人魚姫さまがおどろいてしまい、横のあなにおかくれになるかもしれないよ。ああ、だめだめ。大人にはね、見えないのよ。信じる者は救われる。ねえ、かのキリストさまもおっしゃってる。残念ですが、大人には見えません。純真な子どもだからこそ、人魚姫さまがお出ましになるのですよ」
 三十センチ四方ほどの小さな箱のまどから井戸のなかを覗きこむものだったのだが、
「さあさあ、順番をキチンと守ってよ。さあ見えた人はお次のかたが待ってるからね。はいはい、お行儀よくおねがいしますよ」と、せき立てられた。中学生である我々を、大人の見るか子どもとあつかうか判断にまよう風だったが、さえぎっていた手を引っこめたのは、うしろにつづく子どもが早くはやくと急き立てたせいだろう。
 水面がゆらりゆらりとゆるやかに揺れて、水のそこに人魚姫らしきものが泳いでいるように、たしかに見えはした。度のあわないめがねをかけたときのように、焦点がぼやけた風に感じた。たぶんその底面にフィルムを映写していたのであろうが、まわりが薄ぐらかったことも相まって、その口上の見事さにだまされた。
「お父さん、見えたよ。こうやってね、ゆらりゆらりっておよいでたよ」
 目をかがやかせる幼い女の子が、うれしそうに父親に話しかけている。ところが、そのうしろにいた小学生の高学年だろう男の子が「あんなもん、うそっぱちにきまってら!」と鼻高々に言った。途端に「余計なことをいうんじゃない!」と、その子の父親に、ごつんとげんこつをもらっていた。

 薄ぐらい中をすすむと、間口が一間ほどで奥行きは三間ほどというほそながい場所にでた。
「はいはい。いよいよお次は、この一座のスターさんだよ。〇〇山という霊山にて生息していたこのへび女を…」
 網の下をくぐり抜けようとする男の子を、手慣れた仕草で制しながらつづけた。
「はい、お坊ちゃん。このつなから入らないようにね。生きたへびでございます。どんな悪さをせぬともかぎりません。どうぞ、このつなから先にはお入りになりませんよう。さあ、いよいよかわいそうなへび女の登場です。拍手はいりませんよ、人間に慣れておりません。なにせ人里はなれた、ふかーい山中でそだったあわれな娘でございます。ほんとにねえ、かわいそうな娘でございます」
 抑揚をおさえた声でなんどもかわいそうな娘だとくりかえしながら、大きく手をひろげて子どもたちを綱から入らせぬようにしていた。
「さあて、それではご登場ねがいましょう。どうぞ、くれぐれも拍手はなしで声もおだしにならぬよう、お願いいたしまーす。さあ、はいはい、お待ちどおさま。へび女でございます。首に巻いたへびが、嫌がっております。食べられることを知っておりますへびが、あばれております」
 白い着物すがたで口のまわりを真っ赤にした女があらわれたおりには、子どもにまじって若い女性の悲鳴が、そこかしこから起こった。ぼくと友人もまた、思わず身がまえてしまった。男は大声をあげて、へび女とへびの格闘をおもしろおかしく講釈しつづけた。なにせ薄ぐらい照明で、観客席からは離れた場所だ。はっきりと見えているわけではない。
へび女の大仰な手のうごきが、ちいさく遠くに見えるだけだ。
「へび以外の食べ物をいっさい受け付けない特異体質になってしまい、いまにいたっておりまする〜、あわれな娘なのでございます〜。わたくしどもも〜、正直のところこまりはてて〜いるのでございま〜す。暖かいうちは、へびも捕まえられまする〜。がしかし〜、冬の寒〜い季節ともなりますとぉ〜、へびも冬眠してしまいまする〜。はやく、わたくしどもと〜おなじ白いご飯を口にしてくれぬかとぉ〜、そう願っているのでございまする〜」
 口上がおわると同時に、へび女の手にしたへびが激しくあばれだした。観客の足もとをてらす灯りのほかには、奥にいるへび女を赤い色のライトがてらすだけだ。奇妙な音楽――ペルシャあたりで蛇つかいがかなでるような音楽がながれるなか、へび女がとつぜんに大きく口を開けて「シヤーッ!」と声をあげた。とたんに、最前列にいた幼児がおおきく泣きさけんで走りだした。あわてた母親が「なみちゃん、なみちゃん。すみません」と声をのこしてあとを追いかけた。
「小さいどもをつれこむなんて、ひどい親だぜ」、となじる声が聞こえた。
 そうだよなと思うぼくに対し、友人がこごえで耳打ちしてきた。
「人魚を見たかったんだよ、あの女の子は。こんな恐ろしいヘビ女を見たいんじゃない。そんなことも分からないとは、情けない大人だね」
「そ、そうだよね。人魚を見たかったんだよね、そうだよね」
 うなずいたけれども、幼女のきもちちに気づかずにいた自分が情けなく思えた。と同時に、友人の意見にすぐ同調してしまう自分に腹もたった。当のへび女はまるで気にすることなく、なんども「シヤーッ!」と叫びながら右に左にとうごきまわった。へびを口の中に入れようとしては、くねくねと動くへびに逃げられてしまうといった大仰なうごきをなんども繰り返した。そして最後には、そのへびに引っ張られるような素振りで消えていった。大人たちの失笑が洩れる中、ぞろぞろと外へ押し出された。
「面白かったねえ。へび女なんか、けっさくだったよ。あんな小さなへび一匹にふりまわされてさ」と感想をもらすぼく対し、友人はだまりこくっていた。なにかを思いつめるように口をつぐみ、眉間にしわをよせていた。
 他愛もない子どもだましの興行なのだが、当時のぼくたちには衝撃的なことだった。昭和29年1月16日に、インドのニューデリー駅で発見されたという狼少年のはなしを授業のなかで聞かされたばかりのおりだったこともあり、思いつめた表情の友人がとんでもない事を口にした。
「あの人を救おう、人間にもどすんだ。狼少年ですら、もどれたんだ。大丈夫、愛をもって接すれば、きっと真人間にもどれるさ」と、息せき切って話し始めた。気乗りのしないぼくではあったが、友人のあまりの剣幕におしきられた。
「あの赤ら顔の言うことなんて、みんなうそっぱちだ。ヘビしか食べさせてないんだ、きっと。だって、考えてもみろよ。もしもぼくらと同じごはんを食べるようになったらだぜ、ヘビなんか食べなくなるだろ? そうしたら、見世物にならないじゃないか! だれが好きこのんでヘビなんか食べるんだよ」
 口をとがらせて話しつづける友人の顔は、たしかに怒りの表情をみせていた。キッと一点をにらみつけながら、肩をいからせて歩いた。次つぎに人びとを押しのけるように追いぬき、肩が当たるたびに「チッ!」と舌打ちされることもしばしばだった。
 彼はぶつぶつとなにかつぶやきながら歩いていく。しだいに早足となり、ぼくはかけ足ぎみになった。長身の彼にたいして背のひくいぼくだ。やせ気味の彼にたいし、太っちょのぼくだ。クラスで一番の成績優秀の彼だ。いつも平均点すれすれの点数しかとれないぼくだ。周囲からみれば彼がご主人さまでぼくは従者だ。かげ口をたたかれていることは知っていた。しかし彼がぼくを見くだすことはなかった。
 祭りの会場からぬけだすと、「助けださなきゃ、世界中から笑われちゃうぜ。いや、笑われるだけならまだましだ。バカにされて、軽蔑されてしまう。野蛮な国だって、思われちゃうんだぜ」と、怒りの表情を見せつづた。舗道の中央にたつ彼に、祭りにむかう人が不きげんな顔をみせる。あわててぼくは彼を路地に誘い込んだ。すると彼がいつもの哲学論を打ち始めた。
「人間はまず実存し、本質というのはそのあとで作り上げられるものなんだ。人間は主体的に生きなければならない。人間は偶然に生まれ出たのであって、自分の考えで道を歩かねばならないんだ」
 正直のところ、ぼくには理解のできないことばだった。実存ということば自体は、フランスの哲学者サルトルが唱えている思想のことだと、高校を中退したおなじ町内の不良だと蔑視されている賢治さんから聞かされていた。なぜ賢治さんが不良なのか、ぼくにはわからない。ただ、かつて警察の補導を受けたとは聞かされている。夜間に――ある人は九時頃だと言いまたある人は深夜だと言う――繁華街の柳ヶ瀬で数人のグループでたむろしていたからだ、とは聞かされた。「夜に出あるくのは不良のやることだ」。ぼくも両親からいわれたものだ。
「分かるか。旧約聖書に書かれていることだけど、アブラハムという族長はだ、実の息子をころそうとしたわけだ。神の啓示でだ、天使をとおして伝えられたんだよ。それでその指示通りに、息子をころそうとした。しかし刃物をふりあげたその瞬間に、彼は、アブラハムは許された。『お前の信心は本物だ』と、神に認められたわけだよ。許されたんだよ」
 涙をはらはらと流しながら、なん度も「許されたんだ」と口にしていた。その話を友人にしたとき、「なんてひどい神さまなんだ。人をためすなんて、ほんとにひどい! ひょっとして天使のいたずらだったんじゃないか?」と憤慨した。そしてそのときのぼくは、賢治さんのことばにうなずき、そしてまた友人のことばにも「そうだね」とうなずいた。

 ある日、賢治さんが居なくなっていた。ことしやかに流れた噂では、ある団体に入って危険思想にかぶれてしまい、とうとう警察に捕まってしまったということだった。少年院行きになるだろうよと、大人たちの間でささやかれていた。
「卑劣漢は自分を卑劣漢にするのであり、英雄は自分を英雄にするのだ」
「誰かに指示をされるのでなく、自らの意思で行動をし自らを律する」
 友人の好きな一節がでた。そしていま、ヘビ女の救出作戦がもちだされた。その最後を締めくくることばは驚くべきものだった。
「結婚してもいいと思っている」。友人の口から結婚という二文字が放たれたときには、正気なのか? と思えた。単なることばのあやさと考えることで、ぼく自身を落ち着かせた。しかしほほを赤らめる友人を見て、本気なのだと思わざるをえなかった。友人にしてみれば、『実存主義とは何か』で登場したアンガジュマン=結婚という考え方が、頭から離れなかったようだ。のちに分かったことだけれども、実体としての結婚ということではなく、家族――自分だけの家族を持ちたかったということのようだった。
 熱っぽくかたる友人に異論をはさむ余地はなく、しだいにぼくもまたその行為に酔いはじめた。
「とにかく、時間がない。祭りは今日までで、明日にはつぎの土地に行ってしまう。助けだすには、今晩しかないんだ」
「そうだよ、急がなくちゃ。でも、どうしよう…」
 帰りの道々、計画をねった。といっても、友人の発することばにたいし同調するだけのぼくだったけれども。
「見つかるわけにはいかないんだ。大通りは極力さけなくちゃ。街灯のある道も、だめだ。裏道をいくしかないぞ」
「でも、暗くないかい?」
「だから良いんじゃないか」
「そうか、そうだよね…」

 計画自体は、じつに大ざっぱなものだった。小屋から連れ出すことだけで、その後どこでどうするということまでは考え付かないものだった。ともあれその夜、友人宅ちかくの北野神社で、午前十二時におちあうことになった。
“不良だぞ、これ。不良がやることだぞ”。恐れの心がわいていた。
“だめだ、だめだ。やるべきじゃない”。戒めるこころがわいていた。
 家人に気づかれぬように足音をころして二階からおりた。階段のきしむ音にきづいた母親の「どうしたの、こんな時間に」となじる声が、きのうまではうっとおしく感じる声が、こんやに限っては恋しく感じられた。しかしこんやに限って階段のきむ音はちいさく、家人の誰もきづかなかった。
“ドスドスとおりればよかったろうか……”。“わるいことをしにいくんじゃないんだから”。“なんでぼくは、いつも良い子ぶるんだろう”。そんな思いが、ぼくを責め付ける。
 すでに来ていた友人に「遅かったね」となじられ「親にきづかれないようにしたから」と、言い訳をしつつふたりで歩きはじめた。左手のトタン屋根の駐車場にそって左へと曲がると、灯りの消えた人家が建ちならんでいる。もうしばらくすると、かどに八百屋がある。そこを過ぎて二本目のかどを右に折れれば大通りにでる。そしてその大通りをまっすぐにいき、信号のある大きな交差点を三つすぎると、目当ての金公園につく。時間にして十五分ぐらいになるはずだ。
 しかしこんやは人の目を避けねばならない。深夜なのだから人通りはないだろうが、中学生ふたりなのだ、万が一にも見とがめられるわけにはいかない。警官に補導されるわけにはいかないのだ。不良少年というレッテルを貼られる惨めさや怖ろしさ、そして悲しさをまのあたりにしてきたぼくには、良い子のぼくには、あってはならないことなのだ。
 万が一に人とすれ違ったおりにきづかれぬことのないようにと、うつむきながら歩いた。目線を合わせたくない、それで見とがめられることはない、そう思っていた。そろそろ八百屋があるはずだ。距離的に考えれば、ひょっとして通り過ぎているのではと思えた。あるべきものがないということが、どれほどに人を不安な気持ちにおとしいれるものなのか、いやというほど思い知らされた。大した問題でもないのだが、どうにも落ち着かない。一本や二本間違えたところで、かどを右に曲がれば大通りに出ることに変わりはないのだ。しかし不安な思いは不吉な予感を感じさせた。
「おかしいよ、八百屋がないよ」。まったくの異世界に迷い込んだのではないか。不良たちだけが住む世界に入りこんだのではないか。しきりに、不良ということばがぼまくの頭の中で走りまわった。

 不安な気持ちを共有していると思っていた友人があっけらかんと答えた。
「そりゃそうさ。ぼくらの知ってる八百屋は、いつも道路にまで野菜をならべているもん。ついさっき、通り越したところだよ。ほら、看板があるだろ? 巻き上げられたテントの上を見てごらんよ。八百善って書いてあるだろ」
 友人が言うとおりに通り過ぎたかどに、たしかに八百善という文字が書かれている二階建てがあった。目を伏せていたから見えなかった、ただそれだけのことなのだが、しっかりと前を見すえてあるく友人がいかにもおとなに思えた。
「大通りを渡って、また路地に入るから。大通りはまだ人通りがあるだろうからさ」
 否やもなかった。友人の決断は、ぼくにとっては命令なのだ。街路灯のない道での頼りは、うす明るい月明かりだけだ。淡いひかりの下で道の端をそうように歩いた。友人は道の中央を歩いて行く。まったりとした空気のなかを、当たり前のように空気をひき裂いてあるいていく。しかしぼくにはできなかった。中央を堂々と歩くことには抵抗感があった。板塀にそって歩いていると、打ち損じたのだろうか、飛び出した釘で二の腕を傷つけてしまった。痛いと声をあげるわけにもいかず我慢しながら歩いたけれども、あまりの痛さに涙が出てしまった。街灯の下で見てみると、押さえていた指が血で真っ赤になっていた。
「あっ、あっ」。動転したぼくに対し、友人はだまって真っ白なハンカチで傷口をしばってくれた。そしてようやく、小屋にたどりついた。遠回りしたせいで三十分ほどかかったろうか、しかしぼくには一時間にも二時間にも感じられた。
「着いたぞ」。「ついたね」。来てはいけない、たどり着いてはいけない、異世界の入り口前に立っている気がした。誰もいないはずなのに、そこかしこの木陰やら灯籠やらの陰に、幾多の不良たちがかくれているように感じられた。いや、それら木陰や灯籠が透けてみえる。「よおきたな」と舌なめずりしている不良たちが、ぼくには見えた。でも友人には見えていないようだ。

 境内の入りぐちの大きな木のしたで、街灯の光からかくれるようにしながら公園をのぞきこんだ。ずらりと並んでいた夜店だったが、テントと材木に分けられてきちんと整理されていた。なにも残っていない、空間だけのところもあった。足下を見てみると食べものの残りかすやら発泡スチロールの皿があり、そして割りばしとともに紙コップが散乱していた。ときおり吹く風にカサコソと音をたてる。あわてて人がいるのかと目をこらすが、人影はなかった。そういえば祭りが終わったあとに、小銭ひろいをする輩がいるといると聞いたことがある。先日の花火大会が終わったあとに、懐中電灯があちこちで光っている光景を思いだした。
 めざす小屋は、大通りに面したかどにある。向かい側は商店がたちならぶところで、人家はなかった。これなら誰かに見られることもなく連れだすとができるぞと、友人はよろこんだ。
「あの人は、どこだ? どこで寝てるんだ」
「どこだろうね、ほんとに」
 小屋のまわりを音をたてぬようにと歩きながら、小声で声をかけあった。ふたり寄りそいながら、なん度も「どこだ」「どこだろうね」と声をかけあいつづけた。怖かったのだ。街灯は遠くにある。ここまでその灯りは届いてはくれない。境内に張り巡らされていた電灯は、すべて消えている。月明かりだけが頼りだった。けれどもその月にしても、ときおり雲間にかくれてしまう。ややもすればくじけそうになる、こころの移ろいそのものの月だった。
 むしろのすき間から中をのぞいてみるが、真っ暗でなにも見えない。ぼくのこころの中に((ついて来るんじゃなかった。そもそも無理だったんだ、この計画は。へび女がどこに眠っているのか調べもしないなんて。おりだって? そんなもの、どこにあるんだよ。そんな大事なことを調べてないなんて、ひどい話だよ))と、いかりの気持ちがわいてきた。
((不良少年にされて少年院に入れられるなんて、だめだよ。あの賢治さんがどんな風に言われているか、されているか。そのことをいま話したら……友人はなんていうだろう? おく病者って、軽べつされるだろうか。人でなしと非難されるだろうか………))。逡巡する気持ちがおさまらない。
((いっそこのまま、だまって帰ろうか。ひょっとして、誘拐とかなんとか、警察に追われることになるんじゃないか? いやだよ、そんなの。なんでへび女のために、そこまでやらなくちゃいけないんだ。おとなは、なんで黙って見てるんだよ。よし、帰るよ、いっしょにかえろうって言おう))。意を決して、友人のすそをひっぱった。
「まずいぞ。絶対まずいぞ」。「まずいよね」。
 おなじことを考えていたのかと嬉しくなったわたしだったが、まるで違っていた。
「もう逃げ出したんじゃないか? へび女。それともほかの誰かが…。いやそうじゃない。やっぱり、ひとりで逃げ出したんだ。それをみんなが追いかけてるんだ、きっと」
 突拍子もないことを口にしはじめた。しかしそれはそれでいいと、わたしは思った。
「そうなの? そうなんだ。うまく逃げられると良いね。だったら、ぼくらの役目はおわったんだ。帰ろうか、家に。誰かに見つかると、おおごとになっちゃうからさ」
「なに言ってるんだ! 見とどけなくちゃだめだよ。ほんとに逃げられたかどうかを。もし万がいちに捕まったりでもしたら……」

「うん。捕まったりしたら…(助けるの?)」。喉まで出かかったことばを飲み込んだ。
「助けるんだ、たすけるんだ、なんとしてでも助けるんだ」。恐ろしいことばが、やはり友人のくちから洩れた。言って欲しくなかったことばが、もれた。
「そうだよね、助けなくちゃね」
ぼくの口からも、信じられないことばが出てしまった。友人のことばにつられてということだけではない。
「正義だよ、せいぎなんだよ」
「人間には連帯意識がなければいけないんだよ」と、常々あつく語る友人のことばが、頭の中をグルグルとまわっていた。そして「英雄は自分を英雄にする」が、いま、ぼくの体を押し流そうとしている。ぼくにとっては悪魔のことばである実存主義という化け物にとりつかれている友人を、あがめるような気持ちで見ているぼくには、否定のことばなど出せるはずもなかった。そして体がぶるぶると震えだした。
「なんだい、怖いのかい?」
「そういう君だって、震えてるじゃないか」
「怖くて当たりまえだと思うよ。でもここで逃げちゃ駄目だ。勇気だ、ゆうきがいるんだ」
 しっかりと握られた友人のこぶしが、そのときほど頼もしく思えたことはなかった。かたく握られたこぶしにそっと手を添えるとぼくにもその勇気をわけてよと、力をこめた。

 小屋のうら手に煌々と電燈がともり、プンプンと酒のにほいがする別の小屋があった。十畳いやもう少し広いだろうか、板べいの小屋だった。 ちいさな窓から中をのぞきこむと、七、八人が車座になってすわっている。そして並々と注がれたコップ酒を、次つぎにからにしていた。その中には、呼びこみの男がいた。短剣をなげて喝采を浴びた中国人風の男もいた。お手伝いをしていたチャイナ服がまぶしかった女性もいた。割りばしをチリ紙で叩きわった武士道の先生もいた。
 みな、顔を赤くしている。そしてそのなかにひと際大きな嬌声を発している、あのへび女がいた。舞台の上で着ていた真っ白な着物すがたで、やはりコップ酒を飲んでいた。おおきく胸元をはだけている。身ぶり手ぶり大きく、話している。白くもり上がった乳房が目にはいったとき、ふたりとも思わず目を伏せた。
「どういうことだ、どういうことなんだ!」
「へび女だよね、まちがいないよね。いっしょに居るよね、おさけを飲んでるよね」
 そして改めてのぞいたとき、いままさに、かれらに封筒が手渡されているところだった。その中身がなんであるかはふたりにもよく分かった。そしてなにより、友人はもちろんぼくにも衝撃だったのは、皆がみな、あのへびを食べていたことであった。その瞬間、ぼくの胸の熱いものがスッと消え、目がしらに熱いものがこみあげてきた。横の友人をぬすみ見すると、ただ黙りこくっていた。ギラギラとした光が、目から消えたように感じられた。
 お互いなんのことばもなく、急に重くなった背中のリュックー炭酸飲料に菓子パンにインスタントラーメン、そしてせんべいの入ったリュックをおたがい見つめ合い、どちらからともなく笑った。そして友人の目になみだが光り、ぼくのそれは頬をつたっていた。幾重にもかさなったその夜の月は、いまでも脳裏に浮かんでくる。