( 第一部 問屋街 ) |
戦国の武将織田信長の居城だった岐阜城のある金華山をあおぎみる岐阜市は、戦後に繊維の街として発展をとげた。国鉄岐阜(現JR岐阜)駅前で、北満州からの引きあげ者たちが中心となって古着や軍服などの衣料を集めて売りはじめた。当時ハルピン街と呼ばれたこの一帯が、岐阜問屋街のはじまりとなった。日本全国の洋品店からの仕入れ客が引きも切らない、日本でも有数の一大繊維街だ。駅前に南北を走る大通りがあり、問屋街が東と西にわかれている。 東側に位置する問屋街は、通称<東問屋町と称されている。いまでこそ多くのビルが建ちならぶけれども、昭和五十年当時はいくつものまるでハチの巣状態に小さな店があった。二坪ほどに板塀で仕きられた場所で、家内工業的な縫製業者が商売を営んでいた。全体数でいうと、正確な数字は分からないものの数百軒もの店がひしめきあっていたらしい。 そして今日もきょうとて、大勢の客がお目当ての店に入りこんでいく。ミカン箱を敷きつめてその上にベニヤ板を乗せて作られた平台がある。その上にブラウスやらスカートそして子供服がならべられている。丁々発止と真剣勝負の駆け引きがつづき、購入された商品が、大通りに面した舗道の一角に段ボール箱に入れられてうず高く積まれていく。夕方のトラック集荷の折には、その段ボール箱の高さが夕飯時におけるお銚子の差となっていく。 「今夜の酒は二本かい?」 「そうとも、2本にしてもらうよ。いや3本かな?」 どっぷりと日が暮れた頃には、そんな掛け合いがあちこちで聞かれた。 もう一方の西問屋町と称される一角は、個人商店もありはしたが、小規模ながらも会社としての店が多かった。こちらは個人客相手ではなく、地方の問屋相手の商売が主だった。取引にしても、客が訪れるのではなく店からの出張販売が主だった。なので、東に比べれば人通りは少なめではあった。 ぼくの仕事は、それらの個人商店やら会社相手に梱包材類をとどけることだった。そんな会社のひとつに株式会社益田商店があり、取引先としては大口の部類にはいる。ここには毎日梱包材類をとどけにいくのだが、二日ないし三日分をまとめて注文してくれればいいのにと、つい同僚にこぼしたことがある。しかし「毎日の配達になったのは、うちの会社都合だ。 よそに入り込まられないようにって、担当者がお願いしたんだ」と、先輩社員に叱られた。小回りをきかせるということらしい。そういえば、午前と午後とに配達をしたことがある。 株式会社増田商店は、多々ある繊維街の中でも名のとおった中央繊維街の入り口角にある。地の利の良さからだと揶揄されるけれども、この辺りでは一、二を争う売上高をほこっている店だ。社員はみな横柄な口の利き方で、我々配達員は人間あつかいしてもらえない。 大通りをはさんだ向かい側の入り口に、この界隈で一軒だけの喫茶店がある。商談後のブレイクタイムに重宝されている。つい先日のこと、社長の娘である企画課長の麗子さんに「お茶しましょ」とさそわれた。なにごとかと身構えたけれども、予定していた相手の都合が悪くなったための時間つぶしの相手にされたということだ。 年齢は確か三十になったばかりだと聞いている。担当の営業に言わせると二十代前半に見せているのだとか。広告塔の役目があるのだそうだ。たしかにスタイルは良い。背は165センチぐらいかな? ぼくの背丈と同じぐらいだから。待てまて、ハイヒールをはいてるんだ。その分を引かなくちゃ。ただ、顔がちっちゃくて、首が長いんだよな。ぼくがつけた、ぼくだけのあだ名は「キリンさん」だ。 もちろん誰にもいっていない。「そのまんまじゃねえか!」とか「センスねえなあ」とか言われそうだし。どころか、担当営業マンにばれたら、ぜったいに大目玉をくらうに決まってる。いつもゆったりとしたワンピースが多いのは、ひょっとして太ってる? と思ったんだけど、先輩にいわせるとファッションモデルでもやれるスタイルの良さだという話なんだけど。まだ独身で見合いをくり返すものの、なかなかお眼鏡にかなう相手が見つからないということだ。ボーイフレンドは何人かいるらしいが、あくまで遊び相手ということらしい。担当営業マンから「気むずかしいところがある女性だから気をつけてくれ」と、しつこく言われている。 益田商店の店先には道路上にはみ出したステンレス製のハンガーラックが所せましとならべられている。ひとつのハンガーラックには二十枚ほどの洋服が種類別に整然と掛けられている。その一つひとつのハンガーラックに番号が割り振られている。店の中にあるハンガーラックにつり下げられたハンガーには、Yー72とあった。アルファベット26文字にそれぞれ二桁の数字が割り当てられているが、それで何種類になるのか、計算するのもいやになるぐらいの製品数ということになる。そしてその一枚いちまいにプラスチック製ハンガーとカバー袋が必要となるわけだ。それをぼくが配達をしている。そしてそれで給料をいただけるわけだ。「ありがたやありがたや」。念仏のように唱えながら配達しなくちゃな。 間口が五間ほどの店に入ると、中央部にマネキン人形が三列に並べてあり、この秋用の新製品がそれぞれに着せられている。ワンピースとスーツと、もうひとつはブラウスにスカートの組み合わせものだ。紫っぽい藤色というのかな? 好きな色なんだよな。ふわっとした上半身で、腰あたりがぐっと絞ってある上品なつくりだということは、門外漢のぼくでもなんとなく分かる。益田商店では、体にぴったりとフィットする服ではなく、こういったゆったり系をメインにしているようだ。 左右の壁にはだいたい四十センチ四方の棚が五段添えつけられている。その棚にもそれぞれに番号が割りふられている。店先のハンガーと連動しているのだろう、アルファベット二桁の数字が書かれたラベルが貼り付けられている。キチンと(当たり前の話だけど)たたまれて、何枚ぐらいかな、重ねられている。しっかり数えたわけではないが、5枚ぐらいだろうか。「少量多品種がモットーの会社なんだ」と、これも担当営業マンに聞かされた。ぼくにはどうでも良いことなのに、やたらと説明してくるのはなんでだ? 「まいど!」。店にはいるときには、いつも大声で怒鳴るように叫んでいる。そうでないと、奥の事務室にまで聞こえないのだ。でいつも「ああ、ご苦労さん」と、部長が仏頂面で答えてくれる。でも声はやさしい。納入物によって置き場所が違う。段ボールや化粧箱に結束バンドは店先に置き、袋類はその日によって店先だったり事務室だったりする。 型紙であるパターンやトレース紙などはいつも「ていねいに扱えよ」と先輩社員に念を押される代物だ。配達物としてはありがたくないものだが、二階に上がることができるということで嬉しくはある。今日もまた、無言のままあごをしゃくり上げる部長で、二階へはこべと指示された。 その二階には美少女がいる。静子という名前は、やっとの思いで聞き出した。いつも「あのお」と声かけをしているが「わたし、『あのお』じゃないです。静子と呼んでください」と、言われた。考えてみれば、聞き出したということじゃない。聞かされた? いやちがうな。教えてくれた? これもちがう。教えるということには、もうすこし相手に対する敬意の思いがはいってる気がするんだよな。 彼女のばあいは、場合は、そう! 命令だ。冷たく言い放されたって感じだった。でもでも、だ。名前で呼べとはどういうこと? ふつうは、姓じゃないか? 彼女の姓をしらないから、仮に加藤だとすると、「加藤と呼んでください」となるのじゃないか。なんていろいろと考えていたら、彼女と同姓の女性がいるということだった。そうだったのか、と落胆の気持ちをいだきつつも、ひょっとしたらとまだ未練な思いも……。 うしろで髪をしばり上げつつも、おでこが広いことを気にしているらしく、いつも前髪をたらしている。ポニーテールという髪型らしいのだが、彼女によく似合っている。まん丸の大きな目と相まって、とても愛らしく見えた。ただ鼻が団子っ鼻で、口もどちらかと言えば大きめだ。「どこがいいんだよ、あの娘の。暗いし、声も小さいし」と、風邪をひいたおりに配達の代役をつとめてくれた同僚には不評だった。 いつものことだが、階段のとちゅうで再度「まいど!」と大声を上げる。二度も同じ言葉を発してなにをくだらぬことをと思いつつも「まいど」以外の気の利いたことばが出てこない。主任からは、お世辞のひとつも言ってこいと言われるけれど、どうにもことばが出ない。そもそもが、「あのお」と声をかけていた。おかしいぞと分かっているけれども、どう声かけすればいいのか、まったく分からなかった。で、先輩社員から教えられたのがこの「まいど」ということばだった。「万能ことばだぞ」と、これまた、教えてやったんだ感謝しろ、と言わんばかりの横柄な口調だった。 いつもなら、「ごくろうさま!」と返ってくるはずが、今日にかぎってなんの返事もない。階段のとちゅうで、鎌首をもたげてのぞきこんだ。いち望できる仕切りのない作業場には、誰もいない。返事がかえってこないわけだ。ここには普段は三人の社員がいて、試作品を布地の裁断から縫製までをおこなっている。とうぜんながら誰でも上がれる場所ではなく、かぎられた人間のみがはいれる場所だそうだ。ということは、選ばれた人間になるのかと喜んでいると、見られてもよそにリークできるほどの知識がないからだと先輩社員に笑われた。要するに、馬鹿ということらしい。腹立たしい気持ちがわきはしたが、あの美少女に会えるのだしと自分を納得させている。 所在なく待っていると「ごめんね、待たせちゃって」と、驚いたことに企画課長の麗子さんがやってきた。今日にかぎって、最近流行りだしたジーンズなるものをはいてみえる。上半身はいつものようにふわっとしたブラウス姿だ。さすがに広告塔だと言われるだけあって、ジーンズの着こなしも様になっている。ストレートのロングヘアで、キラキラと輝く髪質だ。自慢のヘアらしく、しきりに掻き上げる。富士額だと聞かされたけれども、確かにきれいな生え際に感じられた。そんな麗子さんに「あなた、こんどの休みにデートしてくれない」と、思いもかけぬ言葉をかけられた。 大人の女性からのデートの誘いだ。どう考えてもぼくでは不釣り合いだ。相手は有名女子大出身で、社長令嬢だ。それに比べて私は、工業高校になんとかすべり込んだものの、しょせんは落ちこぼれ生徒にすぎない。就職先に上場企業の製造現場を学校からすすめられたけれども、職場見学時にベルトコンベヤ相手の仕事なんぞにはなじめないと即座に逃げ出した。そんなぼくだ、麗子さんとは天と地ほどの差がある。映画やドラマならいざ知らず、現実問題としてあり得ないことだ。かつがれたとの思いが消えない。 先輩はもちろんのこと、同僚ですら彼女がいる。いないのはぼくぐらいもので、平生の態度や行動パターンから変人あつかいされている。自分でもまずかったと思っているエピソードが、腕時計だ 別段必要というわけでもないのに、映画で見たシーンが目に焼き付いて、それを真似したくなり購入してしまった。 フランス映画で暗黒街の殺し屋を演じるアラン・ドロンが、待ち合わせの場所で時間を確認したおりにとった仕種がなんともカッコ良く思えてしまった。腕時計の時間をたしかめるシーンなのだが、右手内側の文字盤にチラリと目をやる、ただそれだけのことなのに入場料の大半を費やしても惜しくないと思ってしまった。 みなに馬鹿にされたというかあきれられたのが、時計を定価で買ってしまったことだ。よりによってアラン・ドロンと同じ時計をと思ってしまい、デパートに駆け込んだのが運のつきだった。映画館に頼み込んでポスターを手に入れて、その腕にはめられている腕時計を指さして「これください」と言ってしまった。怪訝な表情の店員に提示された金額があまりの高額で手がでず、国産品を買ってしまった。その購入場所がぼくとは対極にあるデパートであったがために、みなに笑われたという顛末だ。 「名古屋のコメ兵なら、中古品かもしれないけど安く買えただろうに」という同僚のことばもあとの祭りで、つい「定価で買うことが大事なんだ。うちだって値引きねびきで苦労しているだろうが。みんなが定価で買えば、こんな苦労はしないですむんだ」と、負け犬の遠吠えをしてしまった。 その苦い思い出の時計をじっと見つめながらただ突っ立っているぼくに 「静子ちゃんがね、あなたとお話をしたいんですって。でもふたりきりは恥ずかしいから、お姉さん代わりのあたしに同伴して欲しいというのよ」と、麗子さんがとびっきりの笑みを浮かべながら説明してくれた。異性との付き合いが苦手なぼくには、ある意味ありがたいことだった。しかも憎からず思っている相手だけに、小躍りせんばかりの気持ちだった。すぐにもOKの返事をせねばと思っている口から出たのは「はあ…」と気乗りのしない生返事だった。 事あるごとに「おまえの性格だと彼女はできないぞ」と、先輩社員にいじられているぼくで、硬派ぶるくせがとれない自分が――そのくせひといち倍異性に対して関心が高い自分がいやでたまらない。結局ことばをにごしたままにしてしまった。 会社に戻るや否やこちらも社長の娘である貴子に 「どうしてOKしないの。好きなんでしょ、あの子のこと」と、叱責された。そんなことないさとうそぶいたものの、会社内では公然の秘密になっていることだった。しきりにデートしろとはやすので、「教えたのはあんたか!」と荒げた声を出した。店先で商品の入れ替えをしていた女性社員がなにごとかと顔を上げたが、相手が社長の娘だと知るやあわてて飛んできた。 「あやまりなさい」と頭を押さえつけられた。当の貴子は「いいわよ、放してやりなさい」と、どういうわけか笑っている。みなが敬語を使いはれ物に触れるように接するなか、ぼくだけはため口を利いている。真理子さんにはそのことが新鮮に映っているのだろうか。きれいな形のリンゴばかりを食していると、たまにはいびつな形のリンゴも食してみたいと思うようになるとか…は、ないか。映画の見過ぎのような気がしないでもない。 「かりにも社長令嬢だぞ。それに年上なんだから、そんな口の利き方はやめろ」 先輩社員にしかられるが、そうなると反こつ心がムラムラと湧いてくるのだ。立場が上の人間にたいしては猛然と反発心がわいてくる。というよりは、ニヒリズムに心酔している――自分に酔っているのかもしれない。あの友人の影響であることは、中学時代のじぶんといまの己をくらべれば一目瞭然だ。おどおどと人の顔色ばかりをうかがっていたぼくだったが、歯にきぬ着せない言動でクラス内で浮いた存在となったものの、その実みなから一目置かれる存在の彼のかげにかくれているぼくだった。それがいまでは、その友人が乗りうつったかのごとき振る舞いをしている。 「それでさ、そのデートには、あたしも付いていくから。静子ちゃんには麗子さんがついて、あなたにはあたしが付いてあげる。来週の日曜日ということで、場所は岐阜城よ。歴史をお勉強しましょ」 一方的に取り仕切られて終わった。中学時代にもどったような錯覚におそわれた。そして「幼なじみなのよ、麗子さんとは」と、聞きもしないことも教えられた。 そもそものことが、貴子の世話焼きからのことだった。つい先日に彼氏とのあいだに別れ話がおき、むしゃくしゃする気持ちが収まらず、この悪だくみを思いついたらしい。 「なんですって。お休みには、おひるまで寝てるの? そんなじゃ、目玉がくさるわよ。すこしは早起きしなさい。そうだ! 彼女がいれば、いいのよ。どうせ、いないでしょ。そうね……どんな女の子がいいかしらね。いいわ、待ってなさい。あたしが見つけてあげるから」 余計なお世話だとばかりにかみついた。 「そういう自分はどうなんだよ。ぼくよりそっちが先だろうが。見つけてあげるなんていっといて、まさかぼくに『あたしなんか、どう?』なんて言うんじゃないだろうな。年上はイヤだからね」 「なに言ってるの。『年上の女房は、金のわらじを履いてでもさがせ』なんていわれてるのよ。それに、このナイスボディよ。いいよる男なんか、星の数ほどいるんだから。お見合いの話がね、先日もきたの。でもね、あたしは安売りしないの。玉の輿にのるんだからね」 こんな丁々発止のやりとりが楽しくてたまらない。そして周囲のあわてふためく様が、どうにも小気味よく感じるのだ。「どうしてぼくなんだ?」と問いかけても、ぼくの出身が福岡だと知って興味をおぼえたといい、「ひみつの多い女性のほうが魅力的じゃない」と、まるで相手にしてくれなかった。 そののちに麗子さんからの情報で、熊本の親もとをはなれての集団就職で、年齢は十六歳だということがわかった。声の小さな子で、いつもあいての耳元で話しかけている。まるで内緒ばなしをしているように見えてしまう。まだ方言がとれずにいたせいらしい。はじめの職場では人間関係がうまくいかず、在籍している定時制高校のあっせんで増田商店にきたということだった。 とにかく万事においてひかえめで、出しゃばるということを知らない。どういう経過なのかはわからないが社長宅で寝泊まりしていて、麗子さんがお姉さんがわりとして何やかやと世話をしているということだ。そして当日のことだ。ロープウェイでと言いはるぼくに対して、三人の女性は歩くと言いいり、鶯谷にある山道からのぼることになってしまった。ぶつぶつとくぢるぼくに対して「情けない人ですね、それでも男ですか」と言いはなったのは、だれあろう彼女だった。 が、ものの三十分と経たぬうちに音をあげたのも彼女だった。当初はいつもの小声でぼやいていたが、とつぜんに金切り声をあげた。ことばとも叫びごえともつかぬ声を張りあげた。まっ赤になった足首を指さして涙ながらにうったえた。すぐさまに麗子さんが処置をしたけれども、彼女の叫びはおさまらずつづいた。 「せからしか! だまらんかい」。思わず大声をだしてしまった。キョトンとする彼女を見たふたりが大笑いをし、彼女もまた笑いごえをあげた。ふだんはつかわない博多弁がでてしまった。しかしそのことが、その場をなごませる結果となった。「おんぶしてもらなさい」と言われ、それはいやということで、ぼくが彼女の手を引いたり後ろから押したりと、遊び半分の行程となり、やっとの思いで山頂の岐阜城にたどりついた。 たどり着いた、と簡単にいったけれども、そのじつは大変な難行――ぼくにとってはうれしいことでもあったんだけど――となった。手を引いて、ということは、たがいの手をにぎり合うということであり触れるということだ。女性の手にふれるなどはじめてのことで、すぐに手がじっとりと汗をかいてしまった。「ごめんね」とハンカチで汗をふいてると、「この子は純情なのよ」と貴子がよけいなことを――いや嬉しいことばか――言う。彼女もはじめてらしく、顔はもちろんのこと耳たぶまでもまっ赤になった。それではと後ろから押すことにしたものの、こんどはどこに手を当てれば良いのかと、これまた大騒ぎとなった。事ほどさように付き添いのふたりがわれわれをはやし立てるものだから、なにをどうしていいやら分からなくなってしまった。しかしそれらのことがきっかけで、ぼくと彼女のきょりが一気にちぢまることになった。 |