[ フランス人気質 ]

サー行こう、サー行こう!
あの山、あの川越えて。
サー行こう、サー行こう!
あの山、あの川越えて。
きっと待っている、きっと待っている、
きっと待っている。
僕らの夢見る何かが、何かが。
ハロー、スージー!

俺は全ての能力を尽くした。
Timmyへの後ろめたさは、さ程感じない。
その理由を、俺は考えずにはいられない。
もっともらしい言い訳が出てはくるけれども、
結局俺は、Timmyに甘えているのだろうか。
どうやら、そうらしい。

しかしもしそうだとすると、俺はTimmyに何としても、
自分の変わることのない不滅の愛を伝えねばならない。
しかしどうしても、それが出来得ない。
結局、Timmyの心=俺を信じてくれるという=を
信ずるより他に、俺の愛を伝える方法はないらしい。

夏目漱石著「行人」に、こんな一節がある。
確か、妻の浮気を疑った男の話だったと思う。

 あヽ己は何うしても信じられない。
 何うしても信じられない。
 たヾ、考へて、考へて、考へて、考へる丈だ。
 二郎、何うか己を信じられる様にして呉れ。
 
 *己=おれ 何う=どう 丈=だけ

しかしこの俺には、二郎に当たる人物はいない。
余りに遠すぎるためだ。
あヽ、Timmy、許してほしい。
俺の我がままを。

フランス人は、というより、フランス国家では、あらゆる所に三人
枠があるそうだ。
例えば公園のベンチ、プラットホームの椅子、そしてエレベーター
に椅子が居るのかどうか甚だ疑問だけれども、三人分だとか。

それには勿論、夫婦・恋人そして友人が座るだろうけれども。
しかしもう一人は誰なのか?
これは興味深いことだ。

読んだ話だが、フランス人は人前では開けっ広げにキスなどをする。
例えば交差点での信号待ちの間に、例えばカフェで砂糖をコーヒー
に入れる時に、例えば舗道を歩いていて突然に、例えばショッピン
グの途中で・・・etc.

けれども、比較的人通りの少ない暗い場所−そうあのセーヌ川のほ
とりなどでは、比較して少ないことらしい。そしてこの二つの相反
した事実を考え合わせて、次の結論を出している。

[フランス人気質]と称すべきだ、と。人が見ているからの行為だと
あった。抱き合ったり、キスしたりの行為を誰彼構わず見せつける
ことによって、愛情表現をしているのだと。

つまり、自分がいて恋人がいて、そしてもう一人いなければならな
いのだ。二人が抱き合ってキスをしている時に、それを見て嫉妬す
る者がいなければならないのだ。そしてその時、二人は生きている
ことを知るらしい。

つまり、存在価値を見出すのだ。
これは私に、少なからず衝撃を与えた。
自分がいて、そして相手がいる。
そこに自分の生きていることを確かめることに対してさえ、反感を
持っているというのに。

私はもう一度、熟考すべきだと感じた。
[卑怯者]

俺はとうとう、完全な卑怯者になりつつある。
フランス人気質のの記事を、アサヒグラフで読んだ後に思ってしま
う。
俺と、Timmyと、そしてもう一人、などと思ってしまった。
そしてそれを正当化しようとまで、している。
あヽ、何という恐ろしいことか。
俺は、俺は、Timmyに申し訳がない。

何故、何故なんだ。
何故、俺は、これまでしてTimmyを苦しめようというのか。
俺は、Timmyを信じたいんだ。
だから、わざと虐めているんだ。
そう、思った。
しかしその後で、又こうも思った。
そう思うことによって、もう一人の存在を肯定しているんだ。

あヽ、俺はどうしてこうなんだ!
本当は、なにもできないんだ。
Timmyの深い愛情なしには、生きていけないんだ。
それなのに、それなのに、どうしてなんだ。
やっぱり、淋しいのか。
しかし、淋しいだけでは、解決されないことだ。
そんなことで、許されることではない。

結局、俺はとうとうその悩みを打ち明けた。
新しい、あの娘に。
その結果、あの娘は去ろうとした。
俺は悲しいとは思わなかった。
憎い奴とも、思わなかった。

俺は、今までに、心底から憎いと思った者はいない。
おそらく、憎いと思った者にこそ、俺は愛を感じるだろう。
とすると、俺のTimmyに対する感情はなんだ?
まぎれもない愛だ。
そのはずだ。

あヽ、誰か、誰か、俺の思考を止めてくれ。
お願いだ、誰か・・
[バレーボール]

バレーボールの練習風景に見とれて、自分を忘れる。
没我の、状態というべきか?
自分と対象がピタリと合えば、それが絶対なのだ。
俺にあらゆるものを引き付けるのではなく、バレーボールの如くに
自分から見とれればいいんだ。

つまり物を所有するということは、つまりその物に所有されるとい
うことだ。
受身の立場になって、全てに臨むことだ。
生活にしても、恋愛にしても。

そしてこの論理から
「殴るより、殴られよう」
「騙すより、騙されよう」
「傷付けるより、傷付こう」
この三つの、代表的思考が生まれた。
そしてその実践として、・・・
[形而上学的世界]

俺はあいつを、こよなく愛している。
そしてそれはもう、不健全に近い程の執念の如き愛になってしまった。
もう、あいつなしには、生きられぬ俺だ。
そしてそのあいつの為に、俺はもう人を愛せなくなってしまった。
一人の異性を、一人の異性として考えることはできない。
たとえその異性が恋人になってしまったとしても、それはそれだけのことだ。
そこまで、なのだ。

俺の心の奥深くに潜んでいる愛という、扉は開かない。
もうそこには、その部屋には住人がいるのだ。
醜く、そして傲慢で、エゴイストで、何ともやりきれぬあいつが。
しかしそれは時として、この世の何物よりも美しく輝き、そして謙虚さを装い・・。
とに角、この世の全ての理想の塊、そんなものになる。
恐ろしいほどの魅力で、この俺を誘惑して、そして虜にしてしまっている。

俺は幼い頃、よくあいつと遊んだものだ。
あいつは俺を素晴らしい世界へと連れて行ってくれた。
あいつの連れて行く世界は、全て、美しい点と線、面と光だ。
そんな人間の目には映らない、形而上学的世界だ。

花の、咲く。
そう、春はれんげ草。
そう、夏はたんぽぽ。
秋は、紅葉の落ちる。
そして、冬。
冬、そう冬。
冬ほど、俺の嫌いな季節はない。

何もかもが落ち切ってしまった。
枝だけの樹木が、立っている。
薄気味の悪い。
どこもかしこも、白、白、白。
孤独感に、襲われる。


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