[ あなたには、夢がないのね ]

その日以来、俺の人生はバラ色に輝きだした。
たとえ片思いであっても、俺の心のこのときめきは事実だ。
今まで、さ程に感じなかったこの興奮。
何故だ?
俺の思索が始まる。

まず、母のことが頭に浮かぶ。
そして否定しつつも、
そこから流れている何かを認めないわけにはいかない。
中三の頃の小説からプンプンと匂ってくる、母性愛。

ある人は言う。
母性愛を純化しすぎている、と。
その淋しさは、年を経るにつれ高度なものとなってくる。

そしてそれが精神的欠乏であればあるほど、
物質的供給をはねのければのける程、
複雑で微妙で、神経的悩みとなる。

そしてその淋しさと現代病の孤独とがミックスされ、
自分の存在価値の喪失となり、段々深みに入っていく。

そんな時、昨年の卒業者、M.O女史の言葉を思い出した。
「あなたには夢がないのね。」

当時の俺には、どうしても理解し得ない言葉であった。
が、今、片思いの恋を知った時、
ようやくその意味を理解することができた。

「あなたには夢がないのね!」

これ程の痛烈な批判は、これが初めてで又終わりだった。
孤独に打ち勝とうとしていた俺には、
夢など見る余裕とてなかったようだ。

が、俺の理想とする旅、それが夢だ!と口走った瞬間、
俺の孤独への道は閉ざされ、新しい道が開いた。
それは、愛する喜びを知ってしまったこの俺の、
当然行くべき道であり、そして又夢が存在する。

あの批判を与えてくれた、M.O女史。
俺はあの人に、この世で最大の敬意を表し、
自分のこの夢を知らせたかった。

[ 潜行的思索は途切れない ]

俺は自分のこの胸の内を如何にして伝えるかと迷いに迷った結果、
俺の俺たる所以でもって、手紙に託すことにした。
しかしながら、淋しきかな、その返事はなかった。
しかしそれでも、俺は諦めることはしなかった。

その突然の手紙を深く謝罪し、
今度は捧げる詩と小説とを書き上げた。
そしてそれを投函する、まさに前日に、
一通の手紙が我が手の平に乗せられた。

おう、何と言う感激。
これ以上、何を言おう。
しかし残酷なまでに、手紙は軽かった。

俺の心の重さも知らず、学生の本分に外れるから、と。
俺はその時ほど自分が学生であることに憤り、
そして、青年であることに喜びを感じたことはない。
そして俺は、詩と小説を贈った。

俺の理想とする女学生像、クロッカスの花にも似たその女学生像を。
俺のそんな思いは、ようやく彼女に届いたらしく、
二通目の手紙は俺の心を不安に落とし入れる程のものではなかった。
いや、読むにつれて、
次第に顔のほころぶのを感じずにはいられない。
しかし、俺の失恋の痛手は消えなかった。
俺は、じっと沈黙を守った。


赤い夕陽が僕を呼んでいる。
赤い炎の海に立ち
ながめるあの島よ。はるかに僕にささやく
燃えるあの島よ。
もうあの娘は戻らない。
淋しがりやのこの僕を残して。
あの娘は逝ってしまった。
あの赤い夕陽の彼方に。


沈黙の間にも、俺の潜行的思索が途切れたわけではない。
いや、前よりも深く、そして確実に進んでいるのだ。

[ これだから人生は面白い ]

 はるかな海を思うと
 喜びに胸がふるえる。
 あの日の君との出逢い。
 いつまでも忘れない。
 君と戯れたあの小島の岩辺。
 夕陽に映えて、僕の心を慰める。
 太陽さえも妬いた君なのに。
 青い水さえ見とれた君なのに。
 沖に一つ浮かぶ白いヨット。
 君と戯れたあの小島の陰の蟹。
 みんなみんな楽しい想い出。
 今はない君故に、
 なほのこと僕の胸は
 喜びにふるえる。
 遠い島かげに向かって、
 思わず叫んだ僕。
 何にも答えない赤い夕陽。
 思わずこぼした真珠の粒が、
 白い砂に落ちた時、
 僕は君を思い出す。
 あゝ、君と夢を育てたこの海で。
 はるかな海を思うと
 喜びに胸がふるえる。


しかし、とうとう最後まで、潜行的思索にしか過ぎなかった。
俺は、やり場のない空しさを、誰に打ち明けるともなく、
詩にそして小説に書いた。

そして、Timmyへの手紙の一ページを書き始めた。
六年にもなるTimmyとの文通に、心の支えを求めた。

確かに、心の支えでありうるほいの場であった。
しかしやはり、手紙は手紙でしかなかった。

しかし俺は、その手紙を最大限利用した。
そして俺の行動の一部始終を、報告した。

そして事態は終わった。

俺の心は又、冷え始めた。
燃えかけていた灯が、又、遠いTimmyの元にのみ光っていた。

そんな時、何ということはない。
唯ひと言話しただけだった。

そのひと言の話が、この俺に、あれ程の痛烈な影響を与えるとは。
それまではその娘の存在さえ知らなかった俺なのに。

これだから人生は面白い!と、
笑ってすませた俺だったが、何とも恐ろしいものだ。
[ 言葉に対する憎しみ ]

帰りの遅くなったあの夜。
あの、あまりに儚すぎた、
美しすぎた片想いに胸を痛めているこの俺に、
優しい微笑みを投げかけてくれた。
*儚すぎた=はかなすぎた
まるで屈託のないあの笑顔。
あヽ、俺がどれ程までに救われたことだろう。

はるか彼方のTimmyの慰めに、
どうしても満足できなかったこの俺の心に、
ポカンと空いた心の空洞を、
あの笑顔は埋めつくしてくれた。

おヽ、なんという感激だ。

しかし、一体俺は、
何にそれ程の感激を覚えたのだろうか。
唯、あの笑顔だけにだろうか。
冷たく取り澄ました、
異様なムードに包まれたあの娘に対する思慕への反動だろうか。

ま、どんな理由にしろ、俺の心が和らいだのは事実だ。
今までの殺伐としたこの十七年間の生活に、
一滴の潤いを与えてくれた、ような気がする。

勿論、俺の心には先客がいる。
永久に住み着くべき、Timmyが居た。
しかし、Timmyは遠すぎた。
俺の心には、それ程の余裕がなかった。
俺のこの淋しさを訴えるとき、そこには必ず、
時間の壁というものがあった。

どうしても、すぐには響かない。
俺のこの淋しさは、その時間にいつも負けてしまった。
その結果が、
このような浮気めいた心となったのだろう。

俺の心の命ずるままにペンを走らせる時でさえ、
俺は自分の心を疑わずにはいられない。
淋しい、
そう書いたとしても、俺には、
本当に淋しいのか?と、信じられなかった。

書くことによって、それを納得させているように思えてくる。
常に、ペンという媒体を用いて、言葉というものを通じてしか、
自分の心を伝えられないこの辛さ。
俺は、Timmyに対する気持ちで、嫌と言うほど味合わされた。

そして、俺の、
言葉に対する憎しみが、増した。


[水中見合い]

俺は最近、自分の感情を疑わざるをえなくなった。
天下泰平すぎる程の現代においては、やはり言葉以外に自分の意志
やら感情を、相手に伝える術はないのだろうか。

俺のそんな悩みは、Timmyへの告白から始まった。
手紙には、どうしても言葉しか書けない。そして何とか、自分の意
志を相手に伝えようとする。
早く、もちろん正確に。

俺は文学を愛好する、一人の青年だ。
俺のそんな技術の切磋琢磨は、小学校の時から始まっている。
作文に始まり、やがて必然的に小説へと走った。
その間に、詩も書いたし短歌らしきものも作った。
全て、己の意思を相手に伝える為の道具として。

俺はいつも考える、水中見合いの意義を。
言葉の使用は不可能だ。
水という媒体の為、外形が分からない。
元々人間の見える物にしても、果たして正しいのかどうか、はなは
だ疑問だ。
しかし唯一言えることは、人間社会に居る限り、人間の見える物が
正しいのである。
もしかすると、真実の物とは異なる物かもしれないということだけ
だ。

言葉と本質とは、必ずしも一致しない。言葉が人間によって勝手に
付けられたからというのではない。
言葉の持つ価値と本質の価値とが、必ずしも一致するとは限らない
と言いたいのだ。

[孤独の価値]という作品の中で書いたが、言葉が俗化すればする
程本質は鈍化されていく。

恋にしても、歌謡曲に歌われる程、恋そのものの純な感情は、我々
人間の元から離れていくのだ。
最早、恋と言う感情ー純な感情というのは、存在しないかもしれな
い。
それ程までに恋は、俗化されたと思う。

また最近、言葉の濫用というか悪用というか、はなはだしい。
比喩が大げさとなり、無茶苦茶だ。
言葉は、本質に合わせて使うべきだ。
文学以外には。俺は最近、自分の感情を疑わざるをえなくなった。
天下泰平すぎる程の現代においては、やはり言葉以外に自分の意志
やら感情を、相手に伝える術はないのだろうか。

俺のそんな悩みは、Timmyへの告白から始まった。
手紙には、どうしても言葉しか書けない。そして何とか、自分の意
志を相手に伝えようとする。
早く、もちろん正確に。

俺は文学を愛好する、一人の青年だ。
俺のそんな技術の切磋琢磨は、小学校の時から始まっている。
作文に始まり、やがて必然的に小説へと走った。
その間に、詩も書いたし短歌らしきものも作った。
全て、己の意思を相手に伝える為の道具として。

俺はいつも考える、水中見合いの意義を。
言葉の使用は不可能だ。
水という媒体の為、外形が分からない。
元々人間の見える物にしても、果たして正しいのかどうか、はなは
だ疑問だ。
しかし唯一言えることは、人間社会に居る限り、人間の見える物が
正しいのである。
もしかすると、真実の物とは異なる物かもしれないということだけ
だ。

言葉と本質とは、必ずしも一致しない。言葉が人間によって勝手に
付けられたからというのではない。
言葉の持つ価値と本質の価値とが、必ずしも一致するとは限らない
と言いたいのだ。

[孤独の価値]という作品の中で書いたが、言葉が俗化すればする
程本質は鈍化されていく。

恋にしても、歌謡曲に歌われる程、恋そのものの純な感情は、我々
人間の元から離れていくのだ。
最早、恋と言う感情ー純な感情というのは、存在しないかもしれな
い。
それ程までに恋は、俗化されたと思う。

また最近、言葉の濫用というか悪用というか、はなはだしい。
比喩が大げさとなり、無茶苦茶だ。
言葉は、本質に合わせて使うべきだ。
文学以外には。
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