(歴史異聞 宮本武蔵) ![]() 「我が名は、ムサシなり!」と叫ぶ、赤ら顔の大男。 吉岡英二先生が創り上げた武蔵像を、根底から覆した新しい発想の、ムサシ像です。 |
[四] |
(吉岡一門・一) 洛外蓮台野において。 寺院内で待つ門人たちが、しびれを切らして口々に 「遅い、遅いのお」、「怖じ気づいたのであろう」、「刻限は伝えてあるよな」、「もしかして文字が読めぬのか」と大きく笑いだした。 大地からの冷気が身体を冷やしていく。足を踏みならす者や指に息を吹きかける者、互いの体をぶつけ合って暖をとる者もいた。 「少しは落ち着かぬか、見苦しいぞ」 「されど、こう冷えましては」 寺院内で待つ門人たちが、しびれを切らして口々に 「遅い、遅いのお」、「怖じ気づいたのであろう」、「刻限は伝えてあるよな」、「もしかして文字が読めぬのか」と大きく笑いだした。 大地からの冷気が身体を冷やしていく。足を踏みならす者や指に息を吹きかける者、互いの体をぶつけ合って暖をとる者もいた。 「少しは落ち着かぬか、見苦しいぞ」 「されど、こう冷えましては」 高弟のひとりである植田の声かけにも、門人たちは従うことなく体を動かしつづけた。遅参するムサシ、それは植田の策の成就を意味する。すこしいたぶるだけで良いと告げていたにもかかわらず、血気盛んな門人たちだ、行きすぎたかもなとほくそえむ植田だった。 境内は、煌々とかがやくかがり火で昼ひなかのように明るく照らされていた。そこに、本堂を背にして清十郎が陣どっていた。 「騒がしゅうて申し訳ございませぬ。どうやら、ムサシが漏らしたようで。門人に取り囲まれるとでも思ったのでございましょう。まさに下衆の勘ぐりというもので」 「いやいや、そうではあるまい。多数の門人だ。中には口の軽い門人もおるであろう。しかし事を穏便に済ませようと思ったが、これではそうもいくまいて。ムサシ殿には悪いことをしたかもしれぬな」 己の策が失敗をしたことに気づいた植田だったが、そのことを清十郎に告げることはできない。鷹揚な気質の清十郎を知る植田に不吉な思いが過ぎった。すでに策略家のムサシの術(じゆつ)数(すう)にはまっているのでは、と、気が気ではない。そもそもこの寒い時期に、あえて風葬の地に闘いの場を設定したのが、失敗だったかと後悔の念がわいた。 「人魂を見た」「うろつく武者姿を見た」などと風聞されているこの地を選ぶということが解せない清十郎だった。ムサシが指定したとは思えない。さりとて植田が決めたとも思えないでいた。当の植田は、ひょっとしてそのようにムサシに誘導されたのではないか、そんな疑念がわいてきた。 「見物人の集まらぬ、静かな場所はいかがか? 京に不慣れな身共ゆえ、そちらにて決めていただきたい。当方はひっそりとしているのならば、上流の川原でもどこぞの葬送の地なりとも良しするものでござる」 ムサシからの書状にあった葬送の地ということばに敏感に反応してしまった植田だった。 「左様でごさいますな。なれど案外にも、ムサシが門人を打ちのめしたからと鼻高々に言いふらしたとも。なれど清十郎さまと戦うことになろうとは…気の毒な者でございます」 「致し方あるまい。当方に失態があったのは事実のこと。そのことについては謝らねば」 あくまで大(たい)人(じん)としての態度を見せつけようとする清十郎を見るに当たって、思わずもらした。 「相変わらずお優しいことで。伝七郎さまのお耳に入ろうものなら、烈火の如くにお怒りでございましょう。いっそ……」。危うく「お任せになられては」と言いかけて飲み込んだ。 普段ならば即座に伝七郎に連絡している。しかし今回は間の悪いことに、伝七郎は江戸に出かけていた。約束の日時までに伝七郎が帰ってくることはない。といって清十郎が指定した日時の変更はできるはずもない。ムサシの腕がどれほどのものか分かるわけもなく、京都に在る剣術道場がのきなみ敗北を喫していることだけなのだ。 ただ一カ所、吉岡道場と比肩する小野派一刀流の流れをくむ山波道場の門はたたいていない。君子危うきに近寄らずか、と安堵する思いも、植田のなかにあった。 「あ奴は、あ奴だ。剣では、あ奴が上であろう。さぞかし、二男がゆえに冷や飯を食わされたと思っているであろう。あの性格さえのお。どこぞの藩の剣術指南役になれぬかと思っているのだが、あの所行では…。一体なにを考えておるのか」 (吉岡一門 二) [露と消えば 蓮台野にを 送りおけ 願ふ心を 名にあらはさん] 西行法師の句を思い描きながら、蓮台に乗って向かう極楽浄土を思い浮かべた。空に浮かぶ月を見ながら明日には下弦になるのか……”と、これから始まる死闘のことが清十郎の中から消えている。染め物職人として身を立てたかった清十郎としては、この試合を機に弟である伝七郎に家督を継がせようと思っていた。 清十郎には己の諍いごとを他人事として考えてしまう癖がある。これまでにも果たし状がとどいたことは幾度となくあった。しかし試合当日近くになって、必ずといっていいほど詫び状がとどいてくる。ゆえに一度として試合に臨んだことがない。道場においても門人相手に汗をかくことなく、三日に一度ほどの所作披露を行うだけだった。 先ずは「剣術における構えは城である」という言葉を発して、五行の構え――中段、上段、下段、八相、脇構え――を、美しい立ち姿として披露する。 中段の構えにおいて、さらに―― 正眼の構え:剣先を相手の喉元に定める。 青眼の構え:剣先を相手の左目に定める。 晴眼の構え:剣先を相手の眉間、眼と眼の間に定める。 星眼の構え:剣先を相手の顔面の中心に定める。 臍(せい)眼の構え:剣先を相手の臍(へそ)の辺りに定める――等の、五正眼の構えをみせた。*[武道・道場ナビ]より そしてそれらの所作ひとつひとつから、攻撃そして防御と木刀を振り回して流れるような所作を見せた。その後、門人たちの打ち合いが始まり、途中に高弟が一人ひとりと相対していく。最後に門人全員がそろっての振り下ろしでもって終わりとなった。それを午前と午後の二組とにふり分けて行っていた。 雲に隠れていた月が現れ、寺の全景に光を投げかけた。竹藪の方から門に向かって何やら集団が歩いてくる。月明かりと提灯の灯りからにするに、町人のようにみえる。ムサシらしき大男の姿はない。 「人が来ますが、ムサシは……」 門人のひとりが本堂前の植田に目をやると、本堂の廊下に、仁王立ちのムサシがいた。 「ムサシだ、ムサシが居るぞ!」 「せんせえい。ムサシが、後ろに」 本堂の欄干に足をかけたムサシがいた。獣の皮で作った肩掛けで体を冷やさぬようにしている。更に足首にも巻き付け、手には手ぬぐいが巻かれている。 「なんとも面妖な、まるで猟師ではないか。軟弱者が!」 ひとりの門人があざ笑った。 「これは笑止な。肩や手を冷やすなど、武芸者たる者のなすべき事か。なるほど分かったぞ。なればこその、なよなよ剣法か」 遠巻きにしている見物人にも聞こえよとばかりに、ムサシが声を張り上げた。いきり立つ門人たちを制して、植田が清十郎に耳打ちをした。 「これがムサシの手でございましょう。どうぞ、お気になさらぬように。怒りにお心を囚われては、剣に陰りが生まれまする」 「分かっておる。案外にムサシなる者、兵法者のようだな」 すっくと立ち上がった清十郎は、ムサシに向かって一礼すると、静かに語りかけた。 「先ずはムサシ殿に言上したい。先日の門人どもの非礼の段、お許し願いたい。師範代共々に留守に致した身共の失態でござった。血気盛んな若者ゆえの暴走とお許し願いたい」 深々と頭を下げる清十郎に対し、傲然とムサシが言い放った。 「いやいや、とんでもござらぬ。美味な馳走でござった。なよなよとした棒振りは、初めてのことでござれば」 遠く離れた門に立つ見物人たちにも聞こえるように大声で怒鳴った。 「ごちそうでござった、ごちそうでござった」と、相模屋の丁稚が声をからせば、飯屋での男たちが「おいらにもくわせてくれや、くれや」と囃し立てた。 「おのれえ。数々の暴言、もう我慢ならぬ」。どっとムサシに向かって門人たちが駆け寄った。 「一対一と思うていたが、やはりのことにい!」 せせら笑うムサシに対し、門人たちの怒りは頂点に達した。刀に手をかける者を先導するかの如くに、篝火の松明をかざして一人が飛び出した。 「止めよ! 恥の上塗りぞ」 植田の一喝に、渋々と後ろに下がる門人たちの背を軽く叩きながら清十郎が涼しい顔のまま、ゆっくりと歩を進めた。と同時に植田が清十郎に耳打ちした。 「清十郎さま。これがムサシの手でございましょう。どうぞお気になさらぬように。怒りにおこころを囚われては、県に陰りが生まれまする」 「わかっておる。案外にムサシなる者、兵法者のようだな」 植田にこたえると、すぐさまムサシに詫びを入れた。 「先日の非礼を詫びさせるつもりが、門人たちはムサシ殿の術策にまたしてもはまったようでござるな。植田、勝負は時の運だ。万が一にわしが不覚を取ったとしても、決してムサシ殿に遺恨を残してはならぬぞ。しかと申しつけたぞ」 体を回してムサシに正対すると、ムサシに告げた。 「ムサシ殿。先般のお約束通り、ひと振りとしよう。無益な殺生は好まぬゆえに」。こんどは、見物人たちにも聞こえるように声を張り上げた。 ぐっと腰のひもをしっかりと結び直し、憲法色とされる吉岡独特の黒褐色の小袖に腕を通した。折り袴にして、ムサシに倣い数本の手ぬぐいを利用して寒さを抑えた。 「やっとご当主のお出ましか。いかがござろうか。本堂前では、いつ何どき門人の乱入がないとも限らぬ。裏手と申したいところでござるが、それでは見物人に申し訳がない。ここにてお相手願いたい」 (吉岡一門 三) 冷笑を浮かべて本堂横を指さした。月明かりだけが届くだけだった。およそ五間ほどの幅で、奥行きは十間か十二間か。太い幹まわりの木が三間ほどの間隔にならんでいる。この場所ならば、ムサシの言うがごとくに多人数の乱入はできない。 体の冷えが気になりはじめた清十郎は「体を温めてください」という梶田の進言をしりぞけた己の未熟を思いしらされた。ムサシの遅参もまた、体の冷えを誘わんがためのことかと、後悔の念にとらわれた。田舎武芸者と小馬鹿にした己のごうまんさが恥じいられた。亡父三代目当主である吉岡直賢の今(いま)際(わ)のことばが思い出された。 「臆病であれ!」 その意味を、いま知った清十郎だった。感慨にひたる清十郎に対して、ムサシが「参る!」と怒声をあげて、長さ三尺はあろうかという丸太を飛び降りざまに振りおろした。あわてて木刀で受けた清十郎だが、その衝撃に手首をいためてしまった。なんとか正眼に構えをしたものの、すでに戦意をうしなった。 清十郎の目におびえの色を見たムサシだったが、右の肩に一撃をくわえて脱兎のごとくに走り去った。約定どおりの闘い――相手にわずかでも一撃を加えられればそれで勝ちとする――を守ったムサシだった。こたびの戦いは、金品が目的ではない。吉岡清十郎という、京随一の兵法者を倒した男という名前を欲しただけのことだ。 翌日「吉岡清十郎敗れる」の報が、またたく間に京の町をかけ巡った。日頃の吉岡一門の傍若無人さに腹をすえかねていた町人の間から拍手喝采があがった。門人たちが行き先々で揶揄される。手にしている袋竹刀を振り回して追い払うが、遠くからまた罵声を浴びせられた。 床にふせる清十郎の枕元で、伝七郎が植田をなじった。と同時に江戸への長旅を後悔した。今さら吉岡一門に闘いを挑んでくる者もおらぬだろうと、勝手に思い込んだのが間違いだったと己を責めた。さらには立て札が立てられてわずか五日の後にと決められたことが悔やまれた。 無名のしかも田舎武芸者の道場破り、と決めつけたことが痛恨の極みだった。道場で相手をしたのが若手の門人だったこと、そして古参の門人が挑みかかった折には一目散に逃げ出したと聞かされた。まさか複数人が襲いかかったとは、つゆ知らぬことだった。門人たちの吐いた嘘が、植田を狂わせてしまった。 「なぜ言わなかった。このお役目は、わたしが勤めるべきことぞ。亡き父上より言いつかっていた、隠密裏に運ぶべきことぞ。わたしならば万が一のことがあったとしても吉岡の名に傷はつかぬものを。植田、わかっているな。万が一にも身共が帰らぬおりには、細々でも良い、道場を残すことだけを考えてくれ。間違っても再々度の闘いはいどむでないぞ」 粗野な弟だとなげいていた伝七郎が、父の厳命によって陰から支えていたとは思いもよらぬことだった。 「すまぬ、許せよ伝七郎。知らぬこととはいえ、いままでお前のことを……」 涙ながらに謝罪する清十郎にたいし「良いのです、兄上」と、しっかりと手を握りながらうなずいた。そしてその日以後、伝七郎の姿が消えた。 清十郎を倒し仇討ちと挑んできた弟の伝七郎をも打ち負かしたことで、ようやく剣術指南役の道がひらけるものと期待したムサシだったが、とつじょ清十郎の遺児又七郎からの果たし状がとどけられた。さすがに、まだいたいけない子どもを相手にすることにためらいを感じるムサシだったがこの闘いに勝てば、安穏な生活を送れるだろう≠ニ、腹をくくった。 「又七郎さま、まだご幼少なれば、門人の助太刀を認められたし!」 一理ある申し出に断りを出すわけにもいかず、といって数十名を相手にするなどは、いかなムサシといえども無謀なことだ。思案の末に、待ち伏せをして大将である又七郎を討ちとることにした。大将を討ちとれば、門人たちに大義名分がなくなる。そう踏んでのことだった。 (吉岡一門 四) 明け六つの鐘が鳴るなか、吉岡又七郎が一乗寺下り松の地に着いた。季節が春をむかえたとはいえ、まだ夜明け前では冷気が辺りをつつんでいた。 「若、ここにお座りください」。植田は、決闘の場として指定した場を広く見渡せる大きな松の木の下に陣どることにした。態勢は万全だった。東西南北のいずれからムサシが現れたとしても、それぞれの要所に門人を配置している。すぐに見つけることができると踏んでいた。 こたびも遅参してくるであろう。こちらをいらつかせる戦法をとるに違いない。門人たちにはしっかりと暖をとるように指示もしてある 「若。大丈夫ですぞ。このように、多数の門人たちがお守りいたします。ムサシも、ここまではたどり着けませぬゆえに」。植田がしきりに又七郎に声をかける。干からびた声で「たのむぞ」と、又七郎が答えた。まだ幼い身では、緊張がとれぬのも致し方のないことと考えた。 植田が「ムサシの姿は見えぬか。あ奴のことだ、こたびも遅参するであろうがの」、そう言った矢先にガサガサという音が頭上から聞こえ、植田が頭上を見あげると同時にムサシが飛びおりてきた。そしてそのまま、又七郎に木刀を振りおろした。肩なりを打ち据えるつもりのムサシだったが、飛び降りるさいに袖が小枝に掛かり、わずかにずれてしまった。あっという間の出来事でしばらくの間、誰も事の成り行きが理解できずにいた。 「討ち取ったりいぃぃ!」 体を起こしたムサシががなり立てた。見事に策が当たった。なんの防御態勢を取らせることもなく、又七郎を討ちとった。しかしこれが裏目に出た。烏合の衆的な若い門人たちが 「幼子を手にかけるとは、何ごとか!」 「木の上にひそんでの襲撃とは、卑怯なり!」と、いきり立った。 泥田の中を逃げるムサシを「許すまじい!」、「逃すなあ!」と、それぞれに叫びあいながら一斉に追いかけた。ある者はムサシ同様に泥田のなかを走り、またある者はあぜ道をかけた。決戦の場、洛外下り松に通ずる街道に身をふせていた他の門人たちも、その怒号を聞きつけて一斉にムサシに向かってかけよった。 すぐに多数の門人たちに囲まれてしまった。四方八方から斬りかかられては、一本の木刀では危うくなってしまう。とっさに同太貫を抜いたムサシ、両手でもって襲いかかる門人たちの刀を振りはらった。強靱な腕力を持つムサシならではの戦法、二刀流がここに生まれた。 風車のごとくに、ぶんぶんと同田貫を振りまわしながら、門人たちを寄せつけない。一歩二歩と歩をすすめながら泥田から抜けでたムサシ、息を切らす門人たちをしりめに、脱兎のごとくに駆けだした。唖然とする門人たち、まず泥田の門人が脱落した。つづいて、あぜ道を駆けた者たちも息があがり、ついには三人だけが追い駆けることになった。 突如きびすを返したムサシ、「ウオーッ!」と怒声を浴びせながら斬りつけた。三人は抵抗する間もなく斬りたおされてしまった。ムサシに追いついた他の門人たちも、その様を見て戦意をうしなってしまった。誰からともなく「ここまでだ」との声があがり、その場に泣きくずれた。 終わった、すべて終わった。これで仕官の道も開けるというものだ=Bそう思うと、しだいに安堵の気持ちがわいてきた。ほほがゆるみ、笑みが浮かんできた。しかしそのすぐ後に、絶望にも似た思いがおそってきた。言いようのない疲労感におそわれつつ歩くムサシの足どりは重かった。幼子を手にかけてしまったという事実が、手にのこる感触が消えなかった。 立ち返ったムサシを待っていたのは、予想だにしなかった非難の声だった。 「いたいけなおさなごまでをもきりたおすとは、なんとひどうなおとこなのか!」 ムサシひとり対多数の門人という図式であるのに、ムサシを擁護する声はなかった。ムサシをけしかけた相模屋ですら、「やり過ぎましたな」と無碍もなかった。 |