我が名は、ムサシなり!
(歴史異聞 宮本武蔵) 

「我が名は、ムサシなり!」と叫ぶ、赤ら顔の大男。
吉岡英二先生が創り上げた武蔵像を、根底から覆した新しい発想の、ムサシ像です。



 [二]
(山寺)

 山寺にて。
 山腹の木々はすでに紅葉している。その山麓に赤茶けた瓦屋根でこつ然と姿を現す古びた山寺が、これからのごんすけを創りだす。僧侶の思い――いつか南蛮人の元に返してやろう――を遂げられる地になるはずだった。幸いにも、その寺には南蛮人との交易をしている商人が立ち寄っていると聞いていた。二、三年ほどを寺で修行させた後には、その商人とごんすけを会わせてやろうと目論んでもいる。ごんすけが望めば、その商人の元に送りだすこともありうる。
 ひとり合点しながら、頷きつつ歩を進める僧侶の表情は柔和だ。そのうしろを、これからの行く末に不安を感じずにはいられないごんすけが、ただだまってついて行く。口をへの字に結び、ときおり鼻水をすすりながら、目は僧侶の背中を凝視している。傷だらけの裸足でもって、一歩一歩をしっかりと大地を踏みしめて行く。 
 辺りは暗く、月明かりだけが頼りだ。家出した当初は不安な思いが募り、一陣の風に身をすくませ、カサカサという木の葉が立てる音やら草花が揺れる音に身を縮込ませていたごんすけが、今はしっかりとした足取りで歩いている。
「見えるか、ごんすけ。山のふもとに灯りが見えるであろう。あれが、これからお前が世話になる寺じゃ」
 僧侶の指さす先に、たしかに寺があった。本堂を取り囲む塀があり、その他に二つ三つの、お世辞にも建物とは呼べぬような粗末な小屋も見える。しかしそのどれもが、ごんすけの暮らしていた村でのどの家よりも立派なものに見えた。ただ一軒、船主の家を除いては。

 ごんすけが望むならば、体力の回復を待って長崎の地に送り届けるつもりの僧侶だったが、ごんすけにその旨を問い質した。
「いまさらなんばんにいっても、だれもおらん。おれは、ここのほうがいい。おおきくなってりっぱになって、おとうをさがしてえ。おらのおとうは、ひとりしかいねえ」
 涙ながらに訴えるごんすけに対し、僧侶の言葉は冷たかった。
「ごんたのことは諦めることだ。実を言うと、おまえは捨てられたのだ。村から逃げ出すときに、村の子どもを痛めつけたであろう。そのことから、こっぴどくごんたは殴られてな。それが元で、もう漁のできぬ体になってしまったのじや。分かっておる、おまえが悪いのではない。ごんたも責めてはおらぬ。しかしもう一緒に暮らすことはできぬということじゃ」
 おいおいと泣きじゃくるごんすけの背を優しく撫でながら、(嘘じゃ嘘じゃ、ごんたはお前のことを常に考えておる。じゃが、こらえてくれ。今は耐えることじゃ。いつの日か、ごんたに会えることになるやもしれぬ)と、こころの中で呟きつづけた。
「いんや! うそだ、うそだ。おとうはそんなことはしねえ。まさか、まさか、しんじまったのか。かえる、むらにかえる。そんでもって、おとうのかたきをうつ。くそっ、むらのやつら」
 怒りにまかせたごんすけのことばの中に、恐ろしいほどに燃え上がる怨嗟の炎を感じた僧侶は、
「ごんたは死んではおらん。生きておる、生きておるぞ。お前が大人になったときには、人として一人前になったおりには、必ず会わせてやる。約束じゃ」と、ごんすけの頭を抱きかかえた。

 その夜遅くのこと。
 ごんすけの話を聞いた住職が「沢庵和尚さま、なぜにそこまで肩入れされるので」と、僧侶に尋ねた。
「ごんすけという小童(こわつぱ)の行く末が楽しみでのお。とにかく利発なのじゃよ。思いもかけぬ事を考えつきよる。しかしまたそれが、逆に憂慮せねばならぬことにもなりかねぬ。南蛮人では、村に溶けこむことはできまいて」
 相好を崩して話す沢庵和尚だったが、南蛮人だと言うことが気がかりでならぬと目を伏せた。
 毎朝のお勤め前に、住職が
「今日は佳き日よ。沢庵和尚がお見えになっておられる。皆も知ってのとおりに、行脚が大の好物という御仁じゃ」と、本堂の入り口に飄々とした風貌で立つ沢庵和尚を指さした。
 仁王立ちしている沢庵和尚に、皆の目が一斉に注がれた。背後の強い光が沢庵和尚を黒い物体として浮かび上がらせ、その斜め後ろに立つ棒きれのような物体もまた目に入った。大きなどよめきと共に、訝しがる視線が向けられた。
「入らせてもらうぞ」という声とともに、のっそりと沢庵和尚が歩を進めた。後につづいたごんすけには、あちこちが破れたヨレヨレの着物を身にまとい、擦り傷だらけの手足に、「なんだこいつは」とでも言いたげな蔑みのこもった視線が向けられた。
 そんな視線に気付いた沢庵和尚は、破れた袖口やら裾をひらひらと舞わせながら「いまは乞食じゃ、乞食じゃ。だがのう、これでも寺に戻れば法衣を着れば袈裟も着けておる。あちこちの大名が列をなして門前で待っておるぞ」と、僧たちの笑いを誘いながら住職の隣に立った。そして、年の頃は十歳だが身の丈五尺ほどで赤銅色の少童がその後に隠れるように立った。
「ごんすけという名前じゃ。すぐに分かることゆえ、皆には今話しておこう」と、ごんすけを皆の前に対座させた。
「南蛮人じゃ。ゆえに、ごんすけには、寺の作務を終えるとすぐに、勤行ではなく異例ではあるが武芸を習得させる」
 寺に居する者が勤行をせずに武芸に励むとは……と、あちこちから疑念の声があがると、沢庵和尚がすぐに一喝した。
「ごんすけは預かりものじゃ。このことは、皆、決して忘れてはならぬ。と言うて、甘やかす必要はない。皆と同じように修行せねばならぬ」
「沢庵和尚の申されるとおりにせよ。昨夜に、夜通し話しおうたことじゃ。武芸の習得と同時に、学問を修めさせる」
 住職の強い言葉に、疑念や不満の言葉は、すぐに止んだ。住職の意に背くと言うことは、即破門を意味している。破門となると他の寺での修行僧になることは勿論のこと、生家にも戻りづらくなる。それよりなにより村八分に遇うことになり、村社会での生活すらままならずに、住み慣れた土地から離れればならない。そしてそのことは、己の生存すら怪しくなってしまう。よそ者を警戒する風潮はどこの村にもあり、当然ながらこの村にもある。

(修行)

 修行では。
 小坊主の殆どが商家の出であり、次男三男が多かった。わがままの許される家から戒律の厳しい寺へ移り、嘆き悲しむ日々を送っている。もしも実家に逃げ帰ろうものなら、己は勿論のこと、親兄弟、果ては親族たちのことまで非難の対象となってしまう。そんな彼らに対して、ごんすけが吠えた。
「子をすてるおやなんていねえ! おやをすてる子はいるかもしれねえが……」
 自戒の念を込めてのごんすけの言葉に、沢庵和尚が手を打って小坊主たちに説きはじめた。
「よう言うた! その通りじゃ。みなそれぞれに親がある。されど、憎うてこの寺へ入れたのではないぞ。お前たちの先行きを案じての事じゃ。それぞれに事情は違うけれども、よくよく胸に手を当てて考えてみよ。今のお前たちならば、当時の親の心が分かろうというものじゃ」
 ゆっくりと、かしこまっている小坊主たち一人ひとりの目を見つめながら、目をそらす者にはその前まで行きしっかりと見据えた。
「こんな言葉を知っておるかのお。『寵愛(こう)じて尼になす』。これはのお、娘かわいさの余りに嫁に出すことができず、とうとう尼さんにしてしもうたということでの。かわいがりすぎては子のためにならぬと言うことじゃ。そして『兄弟は他人の始まり』とも言う。親の存命中は良いけれども、死んだ後になって諍うことになってしもうてはということでの。まあ、お前たちの殆どがやんちゃ坊主じゃからというのが、大方のことであろうがの」
 己は実家から追い出された厄介者と、みなそれぞれに分かっている。次男三男の悲哀として、運命として受け入れている。商才のある者は分家として一本立ちする道も残されているが、跡継ぎとして育てられる長男に対する躾の厳しさを目の当たりにすると……。
 しかしそれでも寺での生活に耐えられなくなると、親元に連絡を取り還俗(げんぞく)という道がある。しかしそれでは冷や飯ぐらいとしての、軽蔑のまなざしをうけながら一生を終えることになる。むろん、救いの道もありはする。他家への養子としての婿入りだ。しかしそれがならぬから故の寺入りなのだ。うまく寺から逃げ出しえたとしても、すぐに実家から連れ戻されてしまう。そしてここでもみなからの蔑みの目でもって迎えられる。そんな小坊主が過去に幾人かいたが、いまでは誰もが諦めていた。
 当初こそ警戒感を隠さずにいたごんすけだが、(すさ)んだ気持ちも時が経つにつれ和らいでいった。ひと月も経たぬうちに笑顔が戻り、大声を上げて笑うごんすけが見られるようになった。朝夕の掃き掃除にと拭き掃除を繰り返す毎日だ。その後の朝課で読経があるが、文字の読めぬごんすけでは書物や経典に目を通すことができない。同年齢の小坊主三人が交代で文字を教えはじめたのは、十日ほど前からだ。いろはにほへ…とはじまって、やっとひらがな文字が読めるほどになりはしたが、漢字となるとまだまだ先のことでさすがのごんすけにも焦りの気持ちが出はじめていた。

 小坊主たちの間からすすり泣きが漏れはじめた。それぞれに抱えている思いに耐えきれず、大声で親にたいして詫びの言葉を発する者も出た。そのなかに恨み辛みを漏らす声も出はした。互いの肩を叩いたり抱き合ったりして、慰め合う姿があちこちで見られた。
「沢庵和尚。ありがたいお話をありがとうございます。愚僧が同じ事を言うても馬耳東風でしたが、やはり沢庵さまの言葉ともなれば、この子たちの受け止めようも違うようでございます」と、住職が両手を合わせた。にこやかに微笑んでいた沢庵和尚は、住職に合掌を返しながら
「なんのなんの。ご住職は立派に勤められておられる。皆もまた、その姿をしっかりと目に焼きつけるようにな。これ、そこの小坊主。寺での修行の一番大切なことは、なにかな?」
 ごんすけを指さして問いかけた。思いも寄らぬ問いかけに「おれ? おれ?」と、なんども周りを見渡しながら沢庵和尚に確認した。そうじゃと言わんばかりに、指をさしたまま沢庵和尚が頷く。寺での生活に慣れたとはいえ、先輩小坊主の指図に従うだけの毎日を送るごんすけだ。問答などの経験もなく、それより何より腹を満たすだけに毎日の仕事に勤しんでいるだけだ。坊主になるという覚悟はなく、さりとてひとりで生計を立てるなど思いもつかない。
 沢庵和尚と住職の間で交わされた「南蛮に戻してやろうかと思う」という言葉は知るよしもない。故国に戻ったとしても言葉を知らぬごんすけの苦労は目に見えている。
「先ずは体をしっかりと作らせねば」ということから、武芸を習わせようとなってはいるが、その師が居ない。ときおり訪れる武芸者に師事させてはという住職の考えがあるだけだ。
 周囲から失笑が漏れても、沢庵和尚は静かにごんすけの答えを待った。腕組みをしたまま天を仰ぐだけのごんすけに、となりに座る小坊主がたまりかねて助け船を出した。耳打ちをされたごんすけの表情が和らぎ、分かったとばかりに大きく頷くと、きらきらと輝く目を僧侶に向けた。小鼻を膨らませてすっくと立ち上がると「お経を読むことです」と、大声を張り上げた。大きく頷く小坊主たちだったが、住職だけは苦笑いを見せていた。柔和な表情だった沢庵和尚が眉間にしわを寄せて「渇!」と、ごんすけをたしなめた。庭先で虫をつついていた鳥たちが一斉に飛び立つほどの大声に、みな体を縮こませた。
「読経も大切なことではあるが、まだまだ大切なものがあろうが!」
 ギロリと大きく目を剥いて一同を見渡すと
「良いか、みな。心して聞きなさい。寺の修行には三つがある。ひとつは、読経。お経を大声で読むこと。もう一つが挨拶。真剣勝負なのじゃ、あいさつは。相手を敬う心をもって、じゃ。受ける方もじゃぞ。そして最後に掃除じゃ。掃除に始まり掃除に終わる、じゃ。心の掃除、ということじゃな」と、やさしく諭した。

「これほどに気にとめられるごんすけという小童(こわっぱ)は、まことに果報者じゃ」
 夕餉を摂り終わったあとに、古参の僧侶だけを残しての場で住職が訥々と話し始めた。
「年に一度立ち寄られるかどうかの沢庵和尚殿が、三月(みつき)いや二月(ふたつき)かの、足繁く通ってこられるとは。そしていつも目を細めてお帰りになられる」
 まことにその通りで、と白湯を口にしながら頷く僧侶にこうもつづけた。
「ここだけの話じゃが、いまの沢庵和尚殿のほうが、わしには良い友じわ。以前の沢庵和尚殿は、じつに気難しいお方でな、他の寺でのことをネチネチとこぼされたのよ。心得違いをしておる、ご本山ばかりに目が行ってしもうては救える民も救えぬわ、とな。しかしいまの沢庵和尚は、厳しい言葉を吐かれはするが、なんというか、棘がなくなられた」
 お前たちに対する説法も変わったであろう、とも付け加えた。言われてみれば、と得心できることではあった。以前のような禅問答を仕掛けてくるのではなく、諭すといった心根がしっかりと届いてくると感じていた。
 ごんすけも、寺に入ってからの三年間を一心不乱に鍛錬に打ち込んだ。赤銅色だった肌が本来の白く澄んだ色に戻り、端整な顔立ちと相まって美少年と化した。近在の村に托鉢に出かける折には、普段ならば軒先での読経の声を聞いてから腰を上げる家人たちが、先を争って軒先に並んで待つようになった。口々に「ほんとにきれいなお坊さんだわ」、「ありがたいねえ、こうごう(神々)しいじゃないか」と褒めそやし、椀を持つ手をしっかりと両手で包んでは嬌声を上げた。
 表情を変えずにお題目だけを呟いて頭を下げつづけるごんすけだったが、そんな毎日に疑問を感じはじめていた。村での村八分状態に悩まされつづけた毎日と違い、寺では皆から声をかけられる。特に先輩小坊主たちからは、となりに座れと誘われる。何かといっては体を触られることが多く、鳥肌の立つようなこともあるのだが、邪険に振り払うこともできずにいるごんすけだった。

(修行・二)

 ある日のことだ。
 鍛錬を終えて噴き出た汗を拭き取ろうとしていた折に、読経の時間であるはずにも関わらず辺りを見まわしながらひとりの小坊主が近づいてきた。大きく盛り上がった肩の三角筋にうっとりとした表情を見せられては、さすがのごんすけも声を荒げるしかなかった。
「読経の時間ではありませぬか」
「いや、そうなのだ。用足しのついでに……」
 そそくさと立ち戻る小坊主の背を見ながら、居心地の良い生活に慣れることに違和感を感じるごんすけだった。「このままでいいさ」という思いに対して「いやだめだ」と霞がかった抗う気持ちがどうしても消えないでいた。ごんたに対する敬慕の念が消えぬのも、そのひとつの因かもしれない。久しぶりに立ち寄った沢庵和尚に「お父はどうしてる」と問いかけても、答えは「お前が安穏な生活を送ることが、ごんたの喜びとなるのじゃ」と無碍がない。ごんたの日々については、一切口にしなかった。
 五年目を過ぎた頃には背も伸び五尺ほどとなり、他の小坊主の中に有っても見劣りはしない。いや、筋骨隆々となったごんすけでは、遠く離れた場所からでもひと目で確認できた。遠くから声をかけられることもしばしばだった。しかしそれがゆえに、一挙手一投足を監視されているようで、息苦しさを感じはじめていた。
 門前には毎日のように村の若い娘たちが集まっている。掃き掃除で竹箒を動かすだけで大歓声があがる。その声の方に顔を向ければ、今度は嬌声があがる。右に歩を進めれば右に移動し、左へと戻れば今度は左にと娘たちも動く。門の陰になり姿が見えなくなると、裏手にまわる者やら禁を破って中に入ろうとする者すら出てくる。
 なんど叱っても、娘たちは動じない。それどころか、その小言を言う小坊主にあからさまな狂態さえ見せる始末だった。それらのことも相まって、ほとんどの小坊主たちから反感を買うことになってしまった。

 十年の余を寺で過ごしたごんすけが住職に対して「還俗したい」と申し出た。とつぜんの思いもかけぬことに慌てる住職だったが、ごんすけを僧侶として縛りつけぬと沢庵和尚との間で交わした約束がある。しかし即座に結論を出すことはできない。三年目に引き合わせた出島のオランダ商人に対して発した「この国を出てしまえば、もう二度と戻れぬのでは?」、「わたしは、所詮のこと根無し草の身です」というごんすけの諦めの言葉に、強く胸を打たれた。
 沢庵和尚が言う「憂慮せねばならぬ」ということが、ごんすけの口から出た「根無し草の身」であることに気付かされた。祖霊信仰が根付いているこの国において、祖先の居ないことがごんすけの行く末に暗い影を落とすことは目に見えていた。といって今さら故国の南蛮国に戻る意思を持たぬごんすけには、また戻ったとしても係累の分からぬ身では同じ事と思える住職だった。いっそこの寺で一生を終えることが、ごんすけには幸せなのではないかと考える住職だったが、
「今しばらくこの寺に留まってはどうじゃ」と口にするのが精一杯だった。
「和尚さま。わたしは、僧侶には向いておりませぬ。お許しください」と、書き置きを残して寺を出た。山が赤く染まり、ごんすけとの別れを惜しむかのように、風もまた木々を揺らして葉を落とした。
 しっかりとした足取りで山道を歩くごんすけに、もう迷いはない。「南蛮国での生活もあるのだぞ」と諭されたものの、言葉の通じない地での暮らしぶりが想像できぬごんすけではあった。
 寺での生活は安穏に暮らすことはできたが、武芸の鍛錬とともに大陸の明から届いた軍学に関する書物にも読み(ふけ)ったことで、武士への憧れが湧いてきていた。
 もう一つの大きな因が、村人たちから寄せられる毛色の違う己への好奇な視線だった。村へのなにがしかの貢献に対する畏敬の念ならば、ごんすけも受け入れることが出来る。しかし住職やら沢庵和尚のような高名な僧侶に対する畏怖心からのものではないことはわかっていた。物珍しさからのそれだと知るごんたには、苦痛でしかなくなっていた。
 街道ではなく山道を選んだごんすけに、迷いはない。大きく肩を揺らしながら山道を歩くごんすけの表情は明るかった。たくあん和尚に連れられて歩いた、いやその前に村から逃げ出したおりに通った山道とは、まったく別物のように感じていた。いま獣と出会っても、静かにその獣が立ち去るのを待つ余裕があった。

(誕生)

 伊賀の国にて。
 まだ日は高いというのに、うっそうと茂る木々で辺りがうすぐらくなっている。獣道は低木の枝が折れていて足下の下草は短くなっている。一歩踏み出すたびに、枯れ葉でガサガサと音が出る。いつ獣と遭遇するかもしれない。小動物ならばごんすけにも勝てる。しかし大型となると分からない。
 十五歳になって間もないときだ。
 村で、祭りの余興として相撲大会が行われた。背丈が五尺たらずののごんすけが出場し、六尺を超える大男との決勝戦となった。「がんばれ、がんばれ」の声援を受けて果敢にとびこんだが、あっという間に投げ飛ばされてしまった。近隣の村一番の男だと聞かされても、悔し涙を流すごんすけだった。
「勝てぬ相手とは戦わぬことが、負けないということだ。君子危うきに近寄らず、ということだ」。寺に長逗留していた武芸者の言葉を思い出した。

 とつぜんに、ガサガサという音が左前方から聞こえた。思わず身構えるごんすけの前に、瀕死の武芸者があらわれた。
「それがし、宮本武蔵と申す。日の本一の武芸者になるべく修行をかさねて参りもうした。その仕上げにと、獣の王である熊を相手にしもうしたが、このような有様で……。志半ばにては、残念無念なり!」
 そう言葉を遺して息絶えた。武芸者は熊を相手にと言い残したけれども、太ももに付いた傷を見る限り、ごんすけには猪に遭遇したように思えた。刀を抜く暇もなかったということからして、とつじよ脇道から飛び出してきたと考えた。となると、いつ何どきにごんすけに襲いかかってこないともかぎらない。
 周囲に目配り気配りをしながら、「あなたさまの衣類、刀、そして懐中物。死に逝くあなたさまには無用のもの。生き行くわたしが、いただきまする。この後は、ムサシと名乗らせていただきまする。南無…」 と、念仏を唱えながらはぎ取った。羽織の背には「武芸者 宮本武蔵」と書かれていた。

 夕陽に映えて黄金の色に染まったススキの群生する野原に、二人の武芸者が対峙している。
「我、日ノ本一ノ剣士也」と書かれた幟を手にしたムサシに対して、宍戸梅軒と名乗る武芸者が、「ご指南いただきたい」と申し出ての決闘だった。
「無益な殺生は好まぬけれど、身共が勝ち申した折りには、そこもとの懐中を探らせていただくが、それでもよろしいか」
 殺生とは、異な事を…と思いつつも、闘いを避けるがための脅し文句だろうと考えた梅軒は「相分かり申した」と、構えに入った。
「それはまた珍しい道具でござるな。なんという武器でござるか」
 さも珍しげに問いかけるムサシに対し、気をよくした梅軒は「これはでござるな」と、構えをといた。梅軒の隙を待っていたムサシが、いきなり刀を抜いて斬りかかった。あわてて後ろに飛び下がった梅軒は、すぐさま態勢を取り直し、鎖をブンブンと回しはじめた。ひと太刀で仕留められなかったムサシは、うかつに飛び込むことができなくなった。
 小さな円を描いていた鎖が、次第に大きくなっていく。少しずつ後ずさりするムサシに対して、梅軒はジリジリと横に動いた。傾いた太陽を背にした梅軒に対し、ムサシは手をかざして眩しさから逃れた。怒声とともに鎖が空を走り、ムサシの刀にからみついた。どうだ! と言わんばかりに笑みを浮かべる梅軒が、勝ち誇った表情を見せた。しかしムサシは能面のように無表情だった。
 梅軒の手にある鎌が、不気味に光っている。鎖を外さねば斬りつけることもままならぬ。刀を寝かせて抜こうにも、刀のつばにしっかりと絡まった鎖は簡単には取れそうにもない。皆がみな、からまった鎖に動揺し、また梅軒の揺さぶりに防御の態勢もままならない。ぐいぐいと手繰り寄せる梅軒に、踏みとどまろうと力を入れると、ふっと梅軒が緩めてくる。もんどり返る体をこらえると、梅軒の鎌が眼前に迫っている。こうなっては敗北を認めざるを得ない。
 しかしムサシはまるで動じない。不気味なほどに落ち着きはらっている。梅軒には初めての経験だ。梅軒の手には鎌がある。ムサシに近付いたところで、いつものように鎌を払えば良い。ムサシの腕なり体なりに傷を付ければ、それで勝負は決するのだ。
(なぜこの男は動じないのだ。いや、内心は恐れおののいているはずだ。気取られぬように平静さを見せているだけだ。いつものように、このまま追い込めばいいのだ)。
 気を取り直してじりじりと近付いていく。しかしそれでもムサシの表情は変わらない。いや、薄ら笑いさえ浮かべている。と、思いいもかけずに、刀にからめた鎖をムサシにグイと引っ張られた。たまらず梅軒が大きくよろめいた。梅軒には、これ程に力の強い者との闘いの経験がない。
 ザワザワとすすきが揺らぎ一陣の風が二人を包んだ。ほんの一瞬のことではあったが、思わず目を閉じてしまった梅軒は背筋に悪寒を感じた。負けた、と観念した梅軒だった。が、ムサシもまた目を閉じていた。二人の間合いが二間となったとき、とつぜんにムサシが梅軒に刀を投げつけた。
「武士の魂である刀を投げ捨てるとは……」
 梅軒の呻き声が言い終わらぬ内に、ムサシの素手が梅軒の喉に食い込んだ。ムサシの動きに、なんの対処もできぬ梅軒だった。鎌を奪い取ったムサシは、一気に喉を掻き切った。ドクドクと溢れ出る鮮血が乾いた大地に吸い込まれていく。一瞬のためらいもなかった。
 横たわる梅軒から懐中物を取り出したムサシは、梅軒の往生を願うように片手でもって「死にゆく者に不要な銭、生きる者が頂こう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」と骸に念じた。