(第一章 :少年 A)
〜マネキン人形に恋した少年〜
(三) |
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閻魔= |
わたくしも色々の精神を患らった者に出会いますが、こんな少年は初めてです。明らかに狂い人だと思いながら、一方で否定するのでございます。と言うよりは、そうであってはならないのだ、とわたし自身に言い聞かせているように、思えるのでございます。まあ、わたくしの話を聞いてくださいな。 |
そう、それは晴れた日でした。雲ひとつない快晴で、人間世界がよーく見渡せたものです。いつものように遠メガネで――人間世界では、万華鏡とか言うておるようですな。いちどきに複数ならぬ複複複数箇所を見回す必要のあるわたしにとっては、便利この上もないものでして。200年ほど前に、スコットランドのディヴィッド・ブリュースターとか申す者が発明してくれたときには、いやもう小躍りしました。いやいや、重畳重畳。 |
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さてさて、あちこち見回しているときのことでした。 相変わらずに、人人人の波状態で、いつもの日常です。左端の窓からは車の激しく行き交う中、せかせかと歩くスーツ姿の男女二人が、何やら言い合いながら歩いております。中央上の窓では、三人の女性たちが身振り手振りを交えながら大きな声で話しています。ちと気になりましたのでその声に耳を傾けてみると、どうにも会話として成り立っておりません。芸能人のゴシップを口にする者に対して、なんともトンチンカンな返答です。「あそこのスーパーのいわしは高いのよね、たしかに美味しくはあるけど」するともう一人の小太りの女性が――いや、三人が三人とも小太りと言ってよろしいかも。背の高さもほぼ同じで、4尺6寸といったところですかな。どうやら目線の高さが同じということが大切なようで。一人背の高い女性がいると、上から目線といった風に感じてしまうようで、いつの間にか仲間はずれといった状態になるものなのです。そうじゃった、もう一人の女性がこう言うのです。「成城のレストランで出される鰯のマリネが好物らしいわよ」まるでかみ合わなかった会話が、そんな風につながるのですから、実に主婦同士の会話というのものは面白い。いつまで聞いていても飽きませんぞ。 |
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右側の窓では、あちこちでの工事が実に多く見えます。ターポリン生地の現場シートがあちこちのビルに貼られていますが、店舗の入れ替わりの早さには驚かされます。老舗店舗も数多くあるようですが、事業継続の難しさはいかばかりなのでしょうかな。伝統にあぐらをかいていては、あっという間に飽きられてしまいますからな。時代時代に即した考え方をせねばならぬでしょうし、といって時代に流されてはならぬこともありますし。かくいう地獄においても同様です。守らねばならぬ律もあれば、見直さねばならぬそれもあるのです。なにせ複雑怪奇な事象が増えてきておりますので。罪人どもの言い訳も、かつてには口にすることもおぞましかったものも増えております。ジコチューなどという言葉が生まれてくるほどに、己の立場のみを切々と訴えることもしばしばとなりました。人倫の道に外れると諭しても、地獄は人倫の道に外れないのかなどとへりくつをこねる豪の者も出てくる始末です。 | |
おやおや、これはこれは。下の窓から見える――ビルの建ち並ぶ大通りを折れて入った商店街の中程にあるブティックで、17歳になったばかりの少年と店主とが言い争っておりました。広さは10坪ほどの小ぢんまりとした店で、舗道に面したショーウィンドウの中には、二体のマネキン人形が置かれています。それにしてもなんですかな、この節操のない種類の多さは。スポーツウエアにアンダーウェアにオフィスウェア、果てはリゾートウェアらしきものまで。いやお待ちくださいよ、ユニフォームにコスチュームまでも。これは失礼。ブティックではありません、樫山洋品店という看板がありました。まあ古くからある商店なのではございましょうが、……。失礼しました、まあ下町においては重宝するお店のたぐい゛てはありますなあ。にしても、本通りからわずか1本中に入り込んだだけというのに。いやいやこれ以上もうしますと、なんたらハラスメントになりかねませんので、チョンチョン。 少年は真剣そのもので、時折その瞳に殺意が宿るほどでした。わたしは、このただならぬ異様な空気に、暫くの間見ていることにしました。初めの内こそ、店主も相手をしておりましたが、余りの少年のしつこさに腹を立てて、奥に引っ込みかけました。すると、突然少年が叫ぶのです。 「あなたは権利を放棄するのですね、この女性はぼくがいただきます!」 呆れたものです、なんと言う詭弁を。店主もまた、呆れ果てていました。 「とに角ねえ。何と言われようとも、ダメなの。ディスプレィなんだから、売り物じゃないの。あんたね、常識ってもんがないの? 製造元を教えてあげるから、そこに行きなさいよ」 「いや、ダメなんです!この女性なんです。この人じゃなきゃ、ダメなんです」 少年は、真剣そのものです。店主もタジタジのようです。とうとうしびれを切らせた店主は、サッサと奥に引っ込みました。 少年は暫くの間、考え込んでいました。まさかそのまま持ち去りはしないだろうな、とわたしは目を凝らしていましたが「また来ます!」と、ペコリと頭を下げて立ち去りました。ほうほう、これは。礼儀正しい少年ではあります。 |
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ここで少し、少年のことをお話ししておきましょうか。小・中学時代の少年は、両親の過大な期待に応えるべく、必至に勉学に励みました。塾通いは勿論のこと、たまの休日には叔父に当たる現役大学生の応援授業がありました。携帯電話を持たされてはいますが、もっぱら母親とのライン専用です。ゲームなどはもっての外で、遊びのあの字も知らぬが如くにでございます。それが故に、成績もほとんどトップでベスト5から落ちた経験がありませんでした。が、高校ではそうはいきませんでした。中位の成績となり、中々上位に食い込めないのです。落ち込む彼に対し、両親・塾の講師ともども、慰めのことばをかけます。 曰く、「体調不良のせいさ」。 曰く、「たまたまのことさ」。 そして必ず付け加えられたことば、「次回、頑張れ!」。 新学期を迎え、父親が単身赴任をしました。そして母親とふたりだけの、食卓です。 「うざいんだよ、もう!」。とつじょ、少年がキレたのです。 |
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「大王さま! 閻魔大王さま!」 とつぜん、部下が呼ぶ声がします。慌てふためいたその声に、わたしは後ろを振り向きました。真っ青な顔色の青鬼が、わたしに叫びます。 「た、大変でございます。 「大王さま! こちらでも、でございます」 顔を真っ赤にした赤鬼も、叫びます。部下の元に急ぎ駆け付けたわたしは、遠メガネに飛びつきました。わたしが管轄する地獄が、現世に出現したが如くでございました。思わず、神の言われた『お灸』ということばが、頭に浮かびました。 “神も、罪なことをされるものだ――” “あれほどに慈悲の心を説かれる神さまが、このような仕打ちをされるとは――” 正直なわたしの気持ちでございます。暗澹たる心持ちになってしまいます。ところがです。その後、神さまにお会いした折には、意外なことばをお聞きしました。 |
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神 = 閻魔= 神 = |
なあ、お前。人間という者は、どこまで残虐な心根になってしまったのか――。 わしの預かり知らぬところで、このような非道を起こすとは。救い難いものじゃのお。 で、では。あなたさまのご指示ではないので。てっきり、お灸を据えられたものか、と考えておりましたが。 指示どころか、伺いすら受けてはおらぬわ! このままでは、終わらぬぞ。またぞろ、彼の国の報復が始まるであろう。 |
神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = |
ふうむ、やはりのう。愚かなことをするものじゃ。 愚かなことと申されましても、やむを得ぬ仕儀と考えますが。 どうしてかね? はい。自国民を大量虐殺された彼の国が、報復に出ぬことなど有り得ぬことでございます。それをせねば、民が許しますまい。 なるほど。それも、一理あることだな。しかしのう。彼の国で、多くの国民が信仰するキリスト教の教えに、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい 」と、あるではないか。 これは、意外なおことばを。そのような弱腰の教えなど、彼の国では死語になっておるではありませぬか。 ううむ。連関の世界にならねば、良いのだが――。 それはそうと、あの少年のご処断は、お決まりでございますか? うむ、決めたよ。人を傷付けた事は、矢張りのことに許されるべきものではない。なにより許せぬのは、自ら生命を絶ったことじゃ。わしに救いを求めることなく、暴走してしまいよった。もう既に、お前の元に向かわせておるよ。いつもの如くに、罰についてはお前がの。 分かりました。厭なことはすべてわたくしの職務。それでは、地獄の門にて待つことに致します。それにしましても、ここのところ、理解に苦しむ罪を犯す者が多くなりました。 そうよの。嘆かわしいこと、だて。 |
あらあら、おふたりが部屋を出られていきます。どうやら食事の時間のようです。それにしてもテレビを付けっ放しとは。あ、バタバタと妙齢の女性が。職員でしょうか、テレビのスィッチを切っていかれました。 |
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神 = 閻魔= 神 = 閻魔= |
ねえ、お前。あの少年は、如何しておるかの? はい、神さま。申し訳ございません、ご報告もせずに。やはりのことに、等活地獄行きも致し方のない仕儀かと心得ます。如何なる事由があろうとも、自ら生命ちを断つことは許されざることにございます。 そうよのう。どうだろうか、少年の罪を一等減じさせることはできないものかね。ひと言ささやいておくれでないか。 恐れながら、それは致し兼ねます。そもそもこの定めは、神さま、あなたさまがお作りになられたことです。 |
[ 己の罪は、己が知っておる。しからば、その罰は己に決めさせよ ] |
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閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= |
俗世界での汚れをこの天界で落とし切らねば、転生した折に、また辛い日々を送らねばなりませぬ。それは皆、重々に承知しておるはず。それに天界において己を偽ることの愚かさを知らぬ者は、誰ひとりとしておりませぬ。お願いがございます。これより後、子どもらに対する大人の逆襲が起きないかと、危惧しております。そうなる前に、どうぞご慈悲を持ちまして、救済の道をお示しいただければと思います。
うむ、しかしのう。わしの示す道を、曲解する者が出てくるのじゃ。意図してのことか、それとも無知ゆえのことか、のう。 左様で。実はいま、人間界はとんでもないことになっております。わたくし実のところ、亡者どもの整理に忙殺されております。 とんでもないこととは、少年事件の凶悪化のことかね? それもございます。が、家族間の殺傷事件が、過去にもまして凶悪化しているのでございます。兄弟殺し、そして親殺し、といった具合でございます。家庭の崩壊ゆえか、家族間の繋がりといったものが希薄になっております。 ふうむ。核家族化と称される時代に育った人間が、親になってからのことなのか? 世代的にはそういうことに、なるのでございましょうか。世相が快楽主義を、希求しておりますので。 ふうむ、嘆かわしいことでは、あるの。 はい。誠に、その通りでございます。 で、あの少年のことは? はい、お待ちください。いま、資料を持ってこさせますので。これ青鬼や、あの少年の資料は揃えてあるか? |
青鬼= 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = 閻魔= 神 = |
はい、閻魔さま。ここに、清書しておりますです。 うん、ご苦労。ああ、なるほど。ふむふむ、さもありなん。 これこれ。ひとりで納得せずに、早く、はやく。 申し訳ありません。ええ、これによりますと、やはりの如くに足繁く通ったようでございます。おお、とうとう学校も登校拒否しております。なになに、朝十時の開店時には、ウィンドウの前に居たそうでございます。地べた座りなどという恰好で、日がな一日居たようでございます。 一日中、とな…… はい。閉店時まで居つづけたようでございます。 うーん、そうなのか…… |