狂い人の世界  (第一章 :少年 A)

〜マネキン人形に恋した少年〜

(四)
  さてさて、それではお話しを聞いていただきましょうか。それにしても何からお話しすれば良いのやら。やはり、このことからでしょうな。
 その日も何をするでもなく、ぼんやりとウィンドウの中のマネキンを見やっている少年に、ひとりの少女が声をかけてきました。
「どうしたの? お腹でも痛いの?」
「べつに……」
「となりにすわっていい?」
「べつに……」
「君ん()に、泊めてくれないかなあ」
「べつに……」

 無表情に答える少年でございましたが、特段嫌がる風もなくでございました。が、といって、それ以上の会話があったということもないようでした。 
 この少女がまた可哀相な娘でございまして、宿無しなのでございます。マンガ喫茶やらハンバーガーショップのような、24時間営業の店でひと晩を過ごしておるようでございます。
 では少々、この少女についてお話ししましょうか。年齢は十七歳、今年中に十八歳になります。元来は、快活な少女でございました。中学の頃はテニス部に所属し、熱心に励んでおりましたようで。まあ運動神経は、並よりやゃ劣るぐらいでしょう。ですから、試合経験はゼロでございました。といって、そのことで不平不満を洩らしたことは、一度もございません。そんな少女が激変したのは、高校に入学してからでございます。残念ながら希望校への入学はならず、仲の良かった友らと離れてしまいました。
 高校での部活はいわゆる帰宅部でございまして、他校に入学した友らとの交遊を望んだのでございます。ですので友と呼べるものとて居ない状態でございます。ですので、少女に対するいじめがはじまったのでございます。
 いえいえ、はじめは軽いものでございました。少女が軽く受け流せば、すぐにも収まったかもしれません。が、いじめを受けた経験のない少女は、パニック状態に陥ってしまいました。すぐに担任へSOSを発信したのでございます。これが裏目に出てしまいました。その担任は他校から異動してきたばかりの若い女性教師で、いわゆる熱血教師でございます。

 緊急クラス会と称して、放課後に生徒全員の居残りを強行したのでございます。部活やらデートやらの予定のあった生徒らのブーイングの中、少女の実名をあげていじめの終焉を訴えたのでございます。しかしそのことが裏目に出てしまいました。
 それからというもの、本格的な陰湿ないじめがはじまったのでございます。少女は担任に失望し、固く口を閉じるようになりました。ひとりで抱え込み、寡黙な少女になってしまったのでございます。
 両親には、まさに青天の霹靂でございます。少女の口からは何も語られず、担任に問い質しても“解決済みのはず”と、受け付けません。挙句、“家庭内の問題では?”と切り返される始末でございます。結局は、少女の家出という最悪の結末を迎えてしまいました。
しかしそんな少女ですが、少年と出会ったことにより、少しずつ己を取り戻し始めました。
神  =
閻魔=
神  =
閻魔=
神  =
閻魔=

神  =
閻魔=
神  =
閻魔=
そうかね。少女は、己を取り戻し始めたのかね。
はい、その通りでございます。
同居をはじめたのじゃな? では少年の親は、さぞ驚いたことじゃろうて。
いえそれが……。
うん、なんじゃ?
別棟なのでございます。庭先に六畳のプレハブを置きまして、そこで少年ひとり寝泊りしております。何某(なにがし)かの金員を渡し、それで生活させているようでございます。
なんじゃと! なんという親か! 許せんぞ!
いえいえ、それも致し方のないことかと…
どういうことじゃ?
暴力、でございます、少年の。父親は単身赴任で、母子家庭の如きものでございます。では、改めてお話しを。
 少女が転がり込んで三日ほど経った時、母親が少女の存在に気付きました。
「*$%#&‘{;=!%?」
 母親の問いかけに、少年は異国語を聞いたような表情を示します。しつこく問いただす母親に、「ウザい!」と、答えております。で、そのことばを聞いた母親は、それ以上を止めました。「でも…」、などと口にしようものなら、そののちに血相を変えてがなりだし、キレるからでございました。
 少年と少女の奇妙な同居生活が始まりました。マネキン詣では、そう一週間ほど朝から夜までがつづきました。もちろん、ふたり揃ってでございます。店のオーナーもびっくりです。少年ひとりだったものが、ふたりに増えたのでございますから。警察を、と考えはしたようですが、特段の被害があるわけでもなく、ただただ座っているだけのことでございますし。立ち寄る客といえば、ご新規さんは皆無で、みな常連さんばかりです。気味悪がる方もいらっしゃいますが、悪さを仕掛けてくるわけで゜もありませんし、店主もまた「申し訳ありません」と、ただただ頭を下げつづけます。ふたりのせいで客足が遠のくといったこともありませんでしたので、いましばらくの様子見を決め込みました。その内に飽きてくるだろうと考えたのでございます。
 それが功を奏したのか、日によっては見かけなくなりました。現れても、半日ほどで立ち去るようになりました。いえいえ、少女がなにかを言ったわけではありません。少年主導のもと、少年の意のままに、一日が過ぎてゆくのでございます。
  怪訝な目で見ていた母親も、少年の変わりようには驚きでした。終日穏やかな表情を見せる少年など、久しぶりのことなのですから。いまでは、その少女が菩薩さまに見えていることでしょう。少女の欲した卓上コンロやらフライパンをすぐさま購入しました。包丁代わりのナイフには、多少の不安を感じはしたものの、購入することに致しました。
 その頃には短くはありますが、少年と少女の間に会話が成立し始めていました。もっとも、何かをしてほしい折だけのものではありましたが。
 曰く、「お腹がすいた」。
 曰く、「背中がかゆい」。
 曰く、「着替えたい」。
 曰く、「寝る」。

 それはそれとして少女の得意料理は焼きそばらしく、今日もきょうとて大量のキャベツの千切り、いや百切りを作っております。ひと玉全部を切り終えると、ボールから溢れんばかりです。これでは、焼きそばというよりはキャベツ炒めの焼きそば麺入りと称した方がよろしいかも。しかし少年は、嬉々として食しております。
 ひと月近くが経ったある日の朝、少女が少年に言います。
「着替えを取ってくる」
 それに対して “これで買って来い” とでも言いたげに、少年は黙ってお金を差し出しました。
「戻ってくるって、必ず。待ってて」
  しかしその日、少女は戻りませんでした。翌日、少年は朝からフライパンをガンガンと叩きつづけました。そこに少女が居ないにも関わらず、“焼きそばを作れえ!”とでも言いたげです。丸ふつか、フライパンを叩きつづけました。さすがに三日目には疲れ果てて、泥のように眠りこけました。結局のところ、少女は戻りませんでした。少年の世話をすることで、少女は己を取り戻したのです。
 二昼夜眠りつづけた少年は、少女が使っていたナイフを持ち、あのマネキンのもとへと行きました。ほぼ二週間ぶりの再会に、おいおいと泣き崩れました。外ではなく店内に入り込み、マネキンの足元に崩れおちています。
 怒ったオーナーが少年を引き離そうとした瞬間、少年の持つナイフがオーナーの腹部に突き刺さっていました。一瞬何が起きたのか理解できぬオーナーでしたが、ナイフが抜かれて噴き出す鮮血! オーナーはその場に崩れおちました。
 少年はマネキンと添い寝をします。しかしもの言わぬ彼女に腹を立て、ナイフを何度も突き刺しているのでございます。
神  =
閻魔=
神  =閻魔=神  =閻魔=神  =閻魔= 

神  =
閻魔=
そうか。少女は、己をとり戻したか。うんうん、それは良かった。
はい。しかしながら、少年が……
まっ、止むを得んことも、のお。
失礼ながら、少女に対してはあまりに寛大では? 神さまも、男性、、、
これこれ、なにを言い出すのじゃ。吾は、公明正大じゃて。
申し訳ありません、余計なことを申しまして。
で? 少年の死は、どのようなものじゃったのだ?
パトカーのサイレンが聞こえはじめると、ナイフをその場に残して、店の裏口から抜け出ました。そして隣のビルの屋上へと駆け上がったのでございます。警察官もすぐさま少年を追いかけましたが、屋上にたどり着いた時には。とき既に遅し、でございました。
そうか……ためらいは、なかったのじゃな。
はい。それほどに、傷が深かったのでございましょうか……

神  =
閻魔=



 
  で、糾問はどのようなものじゃったのだ?
寡黙だった少年ですが、あなたさまのお慈悲あることばを伝えますと、とつぜん饒舌になりました。苦しかった胸の内を滔々と語りはじめました。父親には激しい憎悪を、母親に対しては蔑みの念が強く出ていました。さらには、教師・友人と次々に事例を上げて、それぞれを罵倒しました。そして最後に、あの少女のことになりますと、はらはらと涙を流し恋慕の情を語りだしました。しかしとつじょ、阿修羅の表情を見せ、「裏切り者!」と罵りました。そしてこれが、少年の最後のことばでした。

少年=  「ぼくは、悪くない!」
ぼくは狂っちゃいない! 世間の奴らが、狂ってるんだ! 父さんも母さんも、学校の先生も友だちも、いや、みんながだ! ぼくだけが正しい、とは言わない。でも、狂っちゃいない! 冷たい、いやそんな生易しいものじゃない。恐ろしい世間の奴らよりは、曖昧さを拒絶するマネキンの方が、余程落ち着ける。人間のように勝手な論理を振り回したりしないし、傍若無人な行為もしない。口では、「弱者に優しい社会を!」なんて言うくせに、強者の論理で行動してるじゃないか!
「ぼくは、()い子なんだ!」