狂い人の世界 〜この愛すべき人たち〜


ここは、とある特別養護老人ホーム。ここが実は、天界だと言う噂を聞きつけました。しかも驚いたことに、神様と閻魔大王が、お見えになるとか。で、お話を伺うべく、来てみたのですが…。
あの、テレビの前のお二人がそうでしょうか?そっと、盗み聞きしてみましょう。








神 = ねぇ、お前。お前は、どう思うかね?この少年の話を。少年は、自分は狂人ではないと、言い張るんだが。  
閻魔= さぁ・・。私には、はっきりとは分かり兼ねます。
神 = どうしてかね?その頭脳明晰さにおいて、右に並ぶ者なしと言われるお前に分からぬとは。
閻魔= とんでもございません。私如きがねそのような。おからかいになっては困ります。あのファウスト一人、騙すことが、論破できなかったのでございますから。
神 = あのファウストは、何もかもを知り尽くした人間だ。さしものお前でも、無理であろうょ。
閻魔= ありがとうございます。さてさて。一体、人間世界には、真実などと言うものがあるのでございましょうか?その時代では正しい事であっても、後の時代になると誤りだとされる事が、多々あるようですし。
神 = なるほど・・。それも、一理あることだな。では、お前はどう思うかね?
閻魔= 私でございますか・・。神であるあなた様がご判断に迷われている事に、具申するなど、おこがましくはありますが・・。有態に申しまして、永遠の真理など、無いように思われます。人間世界は勿論のこと、恐れ多い事ですが、この極楽におきましても。
神 = ほぉ、この天界にもかね?
閻魔= 申し訳ございません、まことに。お叱りを覚悟で申し上げますならば、あなた様の気まぐれ・・申し訳ございません。これは、言い過ぎでございました。人間世界において、時代々々におけるその時々の、道徳観念・法律によって、正誤の判断が下されるのは、致仕方のない事でございましょう。
神 = ふむふむ・・
閻魔= しかしながら、それらは一貫性のないものが多いのでございます。ある日突然に、覆ることもあるのでございますょ。首をおげになるとは、意外でございます。お許しになられたではございませんか。原爆などと言う、途方もなく恐ろしい武器のご使用を。あれ程にお止めしたのに、でございます。
神 = あぁ、あのことかね・・。うむ、あの時は私も、どうかしていたょ。特攻などという愚行を、余りにも繰り返すものだからねぇ。つい、お灸を据えたくなってしまったのだょ。あれは確かに、私の誤りだったようだ。
閻魔= 失礼ながら・・。神であるあなた様に、万が一の誤りも許されないのでございます。あのことから、彼の国は又しても、大きな蛮行を犯してしまいました。枯葉剤などという世にも恐ろしい薬剤を、何を血迷ったか、同じ人間相手に使用したのでございますから。しかし原爆にしろ、枯葉剤にしろ、当時においては止むを得ない決断だと、多くの者が考えたのでございますょ。
神 = そうよのぉ、あの時は驚いた。私に問い掛けることもなく、じゃったのぉ。傲慢そのものじゃった。まぁ、その後、彼の国にもお灸を据えはしたが。
閻魔= お灸と申されましても、今では唯一の超大国として、君臨しておるではございませんか。まぁ確かに、もう一方の大国の自滅といったことからではございますが。
神 = まぁ、そう責めてくれるな。あまり人間世界に干渉することも、良くないことじゃでのぉ。といって、放っとき過ぎたかもしれんがのぉ。一度ここらで、雷でも落とそうかと考えてはおるのじゃ。これから先、人間共が、今少しの反省をするならば・・と、人間世界で言う異常気象を起こさせておるのじゃが。で、どうかね?先ほどの、少年のことは。
閻魔= 申し訳ございません、話がれてしまいました。少年の住む日本という国は、敗戦後に価値観が一変したのでございます。道徳観も、百八十度の、大転換でございます。お分かりいただけますでしょうか?
神 = なるほど・・。お前は、この少年は狂っていると、言うのだね?
閻魔= 実のところ、困っております。今の時代においては、狂人と断じて良いと思うのでございますが・・。唯、この少年の場合、そう断じて良いかどうか・・判断に苦しんでおります。
神 = お前も、かね・・。私も今、迷っているのだょ。地獄行きか、ここに留めるべきか・・、とね。一つ、前例のないことだが、少年の言葉に耳を傾けてみることに、しょうかねぇ。
少年= 僕は狂っちゃいないぃ!世間の奴らが、狂ってるんだ!親父もお袋も、学校の先生も友だちも、いや、みんながだ!僕が正しい、とは言わない。でも、狂っちゃいない!冷たい、いやそんな生易しいものじゃない。恐ろしい世間の奴らよりは、曖昧さを拒絶するマネキンの方が、余程落ち着ける。人間のように勝手な論理を振り回したりしないし、傍若無人な行為もしない。口では、「弱者に優しい社会を!」などと言うくせに、強者の論理で行動する。
閻魔= 私は、色々の精神を患らった者に出会いますが、こんな少年は初めてです。明らかに狂い人だと思いながら、一方で否定するのでございますょ。と言うよりは、そうであってはならないのだ・・、と私自身に言い聞かせているように、思えるのでございます。まぁ、私の話を聞いてくださいな。
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そう、それは晴れた日でした。雲ひとつない快晴で、人間世界がよーく見渡せたものです。いつものように遠メガネであちこち見回していると、繁華街の中程にあるブティックで、この少年と店のオーナーが何か、言い争っておりました。

少年は真剣そのもので、時折、その瞳に殺意が宿るほどでした。私は、この只ならぬ異様な空気に、暫くの間見ていることにしました。初めの内こそ、オーナーの方も相手にしておりませんでしたが、余りの少年のしつこさに腹を立てて、奥に引っ込みかけました。すると、突然少年が叫ぶのです。

「今あなたが引っ込むと、この女性は僕の物になりますょ!」
呆れたものです、なんと言う詭弁!オーナーも又、呆れ果てていました。手の甲でもって、“シッ、シッ!”と追い出しています。何かしら、私も又追い出されているような錯覚に陥りました。

万華鏡を動かして、早速に他の場所に移しました。こんなくだらない事に時間を費やす程、私は暇ではないのですから。しかしながら、どうにも気になります。気もそぞろに、なっております。で、思い切って、ブティックに戻りました。

「とに角ねぇ。何と言われようとも、ダメなのょ。ディスプレィなんだから、売り物じゃないの。あんたねぇ、常識ってもんが、ないのぉ?製造元を教えてあげるから、そこに行きなさいょ。」
「いや、ダメなんです!これです、この女性なんです。この人じゃなきゃ、ダメなんです。」

呆れたことに、未だに押し問答を続けていました。少年は、真剣そのものです。オーナーもタジタジのようです。とうとうしびれを切らせたオーナーは、サッサと奥に引っ込みました。
少年は暫くの間、考え込んでいました。まさかそのまま持ち去りはしないだろうな、と私は目を
らしていましたが
「また来ます!」と、ペコリと頭を下げて立ち去りました。礼儀正しい少年ではあります。

ここで少し、少年のことをお話ししておきましょうか。
中学時代の少年は、両親の過大な期待に応えるべく、必至に勉学に励みました。遊びのあの字も知らぬが如くにでございます。それが故に、成績もほとんどトップでBest5から落ちた経験がありませんでした。が、高校ではそうはいきませんでした。中位の成績となり、中々上位に食い込めないのです。
落ち込む彼に対し、両親・塾の講師共々、慰めの言葉をかけます。曰く、“体調不良のせい”曰く、“たまたまのことさ”と。そして必ず付け加えられた言葉、“次回、頑張れ!”。

新学期を迎え、父親が単身赴任をしました。そして母親と二人だけの、食卓です。
「うざいんだょ、もう!」
突如、少年がキレたのです。

「大王様!閻魔大王様!」
突然、部下が呼ぶ声がします。慌てふためいたその声に、私は後ろを振り向きました。真っ青な顔色の青鬼が、私に叫びます。

「た、大変でございます。彼の国において、
阿鼻叫喚の地獄絵図が展開しております。ひ、飛行機が、ビルに激突しております。」
「大王様!こちらでも、でございます。」
顔を真っ赤にした赤鬼も、叫びます。

部下の元に急ぎ駆け付けた私は、遠メガネに飛びつきました。私が管轄する地獄が、現世に出現したが如くでございました。思わず、神の言われた『お灸』という言葉が、頭に浮かびました。
“神も、罪なことをされるものだ・・”
“あれ程に慈悲の心を説かれる神が、このような仕打ちをされるとは・・。”
正直な、私の気持ちでございます。

暗澹たる心持ちになってしまいます。ところがです、その後神にお会いした折には、意外な言葉をお聞きしました。
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神 = なぁ、お前。人間という者は、どこまで残虐な心根になってしまったのか・・。の預かり知らぬところで、このような非道を起こすとは。救い難いものじゃのぉ・・。
閻魔= で、では・・。あなた様のご指示では、ないので・・。てっきり、お灸を据えられたものか、と考えておりましたが。
神 = 指示どころか、伺いすら、受けてはおらぬわ!このままでは、終わらぬぞ。又ぞろ、彼の国の報復が始まるであろう。  


神 = ふーむ・・やはり・・のう。愚かなことを・・するものじゃ。
閻魔= 愚かなことと申されましても、やむを得ぬ仕儀と考えますが。
神 = どうしてかね?
閻魔= はい。自国民を大量虐殺された彼の国が、報復に出ぬことなど有り得ぬことでございますょ。それをせねば、国民が許しますまい。
神 = なるほど・・。それも、一理あることだな。しかしのう・・。彼の国で、多くの国民が信仰するキリスト教の教えに、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」と、あるではないか。
閻魔= これは、意外なお言葉を。そのような弱腰の教えなど、彼の国では死語になっておるではありませぬか。
神 = うぅむ・・・。連関の世界にならねば、良いのだがのぉ・・・。
閻魔= それはそうと、あの少年のご処断は、お決まりでございますか?
神 = うむ・・、決めたょ。人を傷付けた事は、矢張りのことに許されるべきものではない。何より許せぬのは、自ら生命を絶ったことじゃ。儂に救いを求めることなく、暴走してしまいよった。もう既に、お前の元に向かわせておるょ。
閻魔= そうでございますか・・、分かりました。それでは、地獄の門にて待つことに致します。それにしましても、ここのところ、理解に苦しむ罪を犯す者が多くなりました。
神 = そうょのぉ・・。嘆かわしいこと、だて。
閻魔= さてさて・・、どうしたものか・・。自らの生命を絶った者は、等活地獄行きとなるが・・。
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おぉおぉ、その後の事を話しておりませなんだな。それでは、時間を戻す(next)ことにしましょうぞ。
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*等活地獄=恵心僧都源信「往生要集」八大地獄の一つ