はたちの(うた)という、詩から生まれた小説です。
わたしが二十歳になった時を出発点に、しています。
とは言っても、すみません、ほとんど事実ではありません。
新聞記事やら、噂話やらを、元にしています。
でも、当時の自分の思いは込めました。

 (五)十二月の一
十二月三日  (雪)

寒いあさだとは思っていたけど、まさか雨が雪にかわるなんて。
初雪だ。
しかしおどろいた。これが偶然というものだろうか。でも、ステキなぐうぜんだった。なんとはなしに通りかった、あの市民会館。ベトベトの雪道のせいで、いつもとちがう帰り道だった。裏道をやめて、大通りをあるいた。その通用門で、たったひとときにせよ、ぼくにバラ色の夢を見せてくれたあの女性歌手に会えるとは。降りしきる雪の中、傘がないらしく肩をふるわせていた。

目が合ってしまったとき、「良かったら、はいりませんか?」と、声をかけていた。自分でも信じられないほど、自然に。ぼくにとっては、革命的なことだ。おそらく、耳たぶまで真っ赤になっていたろう。その女性歌手は、ぼくのことを知るはずがない。あの、長文の手紙を書いた偏執狂だとは。

[着物姿]
だれも彼女が歌手だとは知らないだろう。たしかに雪の日にはめずらしい着物姿だった。だけど、水商売のホステスさんたちも着ている。前座でうたう歌手など、だれも覚えてはいない。
「いま、迎えのものがきますから。ご親切に、ありがとう」
ああ、この声だ。この声なんだ、ぼくが惹かれたのは。
澄んだあおい空――晴天のあおぞら、美しいあおみどり色の空――碧空のあおぞら、そしてそして広く高い空――蒼穹(そうきゅう)のあおぞら。そしてそこに一羽。鳶が「ピーヒョロロロ」と鳴いている。ぼくにとっての、天女のこえだよ。

目を閉じれば、かのじょの高く上げたほそい手が、浮かんでくる。その女性が立ち去ろうとするぼくを呼びとめてくれた。わかるかい? そのときのぼくの気持ちが。天にも昇るとはこういうものだろう。ああわかってる、ひまつぶしの軽い気持ちだったかもしれない。うれしかった。もっとも、気が動転していてどんなおしゃべりをしたのか、……おぼえてない。というより、思いだせないんだ。

[卑下]
芸能人のつらさなんかを話してもらえたような気がする。プライベートタイムがどうしても深夜になること。気のあう者どうしでの語らいや食事が、週刊誌では恋人として書かれてしまうこと。そんなことから事務所から止められてしまい、なかなか異性の友だちができない、と。もっとも、芸能人同士の場合は、おたがい有名税だと思える。でも熱心なファンとの語らいの場を見つかるのが、いちばん辛いんだとか。でもって、自分のことを話してくれた。
「でも、その点あたしなんかは楽なもの。歌手として認めてもらえていないから。スター歌手とご一緒させていただいても、一行ものらないのよ。付き人ぐらいにしか思われてないのネ。だから最近は、話し相手に引く手あまたなの。そのおかげで結構ステージに呼んでいただけるのよ。しょせん、前座歌手だけれどね」
あまりに自分を卑下したような口調だったから、つい口がすべってしまい、ぼくがあの長文の手紙の主だということを言ってしまった。

[お誘い]
最初、気まずい空気がながれたけれど、すぐに謝ってくれた。事務所の指示もあったけれど、やっぱり気味がわるかったって。前座歌手ごときの自分に、あれほど熱烈なファンレターがくるわけがないって。やはり、偏執狂だとおもわれていたらしい。あれ以上手紙がつづくようなら、警察にとどけたかもしれないって。最後は、ふたりして大笑いしたよ。
そうそう、チコという愛称をおしえてもらった。幸子だから、チコだって。それに、住所も。事務所に手紙をおくると、警察沙汰になるかもしれないから。ヘッヘッヘーだ。

遠い道のりのはずが、すぐに着いたという感じだ。いや、まじわるはずのない道がとつぜんつながった、かな? もっと話をしていたかったけれど、迎えの車がきたから、終わりだ。握手してきたよ。つめたい手だったけれど、気さくな人だった。感激!
あした、すこし離れたN市でショーがあるんだって。来てくれるなら、受付に話しておくからだってさ。そして六時には終わるから、お食事でもしましょうって。会社を休んででも、絶対に行くぞ!


  十二月四日  (晴れ)

きのうの雪も上がり、いい天気だった。会社をお昼で早退して、とんでいったよ。切符売り場でなまえを言ったら、ニコニコして「ああ、いとこの方ね」だって、タダで入れてくれた。すこし不安だったから、お金は持っていったけどね。やったね!

でもね、腹のたつステージだった。あんなひどい仕打ちを受けるなんて。衣装替えの、ホンの数分間だけのことなのに。せいっぱいに歌いあげているとき、観客のざわめきは仕方のないことかも知れないとしても、さ。
一曲の予定が、衣装がえに手間どったらしく二曲目に入った(それはそれで、ぼくとしては嬉しいけれど)。ところが急にでてきてそこで打ち切り、バンドが曲を変えてしまった。チコは深々と頭をさげてステージから消えた。

[憤慨]
食事の最中、憤慨しているぼくに、やさしくほほえんでいたチコだった。食事かい? もちろんおいしかった。人生でいち番のラーメンだった。チャーハンも食べたし。それでおどろいていた、その食べっぷりに。
財布が心配だって、冗談もいわれたりして。もう、最高! 嬉しいことに、この近くに来たら、また食事しましょうってさ。


十二月十五日  (曇り)

[手紙]
きょうは、いい日だ。It's nice day! チコからの手紙がとどいた。24日のイブの日、仕事がキャンセルになったから、こっちに来てくれるってさ。いっしょにイブを過ごしましょう、だって。素晴らしい! のひと言だ。

ドアを開けると、まず半畳ほどの土間。左手に三畳かな? 台所があって右がトイレ。
台所にはひとり用の小っちゃなテーブルに丸イス。その上に、コップとしょうゆ差し。
ガラス戸を開けると、六畳のへや。そして小さいながらも、ベランダ付き。
そのベランダに、これまた小っちゃな洗濯機。洗濯ものはロープを張って、そこに干しっぱなしだ。

清水の舞台からとびおりたつもりで買った、2ヶ月分の給料にあたる30'000円弱のコンポーネントステレオがある。気のいい電気屋のおじさんが、安物だけどヘッドホンをおまけしてくれた。アパートの壁がうすくてさ、ふつうに聞いてたら「うるさい!」って怒られた。分かってたんだね、おじさん。
「ありがとう!」。いつもそのヘッドホンで聴いてまーす。


  十二月二十四日  (晴れ)

なんてつらい日だ。仕事、そんなもん、なんだよ! どうして仕事をする? 生活のかてのためだったら、べつに定職をもたなくてもいい。アルバイトでもいいじゃないか。”デカンショ、デカンショで、半年暮らす。あとの半年は、寝て暮らす”
 
大体、チコがいけないんだ。せっかくのイブだというのに、仕事をするなんて。しかも他県だなんて。それに最近は、ナイトクラブでの仕事を増やしたりして。酔っぱらい相手に、歌をうたっても仕方ないじゃないか。からまれたりもして……。

[わがまま]
いや、わかってる。ぼくのわがままなんだ、チコには言えないことだ。きみだからこそだ。

[休みの日]
チコの休みは、平日ばかり。ぼくの休みは、日曜日。わかってはいた、時間が合わないことは。それを承知のことだったはずだ。いっそのこと、会社を辞めようか。チコに合わせようか……。
このあいだ、ホンのわずかな時間をともに過ごしはした。けれど、時間ばかりを気にしているチコは、きらいだ。
「お正月はゆっくり会えるわよ」そう言うチコ。だけど、ぼくは正月にはこの町にはいないんだ。故郷に帰ってしまう。
毎年、晦日におふくろがむかえにくる。といって、故郷に来てくれるはずもないチコ。ぼくだって、邪魔されたくない。そしてぼくがこの町にかえってくるころには、チコはもう居ない。……どうしたものか。

そう言ったら、チコはこまり顔をしくれるかい? それとも、ニッコリ笑って「いいわよ、甘えてらっしゃい」と、言うかい?
けっきょく、フキゲンな顔ばかりを見せてしまった。きっと、嫌われただろう。わずかの時間をさいてくれたチコ。
ごめんね、チコ。すぐに、手紙を出すよ、「ごめんなさい」と。

あと、五日で仕事も終わり。


  十二月二十九日  (晴れ)

[突然のベル]
ビックリした、まったく。半日で片づいた大掃除の後、先輩と世間話をしていたところへ、けたたましく鳴り響いた電話のベル。事務所はもう閉じていたから、現場の電話に回ってきたようだ。
「仕事おさめです。誰もおりませんので、年があけてからおかけなおしください」
一気にまくしたてて、電話を切ろうとしたんだ。

ところが、”待って!”の声。チコ? と思ったけれど、まさかだよ。きょうは、東北地方に行ってる筈だから。だけど、チコだった。長距離電話をわざわざかけてくれた。
何度もなんども、ぼくの名前をくりかえして確認してきた。「そうだよっ」て、答えたけれど、たぶん上ずった声だったんだろうな、ぼくの声が。

とつぜんの予定変更で、いますぐ来るって。到着が十時ごろになるから、駅まで迎えにきてほしいって。みじかい会話だったけれど、いつものチコらしからぬ悲しそうな声だった。いま、九時二十分過ぎだ、そろそろ出かけなくっちゃ。