はたちの(うた)という、詩から生まれた小説です。
わたしが二十歳になった時を出発点に、しています。
とは言っても、すみません、ほとんど事実ではありません。
新聞記事やら、噂話やらを、元にしています。
でも、当時の自分の思いは込めました。

 (四)九月
九月一日  (雨)

きょうは一日中、雨だ。べつに嫌だとは思わない。ただ、悲しいだけだ。
−−−−−
あゝ(おれ)()うしても信じられない。たゞ、考へて、考へて、考へて、考へるだけだ。
二郎、何うか己を信じられるようにしてくれ。      
(夏目漱石著・「行人」より)
−−−−−
[臆病者]
ぼくは彼女が好きだ。すごくすきだ。
会社の先輩から聞いた。彼女が、ぼくのことを馬鹿にしている、と。
「真面目なのネ」
わかれぎわに呟いた彼女のことばに、引っかかるものがあったけど、べつにそれほど深くは考えなかった。ぼく自身がそう思っていたから。だけど、彼女のいう真面目と、ぼくのそれとは、違う意味のものだった。要するに、臆病者という、軽蔑のいみが、ことばの裏に潜んでいた。
なんということはない、映画館でそして帰り道でも、手をにぎらなかったこと。そして別れぎわにキスをしなかったからだという。
「まだ、子どもね」

先輩は言う。
いまの女性にとってのキスは、友情の印のようなものだ、と。そしてまた二十歳の年齢でキスの経験がないのは、ぎゃくに不健康だ、と。
ぼくは宣言する、ぼくは男だ! 君は、わかってくれるよね。あの夜、キスをしたかった。だけど、ほんのちょっとの勇気がなかっただけだ。だって、付き合いはじめてまだ日が浅いんだ。気心の知れていない相手に、そんなこと……。いや、気持ちは通じあっていたんだよな……。そうか、やっぱり。勇気が足りなかった。けれど……。

[アンチ処女時代]
一体全体、現代はどうなっているんだ。週刊誌には、フリーセックスだの アンチ処女時代だのと、書き立てているが、本当だろうか? だとしたら、ぼくは前時代的人間だということか。封建的因習から脱け出せない。いや、勇気がなかっただけだ。
ぼくは、なんのために生きてる? 此れといった目的もなく生きてる? たしかに、「小説を創る」という夢はある。だけど、小説家とは? それで生計を立てる? 否、芥川龍之介曰くの「売文の徒」にはなりたくない。……嘘をつけ! 自信がないんだ。
いやちがう。自分を裸にしてみたいんだ。裸だって? はだかになってどうなる? 風邪をひくのが関の山だろう。肺炎にかかって死ぬ? あの彼のように。いやいや、その途中で、(みの)を着てしまうだろうに。


九月八日  (曇り)

どうにもぐずついた天気がつづく。ことしの夏は、冷夏だそうだ。秋が早いとか。なんだか天気が、ぼくの感情に左右されるみたいに思える。ま、ぐうぜんの一致だろう。だいたい、天気のことを気にするのは、楽しいとき、()しくは悲しいとき位のものだもんナ。

[軽い火傷]
どうやら、先輩の話にすこし誇張はあったものの、半分は当たっていた。やっぱり、物足りないということらしい。ぼくが年下であること、そのために彼女がリードしなければならなかったこと、疲れたということだった。グイグイと引っぱる男性がこのみだということだ。
「冷却期間をおきましょう」と言われたが、たぶん駄目だろう。まあしかし、かるい火傷ですみそうだ。しばらくは落ち込むだろうが、そのうち時間がたすけてくれるさ。
……だけど、忘れ去るまでのあいだ、どうしたらいい。……とにかく、忘れることだ。

なにか、他のことを考えよう。また最近、新聞紙上をにぎわせているゲバルト学生。どうしたって言うんだろう。
ある論評で、著名な作家が冷笑していた。その作家を称して、”ファシスト”と叫んだことから議論になったとある。
作家いわくに、その学生は 姓はマルクス名はレーニンと、ふたりの人物をひとまとめにしているとのこと。たしか、中学時代にまなんだはずだ。レーニンは、トロッキー(だと記憶しているが)を暗殺することにより、独裁者となり恐怖政治をおこなった、と。マルクスは経済学者であり、ソ連の共産主義の根本が、ドイツ人マルクスの唱えた「マルクス主義」だというからおもしろい。

[ポッカリと]
だめだ、やっぱり白じらしい。いくら話題をかえても、頭の片隅にのこっている。ポッカリとあいた空間はうまらない。それにしても、こうした場合に大人たちはどうしてきたのだろう。まさか、こんな気持ちがぼくだけ、ということはないだろう。


九月十八日  (晴れ)

晴れ・曇り・雨・雪、ほかにいの? ないよなあ。

[理性]
おゝ、神よ!
人を愛するとき……、なぜ理性をうしなう?……しばらく、休もう。