はたちの(うた)という、詩から生まれた小説です。
わたしが二十歳になった時を出発点に、しています。
とは言っても、すみません、ほとんど事実ではありません。
新聞記事やら、噂話やらを、元にしています。
でも、当時の自分の思いは込めました。

 (二)七月
七月一日  (くもりのち雨)

とうとう雨になった。ぐずついているとは思ったが。梅雨なんだ、仕方ない。でも天気予報では、明日のはずだったのに。雨のなかの紫陽花はきれいだ。いつもの帰り道なのに、きょう、はじめて気がついた。商店街前のバス停でおりて、アーケードのなかを通ると、すこし遠回りだけど雨からにげられる。それともその奥の肉屋さんでコロッケなんかを買ったりして。美味しいんだよな、あそこのコロッケは。他よりは五円高いけど、それだけのことはある。やっぱり中の肉がちがうのかな? 「かさを買って帰ろうかな」なんてチラリと思ったけど、きょうはどうしても濡れて帰りたかったんだ。
わかる? やっぱり。かっこつけるわけじゃないけど、泣いてるぼくを、だれにも見られたくなかったんだ。それにもう、けっこうびしょ濡れだしね。バスのなかでも、空いてたけど席に座わんなかったし。だって次の人が座われないよ、きっと。商店街入り口の百貨店、大きなショーウィンドウのなかに、ずぶ濡れのぼくが映ってた。

白い開襟シャツ、グレーのズボン、そしてうす汚れた白い短靴。
これがぼくの、会社の制服だ。
事務の女子たちは、グレーのスカートに白いシャツ、そしてグレーのチョッキ。靴は、くつは……。知らない、そんなとこ見てないモン。外まわりの営業さんは、Yシャツにネクタイをして、グレーのズボン、そして黒い革靴。ボクが歩けば、ペタペタ。けど営業さんは、コツコツ。そしてたばこを、ぷかぷかと。おなじ二十歳でも、ずっと大人にみえる。

でも良かった。
まいにち通ってた道なのに、いままで気がつかなかった花壇をみつけた。雨に打たれてる花を見てたら、いまにも蝶々が飛びだしてきそうに思えた。白・紫・黄…、色んな色の花があって。みながそれぞれに個性を持っているくせに、キチンと紫陽花の花になっている。おもしろい! いいんだ、もう。すぐに返事をくれたんだ。もういいんだ。いいんだ、誤解がとけただけでも。べつに強い願望でもなく、できれば…という気持ちだったんだから。
こんやはもの悲しい。断られたことがショックには違いないけれど、それよりも、独りよがりの夢に酔いすぎたことだ。部屋の空気が重いせいもあるだろう。無限の宇宙に、なにかがおおいかぶさっている、ってか。

しかし、なんのために手紙を書いた? あの人に、ぼくのことを「お坊ちゃんですね」と、言わせるためなんかじゃなかったはずだ。もっとも、こんなぼくなんかと文通しても、なんの面白みもない。話題といえば、文学のことぐらいだし。気の利いたことばなんて、書けやしない。だけど、答えてもらえなかったのが残念だ。
「うたっているときのあなたのこころには、いったいなにがあるのだろう?」

どうしてきょうに限って雨なんだ! 部屋のなかまで、どしゃぶりだ。なにもかもが歪んで見える。


 七月十五日  (曇り)

こんやも蒸し暑い。天気予報だと、あしたは雨らしい。いいかげんに、梅雨も終わってくれないかなあ。
最近、ホントにつまらない毎日だ。なんにも身がはいらない。わかってるよ。こんなことじゃダメだと思うんだよ。いつだって鼓舞してる。だけど‥‥。

ベトナムの帰休兵の人たちはどんな気持ちだろう。つかのまの休息を日本で過ごして、そしてまた戦場に帰っていく。同世代のアメリカの若者が、ベトナムの戦場で戦っている。この現実だよな。アメリカとベトコン、どちらに正義があるのか、ぼくにはわからないけど。戦争は、イヤだな。
雑誌にあったことば……。
「十の国があれば、十の正義がある」

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自作の一枚の絵を誉めてくれた人が、例え狂人だと告げられてもどうしても信じられなかった奴。信じたくないと言った奴。*芥川龍之介著「沼地」のエピソードから
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ぼくだって、小説をほめてくれた人が狂人だとは思いたくないし、よしんばそうだったとしても、きっと握手を求め、「きみって、サイコー!」と叫ぶだろう。


  七月二十日  (曇り)

くもり空のきょう。まるでこのぼくのこころそのものだ。
くもり空、いつか降るだろう雨を、大きな広がりのどこかに隠している。
いや、ひょっとして降らないのかもしれない……

けさ、いまにも降り出しそうな空で、しかたなく傘を持って出たよ。えっ? 相あい傘を期待したのかって? うーん、どうかな、ちょっとはあったかな。で、アパートに帰り着くまでのあいだ、この傘のなんと恨めしかったことか! アイデアルならまだしも、親父ゆずりの古いコウモリ傘は、いかにもぶかっこうだ。初めてのデートだというのに、彼女にも笑われた。今夜は、もう寝る。
*アイデアル=折り畳み式の傘


七月十八日  (雨)

この雨、きょうで三日目だ。ホントによく降る。梅雨のさいごっ屁か? だけど、どんなに降ろうと、もう晴ればれさ。
べにどうということはなく、ただなんとなくだよ。へへへ…。じつはね、きょうのこの雨に傘がなくてね、困ってたんだ。朝さあ、小降りになったから 上がると思ったんだよ。で、会社からすこし離れたケーキ屋さんの軒先であまやどりをしていたわけ。いや、買おうかな? とは思ったんだよ。先月の誕生日に、大っきな丸いケーキ、デコレーションって言うんだっけ? あれ、買いそこねちゃったしさ。
会社、休んだろ? そうなんだ!
「相あい傘で良かったら、どうぞ」って、声をかけてくれたんだ。気さくな女性でさ、会社の事務員さんなんだ。その道々、すっごく話がはずんでね、楽しかった。ぼく自身、ビックリだよ。こんなに気楽に話ができるなんて。信じられないよ、ホント。
でね、こんどの日曜日、そう! あさってに映画を観ることになったので、ありまーす! ちょっぴり不安ではあるけどね。どんな会話をしたらいいのか、わからないんだよ。うーん、だれか教えてくれーえ!