其の四

 突然の、ミドリの来訪だった。
「先生、突然ごめんなさい。どうしても、お会いしたかったんです。」
 訝しがる俺に、泣き出しそうな表情で抱きついてきた。どうしたことだ、これは。ミドリに、俺のマンションを教えたつもりはない。
「どうして、ここが分かったんだ!」
 ミドリを突き放すと、俺は語気を強めた。ミドリは、俺の剣幕に恐れをなしたのか、
“ワッ!”と顔を両手で覆った。そして消え入りそうな声で、何とか答えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。先生しか、頼る殿方が居ないんです・・。もうどうしていいか、わからなくって・・。ごめんなさい、ごめんなさい。」
 肩を震わせながらのミドリが、妙に艶っぽく感じられた。胸元から覗き見える白い肌が、やけに眩しく感じられる。
「田坂か?しかしあの男は。そんな口の軽い奴じゃない筈だぞ。まさか、寝物語で聞きだしたのか!」
 俺は動揺を隠すように、激しく詰め寄った。ミドリはその場に突っ伏すと、激しく泣き始めた。そんなミドリを見下ろしながら、俺は辟易した気持ちになった。
「まあ、いい。とに角、入りなさい。玄関先で泣かれたんでは、世間体が悪い。」
 実の所、世間体など気にする俺ではない。そもそもミドリは、俺好みの女なのだ。このところの俺は、前にも増して性欲が強くなっている。まるで、二十歳そこそこの若造のようだ。麗子と暮らしていた頃に戻ったように感じられる。
 麗子、麗子、・・。あぁ、又しても麗子が思い出される。どうしたというのか、まったく。あの記事のせいなのか。
[セクシータレント麗子・初主演映画『陵辱』]
 清楚な若奥様が、旦那の友人に陵辱されるというストーリーらしい。ふんだんに濡れ場があり、しかもSMプレイ中心とか。何てことだ、まったく。そこまで辱めるのか、あの麗子を。麗子も、麗子だ。未だに、セクシータレントに甘んじている。それも、世相のせいか。インターネットにしても、エロサイト流行りだ。

「取り乱して、申し訳ありませんでした。エリさんから、お聞きしたんです。決して、田坂さんとは何もありません。先生だけです、ホントです。」
 ソファに座るよう指示しても、ミドリは床に正座をしたままだった。俺は、伏し目がちにしているミドリを、すぐにも堪能したかった。すぐにもベッドに連れ込みたい気持ちを抑えながら、わざと冷たく言い放った。
「で、今日は何だい?金の無心なのか。」
「いえっ!違います。」
 射すくめるようなミドリの目に、俺は少したじろいだ。
「遠慮しなくて、いい。いくら、欲しいんだ。この間と同額でいいのか?それとも・・」
「いえ、お金じゃないんです。実は、・・・。」と、俺の言葉を遮った。ミドリの肩が小刻みに震え始め、“わあっ!”と、突っ伏した。まったく、よく泣く女だ。俺は、女の涙が嫌いだ。都合が悪くなると、決まって泣く。涙が免罪符になるとでも、思っているのか!
「夫が、浮気したんです。いえ、単なる浮気ならば、未だ許せます。相手が、よりにもよって、結婚前にお付き合いしていた女性なんです。・・・」
”何だ、愚痴をこぼしに来たのか。“と、辟易した思いになった。要するに、焼け木杭に火がついた、ということだ。その女のせいで、勤めていた一流会社から解雇されたらしい。しかしミドリは、唯々我慢の一語らしい。その男の元に転がり込んでの押し掛け結婚であることから、負い目を感じているらしい。で、大枚の金員を持ち帰ったが為に俺との情交がばれてしまい、毎夜のように辛く当たってくるという。そのくせ今では、ミドリの稼ぎを当てにし始めたらしい。男のプライドから、なかなか仕事が永続きしないとこぼした。
 いい加減うんざりしている俺に気付いたミドリは、
「申し訳有りません、先生。別に、先生に恨み言を言いに来たのではないんです。唯・・」と謝りつつも、途中で口ごもってしまった。
「で?旦那と別れたいのかね?その責任の一端が私にあるから、ということかね。」
 俺はイライラしつつ、棘のある語気で突き放した。
「とんでもありません。そんなこと、私、思ってません。唯、先生に無性にお会いしたくなって・・。」
 すがるような目つきを、ミドリは俺に向けてきた。どうやら、金の無心ではないようだ。
「要するに、俺に抱いて欲しいということかね。」
 俺は、ストレートに問い質した。うんざりしつつも、あの夜のミドリの乱れ方を思い出していた。顔を赤らめた所を見ると、当たらずとも遠からずということか。恐らくは、はっきりとした目的もなく来たのだろう。愚痴をこぼす相手が居ないのだ、欲しかったのだ。

 優しく迎え入れてくれるものと、決めつけてやって来たのだろう。ところが、俺の剣幕に驚いて、気持ちが萎えたのかもしれない。
「申し訳有りませんでした。突然お邪魔して、先生にはご迷惑でしたでしょうに。」と、憔悴しきった表情で床に手をついた。大きく開いた襟ぐりからこぼれそうになる乳房が、俺の目に飛び込んできた。力無く立ち上がったミドリに、俺は荒げた声をかけた。
「待ちなさい!」
「は、はい。」
 ミドリは弾かれたように、その場に座り込んだ。
「せ、先生・・」
 ミドリの言葉に答えることなく、無言のまま引きずるようにしてバスルームに向かった。バスタブには、たっぷりのお湯が残っていた。ミドリには、俺の意図は分からぬ筈だ。不安げな表情で、俺を見上げている。
「立ちなさい。」
 素直に立ち上がったミドリのワンピースを剥ぎ取った。
「せ、先生。お風呂に入られるのですか?でしたら、お背中を流しますが・・。」
「俺じゃない。お前さんだよ。」
 俺は無表情のまま、シャワーをひねった。必死になって俺の手から逃れようとするミドリの引き攣った顔が、俺には妖艶に映る。ミドリの首に腕を回し、なおも湯をかけ続けた。激しくもがくミドリだが、俺の腕力で動きが取れない。シャワーの湯は、容赦なく俺にもかかってくる。その熱さに耐えかねた俺は、シャワーを放り投げた。
 ミドリの身体を回転させて、両手で顔を挟んだ。シャワーの熱さから解放されたミドリは、安堵の色を浮かべている。ミドリの唇に吸い付くと、熱い吐息が漏れてくる。大きく勃起している乳首には、濡れた布地がべったりとしている。その乳首を、布越しに口に含んだ。湯がたっぷりと染み込んでいる布は、もどかしさと共に艶めかしさを与えてくれた。生身の肌からは感じられない感触を、俺は何度も楽しんだ。
「あぁ、あぁ、せんせいぃ。」
 ミドリの嬌声が合図であるかのように、俺はミドリを湯船の中に放り込んだ。お尻からバスタブに落ちたミドリは、慌ててバスタブの縁に手を置いた。仁王立ちの俺に、ミドリは恐怖感を感じているらしい。先夜の俺とは全く違う仕打ちに、戸惑いの表情がありありと浮かんでいる。
 どう対処していいものか、考えあぐねているようだ。それはそうだろう。俺にしてから、何故こんな仕打ちをするのか分からないのだ。憎しみにも似た感情が、渦巻いているのだ。ミドリが憎いのではない。ミドリに腹を立てているのではない。この二、三日の間、得体の知れぬ怒りの気持ちが湧いているのだ。

 確かに、昨日編集の田坂と口論はした。いや、のぶこの事からではない。あの件については、田坂は何も知らない。それどころか、感謝の電話がかかってきたということだった。
「又治療に伺いたいので、その折りはよろしくお願いしたい。」と、言ってきたという。だから、初めは和やかに話をしていたのだ。その後の話で、口論となったのだ。
「最近おかしいですね、先生。少し遊びすぎでは・・。」
 俺にしてみれば、前にも増して勢いが増していると感じているのに、だ。確かに内容には勢いを感じはするし、読者からの反応も良い、と言う。しかし、田坂には独りよがりを感じると言うのだ。俺は、反論した。独りよがりで何が悪い、しかも読者の反応も良いと言うのなら、何が不満なのか、と。田坂に言わせると、危うさを感じると言うのだ。猟奇的な危うさを感じる、と。俺の精神状態が心配だ、と。
「余計な世話だ!」と、一喝したが・・。確かにおかしい。それは、俺自身が一番分かっていることだ。田坂には感謝こそしても、怒鳴るべきものではないかもしれない。俺のことを心配してくれるのは、田坂だけなのだ。それにしても、間の悪い時にミドリも来たものだ。俺自身に向けるべき怒りを、一身に受けている。分かってはいるが、どうにも止まらない。怯えの表情を見せるミドリが、俺の怒りを増幅させてしまうのだ。

 居間に立ち戻った俺は、手錠を手にした。ミドリに使いたくなった。恐怖にひきつるミドリを見たくなったのだ。しかし案に相違して、ミドリは素直に従った。自ら進んで、両手を差し出すミドリだった。俺に逆らうことが、危険だと感じたのか。それとも、ミドリ自身にその気があったのか。俺は、後ろ手に手錠をかけた。苦痛に歪むミドリを見ると、急に愛おしさが込み上げてきた。
「ミドリ、ミドリ、・・。」
 湯船に浸かったミドリの傍に、俺も入った。そして、ミドリの胸に顔を埋めた。
「可哀相に、可哀相に、・・。」
 俺は猫なで声をかけながら、ミドリの顔にキスの嵐をふらせた。すがるような表情で、ミドリは応えてきた。ベットリとまつわりついてる下着を、俺は力任せに引きちぎった。ミドリは、ひと言も発することなくいた。嵐の吹き去るのを、ひたすら待ちわびているようだった。
 手錠を外した途端に、ミドリは俺にしがみついてきた。
「怖かった、怖かったの。」
 ミドリは激しく泣きじゃくりながら、俺にむしゃぶりついてきた。
「済まなかった、済まなかった。」
 俺は、何度もミドリに声をかけた。そしてミドリを抱きかかえて、ベッドへと誘った。ミドリは、その間も俺の唇を求め続けてきた。身体を密着させていれば、あんな非道い仕打ちは受けないだろうと考えていたのかもしれない。俺も又、ミドリの求めに積極的に応じた。髪から滴り落ちる湯なのか、それとも涙なのか、ミドリの顔から水気が無くなることはなかった。ベッドに倒れ込んでからも、ミドリの激しさは治まらなかった。
 俺を組み敷いたミドリは、俺の指にその細い指を絡ませてきた。俺の腕をグッと横に伸ばした後、激しく俺の乳首に吸い付いてきた。
「イタっ!」
吸い付くどころの騒ぎではない。歯を立ててきた。意趣返しのつもりなのか、何度もコリコリと噛んでくる。腕を折り曲げてミドリの頭に手を宛おうと試みるのだが、ミドリの力が意外に強く、ままならぬ状態だった。
「い・・」
 ミドリが俺の口を塞いだ。忙しなく顔を、右・左と斜めに動かしてくる。そしてその間も、ミドリの指が俺の指を弄んでいる。更には身体を少し浮かせて、ミドリの乳首が俺の胸の上を這いずり回っている。尋常ではないミドリに、やり過ぎたかなと思う俺だった。急に起きあがったミドリは、辺りを見回し始めた。何かを探している風に見える。
「何だ、どうした?」
 訝しがる俺に、妖艶に微笑みかけながら
”ちょっと待って。“と、目で訴えてきた。ミドリが戻った時には、手に手錠を持っていた。
「おい、おい。何だ、それは。」
 
 無言のまま、ミドリは俺の両手に手錠をかけてきた。有無を言わせぬ所作で、抵抗する間もなかった。いや、俺自身が経験してみたいという思いがあった。そうすることにより、女の気持ちが分かるかもしれないと考えた。
「ふふふ・・。」
 悪戯っぽく笑うミドリは、もうあの夜のミドリではなかった。わずかふた月の間に、これ程の変身を遂げたのか、と驚かされた。もう一人前の夜の蝶になっていた。下着にしてからが、定番の黒のレース地だった。“先生だけです。”と言うミドリだが、どうやら幾人かの男を知ったようだ。裏切られたような気もしたが、責めるわけにもいかない。それが旦那の浮気への当てつけなのか、幾ばくかの金員の為なのか、それとも俺とのセックスで女に目覚めたのか。何とも妙な心持ちだった。
 それにしても、手錠をかけられた状態というのは不安なものだ。手錠がベッドの両端に取り付けられているが為、身動きがとれない。何をされても、抵抗が出来ないのだ。しかし不思議なもので、期待感と表現すべきか、いや未知なる世界への憧憬とでも言うべきか。不思議な感覚だった。
 その時、俺の脳裏にまざまざと浮かび上がるシーンがあった。俺のやり場のない怒りにも似た思い。焦燥感とでも言うべき思い。分かってはいたのだ、認めたくなかったのだ、その原因を。この間観た、麗子主演の『陵辱』なのだ。覚悟を決めたつもりではあったが、余りにも衝撃的すぎた。映画批評では「凡庸だ」とあるが、この俺には衝撃以外の何ものでもない。確かに、その系統の小説では更に激しいプレイが描かれてはいる。
 カットされているであろう映像を、思い浮かべるからではない。上映された映像だけで、俺は吐き気を催した。これが他の女優ならば、“何だ、こんなものか!”と、吐き捨てたかもしれない。

”何故だ!麗子の求めたものなのか、これが。日々、熱っぽく語り続けた麗子の求めたものなのか。いや、辿るべき道なのか。“
 確かに、大女優と呼ばれている女性達も、激しい濡れ場シーンを演じはしてきた。しかし、・・。麗子には、辿って欲しくない道だ。そんな役に無縁な大女優だっているじゃないか。、やはり麗子の身体のせいか。あのプロポーションが、仇となっているのか・・。
”やめろー!麗子、麗子、お前はそんな女じゃないだろうが!麗子、もういい、帰ってきてくれえ、頼むよ。“
 危うくスクリーンの麗子に叫びかねない衝動を、抑えた俺だった。
「せんせい、先生。どうなさったの。」
 ミドリの不安げな声が、耳に入った。
「先生が涙を流すなんて・・。ごめんなさい、慣れてらっしゃらないのね。」
 不覚にも、涙したらしい。
「違う、違うぞ。涙じゃない。汗だ、汗だよ。このままでいい。このままで・・。」

「先生。少し、お話していいかしら?先生に、どうしても聞いて欲しいの。夫が、浮気しているんです。頭では、許しているんです。でも、ダメなんです。夫の求めには応じています。あっ、あぁぁあっ。違う、やっぱり違う。」
「何だ、昇りつめられないのか。だから、来たのか。」
 半ば、興冷めになった。“今、言うべきことか。”と、腹も立ってきた。
「いえっ!好きなんです、愛しているんです。でも、憎いんです。憎くて、憎くて・・。別れられないんです、意地だけじゃありません。愛しているんです。」
 矛盾だらけだ。しかし、分からぬわけでもない。しかし、何故俺なんだ?セックスの相性がいいのか?それなら、言い訳など要らぬ筈だ。
 ミドリの重みが俺を押しつぶす。吹き出した汗が、シーツに染み込んでいく。俺の精液も、ミドリの中に流れ込んでいく。のぶこといい、ミドリといい、このところ俺の精液を欲しがる女ばかりだ。
「いいのか?安全日なのか?」
 思わず俺は、ミドリに問い質した。
「今日は、危険日です。」と、ミドリがさらりと言う。
「おいっ!何を考えてるんだ、お前は。」
 慌てる俺だが、両手の自由が利かぬ俺には如何ともしがたい。。
「外すんだ、早く外せ。何を考えているんだ、お前は。」
「だめっ!今日は、先生のお種をいただきにきたんです。子供が欲しいの、先生の。」
 ミドリの言葉に、俺は愕然とした。そして、俺に手錠をかけた理由に、今、気が付いた。
「何て事だ。嵌められたのか、俺は。分かった、いくら欲しいんだ。まとまった金が要るんだな。いくらだ、百か。それとも二百か?すぐに用意できる金は、・・多分二百位だろう。田坂に頼んで、後三百作る。それで手を打ってくれ。嘘は言わん。」
 そんな俺の必死の言葉に対し、ミドリの口から出た言葉は意外なものだった。
「勘違いしないで、先生。お金は要らないわ。お金の為だったら、あの医者にするわ。恐妻家の医者だもの、千が二千でも出す筈よ。そうじゃないの、先生。ホントに、先生の子供が欲しいの。先生なら、安心だもの。秘密は、きっと守ってくれるでしょ。先生なら、後になって“子供を寄こせ。”なんて、言わないでしょ。」
「どういうことだ、それは。旦那に子種がないのか?それで、俺なのか。」
 未だ半信半疑の俺は、尚もミドリに問い質した。
「先生の子種が欲しいの。主人の子種はだめ!先生の子供を、主人の子供として育てるの。同じ血液型なんです。だから、先生じゃなければだめなの。ふふふ・・」と、勝ち誇ったように言った。俺は、背筋に冷たいものを感じた。信じられない思いだった。可愛さ余って、『憎さ百倍』ということか。
「愛してるんだろう、好きなんだろうが。」
 精一杯の言葉だった。ミドリに対して、何の効果もないことは分かっていた。しかし言わずにはいられなかった。力無い声だった。
「そうよ、愛してるわ!誰よりも、愛してる。だから、許せないの。復讐なの、精一杯の。」
 低音の、冷たさを感じる声だった。もう何を言っても、無駄だと感じた。女郎蜘蛛に取り込まれた、俺だ。しかし、しかしだ。考えてみるに、俺には何の実害もない。まぁ、幾許かの金員は渡さねばならぬだろう。この後も、時折せびりに来るかもしれぬ。その時は、その時だ。ミドリの身体を頂けばいい。幸い、好みの女だ。そう思うと、悪い気はしなかった。まったく怖い女だ。しかし、きっかけを与えたのは、この俺なのかもしれないのだ。俺に出会わなければ、こんな恐ろしいことを考えつかなかっただろうから。

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