〜第三章 戦友〜

〜第三章 戦友〜

 時計が午前八時をさしている――実のところは、午前七時五十七分である。というのも、時計の時間をわざと進ませている。わずか三分? と言わないで頂きたい。案外にこれが大事なのだから。会社にはいつも二十三分間で着いている。わたしの始業時間は十時二十五分になっている。一応十分前には着いておきたいので、五十二分には出なければならない計算となる。中途半端では時刻を見るのが苦になる。で、三分を進めたというわけだ。
 いやいや、みなまで仰るな。分かっておりますって。五十分に出ても良かろうにというおことば、至極ご尤もでしょう。けれども、朝の二分三分は大きいのです。うんうんと頷いてくださる方、わたしは好きです。はい、この話はここまでとしましょう。こんな話のために時間を費やすのは、勿体ない、もったいない。時は金なり! と申すではないですか。おっと、人生をリタイアしたも同然のわたしには、まったく似つかわしくないことばを使ってしまった。失礼、しつれい。
 わたしじつは、目覚まし代わりに携帯電話の機能を使っているのです。会社の後輩に頼んで、そのメロディにはグレン・ミラー楽団の曲が流れるようにしております。時間になると、軽快なリズムに乗ってトロンボーンが流れてくるのです。曲名は…思い出せない。もちろん曲名が分からないからといって、特段の不都合があるわけではありません。不都合はないけれども、わたしが不機嫌になるのです。わたしの心持ちが、どうにも落ち着かない。毎朝そのことで、不快な思いを抱いて目ざめているのです。
 曲を変えれば済むのだけれど、この曲が気にいっているのだから、始末が悪い。そこで同僚たちに聞いてもらい、「イン・ザ・ムード」だとわかったのです。そういえば、桜田淳子のライブ盤に入っておりました。♪あと、5分、あと2分だけでいいの。お願いよ、目覚ましさん、あと1分…♪」と、リズム感たっぷりに歌っていた。ムズムズとした思いで過ごした一週間、とり返せるものならと思うが、いまさら詮ないことではある。
 今日は水曜日という平日です。本来ならば仕事に行かなければならない。じつは、先週に「所用ができまして…」と欠勤届を出している。平たくいえば、ずる休みだ。するとその翌日に、千里眼の持ち主でもあるまいに、博多に居する民子からメールが届いた。
[いまじっかにいるのひましてるよ]。全文ひらがなで、しかも句読点も使っていない。じつに読みにくい。しかしこれが民子のメールなのだから仕方がない。二度三度と読んで理解するしかない。
 そしてまた、暇しているから何だというのか、などと思ってはいけない。昔からこんな調子なのだ。地球上のすべてが、民子を中心に回っていると考えている節があるのだ。といって我がままな女だということにはならない。こちらが都合が悪いと断っても、駄々をこねることは決してない。そういう女なのだ。
 その点はあっさりしている。いや、あっさりしているから困る。少しは焦らしてやろうかと思ったりしても、民子には一向に通じない。「あ、そう」となってしまう。だからといって、本人は自己中心だとは思っていない。こちらがそうしなくてはと、思わされてしまうのだ。そしてそれが至極当然のことと思わされてしまうから不思議だ。男として、じつに情けない。
 メールでは、要するに民子の相手をしろと言ってきているわけだ。ならばはじめから[実家に帰っているからデートしよう]と送ってくれれば、こちらも気を回さなくてすむ。しかしそれでは民子らしくない。あくまでわたしが民子に声をかけて、それを民子が承諾するという形にならなければならない。たぶん民子の心持ちが、そうでなければ落ち着かないのだろう。始末に悪いのは、なんども言うが、それをわたしが良しとしていることだ。
 というところで、今日は民子との久しぶりのデートの日である。昨年のお盆以来だから、八ヶ月ぶりになる。そしてそのことで、今朝の目覚めがすこぶる良いときている。気分爽快だ。こんな目覚めは滅多にない。特別な日だ。たとえば待ちにまった映画の封切り日、たとえばクリスマスケーキを食べる日、なのだ。小市民だと仰られる? 結構ですとも、小市民で。人の幸不幸は、各自の裁量で宜しかろう。
 せーの! と、勢い良くベッドの上で体を起こした。このことばが今朝の高ぶりを表現するには一番だと思う。しかしこれが悪かった。とつぜんに天井がグルグルと回りだし、なにかに引っ張られるように後ろに倒れてしまった。目を閉じてみたけれども、それでも天井が回転している。見えているわけではないし、見えるはずもない。しかしそう思ってしまったから仕方がない。
 いやいやそんなことはどうでもいい。そんなことよりも大変な事態だった。頭頂部に手を伸ばしてみると、恐ろしいことに、ベッドのヘッドボードすれすれだった。隙間がまったくない。一センチ? いやいや五ミリとないだろう。あと少し胴が長ければ、この硬いへッドボードに後頭部をぶつけていたのだ。良くて脳しんとう、最悪の場合は頭蓋骨陥没の恐れがあったわけだ。当然ながら、この物語りも書けない。くわばらくわばら。
 そっと、左胸に植えこまれている機器に触れてみた。特段に熱を発している風もなく、異常な振動のようなものを感じることもない。日頃世話になっている病院の、あの老医師のことばが思い出された。
「このままでは死を意識しなくてはいけません。拡大型心筋症です。血液をうまく送り出せていません。常人の半分の量も出せていないのです。深刻です」
目を閉じた状態がどの位つづいたろうか、次第に目まいの感覚が収まってきた。やれやれと思ったのも束の間、こんどは猛烈な吐き気である。喉元にまでせり上がってくる吐瀉物をぐっと抑え込みながらベッドから降りた。と同時に、便意をもよおしてきた。肛門の出口まで押し寄せてきている。ゆるゆるのそれが、容赦なくいまにも飛びだしそうだ。「待ってくれ。もうすこしだから」と、思わず口にしてしまった。
 一歩いっぽの歩みののろさが、実に腹立たしい。わずか十メートル足らずのことなのに、トイレがはるか遠くの場所に感じられる。這うとまではいかぬけれども、壁に手を当てながら亀のようなのそりのそりとした歩みだ。それでもやっとの思いで、便器にたどりついた。よくぞ漏らすことなくたどり着けたものだ。括約筋に「でかした!」と褒めてやりたい。
 トイレを使用中には、ドアはいつも開けている。ひとり暮らしなのだ、なんの不都合もない。万が一に地震かなにかで閉じ込められでもしたら…。本音を言わせてもらえば、閉所恐怖症の一歩手前なのかもしれない。前段症状かも、だ。
 かつてこの国の首相であった池田某氏が「がんの前段症状だ」と告白したことがあった、はずだ。もう何十年も前のことで、誤った記憶に基づいているかもしれない。その場合は、無知な男だとさげすまれて結構だ。だから、ご容赦願いたい。
 そしていま突然に、このまま逝ってしまうのか? という思いが頭を過ぎった。が、不思議に恐怖感はない。リアルさに欠けているせいなのであろうか。しかしトイレで逝くってのは、どうだろうか? こんな無様な格好だなんて、みっともないことこの上ない。
 しかし洋式で良かった。ロダン作の、考える人、そのものだ。これが和式だとそうはいかない。お尻丸出しで、…下品すぎる表現はやめにしておこうか。そうだ! 洗濯物は干しっぱなしだし、流しの中には夕べの食器がそのままだぞ。まったく愚にもつかぬ事が頭を過ぎってしまった。しかしわたしの中に、でんと居座っている美意識だ。認めてやるをえない。
 それやこれやを考えている内に次第に吐き気も収まってきた。恐るおそる立ち上がったが、目まいも起きない。やれやれという気持ちの中、携帯電話を手にした。民子に二度ほど掛けてみたが、電話に出ない。やむなくメールを送信することにした。
[体調不良につき、病院に行く]
 道中に不安のあったわたしは、やむなくタクシーを利用することにした。目まいから一時間ほどが経っていて、いまは落ち着いている。心臓は力強く波打ってくれている。気になったふらつきも、タクシーに乗り込むまで起きることはなかった。
タクシーでなくても良かったな。自分の車で良かったかも。三千円強の出費か…。いや往復だぞ、往復。痛いな
 そんな思いが頭をかすめた。しかしすぐに
いやいや、なにが起きるかもしれないんだ。救急車という手もあったけれど、自分で移動できるんだ。良しとしなきゃ≠ニ思い直した。

 手術を終えてから、一週間の退院だった。心臓を止めてまでもの大手術だというのに、十日間の入院期間というのはいかにも短い。そういえば、狭心症と診断されて大学病院に入院したときには、一ヶ月の余だった。もっともカテーテルを使って血管内にステントを挿入するという手術までが、異常に長かった気がする。緊急入院だったがためだったのだろう。「異変を感じたら、すぐに来てください。状態が改善されても、自己判断はだめですよ」。退院時に、医師から告げられたことばが頭の中で反芻された。
 玄関を入ってすぐのインフォメーションカウンターで「予約はしていないんですが、今朝とつぜんにめまいに襲われまして」と、ペースメーカー装着であることを説明してから、身障者手帳を差し出した。満面に笑みを称えた女性が、手を奥に向けながら応じてくれた。
「あちらの外来受付と言う所に、申し出てください。大丈夫ですよ、すぐに処置してくれますからね」
 言われた場所で再度告げると「二階に診察受付機がありますから、そこに診察券を入れてください。あとは待合の椅子に座って待っててください、声がかけられますから。循環器科は分かりますね?」と、こんどは事務的に指示をされた。正直ムッときたが、大勢の患者が居るのだ、止むを得ないかと己に言い聞かせた。
 中央にあるエスカレーターを使って二階に上がって循環器科に進んだ。壁際に設置してある受付機に診察券を差し込み、出てきたA4の紙を、受付に提出した。
「はい、山本さんですね? こちらの問診票を書いてください」と、渡された。
「あんたも風邪かね? 風邪位で大病院に来るなと言われるけどさ、あたしら年寄りは色々と病気を持ってるでね。やっぱし大病院じゃないと、不安じゃからね。ほれほれ、ここに座んなされ」
 端の方から声がかかった。立っているのが辛かったわたしは、渡りに舟とばかりに腰を下ろした。そしてひと通り問診票を書き終えて、急いで受付に手渡した。
「目まいが、起床時にあったんですね? それから吐き気が襲ってきた。いまは収まってます? そうですか、それじゃその旨先生にお話しておきますから。少しお待ちください。ご気分が悪くなりましたら、すぐに仰ってくださいね」
 説明を受けている最中に、携帯電話がブーブーと唸りはじめた。民子からだった。携帯電話禁止と壁に貼ってある。バツの悪い思いをしながら、慌てて廊下の端に行って電話に出た。
「ごめんね。いま、病院? で、どうなの? いいわ、これから行くから。病院名を教えてくれる? それと大まかな場所も」
 メールに、いま気が付いたと言う。山の中ではメールも届かないのよと愚痴っていたが、鞄のなかで忘れられていたのだろう。相変わらず、文明の利器を毛嫌いする奴だ。
「仕事ではパソコンも使うけど、プライベートにまで持ち込みたくないわ。ほんとは携帯電話も嫌なんだけど、子供たちがうるさいから。ま、便利であることは否定しないけど。でもさ、おトイレに入ってるときに限ってかかってくるのよ。いやになっちゃう」
 そんなことを苦々しげに言うが、どうやら本心のようだ。機械ごときに民子の一挙一動を左右されるのが我慢ならぬようだ。先にも書いたけれど、世界は民子を中心に回っていると考えているのだから。いや考えてはいまい。無意識だろう、意識の外でのことだろう。

「山本さん、検査に行きますから」。看護師から声がかかった。これから検査だと告げて、電話を切った。
「先ず、心電図を取ります。それから心エコー検査に移ります。それからその結果を、先生に診てもらいますから」
 個人情報ということだろうか、ひそひそ声である。腰を屈めて、耳元で囁くように話してくる。何年ぶりだろうか、女性に耳打ちをされるなど。久しぶりの、嬉し恥ずかしの心境になった。どのくらいの時間か距離か、ザワザワとしていた気持ちがすこし落ちついてきたころに、車椅子のブレーキがかかった。 心電図というプレートのかかった部屋の前には、ふたりの先客がいた。エコー・超音波・内視鏡・超音波とプレートのかかった部屋が奥へとつづいている。むろん、それぞれの部屋の前にも、順番待ちの患者が複数名いる。
 壁にそってベンチ椅子が設置してあり、その所々に絵画が掛けてある。推測するに、この病院に勤務する或いはしていたスタッフたちの作品だと思う。病院内の至る所に絵画や写真が飾ってあった。市井の画家や写真家たちからわざわざ購入することはしないだろう。一千六百人以上のスタッフたちという大所帯だ。各自がいろいろの趣味をもっているはずだ。「日曜画家さん方が、少なからずいるんですよ」と、聞いたことがある。そして無機質な院内に華を彩るべく、展示スペースを用意したということではないのか。個人で画廊を借り切って個展を開くことなど、大半の人には望むべくもない。渡りに舟とばかりに応募者があったらしい。我々患者としても、たしかに癒やされている。
 ほどなく、心電図室に入り壁ぎわのベッドに案内された。「冷たいですね、すみません」と、都度つどに声をかけられた。胸回りやら、手首に足首へと吸盤の器具がとりつけられた。
「いいよいいよ、それは。こちとらはもう慣れっこだから。はじめてのときはたしかにびっくりもしたけどね。この一年、なんどもこの検査を受けたからね」と返事をした。
「はい。それじゃ体の力を抜いて、安静にしてください」。要するに黙っていろということだ。わたしからの返事など待っているわけではないということだ。
「ピッピッピッ」と規則正しい音のなかに、時折リズムの違う音がまじってくる。ペースメーカー特有のことらしい。キチンと作動しているということだ。「心配ないですよ」と技師が声をかけてくれるが、気にする御仁がいるということなのか、それともマニュアルに沿ったものなのか。わたしとしては、先ほどのことばかけもふくめて、患者への心配りからだと思いたいのだが。
「はい、結構ですよ。ゆっくり起き上がってください」
 ベッドから少し体を起こしたところで、またグルグルと回りだした。
「すみません、ちょっと…」
「良いですよ。ああ、回ってますね。そのまま、横になっててください。落ちつくまでここにいてください」。こんどはやさしく声をかけてもらった。脳内の現象だと思っていたのだが、外形的にもわかるらしい。目まいでどんな症状が出ているのか、不思議な面持ちではあった。後日の耳鼻科による検査で知ったことだが、目玉がたしかにグルグルと回るものだった。検査機械にしっかりと録画されていた。自身の目玉をみるというのは、どうにも不思議な観がある。「ほんとにまわっているんですね」と感嘆の声をあげるわたしに、「みなさん、ビックリされます」と、ぶっきら棒な返事がかえってきた。
 どの位経ったろうか、不覚にも眠ってしまったらしい。聞き覚えのある声に目が覚めた。
「大丈夫? 吐き気はどう?」。心配げな表情でのぞきこむ民子がいた。
「来てくれてたのか。今は、おさまっている」
「起きられる? ゆっくりでいいからね」
 現役の看護師である民子の介添えよろしく、ゆっくりと起き上がった。
「大丈夫だ、もう落ち着いたみたいだ」
「診察には、あたしも立ち会うからね。良いよね? 看護師さん、その旨先生に伝えてもらえますか」
 わたしの返事も聞かずに告げる民子だ。相変わらずだ、こいつは。独りよがりなところは、高校時代からのことだ。ひとりで壁にぶつかってひとりで悩んで、そして悔し涙を流す。泣きながらわたしを捕まえて一方的にまくし立てて「ああ、すっきりした!」と、ひとり納得する。そして「好きなようにやるさ」とわたしが締めて終わりとなる。
「どう? 心臓は」
「ああ、すこぶる! だ。息切れやら胸の痛みも、まったくと言っていいほどない。この間なんか、ゴミ収集に間に合わせようと走っちまった、久しぶりのことだ。とてもじゃないが、走るなんてできなかったし、その気にもならん。階段でも息切れすることもなくなったし。胸のムカムカ感もなくなった。ところが今度は、目まいだ。一難去ってまた一難か。七難八苦を与えたまえ、なんて祈った覚えはないんだけどな」
 そんな会話をしながら一時間ほど待たされたろうか、やっと医師から声がかかった。
「お待たせしました、心臓は落ち着いていますね。多少の不整脈はありますが、ま、心配のないレベルですね。CRTーDも異常はありませんでしたし」
「先生、ちょっと良いですか? すみません、口を挟みまして。心臓の状態はどうなんでしょうか。相当ひどかったようなんですが」
 待ちかねたように民子が声を上げた。
「お知り合いの方ですね。山本さん、よろしいですか?」
 にこやかな表情でわたしに言う。正直なにが良いのか分からぬわたしだったが、別段隠す必要もないことだしと「はい、どうぞ。看護婦をやっているので、気になるようでして」と答えた。
「数値的には…」と、パソコンの画面を指差しながらの説明となった。当のわたしにはさっぱりの専門用語が飛び交っている。所在なくあちこちを見回すだけのわたしは、おれって、いったい何者だ? と、己に問いかけてみる。そしてなにものでもないか、と禅問答をしてしまった。
「で、目まいですが。耳鼻科が今日は休診日でして、予約を入れておきます。大丈夫ですよ、切迫したものじゃないはずですから。問題ありません、心配いりませんから」
 しかし切迫していないと言われても、あの症状は気になった。と、そんなわたしの不安に気付いたのだろう、民子が声をかけてきた。
「心配ないよ、あたしも耳だと思う。心電図の波形なんか、特別心配するようなものはなかったよ。ペースメーカーもきちんと作動しているみたいだったし。でも良い先生だね、こんなに詳しく説明してくれるなんて」
おいおい、それを俺に言うか? お前さんが聞いたんだろうが。俺にはさっぱりの内容だったんだぞ。けどまあ、心配してくれてのことだもんな、ありがとうよ”。感謝のことばを口にするつもりが、「だけど、耳だなんてはじめてだぞ」と。
「多分ね、平衡感覚が狂ってるんだろうね。でも大丈夫! いまは薬で落ち着かせることができるから。心配ないって」
 不思議なもので、医師のことばよりも民子のことばの方が安心できた。ずっとずっとむかし、痛み出した虫歯に泣いているわたしをやさしく抱いて、「いたいのいたいのー、とんでけー」と声で治療してくれた、あの…思い出したくない人と同じ感覚におそわれた。

 娘に借りたという車で来ていた。どういうものか帰巣本能でもあるまいし、娘は愛知県に嫁いでいるという。その間の事情については話したがらない。離婚のことが絡んでいるのかと勘ぐってしまうが、わたしから聞くことはない。わたし自身も離婚していて、やはり話したくないのだ。
 民子自身は博多に居している。正確には福岡市なのだが、本人が博多だというのだ。そして娘はその博多で生まれたという。高校まで博多で暮らし、卒業と同時にこちらに来たということだ。かってに想像すれば、案外のところ父親が居るのかもしれない。ただ、その父親なる御仁、というより民子の旦那だったという方を、わたしは知らない。
 まあ知りたくもないが。案外のところ、民子以上にわたしが他人に興味がないのかもしれない。「あ、そう」。わたしの口癖だ。執着心が薄い、ということのようだ。それとも繋がりを拒否したがるなにかが、あるのだろうか。いや、ある。しかしこれはいまではなく、後述することにしよう。
 金華山のふもとに設置された、公園に寄ることになった。もう何十年ぶりになるだろうか。まるで生まれ変わってしまっている。中学時代の夏休みに入り浸っていた図書館がない。なにせクーラーの効いた涼しい場所なのだ。
 いまでは見ることのない、業務用自転車とでも言えばいいのだろうか。後輪に大きめの四角い荷台がついていて、前輪にはこれまた四角い大きめのかごが付けてある。とにかく頑丈で、カーブを曲がり損ねて樹木やガードレールなどにぶつけて、人間がけがをしても当の自転車は無傷という代物だ。ガチャガチャと音を立てながら走ったものだ。
 公園の端に図書館があった。蔵書数はさほどのことはなく、どちらかといえば郷土史関係の本が多かった。小説類もそろえてはあるが、中学の図書室の方が多かった気がする。一階は……、なにもなかった? 重いガラス戸を押して入る。うす暗いホールにカウンターがあったが、誰もいなかった。幟類が右手のガラス窓に立てかけてあったような、なかったような……。
 左手に階段があり、二階が図書室になっていた。正面に棚が並んでおり、そこが図書館ということだ。天井に蛍光灯が取り付けてはあるが数が少ないせいか、それとも左側の大きなスペースが明るすぎるせいか、一階と同様にうす暗く感じられた。
 階段左側には全面がガラス窓の広いホールに机がズラリと並んでいる。八人掛けぐらいの大きな机が、横に三列だっだか四列だったか並べられている。むろん通路幅はしっかりととってある。
 奥に向かって、二十列はあったのではないか。なので、図書館というよりは、勉学のためのスペースといった感じだった。それぞれが学校の教科書を持ち込んでいたと記憶している。もちろん、わたしもだ。
 少し歩くとミニ動物園もあったはずだ。二頭のライオンが居て、待てまて、たしかペンギンも居たはずだ。そしてわたしのお気に入りだったのは、孔雀だった。大きく羽を広げて、わたしを包み込んでくれた。そうだ、水族館もあったぞ。オオサンショウウオが目玉だったと記憶している。
「どうしたの。気分、悪くなったの?」
 立ち止まってしまったわたしの背に、心配げに民子が手を当ててきた。半世紀ほど前に戻っていたわたしで、感傷に浸ったことがなぜか恥ずかしく思えてしまった。女々しいということではない。今さらこの年になってまでイカリ肩でもあるまいし。となると、なぜ? ということになる。感傷に浸ることを恥じるとは。まだ民子にたいしては虚勢を張りたいということか。
「この先に、右手を高く上げている、板垣退助の銅像があるはずだ。『板垣死すとも、自由は死せず』」。民子には突拍子もなく感じられたことだろう。なんの脈絡もなく、突然に板垣退助などと答えのだから。わたしにしても、なぜいま板垣なのか、とんと合点がいかぬのだから。向こう端に小さな噴水があり、その奥に板垣の像があった。そしてその近くに、小っちゃな茶屋があった、そのことが思い出されたのだ。
 お腹が空いたという民子の希望で、その思い浮かべた小さな茶屋に入った。なんということか。わたしの予知能力ということか、それとも、民子がわたしのこころをのぞき込んだというのか。不思議な感覚におそわれた。
 そこはみたらし団子を主とする店で、おでんに焼きそば、そしてラムネという郷愁を誘う商品群が店先に並べてあった。戦前からの店だという説明に、民子の興奮ぶりは相当なものだ。
「博多じゃ、中々お目にかかれないわ。うれしいぃぃ!」
 子供のようにはしゃいで、大騒ぎだ。年季の入った黒光りのするテーブルに陣取り、これまた黒光りするソース焼きそばに舌鼓を打った。きれいに平らげた金属製の皿をしげしげと見ながら、「ねえ、覚えてる? 学校の帰り道にあった焼きそば屋さん。昨日ね、行って見たのよ。残念無念よ、ないの。というより、町並みが変わってて分からなかったの。ああ、昭和は遠くになりにけり、ね」と残念がった。
「山本くんは、寄ってたの? ううん、寄ってないわね。タイプが違うわ。ああいう店には入らないでしょ。ごちゃごちゃした、汚い店だったもの」と、上目遣いで、わたしを覗き込む。
「真面目だったもんね。変に硬派ぶって、女子なんか寄るな! って雰囲気だったわよ。いっつも眉間にしわを寄せてうつむき加減でさ、ブツブツ言いながら歩いてたもんね」
「そんなことないだろ、ブツブツなんて」
 たしかに、とげとげしいバリアを張り巡らせていたはずだ。裏切りを恐れ、捨てられたらという恐怖心に囚われていた頃だ。極端なほどに臆病になっていた。激しい孤独感や寂寥感に襲われていた。他人の親切が信じられず、常に一歩下がっていた。本の世界に逃げ込み、空想の世界の住人となっていた。そして滾る思いを、原稿用紙に吐き出していた。
 やがてその空想を物語りとして書きはじめた。己の思い通りに筋を創ることの出来る楽しさに入り込んでいた。しかし所詮はひとり遊びに過ぎない。周りの喧騒のなかに溶け込めぬ寂しさは、大きくなりこそすれ消えることはなかった。
 そんなわたしに、村井と瀬尾と言うふたりの友ができた。卒業生を送り出す予餞会において、学年として劇を上演することになった。そのおりに言葉を交わすようになったのが瀬尾で、村井はその瀬尾との絡みで知り合った。「入学直後だったな。職員室で、先生の話をいちいちメモしてる変人が、山本だったよ」とは、瀬尾のことばだ。そしてそのふたりが休部となっていた男子バレーボール部を復活させて、女子バレーボール部に民子がいた。それが民子を知ることになったきっかけということだ。

「実はね、三月に退職したの。残ろうと思えばのこれたのよね。実際に、前の師長さんは残っておられるし。でもさ、一応師長としてやってきた者が、一介の看護師に戻るのよね。もちろん病棟は変わるわよ。でもやっぱり…。でね、思い切って辞めたの。大学生の息子も、バイトしてくれてるし。『母さんの好きにしなよ。自分の人生を生きて良いよ』なんてね、ナマ言うのよ」
 子どもの話になると、キラキラと目が輝いてくる。携帯電話での写真を見せられたが、中々のイケメンだった。自慢の息子なのだ。民子にとっては、親の離婚という傷を負わせてしまったことが、こころに重く圧し掛かっているようだ。経済的には十分な生活を送ったものの、片親というハンディを背負わせたことが苦痛らしかった。
「未だに、ガールフレンドのひとりもいないの。あたしもね、奥手だったけどさ。息子は、輪をかけてるわよ。どうなの? そういうことって、あるの? 親の離婚で、臆病になってるんじゃない? 山本くん、男だから分かるでしょ?」
 沈んだ表情の民子を見るのは珍しい、常に前向きな姿勢を取りつづける民子だ。わたしは大きく笑って言った。
「心配ない! 時が来たら、発情する。手に負えないほどに、だ。男は、そんなもんだ」
「そうなの? だったら良いんだけどさ。そうだね、山本くんだって、そうだったしね。でも、結婚できて良かったね。高校時代の山本くんからは、想像も出来なかったわ。子供、ふたりだって? 良かったじゃない。けど、やっぱり山本くんね。離婚だなんて、さ。もっともあたしもだから、人のことは言えないけど。離婚に関しては、あたしの方が先輩なのよね」
 明るく笑う民子にたいし、わたしは苦笑するだけだ。
「でね、今度パソコン教室に入ろうかと思うんだけど、どう思う? 今さら、かしら。新しい職場に行っても、やっぱりパソコンは付いて回るでしようし。でも、好きになれないのよね」
 明らかな嫌悪感を見せる民子だ。
「こんな良い物はないぞ。俺なんか、パソコンがなけりゃ、お先真っ暗だ。生きてられないかもな。パソコン使って小説を創って、インターネットで発信して。少しかもしれんが、毎日まいにち、読んでくれる人たちが居て」
「ブログ、とか言うの? 山本くんにとって、小説ってなに?」。民子が問う。
「俺にとっての小説は…そう、オナニーだ!」
 言い得て妙だと自負するわたしにたいし、目をまん丸くして呆れ顔を見せる民子だった。
「そいつは冗談だとしてだ、本気で打ち込めるものかな。小説の創作があったから、折れかけたこころが頑張れたんだよ。人として生きていけるんじゃないかな」
「ふーん、山本くんの小説を読んでくれてる人が居るんだ。それって、嬉しいよね」
 我がことのことのように喜んでくれる民子、なによりのこころ遣いだ。なのに、嘘を吐いてしまった。吐き気がする。またおれは、性懲りもなく、相手の望みそうなことを言ってしまった。折れかけたこころが頑張れる?=Bハリができたことは事実だけれども、こころが折れるなんてことはなかったはずだ。子どもとはなれるということでは、一抹の寂しさを感じはした。
「あたしも、なにかはじめなくちゃね。このまま仕事だけで一生を終えるのって、淋しいよね。ほんとはバレーをやりたいんだけど、昔みたいに体が動かないし。みんなどうしてるんだろ? 会いたいわ、バレー部のみんなに。じつはね、昨日ね、学校に行ったのよ。体育館でね、見学させてもらったの。懐かしかった、ほんとに。ね、ね、山本くんさ。戻れるとしたら、いつがいい? あたしは断然、高校時代。思いっきり、バレーに打ち込みたいわ。またあのみんなと一緒になって、がんばりたい。あたしたちって、戦友だもんね」
 空(くう)を見つめながら、目をキラキラさせている。戦友ということばがよほどに気に入ったのか、しきりに戦友だ戦友だと言いつづける。
「あたしと山本くん。それにあのふたり。みんな、戦友よね」
高校時代に戻れるものなら、たとえ一週間でも戻りたい
 それが、口癖になっている。たしかに高校時代の民子は、光り輝いていた。女子バレーに打ち込んで、必死の練習を繰り返して試合に臨んでいた。勝てば嬉し涙で号泣し、負ければ悔し涙でまた号泣していた。そしてわたしに問いかける。
「やっぱり、高校時代でしょ? そうよね、みんなそうよね」
 親友と呼べるふたりができたのが高校時代であり、民子と出会ったのも高校時代だ。青春真っ盛りの、キラキラと輝く時代だ。しかし戻れるとしたら……高校時代ではなかった。