〜第一章 ペースメーカー〜 
            
 老医師が勧めてくれたのは、最近街角で見かけるようになったAEDの機能を持つペースメーカーである。あんな大きい器機をどこに入れるというのか。それとも大腸癌の患者さんに聞いたことがあるのだが、人工肛門のように体外にぶら下げたりするということか。そんな不安というか疑問が湧いている。「大丈夫。4、5センチぐらいのものだから。このマウスのね、半分ぐらいの大きさなの。それわ、、体内に植え込と、机の上を指さしながら笑われている。
 やはりわたしと同じ疑念を持った御仁がおられるということか。それにしても手術代がどれ程になるのか、恐るおそる尋ねてみると「どうでしょう、六百万といったところでしょうかねえ…」と、事もなげに言われる。六百万? 三割負担だと、百八十万円? 高額医療費費という制度があると聞いた覚えがあるけれども、こんな高額だといくらぐらいになるのか……。
 唖然とするわたしに対し、「大丈夫ですよ、山本さん。無料になりますから」と、笑いながら付け加えられた。この場合、一級障害者にあたるということだ。そして医療費は全額無料だと聞かされた。こんなポンコツ同然の男に、それほど多額の金員を掛けてまで…という思いが湧いてきた。
「山本さん。亡くなった恩師の意見なんですが、お年を召された方ほど、医療に金をかけろと言うんです。いえ人道的に云々ではなく、実利面的なことからです。山本さん。あなた、健康保険料、払ってきたでしょ? どのくらいの金額になると思うかな。何とね、一千万円だよ、一千万。ぼくの計算だけどね、山本さんは六二歳でしょ。すると、ざっと五百ヶ月ぐらい払い込んでいるわけだ。利息なんかを考えるとね、優に一千万を超えてる。信じられない? 住宅ローンを考えてごらん。あれなんか、借りた金額のね、二倍三倍と返してるのよ。二十年ローンぐらいでも」
 保険料に利息がという考え方は理解出来なかったし、どう考えても一千万という数字ははじき出されないだろうと思った。しかし医師は、大きく頷いている。そして何度も数字を挙げた。
「山本さん、健康保険料、払われてきたでしょ? ですから、威張って入れましょう。それだけの金額を払い込んできているわけですから。ね!」。卑屈になりかけたわたしの思いを、グイと引き上げてくれた。良い医師だ、まったく。
 ありがとうございます、せんせえ。たしかに四十年以上にわたって、毎月キチンと払ってきましたよ。けれども、そんな額になるはずもない。第一その間に医者通いいもしたし、歯医者にも世話になった。家庭を持ってからは、子どもたちの医療費だってあったはずだし。

 三週間ほど前にさかのぼることだ。
「おじいちゃん、しんじゃうの? おじいちゃん、しんじゃうの?」
 幼稚園のモック姿の女児が、半泣きしながら叫んでいる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶよ。ちょっとね、お熱が出ただけだから。きょうはこのまま病院に泊まるけれど、あすにはおうちに帰れるから」
 にこにこと笑みを浮かべた老婆が、女の子の頭をなでている。
「でもでも、おじいちゃん、おめめをあけないよ。おくちにカップをかぶせてたら、いきができないよ」
 なおも女児が、涙声で叫んでいる。
「これはね、おじいちゃんにね、たっくさんの酸素を送ってるの。おじいちゃんがね、息が楽にできるように、わざと付けてるんだよ」
「ほんとに、ほんとに? あしたには、おうちにかえれるの? マーちゃんが、ようちえんからかえったら、もうおうちにいる?」
ヒックヒックとしゃくり上げながら、老婆とベッドの中の老人を交互に見て、すこし安堵の色を見せている。
「ええ、ええ。だいじょうぶだよ。ちゃんと、帰ってるよ。だから安心おし。さあ、お母さんが来たよ。もう帰りなさい。ここはバイキンがいっぱいだからね」
 ひとつひとつのことばをゆっくりと、幼(おさな)児(ご)が理解できるようにと平易なことばを選んで話して聞かせていた。幼児の沈んだ顔が、すこしずつ明るくなっていく。そして母親を見つけたとたん、パッと明るくなり飛びついていった。
「甘えん坊さんね、マーちゃんは。さあさあ、お家でおやつを貰いなさい。幸子さん。おじいさんは、大丈夫だから。肺炎のおそれはないってことだし。ただの風邪だって。ひと晩様子を見て、朝に熱が下がってたら退院だってことだから。マーちゃんにうつるといけないから、早くお帰りな」
 スキップをしながら部屋を出る女児と入れかわって、看護師がわたしの元にやってきた。
「山本さん。目が覚めましたか? 良かったわ。ここがどこか分かります? どうしてここに居るか、分かります? 宅配便の業者さんがね、救急車の手配をしてくれたんですよ。荷物の受け取りのときにね、山本さん、倒れたんですよ。お熱はないですね。どうです、気分は。息苦しさはなくなりましたかね。胸のむかつきはどうですか。はい、血圧も良いですね。酸素も、OKですね。でね、山本さん。今夜は、このまま入院してもらいます。ご家族は…そうか、おひとり暮らしでしたね。とりあえず、検査入院ですから、着替えなんかはいらないでしょう。それじゃ病室の用意が出来…」
「だめだめ! もう帰るから、もうなんともないから。おかげで、すごく気分が良くなりました。どうも、ありがとうね」
 勝手に入院の手つづきに入ろうとする看護師を制して、声を荒げた。冗談じゃない、まったく。つい先月にも入院させられたじゃないか。この三ヶ月の間に、二度も入院しているんだ。三度目だなんて、冗談じゃない。

 一度目は会社の検診で、「大腸にポリープがあるようです。精密検査を受けてください」と言われて、一泊二日だからと了解した。悪性の場合は癌ということになるのだが、不思議と恐怖感はなかった。家族にそういった類いの病を患った者がいないということだ。そしてもうひとつは理解してもらえないことかもしれぬが、これまでにも諸々の疑念があったものの、それらすべてが良性のものだったということだ。そして今回もまた検査の結果は良性だとわかり、そのまま切除してもらった。そして笑われるかもしれぬが、亡父の墓がわたしのアパートのすぐそばの山頂にある墓苑にあるといことだ。要するに、守られていると言いたいのだ。
 二度目がひどかった。とつぜん腹部に激痛が走り、脂汗を掻いてしまった。若いころの尿管結石以来のことだ。CTと腹部エコーから、胆石による胆のう炎と診断された。この激痛は、その石の一部が胆管に入りこんでの痛みですと診断された。どうもわたしは、石が出来やすい体質のようだ。
「とりあえず当院では、胆管から石を取りましょう。胆のう内の石のほうは、もうすこし様子を見ましょう。当院では処置できませんから、大きい病院を紹介します。ハハ、大丈夫ですよ。お腹を切るようなことはありません。胃カメラみたいなものを使って、チョチョイのチョイですから」
また胃カメラかと辟易した――正確には腹腔鏡手術というらしい。お腹に小さな穴を開けて、そこから胆嚢を引っ張り出すという――が、やむを得ない。あのゲーゲーという辛い思いを味わうのかと絶望的な気持ちになったが、この激痛から解放されるのならばと観念した。しかしその二回の入院時の出費は大きく、預金もほぼ底をついてしまっているのだ。
「だめですよ、帰るなんて。待ってて下さいよ、先生を呼んできますから。まだ、横になっててください」。看護師が引き留めてきた。
 点滴のチューブと酸素マスクがはずれると同時に立ち上がったわたしを制すると、あわてて部屋をでて行った。五分ほど経ったろうか、野本というネームを付けた医師がやってきた。
「だめだよ、山本さん。退院なんて、とんでもない! そんなことね、医者であるぼくは、了解できないですよ」
「了解もなにも、先生。本人が大丈夫って言ってるんだから、いいでしょ」
「死ぬよ、あなた。心臓がね、悲鳴を上げているの。聞いてるでしょ? 主治医の先生から。あなたの心臓の力は、普通の人の半分以下なの。心臓から送り出される血流量が、二十五%止まりなんですよ。常人はね、大体六十%なの。アスリートなんかだと、八十%以上といわれてるんだから。あなたの場合、心臓が大きくなりすぎてね、心臓の筋肉が伸び切っちゃっているの。伸びきったゴムみたいなの。だから、適切な収縮運動ができない。分かります? ぼくの言ってること」
 口角泡を飛ばすという状態で、カルテを持つ手がブルブルと震えている。あながち嘘ではないだろう。けれども、どう考えても納得がいかない。たしかに医師の言うとおり辛かった。たぶん重病なのだろう。息も絶えだえになる時もあった。そしてその都度、酸素吸入のお世話になった。
 しかし今は、ピンピンしている。酸素吸入をさせて頂いたおかげで、こんなに楽になってる。それを入院だなんて、これ以上何をするというのか。こちらはね、もうおあしがないんだから。無料ならね、いくらでも入院しますよ。検査にしてもいくらでもさせてもらいましょう。いやいや無料でもだめだ。これ以上会社を休むなんて、できないって。それこそやっと見つけた就職先だ。クビになったらどうするの。おまんまの食い上げになっちまう。

 命? そりゃ惜しいがね。けどさ、六十を超えたんだ。残りの人生も、そんなにはないでしょ。もう良いよ、そんなに無理して生きなくても。自暴自棄? かもしれないな。けどね、大したことをしてきたわけじゃないけど、一応結婚して子供をふたり授かって、息子は所帯を持って孫も生まれたんだ。娘にしたって…たぶん元気してるでしょう。なにかあったら、連絡が来るだろうしさ。ねえ、最低限のことはしてきたんだ。
 やり残したこと? まあ、ないとは言わないけれども。夢みたいなことだけど、小説で賞を頂いて、それが本になって、そこそこ売れて、二冊目の本もまあ評判になって…。夢です、ゆめ。叶えられたら、そりゃいわゆる至上の喜びってやつでしょう。
 たしかに高校時代には、蒼い考えを抱いていましたよ。卒業したら東京に出て、バイトをしながら小説を書いて、それを出版社に持ちこんで、ってね。一社がだめなら、二社三社ってね。ネタはあった。何十とあった。その上に、まだいくらでも湧き上がってきてた。が、結局は踏み切れなかった。覚悟ができなかったのよ。ぬるま湯のような環境から、煮えたぎる釜のなかに、飛びこめなかった。
 毎晩想像したものです。昼間にバイトして、それこそくたくたになって帰るでしょう。夕飯なんかは、あんぱんに牛乳、それともインスタントラーメン。ろくな物も食べずに、眠気と戦いながら机に向かうってね。持ちこんだ先の編集者に「まともな食事をせずに、良い作品が書けるわけないだろう。ついてきなさい」と言われたして…。そこで、小説とはなんぞを教えられ、さらには人生のなんたるかを。いやいや、そんな甘くはない。歯牙にもかけられないに決まってる。書いているときは傑作だと思った作品も、翌日に読み直すとまるでだめな作品に思ってしまう。
 高校時代に、先輩に言われたものです。
「悪いことは言わない、考えないことだ。趣味の内は楽なものだよ。好き勝手に書いて、他人の評価なんかまるで気にしないですむ。しかしそれで食べていこうとなると、そうはいかない。なんせ、読者という得体の知れない相手がいるんだから」
バツイチになった今、ひとり住まいとなったい現在です。後悔をしていないと言ったら嘘になる。鬱々とした気持ちを抱えたこともあった。いや今だって、時々はね。起きてご飯を食べて、会社で仕事をして。アパートに戻って食事をして、テレビを見て、そして寝る。それだけのことじゃないの。こんなので、生きてることになるのかね。長生きしたって仕方がない。拒否をつづけるわたしに対し、医師も渋々といった表情を見せつつ、諦めたようだ。
「分かりました。それじゃここに署名して下さい。『生命の危険のあることを説明してもらったけれども、自己責任において退院します。こののち不幸な事態になっても、病院・医師に責任のないことを了解します』とも書いて下さい」
やれやれ、いま、流行りの自己責任ですか。大丈夫、先生を訴えたりしませんよ=B若い頃に書きなぐって手指を酷使したせいか、ほんの数行を書いただけで肘に違和感を感じそれから指先に力がはいらなくなる。必然、文字が躍り出す。
 昔々のことだ。ロッキード事件というのがあって、詳細は省くけれども国会において証人喚問が行われた。小佐野某氏による、すこし首をかしげながらの「記憶にございません」が有名になったもんだ。いまならば、流行語大賞ものですぞ。
 その証人喚問において、明治維新の立役者のひとりである大久保某の孫にあたる某商社の重役――まどろっこしいことだが実名はひかえさせていただきたい――が、宣誓書に署名をするときに手が大きく震えた様がテレビ中継されたのです。極度の緊張からのことらしかったのです。ご先祖さまに申し訳が立たない、家名に傷をつけた不詳の孫です、とね。とにかくその震えがひどかった。まさに噴飯物です、見苦しかった。そしてその状態がわたしにも起きたというわけです。
 医師には、それこそビビっていると見えるでしょう。ところがどっこい、真実は自分が一番知っているわけです。若いころや壮年期ならば、それこそ必死になって弁解するでしょう。けどね、いまのわたしには失うものはなにもない。言い訳なんてしませんぞ。天地神明に誓ってわたしの場合は、先述したとおりに後遺症なのですから。
「はい、これで良いですか」
「ほんとにね、生命に危険があるんですよ。考え直しませんか、山本さん」
「先生の言うことを聞いた方が良いですよ」。看護師も、しつこく入院を迫ってくる。
「今夜ひと晩だけで良いんです。経過をね、観察したいんです」
 医師が再度、真剣な目で迫ってくる。わたしの本心を見誤ったというか、誤解したということです。
「お気持ちだけ頂いておきます。ほんとにね、もうずいぶんと楽になりましたから」
 意地の突っ張り合いの様相を呈してきた。しかし意地っ張りということに関しては、わたしの方に分がある。切実なんだから、こちらは。先立つもののない状態が、失礼だが医師のあなたに分かるわけがない。医師に書面を渡して、看護師に会釈をして、意気軒昂にベッドを離れた。
 会計の窓口で「いま、持ち合わせがないのですが。明後日にまた来ますので、そのときに一緒ということでいいですか?」。事務員に告げた。
「はい、結構ですよ。それじゃ、お大事にしてください」

 翌々日、「山尾先生でお願いします」と、主治医の名を告げた。
「申し訳ありません。山尾は、本日お休みを頂いております。代わりに岩井という医師がおりますので、そちらで宜しいでしょうか」
パソコンに目を向けまま、事務的な冷たい声で告げられた。
目を見て話さないとは、なんて失礼な奴だ。これだから若い娘は…。いかん、いかん。年寄りのひがみになってしまう=Bしばらく無言を通すと、職員が訝しげに目を上げた。
「他の医師にされますか?」。こんどは目を上げて、わたしを見た。
「いえ、その岩井先生で結構です」
「それじゃ、お席でお待ち下さい」
 待合の席に座わるわたしに、通りがかった看護師が声をかけてきた。この間の入院時に世話をしてくれた看護師だった。実に気立ての良い娘で、いつも明るく笑う娘だった。
「山本さん、ラッキーでしたね」
「なんで?」。笑みを返しながら、尋ねた。
「良い先生ですよ、岩井先生って。いつもは予約だけの先生なんですよ。ね、島田さん」と、同僚の看護師に同意を求めた。
「今日はね、山尾先生が休みなものだから、急きょピンチヒッターでお願いしたの」
「山本さん、ついてるわ」。うんうんと頷きながら、ひとりで納得して去って行った。ところが別の看護師から意外なことを聞いた。
「お年寄りの患者さんには人気があるんだけど、若い人たちは嫌うの。どうもね、必要以上に私生活に口出すみたいなの。まあねえ、治療上、確認したいことがあるのは事実なんだけどね」
 良い先生かどうかは診察を受けてからだと、あまり期待もせずにいた。しかしこの医師に会ったことで、わたしの人生が一変したと言っても過言ではなかった。ほどなく看護師に呼ばれて、いつもの問診を受けた。昨日今日と落ち着いた一日を送っていたわたしは、その旨を告げた。
「おかげさまで、非常に良い体調です。元気です、この二日間」
「入院を勧められたのに、断られたんですね。なにか、都合の悪いことがあったんですね。はいそれじゃ、血圧を計りますから、腕を貸してください」
 わたしのことばなど耳にしていないかのような態度に女ごときになにが分かる!≠ニ、少しばかりムッとしたものの、ここはぐっとこらえて矛を収めた。最近は、馬鹿丁寧な言葉遣いが多くなってきたけれども、心のこもらないことば遣いでは、逆に馬鹿にされているように聞こえてしまう。ひがみだと言われてしまえば、反論のしようがないのだけれども。

 しばしの時間が経った。この待ち時間が苦痛になる。常連らしき人は、新聞なり持参の文庫本を読んでいる。そういえば、入り口近くに新聞が置いてあった。受付・会計窓口で待つ人たちの時間つぶし用に置いてあるはずだ。それをあんな遠くから持ってきたのか。常識の範疇を超えているじゃないかという思いがわいた。がその半面、その厚顔さが羨ましくも思えた。
「山本さん、五番にお入んなさい」
 当初は聞き間違いかと思ったが、どう考えても、「おはいんなさい」だ。なんとも、温かみを感じさせる呼びかけで、嬉しさを感じた。心がある、なぜか直感的に思った。ドアを開けると背筋がピンと伸びた老医師が、にこやかに迎えてくれた。
「はいはい、山本さん。今日は気分が良さそうだね。うん、良かったよかった。さあ、お座んなさい」
またしても、「り」ではなく「ん」だ。そして人なつっこい話し方だ。やはりベテラン医師は違う。なんというか、お医者さま、という雰囲気がある。患者に人気があるのも無理はないと感じた。
「ほうほう。山本さんは、ひとり暮らしで、自炊してるの。うんうん、偉いねえ。なかなか出来ないよねえ。りっぱだ、山本さんは」
「いえ、先生。自炊といっても、休みの日に、一週間分を作っちゃうんです。それで冷凍庫に、入れておくんです。まあ、作るといってもですね、弁当用のご飯とおかずですけど。日々の夕食には、総菜を買うんです。あと味噌汁を、これも作り置きするのですが添えましてね。それだけです」
 褒められることのない日々をおくるわたしは、久しぶりのことに気分が高揚してきた。事務的な会話しかなかった医師との会話が、これほどに弾むことはなかった。
「それでも立派だ。ねえ、山本さん。ぼくもひとり者なんだけどね、娘たちがあれこれと届けてくれる。山本さん、あなたはどうなの? 子どもさんたち、行き来あるの?」
「いえ、それはないです…別れた妻が、あることないこと吹き込んだんでしょう。一度会ったきりでして。まあたしかに貧乏暮らしをさせてしまいましたし、父親らしきことは、してやれませんでしたし…」
 恥ずかしさから顔を見ることができなくなり、思わず下を向いてしまった。しっかりと家庭を支えてきたであろう医師と、ちゃらんぽらんな生活で、まともに生活費を稼げなかったわたしでは……。医科大学に入りしっかりと勉学に励んだであろう老医師とでは、月とすっぽんほどの差がある。
「そりゃ、気の毒だ。しかしまあ、時が経つにつれ気持ちも変わるもんだ。待つことだね、それは。でね、山本さん。あなたの心臓はね、もう一杯いっぱいなの。頑張りすぎて、悲鳴を上げてる。拡大型心筋症という疾患です」
 急に重々しい口調になり、柔和な顔がぐっとひきしまった。わたしも姿勢を正して、座り直した。
「聞いてるかな、主治医の先生から。山尾先生だね。うん、真面目な先生だ。まじめすぎるくらい真面目な先生だ。安心して、まかせて良い先生だ。そこでね、ペースメーカーということばは知ってるかな。心臓の手助けをしてあげる機器です。それをね、入れましょう。高額ではあるけれども、それを使わないといけないの。大丈夫です。あなたはね、身障者一級に当たります。そうすると、医療費は、すべて無料になるから。お金の心配は、いっさい要らない。いままで苦労したよね、ほんとに。医者には、なにかというと休養だ入院だって言われてね。でもお金はかかるし、仕事は休めないし。ほんと、辛かった。うんうん、良くわかるよ」
「せ、せんせ……」
 不覚にも、落涙してしまった。体から力が抜けていった。やっとわたしの立場をわかってくれる医師に会えた。張り詰めていた心が、どっと崩れていく。積み上げていた赤いレンガがガラガラと音を立ててくずれていき、がれきの山となっていた。あわてて手を足に添えて、ぐっと肩をいからせた。
「でもさ、山本さん。人間、いのちあっての物種だ。健康でいてこその、仕事でしょ? 山本さんの場合は、健康になる以前の生命の危機にあるわけだ。本来心臓移植ものなんです、心臓は。残念ながら山本さんはお年をとり過ぎてる。どうしても、若い人優先となっちゃうから。申し訳ないけどね」
医師が謝るべき話ではないけれども、すまなさそうな顔をしてくれた。身内でもここまで親身になってくれることはない。分かっている、わかっているって。日頃の無沙汰からであることは。わたしの現状を知らせていないのだから。わたしにしても、子どもたちの現在はなにも知らないのだ。
「このまま心臓を酷使していたら、早晩、心筋梗塞を起こすことになる。そしてそのまま死亡、ということもあるわけだ。死んでも良いなんて、考えてないかい。大きな考え違いだよ。山本さん。お子さんたちに会いたくないかい。孫の顔は見たの? これはぼくの気持ちだけれども、中学時代の初恋の人にね、久しぶりの同窓会で会ったの。年はとったけれども、それは美しい人でね。もう一度二人だけでね、会いたいと思っている。
 いやいやだからってねえ、男と女のというわけじゃない。ただただあのころのことを話したいだけだ。想い出に日田いりたいだけなのよ。さあ、ぼくのことは置いといてだ、山本さんはどうなの。もうひと花咲かせたいとは思わないの」
 老医師の淡々とした話しぶりに、次第しだいにわたしの心がほぐれていった。冷たい風が吹いていた体に、ぽかぽかと暖かい光が射し込んでくるような感覚にとらわれた。
金がかからないのなら、ベスメーカーとやらを入れるのもありだな=Bそんな思いが湧いてきた。しかしまたその反面、こんな自分のために、高額な機器を使って良いものだろうか…≠ニいう思いもでてきた。
「山本さんは、残念ながらいまは低所得者だ。だからって高額な医療を受けられないなんて、不公平だ。遠慮することなんかない。ぼくに任せなさい。身障者の申請をしよう。きっと一級になるから。それで、医療費は無料だ。仕事のことも、心配する必要はない。簡単にはクビにはできないんだ、身障者は。むしろね、国から補助金を貰えるんだから。会社にとっては万々歳だよ」
なんと素晴らしい医師なのか。わたしの杞憂するところを、的確に掴んでくれている。思わず身を乗り出してしまった。
「会社はね、山本さんが一生懸命仕事してくれて、それでお上からお金を頂けるんだから。安心してペースメーカーを入れようよ。楽になるよ、ほんとに。いやいや、命が助かるんだから。そうしなさい。もうひと花咲かせないかね。人生、これからじゃないの」
 老医師のことばは、逡巡していたわたしの背中をトンと押してくれた。いままでに何度からだにメスを入れただろう。幼稚園児のころに交通事故にあった。父親に聞かされたところによると――それが真実なのかどうかは知らないし、知りたくもないのだが――頭蓋骨を金属製のプレートでつないでいるという。そういえば、上前歯の中央をはりがねのようなもので固定されていた記憶がある。かむことができずに、食事は流動食だった気がする。好きだったリンゴもおろし金ですりつぶしてのジュースだった。
 そして最近では、白内障で人工レンズを入れている。で今度は、大事なだいじな心臓にペースメーカーときた。映画・アイアンマンのアーク・リアクターまがいじゃないか。いよいよわたしも、人造人間に改造されるわけだ。いまでも人間らしさのうすいわたしが、ますますそれを失っていくわけだ。

 拡大型心筋症という診断を下されて、いよいよ機器の植え込みのために入院することになった。術式(専門用語になるが、テレビの医療ドラマで知ることができた)としては、鎖骨下辺りにメスを入れ、器機を皮膚と筋肉の間に入れ込むらしい。「皮下に植え込みます。男性の場合は目立ちませんよ。」と説明を受けたが、筋骨隆々ならいざ知らず胸板の薄いわたしでは。まあ今さら誰に見せることもないであろうことだしと思える。
 真新しい病室の窓からは、ゆったりと流れる二つ三つの雲が見えた。ここは時間の流れが違う。一日を十分刻みに予定を組み込まれる外の世界とは違い、己の決めた時間を適用する。それは時に怠惰な一日をもたらすけれども、本来の生活リズムはこういうものなのかもしれない。
 面白いことに四人部屋であるにも関わらず、どのベッドも窓際になっている、これにはおどろいた。かかりつけの病院ではこうはいかない。ふたつのベッドが向き合っている。片方は窓際だがもう片方は廊下側だ。いやそれが普通だろう。
 天井からしてが違う。幾分ベージュがかった優しい白色となっている。ミルキーホワイトとか言うらしい。照明にはLEDが使用されている。節電のためだろうが、その光は冷たく感じられる。
 そうか、なるほどなるほど。なればこその竹細工のカバーなのか。柔らかい竹色(クレヨンのベージュ色を思い起こしてほしい)が、なんともありがたい。少しでも心理的な負担を少なくしようという配慮なのであろう。じつに嬉しいものである。
 入り口の引き戸を開けて廊下に出ると、左手に大きな洗面台が二つ並んでいる。大人二人がゆったりと並ぶことができる。全面が鏡になっている。寝間着姿でうろつくことの多い廊下であっても、身だしなみは整えなければならない。
フロア全体を見ると、仕切り窓のないカウンターのように開放的なナースセンター(失礼した。正式にはスタッフステーションだった)を中心にして、用具室・風呂場・トイレ等の部屋が並んでいる。そしてそれらを取り囲むようにして、外側に病室がある。エレベーターはスタッフステーションの前にあり、外部からの出入りはすべて確認できるようだ。勝手に患者にフロア外をうろつかれては困るということか。
 そういえば階段が、見たところどこにもない。案外のところ、スタッフステーションの裏あたりに隠れているのかもしれない。そうだ、スタッフ用のエレベーターが見えない。まさか一般のエレベーターと兼用ということはあるまい。まあいい、時間があれば探検でもしてみることとするか。
スタッフステーションの斜め前に、ガラス張りの談話室がある。五十インチほどの大型テレビが設置してあり、いくつかのテーブルが置いてある。患者と見舞客、そして患者同士の語らいの場になっていると聞いた。時として、もろもろの教室にもなる。
 入院して四日目だったか五日目に、三人の患者とともに糖尿病に関する教育を受けることになった。すでにかかりつけ病院で受講しているのだが「若い女性ですよ」という担当看護師のことばに、みごとに騙されてしまった。当日現れたのは、四十そこそこの女性だ。
 担当看護師にすこし語気を強めて「どこが若いんだ」と詰めよると「山本さんよりは、若いでしょ」と、軽くいなされてしまった。これでは、苦笑いをするしかない。いつか仕返しをしてやるぞ、と心内で呟いてみた。
「山本さーん、山本さーん」
 看護師が呼んでいる。「さあん」ではなく、「さーん」が相応しい。なんというか、べたつきのない乾いた呼び方なのだ。病室に不在だったわたしを探しまわったということらしい。どこといって行く場所もないフロアなのだ、談話室以外に居場所はないではないか。廊下に出て手をあげると、にこやかな表情とともに苦痛の色も見せている。本人に言わせると小走りなのだそうだが、どう見ても歩いているように見えてしまう。
「探しましたよ、山本さん」
 汗を拭きふき、恨めしげに言う。わたしには責任のないことである。そんな風に恨めしげに見られては、はなはだ心持ちが悪い。
「検査が入りました。このまま行けます?」
 いつものひとなつっこい笑顔を見せている。どうにも、この笑顔に弱い。多少の不機嫌さなど、いや多大な不機嫌も、どこかに飛んでしまうのである。だから、ついこちらも、ほほが緩んでしまう。
「分かりました、田口さんの仰せの通りにしますよ」
「聞き分けの良い患者さんは、好きですよ。皆さんそうだと良いんですけどね。ではご褒美に、車いすで移動しましょうね」
 スタッフステーション横に、ご大層にも車いすが用意してある。
「いらないよ」
「いいから、いいから。殿さま気分を味わってくださいな」と譲らない。しかしいざ乗ってみると、これがこれが。まさに、そこのけそこのけ状態なのである。
「車いすが通りまーす」。声をかけかけ廊下を滑っていく。皆がみな、道を空けてくれながら、わたしに憐憫の色を見せている。けしからんことだ、実に。憐れみなぞ、わたしには無縁のものだ。無用なことということだ。
「ありがとう、ございまーす」
 F1並みのテクニックで、スイスイと角を曲がっていく。エレベーター内での方向転換など、曲芸まがいだった。ヒヤリとする場面もありはしたが、衝突寸前で回避する。圧巻は、車いす同士のすれ違いだ。互いに中央を通りながら、寸前ですこしの移動を見せてすり抜けた。そしてその折のレーサー同士のハイタッチを、わたしは見逃さなかった。なんとも満足げに頷き合う看護師どもめ、けしからん! 乗っている身にもなってみろというものだ。しかし、ま、いいか。後頭部で揺れている、ほわほわと触れてくる…とにかく、いいのだ。
「はい、着きました。えっと、本日は五分と十二秒でした。記録達成とは行きませんでしたが、満足のいけるタイムでございます。帰りは、乞うご期待ですね」
苦笑いするわたしを後目に「外で待ってますから」と、女性技師に声をかけている。
「愉快な看護婦さんですね。あ、いまは看護師さんでしたっけ?」
「いいんですよ、看護婦で。皆さん、そうおっしゃいますよ」
 にこやかな表情を見せつつ、てきぱきとした手付きで心臓の波形をとるべく、足首やら手首、そして胸にと配線がなされていく。
「冷たいでしょ、ごめんなさいね」。そんな優しい声かけに、わたしの心がときめいてしまうのだ。
なんだかドキドキします、先生。もし波形とかがおかしかったら、それは先生のせいですから。まさかハート型なんぞにはなっていない……=B声にならないことばが、頭の中で渦を巻いていく。どうやらF1まがいの運転に酔ってしまい、興奮状態のようである。
「はい、終わりました。次は、心エコーですね。はい、ゆっくりで良いですよ」
 そんな優しい声に「ありがとうございました」と目を閉じたまま答えて、ゆっくりと起き上がった。
「終わりました? 山本さん」
 カーテンを開けて、看護師が車いすをベッド横に持ってきてくれた。
「歩いて行きますよ」
「いいから、いいから。お殿さま気分で行きましょ。ね、チューナー。ふふ、韓国語で、殿さまと言う意味ですよ。いま、韓流ドラマにはまってるんです。時々ね、マングカオミダなんて言いそうになるんです。仰せつかりました、ありがとうございます、感謝します。いろんな意味に使われているみたい。はい、着きました。じゃまた、廊下で待ってますから」と、まるで飽きさせない。
「えっと、山本さんですね。生年月日が…九月九日ですか。ほおほお、重陽の節句じゃないですか。そうですか、そうですか。そりゃ良かった」
 老技師は良かったと言うが、わたしにはなぜ良いのかさっぱりだった。そもそも重陽の節句なることば、恥ずかしながらはじめて聞いたことばだ。
「重陽の節句とは、なんですか?」と、聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥ということわざを思い出して尋ねてみた。
「たしか、中国を起源としたもので、菊を愛でるものだったと…。日本では平安時代に宮中での年中行事となっていたはずですよ」
静かな声で教えてくれた。公的病院では総じて事務的に事をはこぶと聞かされていたが、この老技師は患者にたいしてある種敬意じみたものを持って接してくれている。
「それじゃ山本さん、はじめますよ」
ぬるぬるとした液体を付けたパッドで、心臓辺りをグリグリと円を描くように動かしはじめた。ときにグッと強く押され、ときに脇腹をえぐるように動かしていく。モニターに映しだされる画像を見ながら「ふむふむ、ほおほお。ああ、なるほど…」と、ひとりで相づちを打ちながら作業を進めていく。
「大丈夫ですか? すこし冷たいですけど、ごめんなさいね」
 横から女性の声がした。どうやら、お隣でも検査がはじまったらしい。そう言えば、中年の女性を見た気がする。“男にはおとこ、女にはおんなか。なるほど”と、妙なところで感心してしまった。
「はい、結構です。結果は、先生からお聞き下さい」
 老技師の声を追いかけるように、お隣からも同様の声である。こちらが早くはじめたにも関わらず、ほぼ同時に終わったということは、わたしの検査時間が長くかかったということである。なんだか得をしたような気分になったが、考えてみれば宜しくないことなのだ。
 服を着こんだところで、看護婦から声がかかった。
「山本さん、いいですか。カーテンを開けますよ」
 またしても妄想がわき起こってきた。ズボンをおろしたまま、カーテンが開くと同時に「エッチ!」と看護師に投げつけてやる。しかし「山本さん。どうせなら、パンツも下げて下さいな」と、逆襲がくるであろう。そしてわたしの敗戦の弁が「だめだ、だめだ。田口さんには叶わないや。もう降参だ」と、なる。情けないが、間違いなくそうなる。
 そして現実のわたしはと言えば「はい、終わりました」と答えるだけだ。空想の産物でしかない遊びなのだ。ズボンをおろすなど、思いもよらぬことである。

 部屋に戻ると、昼食が届けられていた。この四人部屋には、わたしともうひとりの患者が入っている。看護師の話では、今日もうひとりが緊急入院したとのことだ。
「ね、ね、どんな人? 年は幾つなの? やっぱり、心臓をやっちゃったんだろうね?」
 しきりに探りを入れる御仁がいる。もう何年も入退院をくりかえしている、この部屋の主のような小野という人物である。二部上場の企業に勤めているということである。じつに羨ましいかぎりだ。中小企業では、そうそう甘い顔もしてくれない。契約社員として所属するわたしは、契約打ち切りの覚悟で手術にのぞんだ。
「しっかりと治療を受けて下さい。いまの人員で、山本さんの穴はしっかりとカバーしていきますから」
 思いもかけず、ありがたいことばを直属の上司からいただいた。こんなポンコツ同然の男に、こんなやさしいことばをかけてくれるとはと、思わず落涙してしまった。再出社したおりに聞いたことだが、ペースメーカー装着の社員が複数いるとのことだった。そういえば老医師も「身障者を解雇することはできないんですよ」と、言ってくれたじゃないかと思いだした。
「どうしたんです、山本さんらしくもない」と肩を叩かれた。その手が温かく感じられたのは言うまでもない。
「山本さん、山本さん。先ほどね、田川さんという方が、入院されましたよ。なんでも、急に心臓があぶついたらしいんですよ。それでも豪の者ですな、自転車で来られたと言うんです。ほぼ三キロの距離らしいんですが…。お仕事はね、現場ですと言われたけれども、どういう意味ですかね。それ以上のことは、笑うだけでねえ」
 小野氏から声がかかった。本人から聞き出したらしいことを口にされた。その本人はといえば、ベッドに潜り込んで頭から毛布をかぶっている。狸寝入りなのかは判然としないが、三キロの距離を自転車で来たとなれば、相当の疲れだろう。そんなお人からこれだけの話を聞き出すとは、たいした御仁だ。感服する他はない。
 他人の病状については色々と聞きたがるのだが、己の病状については、とんと口が重い御仁だ。それでもやっと聞き出したところでは、前回の入院は一昨年の冬で、ひと月程だったらしい。しかし今回は、退院の目処がまだ立っていないということだ。うつろな目でこぼされたことばが痛々しく感じられた。
「いくらなんでも、もう会社に席はないでしょうな。今回で三回目の入院ですが、残念ながら全快とも行かないようですし。依願退職となるでしょう。まあ、独り者ですから。家族でも居たら、胃もやられますよ」
前回までの入院時には、ほとんど毎日のように入れ替わり立ち替わりの見舞客があったということだ。しかし今回は、上司の見舞いが一度きりだという。その折りに「会社のことは気にせず、気長に構えなさい。兎に角、治療に専念することだ」と、最後通告とも取れる言葉があったらしいのだ。
「まあしかし、見舞客が少ないというのも、ある意味では安心できます。これでね、兄弟やら親戚やらが大挙して来てみなさいな、死期が近いんだと思ってしまいますから」
 明るく笑う表情が印象的である。死を意識せざるを得ない病気かと身構えさせられたが、小野氏に言わせるとわたしもそうだということだ。
「脅かすつもりはありませんがね」。気がつくと、田川さんがベッド上であぐらをかいている。そして耳を傾けている。そうなると小野氏がますます饒舌になる。誰かからの情報なのか、それともスマホによる検索なのか、とにかく詳しい。昨今はなんでもインターネット上に情報があり、医師に言わせると「素人判断が過ぎる」ということになる。
「機器を埋め込んだ後にね、いったん心臓を止めるわけですよ。千人に一人だったと思いますが、そのまま亡くなってしまうんです。確率的には低いものですが、裏を返せば、千人に一人は亡くなるという事です。運が悪かったでは済まされません。田川さんにしてもそうだ。軽く考えてみえるようだが、心臓を患ったということは、死に直結していることなんです。先生に脅かされたでしょ? まだ? だったら、明日にでも、だ。卒倒しないようにしなさいよ」
 最後は少しおどけ気味に締めくくられた。
「あたしなんぞは、どうなってもいいんです。今日だって、正直のところは来るつもりはなかったんです。どうせ家族もいない身ですし…」
 この部屋は独り者が入ることになっているのか、はたまた偶然なのか。まあたしかに、家族の付き添いを見せつけられては面白くはない。そのあたりの事情をおもんばかってのことなのかもしれぬ。
「仲間がね、うるさくてうるさくて。でまあ、栄養剤の一本も打ってもらおうかと。いつもの医者に行きましたら、ここに行けと。救急車云々なんて大げさなことを言いましてね、おどろきましたよ」
「それなのに、自転車で来たの? とんでもない人だね」
「楽になったんですよ、酸素吸入なんかで。そのまま帰ろうかと思ったら、医者が怒りだしましてね。はじめてですよ、怒られたのは。でもね、うれしかったです。でまあ、帰りのこともあるからと、自転車で…」
 驚いた、実におどろいた。まるで少し前のわたしを見ているようだ。気鬱になってきた。これまでは自分を卑下してみせることで逆説的に相手に対して優越感的な感情を抱いていられたけれども、こんなわたしよりも悲惨な境遇の人に会ってはどうしようもない。