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(五) みなさま、東京大空襲の夜をおぼえておいででしょうか。と言いましても、なんですか百回を超える空襲があったそうでございますが。中でもひどかったのが、昭和二十年三月二十日の下町空襲でございますよ。空から降りそそぐ火の玉爆弾での業火のなかを逃げまどう人人人。それこその阿鼻叫喚、まさに地獄絵図でしたわ。 あの夜のことでした、両親を失いましたのは。黒焦げになった両親らしき遺体を見ましたとき、不思議と恐怖感というものはなくてただただ呆然としていた――ご近所の方々によると、その場に立ちすくんでいたということでした。まったく記憶がありません。 ですので、火の玉が空から降ってきたというのも、正直のところは定かではないのです。 うっすらと思いだすのは、「小夜子、さよこ」と呼んでくれる人はいないか、探していた気がします。店があったであろう黒焦げに燃えてしまった残がいののこる場で、立ちすくんでいた気がします。両親が「良かった、よかった。ぶじだったんだね」と、声をかけてくれるのを待っていた気がします。 二日ほど経ったのちでしょうか。空腹感をおぼえまして、意を決して一歩を踏みだすことにしました。ご近所の方からすこしの雑炊とお芋をわけていただき、歩きだしました。開店祝いのおりに、父に連れられた正夫の店に行くことにしたのです。いえいえ、正夫の店が残っていると確信があったわけではございません。なぜかしらそこに、わたくしの両親が待っていてくれる、そんな気持ちがあったのです。確信に満ちたような、そんな強い気持ちでした。そしてそこで、また両親とともに暮らすのだと思っていたのです。 早朝に歩きはじめまして、なんとかお昼前にはたどりつきました。奇跡とでもいうのでしょうか、この辺りは大空襲の被害が少なく、それぞれのお家の板塀やら生け垣がほとんど無傷で残っております。見覚えのある、電柱にたてつけてある[ナショナル]の看板を見つけたとき、やっと着いたと安堵したものです。電柱の上の部分が多少焦げているように見えますが、電気は大丈夫のようです。戸口一枚があいている雑貨店らしき店の中に煌々と灯りが点いていました。 そしてその角から五、六軒さきに、ガラス戸に[おまんじゅう]の文字があるお店を見つけました。もう小躍りせんばかりでした。雨など降るはずもない快晴の下で、濡れたそのガラス戸が今にもあいて、「小夜子や、おかえり」と、母に迎え入れられるような気がしました。ですが戸は閉められたままで、中はうす暗く人の気配を感じません。すぐにも「ただいま!」と駆け込みたかったのですが、気持ちとは裏腹にかってに足が後ずさりしていくのです。 店の前を行き交う人のなかに、だれぞ知り合いはいないかと見渡しますが、両親の店ではありません。離れた場所のお店です。知り合いなどいるはずもなく、ただただ途方にくれてしまいました。しかしひょっとして、正夫が店の前からここまでホウキで掃いてくるのではないかと、ドキドキしながら待っています。ときおり角から顔を出してみますが、正夫はいません。 その日の夕方でした。影がながく道ばたに落ちています。春先とは言え、少しずつ地面に体の熱が奪われてまいります。いちど戻ろうか、あす朝にまた出てこようか、そんなことも考えましたが、「あてがありますから」と大見得を切って出てきた手前、立ち返ることに躊躇する気持ちもありました。その夜は大きなゴミ箱の影に隠れるようにしてすごしました。ずいぶんとわたくしもたくましくなったものですわ。 翌朝です。昨日とは打って変わって、どんよりとした空でした。きょうにはわたくしを見つけてくれる、昨夜はそんな思いでした。なのに今朝になりますと、お天気のせいではないと思うのですが、気持ちが萎えております。 うぐいす茶の国防色の女子報国服姿のわたくしに、ひょっとして正夫が気づかないのではないか。艶やかな着物姿しか知らぬ正夫には見つけられぬのではないか、そんな思いがあります。それでもとにかく角を曲がって確認せねばなりません。 行き交う人々が、わたくしをジロジロと見ていきます。うさんくさげに、明らかにさげすみの目を飛ばしてくるお方もおりました。尋常小学校に通うのでしょうか、子どもたちも通りすぎます。はっきりと「こじきだ!」と指さされることも。それでも泣きたい気持ちを抑えて、立ち上がりました。 「おじょうさま、さよこおじょうさま!」 あの、イラつかされた、懐かしい声が耳に飛びこんでまいりました。ああ、思わず涙がこみ上げてまいります。すぐにも駆けだしたいと思う反面、それを押し留めるものがありました。いまのわたくしは以前のわたくしではありません。 こういってはなんですが、わたくしはお姫さまでした。正夫にとってわたくしは、崇められる存在だったのです。わたくしのことばは絶対であり、決して逆らってはならないものだったのです。でもでも、いまのわたくしはどうでしょう? 髪はボサボサ顔はススだらけ、そして着ているモンペもしわだらけの泥だらけ。「ほんと白い肌だことねえ」と褒めちぎられていたのも嘘のように、あちこち傷だらけです。戦争の真っ只中、空襲後だから仕方がない? こんなの、あたしじゃない!=Bどうしても足が動きません。正夫に背を向けたまま微動だにしません。いえ、できなかったのです。 「おまちしていました、さよこおじょうさま」 ふたたびの正夫の声です。待っていた? このわたくしを。ああやはり、両親はここにいる。ここでわたくしを待っていてくれた。涙があふれます。わたくしの体のどこに、これほどの水分があるのかと思えるほどに流れでます。道行く人が、どうしたことかと足を止めているのが目に入ります。家々から飛びだしてきた人たちが、わたくしと正夫を凝視しています。 待って、おかしいわ。どうして、母の、父の声がしないの? 「おかえり」と、肩を抱いてくれないの? 怪我? 歩けないほどの重傷? でもでも、それならどうやってこの地に? おとといの大空襲の夜、「先に入ってなさい」と。庭にほられた防空壕に、ご近所のかたたちと逃げこんだのよ。湿気くさい穴のなかに逃げこんだのよ。小さい子たちといっしょに奥のほうに入り、敷かれたむしろの上でふるえていたの。 「かあちゃん」、「ねえちゃん」。あちこちですすり泣く声がひびく防空壕のなかで 、「大丈夫、だいじょうぶよ」と励ましつづけたのに。 結局のところ、両親は防空壕にはいることができずでした。業火のなかを、他の大人たちとともにあちこち逃げまどったということです。なんとか命だけはとりとめられた方のお話では、逃げおくれた老婆を抱きあげたものの、焼夷弾が直撃した家屋の下敷きになってしまったということでした。そのおばあさんは、三日に開けずに通われていた大のお得意さまだったとか。商人の鏡だとおほめくださいましたが……。 正夫のことですが、実のところどこまでボケているのやら。案外のところ演技なのかもしれませんですね。よそさまの法事の場にあがりこんでは、あのように怒鳴ったり泣いてみたり、そしてしみじみと語ってみたりと。そしてみなさま方から、同情やら憐憫をいただいてですね。贖罪? あがない? ほほほ、たしかにそのように見えますですかね。 娘の妙子にしても、そうでございます。あの子は、お父さん大好き娘ではございました。ですが……。実の娘にたいしてこういうのもなんでございますが。ある意味、わたくしに対する当てつけ、当てこすりでございますよ。チヤホヤされたわたくしの娘時代のことを聞き及ぶにつれて、わたくしに対抗心を燃やしておりました。なにかといえば反抗的な態度ばかりです。 女学校時代でのことです。殿方からの恋文などをこれみよがしに見せつけてまいります。 「お母さんもたくさんもらっていたんでしょ?」。あのおりの目は、母親に対する視線ではありませんでした。明らかに敵愾心がありました。まるで恋敵を見るような……。もしも正夫を我が物に、ということならば、いつでも、それこそのしを付けて。これは失言でした。娘へのことばではありませんね。お恥ずかしいことで。 まあたしかに、いろいろと付け文はいただきましたわ。校門前でのことですが、両手を広げて通せんぼをされたこともありました。怖くなって校門の向かい側にある文具屋さんに駆け込みました。すぐに警察に連絡をしていただけて、ほんとに助かりました。そうそう、バス停でのことですが、本屋の中から飛びだしてこられて「読んでください!」と大声で。お店のなかには数人のお客さまがいらっしゃるというのに。もちろん、バス停でもわたくしの他にも三人いらっしゃるし。もう恥ずかしいったらありませんわ。 妙子には、ええええ、残酷な一面もございます。そんな恋文をお仲間うちで見せ合いをしましてね、笑い話としているのでございます。殿方たちもいいかげんに諦めれば良いものを。自分が落としてみせる、などと。若さゆえのことでございましょうか。まるでゲームをしているが如くでございます。わたくしどもの少女時代では考えられぬ所業でございましょ? なぜにそこまで娘を貶めるのか、ですって。なんとも思われないのですか。娘の所業を、みなさまはお認めになるので? よろしいですわ、お話しましょう。 たしかに、体をこわしてしまったときのことですが、娘に正夫の世話を頼みました。一応は夫でございますので、家事全般はわたくしがしておりましたし。罪滅ぼしのつもりがなかったといえば嘘にはなります。お店に立ちましてのお客さま相手も、わたくし以外にやる者もおりませんし。まあ、日がな一日顔をつきあわせなくて済みますしねえ。 ただ、わたくしの思い描いていたことだけでなく、わたくし以上の世話をしはじめまして。父と娘という範疇を超えてのこと――正夫の閨に入りこんでのことですとか、朝の身支度の世話とか、とにかく枚挙に暇がありません。妙子も考えてのことだとは思うのですが、どうにもその真意がはかりかねます。一度たしなめはしたものの、それ以後もsg6l、正夫のねやにも……。いえいえ間違いが起きるとか、そのようなことは思ってはおりません。妙子との血のつながりを疑っているとはいえ、いくらなんでも。 はあ? わたくしのやきもちがある? ほほほ、やめてくださいませ。あんな男に嫉妬心など。正夫の献身ぶりにほだされてなどとは仰らないでくださいまし。それに、まったく妻としての勤めを果たしていないわけでもございませんし。月に一度は、この身をまかせておりますわ。それで十分でございましょ? そしてわたくし自身も店に立っておりますし。 和菓子は、なんと申しましても店売りです。お味ですか? 関係ありませんわ。それなりでいいのです。老舗、銘店ならばいざ知らず、きのう今日できたお店など。看板娘がいかに大切か、父の店での手伝いで、よーく分かっております。わたくしが店先に立つようになってからは、以前の倍とまではいかずとも、三割四割は増えておりましたから。わたくしども女の、お客さまとの軽妙なやりとりなぞ、男には到底まねできるものではありません。 ここでわたし、すこし違和感を感じたのです。おふたりとも相当な美人ですし、女学校時代の可憐さというものは想像するに、オーバーにいえば気絶ものでしょうか。これは冗談ですが。違和感というのは、重くるしい戦前戦中の世相のなかにおられた小夜子さんが、それこそキラキラと輝く青春時代を送られている妙子さんに、激しいジェラシーのようなものを感じられているのではないかと、そう思えたのです。 と言いますのも、妙子さんはただ単に恋文を受けとっていただけのこと。しかし小夜子さんの場合は、それ以上のことを、待ち伏せだとかいったふうに具体的です。わたしの考えすぎでしょうか。横にいて黙りこくっておられる善三さんを盗み見しましたが、なにやら鼻白んでいらっしゃるように見受けられました。 あまた言い寄られる方たちに対して、まるで見向きもいたしません。まあ幼いころから男児たちとの交わりがない妙子でしたし。ご近所におられなかったわけではありません。同い年の男の子はいませんでしたが、三つ違いまでとしますれば、五、六人はいたはずです。ただ、お恥ずかしい話ですが、わたくし自身が娘をかまってやれずにいたことから、引っ込み思案になってしまいまして。 正夫も悪いのです。なにかといえば奥の仕事場に妙子をつれこんで、ときには型取りやら飾りの手伝いをもさせていたようでございます。天性のものがありますよ、と嬉しそうに話しておりましたが、どこまでが本当のことやら。さらにはすこしの時間を見つけては、妙子を近所の公園やら川縁に連れ出していたようです。子ども時代のわたくしの寂しさにきづいていたのでしょうか。じつに子煩悩なところを見せておりました。 「良い旦那さまでいいわねえ」と、お客さまからしょっちゅう声をいただいておりました。ですので、まったくといっていいほど男友だちには縁がありませんでした。正直のところ、レズビアン? と疑ったこともありました。 でもねえ、あの穀物問屋の健夫さんだけはちがうかと、期待を寄せておりましたのに。残念でございます。もうすぐお式だというのに、妙子が突然に「結婚したくない!」などと言いだす始末で。理由でございますか? それが分からないのでございます。なんですか、マリッジブルーとかいったことでしょうか。結婚生活に不安があってとかなんとか、そういった類いのものだとお聞きしましたが。まあねえ、わたくしどもにはとんと理解のできないことでございます。 健夫さんからは時期を遅らせてもいい、とそんなお言葉をいただいたのですが。どうにも妙子が、どうしてもいやだと申しますし。正夫ですか? 顔には出しませんが、喜んでいたと思いますわ。口では、良いご縁じゃないかと申しておりましたが。どうも、健夫さんのご両親からなにか言われましたようで。それが妙子を傷つけたようでございます。 はっきり申しましょう。家柄云々といったことでした。わたくしではございませんよ。正夫ですよ、正夫です。なにせ尋常小学校すら出ておりませんから。それにあの容貌でございますし。ご親戚に対してもねえ。おわかりでございましょう? 縁を切ってくれ、そのように言われたようでございます。 いえ、妙子はなにも申しません。健夫さんが教えてくださいました。 「恥ずかしい両親です。未だに戦前の因習にとらわれて、家格がちがうだの、家柄がひどすぎるだのと。ぼくが縁を切ります」。そこまでおっしゃっていただけたのですが。 そう言われましても、妙子の気持ちを考えますと……。まあわたくしとしましても、妙子はどこに出しても恥ずかしくない娘です。ただ、親は選ぶことができませんし。 申しわけありません、わたくしが間違っておりました。いくら戦後のあの時代だったとしても……。やはりのことに毛嫌いをしている相手の元に、というのは無理がありました。 親戚ですか? 長野の。そのおりに母方の実家にでも身を寄せればと、いまでは思わぬわけでもありません。でもどうでしよう。肩身のせまい思いを、いえいえ、妙子ではございません。わたくしが、ですわ。おそらくはどこぞの農家に嫁がされたことでしょう。 東京女子師範学校に在学していました、このわたくしがですよ。なにが哀しくて農家に嫁がねばならぬのですか。当時は気づかぬこととはいえ、身重でした。父親なしの娘を産むことになるのです。なにを言われるか、どんな仕打ちを受けるやら。いえ、おそらくは妙子が生を受けることはなかったと思います。わたくしと三郎さんとの、愛の結晶が、この世に生まれ出ずることなく……。ありえませんわ、そんなことは。そんなことならば、まだ正夫の元に逃げ込んだほうが、よほどにましですわ。 それに……。しばらくすれば、三郎さまも出てこられるでしょうし。そうなれば三郎さまのご実家に戻られて、なにせ跡継ぎでございますからね。正夫に悪いと思わないのか、ですって! わたくしのそのおりの気持ち、どなたにもお分かりいただけませんわよ。使用人だったのですよ、それにあの不細工さ。本来なら嫁などもらえるはずもない。縁談? そんな話がありましたの? それは結構なことで。ならばさっさと迎え入れればよかったのに。そうしましたら、わたくしも長野の農家の嫁として……。 |