Re:地獄変

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(四)

 もうとおい昔のように感じますが、じつはつい先日なのです、はじめてお会いしたのは。おそらくは、みなさまはお忘れでしょうがご経験があるはずでございますよ。ほら、その人を思うだけで胸がチクチクと痛み、キューッと締め付けられる……。そう! 恋、恋です。ない? それはそれは、おかわいそうなことで。この人のためならばなんでもしてやりたい。できないことでも、なんとか叶えてあげたいと思う、まさしく恋心でございましょ?
 家庭教師のこと、いとも簡単に決まったという風にお思いでしょうが、これがなかなかに。両親に対して、まずはこのところの成績の下落を詫びました。いえ別に順位が落ちたとか、そういったことではありません。たしかに、試験の点数は落ちてしまいました。しかしそれはどなたもご一緒でございます。そこで、他の上位の方たちは家庭教師が付いてると言いました。そこが違っているのだと。
「しかし女の身でそこまで勉学に励まなければならんのかね」と、父が申します。そこでここぞとばかりに、女性蔑視の気持ちがあるのね! とかみつきました。で、とりあえず了承がでたのです。が、やはり男性の方と、言うのが。しかも相手宅にお邪魔してのことですから。いくら一子さまとご一緒だからと説明しましても。それならこちらでという妥協案を父が出してきます。ですがそれでは……。帝大生の家庭教師など望むべくもないと、なんども懇願いたしました。
そして、なぜいま家庭教師というアルバイトを考えられたかということも、その理由も用意していたのです。
「ご卒業後には、留学をされたいということなのです。もっとしっかりと勉強されて、お国のお役に立ちたいということなのです。といって、やっぱり外国と言うことになると多額のお金がご入り用です。全額をご両親に用立ててもらうのは気が引けるということでの、ことなのです」

 これ以上しつこく言って変に勘ぐられても困ります。そこで最後の説得材料として、
「足立呉服店さんが信用ならないのですか? もうご了解はいただいてるのに。『跡取り息子にアルバイトなどさせられない、面目が立たん』と、一旦はだめだとおっしゃられたのよ。それに対して、三郎さまがおっしゃってくださったの。『立派な婦女子になってもらうために、お教えしたいのです。昨今は勉学に時間を割くことが難しくなっているのですから』。それでやっとお許しが出たというのに。お父さんは、小夜子がかわいくないんですね。お店のことばかりで、正夫だけに世話を押しつけて。恥ずかしくてなりません!」と、涙を流しながら訴えました。あのときはおどろきました、わたくしも。悲しくもないのに涙を流したりしまして。女優さんになれるかしら? なんて、心内では考えていましたのよ。結局は、母が味方してくれまして、うまくいきました。
「お父さん。これ以上反対しますと、小夜子はお父さんが嫌いになってしまいますよ。それに、足立呉服店さんといえば、老舗のお店です。世間体ということもありますから、万が一なにかありましたとしても、いいお話じゃないですか」
 母親にしてみれば、まるで縁談話が持ち上がったかのような高揚感を持っていたようでした。わたくしの本音を見透かされたような気がしまして、顔を赤くしていたかもしれませんわね。それで週に一度だけというお約束で、お勉強をみていただきました。学校での授業はすくなくなり、毎日を防空・武術訓練等についやしておりました。良い子ぶるわけではないのですよ。不思議なもので、手に入れられないことというのは、多少の無理をしてでも欲しくなるものです。勉学が好きだということはありませんでしたが、知識を得るということは楽しいことでございました。

 三郎さまの下宿先は、湯島天神のそばででございます。大学へは徒歩で歩ける地区にしたいとのご希望からということでした。三四郎池の散策がお好きとかで、授業の前後にかならず立ち寄られているとか。わたくしもご一緒できればと、思わぬでもございません。ですがその機会が訪れることはありませんでした。
 最初の日だけは、一子さまにお願いして同行ということになりました。場所が分からぬということもありましたが、やはりのことに殿方の住まいにひとりで、というのは勇気のいることです。また三郎さまにしましても、どう接すればよいかと迷われていたとのこと。ふたりしてお邪魔したおりには、ほんとにうれしそうでした。ほっとされたと推察しています。でも、翌週からはわたくしひとりだけでお邪魔しております。
 こんなことを言いますと、両親から大目玉をいただきそうですが。じつのところは、お勉強そっちのけであちこちと訪ね歩きました。いまで言うデートですわね。でも、しっかりとお話は聞いております。三郎さまは文学部に入学されていまして、日本では明治文学がお好きなようで。
 ですが、わたくしにお話ししていただくのは、主にロシア文学でしたわ。特にドストエフスキーに心酔されているようでして、ヨーロッパへの留学時にはぜひにもロシア語の勉強をしてみたいと。そして原語で作品を読んでみたいものだと、それこそ、少年のように目を輝かせていらっしゃいました。三ヶ月という短い間でしたが、ほんとに幸せでございました。

 突然に口をつぐまれました。歓喜にむせるといった観ではなく、苦しげな表情をされます。
「もういいさ、小夜子。もう話すではない。皆の衆、この小夜子というおなごの人生はここで終わったも同然なのだ」
 とつぜんに善三さんが立ち上がられます。不満顔の皆さんを抑えてつづけられます。
「お前さんの、三郎に対する純愛は、皆の衆に十分に伝わったことだろう。のう、そう思うじゃろう?」
 善三さんにそこまで言われては、もうだまって頷くしかありません。しかしどうにも違和感が消えません。こんなたわいもないお話のために、わざわざ冥界からお出でになったとは、どうしても思えません。といって、当の小夜子さんご本人は、うつむかれて涙を拭っていらっしゃるようです。
「さあさあ。お開きじゃ、お開きじゃ。今回を持って弔い上げとなる。極楽浄土に行かれる。そしてご先祖さまの一員となられる。のお、松夫。そうじゃの!」
 ほぼ命令に近いことばです。もちろんです、と言わんばかりに、「ありがとうございました」と、深々とお辞儀をされる松夫さんでした。

 ですが、ことはそこで終わりはしませんでした。これからが本番ですよ、とばかりに「申しわけありませんでした。初恋でございました、はじめてで最後の恋でした」と、ひときわ通る声でおっしゃいます。

 忘れもしません。昭和二十年一月二十二日の、火曜日でした。そのころには学徒勤労動員によって、わたくしたち女学生も軍需工場などに派遣されておりましたことは、みなさまもご記憶のことと思います。でその日は、早朝に時雨れていた空もおちつき、お昼すぎから小春日和となりました。
 その日も軍需工場での奉公でしたが、女の特性を生かして早退を申し出ました。日頃の優等生としての行いにより、なんの疑いも受けることなく許可をいただけました。両親には内緒のことですよ。陽の高いときの空襲はございませんので、安心して出かけられます。
 土曜日でもない日に、とつぜんの文が届きました。
「神社裏の小屋に、午後に来て欲しい。 三郎」との文面。下宿先ではないことに奇異観を感じつつも、なにかのサプライズかしらと。いえ、本音を申し上げましょう。そろそろ男女間の、本当の間柄になりたいと、そう思いはじめていた、のでございます。ひと気のない場所に行きましても、手ひとつにぎってはいただけません。往来を歩くときも、決して並んで歩いてはくださらないのです。三歩下がってついてきなさい、そういった風なのでございます。ですので……。  
 きょうはどんなお話かと、神社裏の小屋の前でガラス戸越しに声をかけますが、すぐにはお返事をいただけません。二度三度と声かけをしまして、やっと「おはいりなさい」と言っていただけました。
「きょうもよろしくおねが」。挨拶をする間もなく、小屋の中に引きずり込まれました。
そしてとつぜんに口をふさがれ、畳のうえに押し倒されました。なに、なに?  と、まるで状況がわかりません。いつもは開け放たれている窓は閉じられて、カーテンまでも閉じられています。電灯が点いていない部屋はうす暗く、ふたりの他にもまだ人がいるようにも感じられます。押さえつけられた手の下で、「さぶろうさん、さぶろうさん」と叫んでみますが、むろん声になどはなりません。ただ、「すまない、すまない」といった声が、三郎さんの声が聞こえるだけです。

 幾人がかかわったのか、わたくしにはわかりませんでした。はじめは抵抗する力も残っていましたが、途中からのことは記憶がございません。なにやら体の上でブンブンと蠅がうごめいているように感じていたような気がするだけです。やがて静寂がおとずれて、三郎さんとわたくしだけになりました。
 なにやら三郎さんが呟いておられました。耳に入ることばは聞こえていたのですが、おかしなもので、その意味が理解できませんでした。
「幹部には逆らえない。彼らはあすにもここを離れる。祖国を見捨てるのではない。再起を図るため、いったん撤退するだけだ。地下に潜るということは、それはつらいことなんだ。いっさいの人間関係を絶って……。やむを得なかったんだ。約束する、キチンと責任はとるよ。ぼくが大学を出たら、かならずきみを迎える。生涯の伴侶として、きみを……」
 三郎さんの胸に抱かれながら、そんなことばがむなしく流れていったのでございます。身動きのできぬほどに疲れ切ったわたくしを、深いふかい湖の底に沈んでいったわたくしのこころを、なんとかすくい上げようと手を伸ばしてくださる三郎さんでした。

 ここで、坂田善三の備忘録を披露させてもらいます。
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 大正十年生まれで、呉服屋の長男。
 東京帝国大学に三年生として在学中。
「民は我々の指導下にあるべきで、君なぞを級友だと称することはできんよ」と、級友からは蔑視される。
「人類皆平等!」を叫ぶグループに共鳴。
 当初は物品調達係という役目を与えられたが、要は金ヅルに過ぎず。
 以降、幹部連たちの連絡係となる。
 現状において、アジ演説の作成に関わっている疑いあり。
 他人を見下すくせあり。
 それが友を作れない大きな要因。女性蔑視が激しい。
『女は馬鹿な生き物だ。子を産むことしかできない。
 子の才能を育て上げる能力を持たない人種なんだ。男に尽くすということが、女の本分だ』。
 そう公言してはばからない。 
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 とんでもない事態に陥られたことはすぐに理解できました。しかしその事態が小夜子さんの軽率な行動から生まれたとは、誰も思いませんし口にもしません。ただいつもの一子さん経由ではない、三郎さんの友人からの言付けだったということ。どうして一子さんに確認を取らなかったのかと、それが残念でなりません。しかし恋する乙女心と考えれば、一分の疑いももたなかったこと、よくわかるのです。けれども、小夜子さん。なんの陰りの表情も見せず、何ほどのこともないといった表情でお話をつづけられました。