愛の横顔 〜地獄変〜

(二)

 わたくしは、名前を梅村正夫ともうしまして、生まれは石川県のいなかでございます。明治の終わりに、この世に生を受けました。十歳を少し過ぎたときに上京しまして、和菓子店でお世話になりました。とうじは住み込みの関係で、朝は午前四時から夜は午後九時ごろまで働いておりました。二十年間しんぼうしたら「のれん分けをしてやる」と言う、ご主人さまのありがたいお言葉を信じて一生懸命働きました。わたくしが申しますのもおこごましいのでございますが、こまねずみのように働きましてございます。ですので、当初は“チューちゃん”と呼ばれておりました。わたくしとしてはありがたくない呼称でございますが、ご主人さまのわたくしに対する愛情だと受け止めております。が、その呼称もわずか一年のことでございました。お目出度いことに、ご主人さまにお子さまがお生まれになったのでございます。ご夫婦になられましてから十有余年が過ぎておられます、もうお諦めになられていたとか。
 ですのでご誕生のおり三日の間、和菓子の大廉売をはかられました。ご近所は言うに及ばず、他県からもお客さまがお見えになりまして、大騒ぎでございました。ハハ、失礼いたしました。他県からと言うのは、ちと大袈裟でございますな。でも、お一人さまでございましたが、お見えになられたのは確かなのでございます。おとなりの大木さまが、ご縁者にお声をお掛けになられたからでございましたが。

「お前は、コウノトリじゃ。いや、ありがたいありかだい。」と、過分なおほめをいただきました。そして特別に一日のお休みをいただけました、さらにはおこづかいまでも。とは申しましても、右も左も分からぬ土地でございます。どうしたものかと思案のあげく、まだお嬢さまにお目にかかっていないわたくしでしたので、奥さまのご実家に行かせていただきました。奥さまに抱かれた赤子、それはそれはお美しいお嬢さまでございます。名を、小夜子とお付けになられました。そよ風の気持ち良い夜にお生まれになられたからとのございます。心地よい響きのお名前でございます。
 ひと月ほどをご実家で過ごされましてから、お戻りになられました。御主人さまのお喜びようは、それはもう、ひとしおでございます。夜の明ける前からお起きになられて、わたくしの仕事であるお掃除をはじめられました。寝坊をしてしまったのかとあわてましたですが、「わたしが勝手にしたことだから。」と、言ってくださいました。で、手分けして家中の大掃除でございます。年の終わりの大掃除以上に、あちこちを雑巾がけ致しましたです、はい。
 
 そして約束の二十年目に、ご主人さまの勧めで店を開くことになりました。いわゆる、のれん分けでございます。もちろん、ご主人さまのご援助のもとでございます。その一年後には、大東亜戦争の勃発で赤紙が届き、すぐにも入隊の運びとなってしまいました。しかし、なにが幸いするのでしょうか。和菓子の製造で体を蝕まれていたわたくしはー兵役検査でわかるという皮肉さでしたー、外地に赴くことなく内地で終戦を迎えたのでございます。しかも幸運にもわたくしの店は戦災を免れまして、細々ながら和菓子づくりを再開したのでございます。そしてその後、妻を娶りました。そうそう、言い忘れておりましたが、ご主人さまは東京空襲の折にお亡くなりになっていました。奥さまもまた、後を追われるように亡くなられたとのことです。
 わたくしの妻と申しますのが、そのご主人さまの忘れ形見なのでございます。毎日まいにち、わたくしの店の前で泣いておられたのでございます。御年、十九歳でございました。それは心細かったことでございましょう。ご親戚筋が、長野県におみえになるのでございますが、疎開されることなくご両親と共だったそうでございます。ご主人さまのご恩への、万分の一でものお返しというわけでもございませんが、お嬢さまのお世話をさせていただきました。そのことがご親戚筋の耳に届きまして、すぐに所帯を持たせていただくことになった次第でございます。

 もちろん、おそれ多いとご辞退したのですが、お嬢さまの「いいよ!」の一言で決まりましてございます。非常にご聡明なお方で、女学校にお通いでございました。わたくしといえば、ご承知の通りろくろく小学校にも行っておりません。釣り合いがとれないからと、なんども辞退をしたのでございますが。 
 とまあ、世間さまには申し上げて参りました。いまでこそ申し上げられますが、お嬢さまは戦時中“アカ”と呼ばれる国賊と、いまでいう同棲生活を送っておられたのでございます。とは言いましてもわたくし自身がお嬢さまに対して好意を持っておりましたので、そのお話には心底から喜んでおりました。たゞ、よもやその国賊の子供を身ごもられていることなど知る由もございませんでした。いまにして思えば思い当たる節もございますが、
 なにしろ終戦直後のことでごさいます。単なる早産と思っていたのでございます。ええもちろん、妻は死ぬ間際までそう申しておりました。が、わたくしにはわかっているのでございます。知らぬこととはいえ、そんな妻と三十年余り連れ添い、その娘を実の娘として育てたのでございます。

 娘が十六のときでございました。酒の酔いも手伝って、妻に手をあげてしまいました。些細なことからの口喧嘩の末のことでございました。生まれてこの方、そのような経験のない妻にとっては、さぞかしショックだったことでございましたでしょう。まなこをカッと見開いて、口をパクパクさせ……クク、まるでおかに上がった魚でございました。思わず、ふきだしてしまいました。と、怒ることおこること。怒髪天を突く、の勢いでございました。わたくし、“この俺をコケにして! あの男の娘なんだろうが!”と、心の内で叫んでおりました。えっ、「どうして実の娘ではないと分かったのか?」ですと。お話ししていませんでしたか、失礼いたしました。親の口から申すのもなんでございますが、じつに頭の良い子でして、つねに学年上位の成績でございました。

 器量も、わたくしに似ず評判の娘でございます。お分かりでしょうか? わたくしとは似ても似つかぬ娘なのでございます。まあたしかに、妻に似てはおります。大きな目と鼻筋がとおった鼻、そしてぷっくりとしたすこし肉厚の唇。顔の輪郭は、そうでございますなあ、面長の部類にはいりますでしょうな。うーん、お分かりいただけませんか? 困りましたなあ、どうご説明すればいいか……。映画スターで言えばですなあ……うん! そうそう、松坂慶子お嬢さんに似ておりますですよ。「夜の診察室」なんぞは、初々しい色気がありましたなあ。ハハハ、羨ましいですかな? ただ、おたなのおとなりに住んでおられた大木さまのお話では、あの同棲相手の男の面影があるとのこと。
 そう考えれば、まったく納得のいくことでございましょう。まるで不釣り合いなわたくしのような者に嫁ぐなどということが。娘のおらぬ所で、そのことをなじりましたのが、このお話の、ある意味では発端でございます。もちろん、妻は否定いたします。しかし、否定されればされるほど疑念の心は確信に変わっていったのでございます。そして嫁ぐことを決意した理由が、「恩返しのつもりだった」と聞かされたおりには、”やはり”という気持ちで一杯でした。

そうでございましょう? 恩返しなどとお為ごかしなことを、いけしゃあしゃあと言うのでございますから。ご奉公中のわたくしめに対する態度を思いますれば、とてものことに信じられぬことばでごさいます。あれほどに背におぶってあやし申し上げたわたくしに対して、「お前の背は臭かったわ!」などと、女学校のご級友の前での罵詈雑言。聞かれたご級友の、かばい立てがなかったら……。そしてまた、何ゆえに手までお上げになられるのか。しかもお手ではなく、さも汚らわしいものに触れでもされるように、箒を持ち出してのこと。忘れてはいませんぞ。