愛の横顔 〜地獄変〜
(一) その日はいつになく穏やかな日和で、この法事の席に集まられたみなさんの表情も穏やかなものでした。まあそんな中で、喪主の松夫さんだけは硬い表情をされていましたけれども。談笑されている方々から、ときおり声を掛けられるのですが、軽く頷かれるだけでございました。ご心配なことでもあるのかと、わたしと大叔父の善三さんとで話をしていたのです。 「お疲れのご様子ですね、松夫さんは」 「なあに緊張しているんでだろう、松夫の嫁が居ないものだから。まったく情けない、まったく。なにもかも嫁まかせにしておるんじゃから」 「はあ、そういうことですか。で、いつごろの退院となるのですか?」 「一週間もすれば、と聞いておるけれども」 そのときでございました。とつぜんに見知らぬご老人が、座敷に上がってこられたのです。「ごめん」。ずかずかと、上座に向かわれました。 「どちら様でございましたですか?」との、松夫さんの問いかけに「うるさいわい! あんたこそ、誰じゃ!」と、言い返されます。 「いや、わたしは喪主の……」 「ええい、どけどけ。どかんかい!」 と、足蹴にでもする勢いでした。そして居並ぶ出席者に、えびす顔で対されます。 「いや、どうもどうも。お騒がせ致しましたな。これはこれは、多数の方にお見えいただいて、ありがとうございますです」 と、深々とお辞儀をされます。喪主の松夫さんはといえば、憮然とした表情ながらも隅のほうに座り込まれ、いえいえ、へたり込まれてしまいました。 「♪梅は咲いたか〜、桜はまだかいな〜♪ あ、ちょいなちょいなと。ハハハ、のっけから失礼しましたな。わたくしは、名前を梅村正夫と申します。梅ですぞ、桜ではございませんのでな」 「あはは、こりゃいい。面白い自己紹介だ。あはは、あははは」 善三さんの笑いが、部屋中にひびきます。そしてあちこちから、笑いが沸き起こりました。 ご満悦の表情を、そのご老人が見せられます。よくよく観察しますと、少しお顔が上気しているように見えました。最前列の方のお話では、少すこ酒の匂いがしたとか。 一杯ひっかけられての、ほろ酔い気分のようでございました。 笑い声が収まると同時に、座がざわつき始めました。それはそうです、坂田家の三十三回忌法要で集まった親戚一同でございますから。 このご老人のことは、誰ひとりとして存知おりませんのでございます。しかしご老人はまるで意に介されずに、ひと通り見渡されます。そしてその後、かっと目を見開かれて、怒鳴るようにおっしゃるのです。 「本日は、わたくしめの愛娘、妙子の法事でございます」 キョロキョロと辺りを見回し、坂田かね三十三回忌法要の文字を見つけられると、満足そうに頷かれるのです。 「三回忌、三回忌ですぞ。かくもにぎにぎしくお集まりいただいて、わたくし感極まる思いでございます」 そこまでおっしゃられると、目頭をおさえられ声をひそめられました。 「ご老人! たえこさんとか、言われましたか? ここは、坂田かねの法要の場ですが。なにか思い違いをなされているのではありませんかな?」 大叔父の善三さんが、声を上げられました。みな一斉に、善三さんに視線を注ぎます。そして、大きく頷かれます。 これでご老人が勘違いに気付かれることだろうと思いましたのですが、「だまらっしゃい!」と、一喝でございます。 「わしの話を聞けぬと言う不らちな輩は、即刻この場を立ち去りませい! わしと妙子とのそれは哀しいかなしい話を聞けぬと言うならば、出て行け! このバチ当たりめが」 いったん口を閉じられて、じろりと一同を見まわします。眼光するどく、睨みすえられます。さすがの善三さんも、その迫力に黙られてしまいました。 「ほれ、注いでくれ。まったく、気が利かぬ男じゃの」 やおら膳の上から杯を手にされまして、松夫さんに向かって差し出します。戸惑われつつも、なにかあってはと思われたのでしょう、松夫さんが酒を注がれました。 「うん。これは良い酒ですな。けっこう、けっこう。酒は、惜しんではいけません。酒は、口をなめらかにしますでな。じつはですな、わたくしですな。眠れんのですよ、いや眠りたくないのです。どうしてか? そう、それが大問題ですじゃ」 勿体ぶった話しぶりで、中々に本題に入られません。みなさん方も、少々いら立ってまいりました。話があるならばその話を早く済ませて出て行ってくれと、そう考えておいでです。しかしそれを口にすることはできません。とに角、ご老人が早く話し始めるのをひたすらに待っているのでございます。そして、三杯目の杯を空にされたところで、ようやく口を開かれたのです。 「それは、夢なのです。皆さん、夢は見られますかな? 見られますわな、誰しも。しかし、しかし……」 突然に、急に大粒の涙をこぼされました。と、ざわざわとざわつく中、すくっとご老人が立ち上がります。 「わたくしのような者のために泣いてくださる必要はない。いや、話を聞き終えたなら、思う存分に泣いていただきたい。夢です、夢を見るのです」 そしてご老人がおっしゃられる、おぞましい夢の話を語り始められたのです。 わたしはここに告白いたします。 父と娘のあいだの愛の哀しさを、どうしても告白せずにはいられないのです。ここにおいでの殆どの方々が、おぞましさを感じられることでしょう。が、わたしにしてみれば恐ろしいことながらも、快楽でした。無上の歓びと申しましても過言ではありますまい。わたしは十有余年の間というもの、告白の機会をうかがいつつ、今日まで口をつぐんできたのでございます、はい。娘の命日であるきょうののこの日に、お集まりの皆さまがたに是非ともお聞きいただきたいと思いまして。 わたしと致しましては、このことを決して罪悪だとは思っていないのでございます。が、この一週間というもの、いやなそしておぞましい夢を、毎晩のように見つづけたのでございます。その夢というのが、なんとも身の毛もよだつものでございまして。 ゆめ━それは地獄の夢なのでございます。あなた方は、閻魔大王の存在を信じておられますでしょうか? いやいや、地獄そのものの存在を信じていらっしゃる方は、少ないことでございましょう。かくいうわたしと致しましても、信じられませんし、信じたくもないのでございます。このような恐ろしいものがあってなるものかと、思うのでございます。 どうもお待たせいたしました。前置きはこのくらいに致しまして、その夢についてお話しましょう。と申しましてもなにしろ夢のことでございます、突飛な事柄もございます。 荒唐無稽と思われるかもしれません。また、わたしの感じた恐怖感を十分にお伝えできないかもしれません。しかしどうぞ、お汲み取りいただきたいのでございます。? 針のような鼻毛をぬきながら、しゃれこうべの積みあげられた椅子に閻魔大王が腰をかけているのでございます。そしてその横には、勿論赤鬼・青鬼とが立っております。 なにしろうす暗い洞窟の中のことでございます。ろうそくが一本だけなのでございます。が、そのろうそくにしましても目がなれてくるに従いまして、……いかにも赤いのでございます。そして、燭台のいろが黒みがかった紺色に見えてくるのでございます。さらに目をこらしますと、あろうことか、そのしょくだいが蛇になっているのでございます。 そして、炎が、真っ赤なほのおだと思っていたものが、じつは蛇の舌だったのでございます。 わたしはたまらず、天井に目をうつしました。と、コウモリとも猿とも似つかぬ獣が口を真っ赤にぬらし、鉄砲のような形をしたタカサゴユリのような純白色の牙をのぞかせているのでございます。そしてその獣の目といえば、爛々とかがやきいまにも飛びかかってきそうにも思えるのでございます。背には赤黒い羽根をたたみ、おなじく赤黒い尾を、岩のさけめに突っこんでいるのでございます。一匹ではございません。数しれなくでございます。うす暗いはずの洞窟で、それほどにくわしく見えるはずがないと、おっしゃられますか? ……と申されましても、たしかに見えた−いえ感じたのでございます。 足もとに目をやりますと、なにやら蠢いております。トカゲのようなゴキブリのような、そんな気味の悪いものがわたしの足指やら、ええっ! 手指の間やらをはいずり回っております。わたしの体を這っているのでございます。ナメクジのような、ウジ虫のような、……うわああぁ!お腹といわず、胸といわず、股間もでございました。お待ちください、それだけではないのです。じつは、おぞましいことに、口のなかからも出てくるのでございます。湧きでてくるのでございます。 あ、あろうことか……。あ、ありえません。わたしの顔を持った、大便にたかる銀蝿が、口といわず鼻といわず、耳からも飛びだすのでございます。ああ、も、もうし訳ありません。もうこれ以上のことは、わたしには申し上げられません。 失礼いたしました。ここでやめては、なんのことかおわかりにならないでしょう。気をとりなおして、お話をつづけさせていただきます。まだまだ夢はつづくのでございます。真っ赤な血の川をわたっているはずのわたしの小舟が、とつぜんに現れるさけめの中に真っ逆さまに落ちていきます。岩をつたって逃げようとしますとその岩がとたんに砕け、わたしの手がはさまれてしまいます。いままでに味わったことのない痛みに、あやうく失神するところでございました。万力にはさまれた手の骨が、ミシミシと音をたてております。五倍十倍の太さにはれあがった指から、いまにも血が飛びちりそうでございます。 と、いつ持っていたのか、もう片方の手に斧があるのでございます。そして恐ろしいことにわたしの意志に反し、その斧で岩にはさまれた手を切っていたのでございます。 どっとあふれ出るわたしの血に、わたし自身が押し流されます。ひっしに、その血の海を泳いでおります。ところが、すぐ近くに見える岸辺が、泳げばおよぐほど遠くなっていくのでございます。もう、気も狂わんばかりでございます。ああもう、そのまま気絶した方が良かったと思えるほどでございます。おわかりいただけますでしょうか? この恐ろしさというものが。 とにもかくにも、こういった夢を毎晩のように見るのでございます。さくやは眠るまいといたしたのでございますが、いつの間にか徒労に終わりウトウトとしております。ハッと気づき、両手でほほを叩きますです。首をたたき、胸をたたき、腰をまわして、太ももも叩きます。しかしその痛みを感じません。それらすべてのことが、夢でのできごとようにも思えるのでございます。もしかして、いまこの時の、この告白も、夢? なのかもしれません。 「講談師、見てきたような嘘をつき」 講談師のかたる講談、ご存じの方もおられると存じます。なんでも江戸時代の大道芸のひとつだった辻講釈が始まりだと聞いたことがございます。軍記物やら政談などを主とした歴史読み物を、張り扇でもって釈台を叩いてリズム良く語る話芸だとか。まさにそれでございます。張り扇は使われませんが、ご自分の声でもって、「タタタン」とその代わりをされるのでございました。 身振り手振りを交えての熱演でした。しかしその話に皆さんが引き込まれていたのは確かでございました。ご老人がひと息吐かれる度に、皆さんもひと息吐くといった具合でした。そしてお話が終わると同時に、ご老人と同じようにがっくりと肩を落とされたものでございます。まあ何にしろ、これで終わった、ご老人が退席されるものと、みなさん一様にほっとした表情を見せました。 が実は、これからだったのです。 これからご老人の、哀しい物語りがはじまっていくのでした。 ふと気が付きますと、ご老人がさめざめと泣いておられました。最前列の峰子さんが 「どうしました、大丈夫ですか? どなたかお家の方に連絡を入れましょうか?」と、声を掛けられました。 と、かっと目を見開いて、怒ることおこること。 「なに! 誰を呼ぶと言うんじゃ! 妙子か、それとも小夜子を呼んでくれるとでも言うのか? おうよ、面白い。呼べるものなら呼んでみよ。おゝ、面白い。呼んでみよ!」 峰子さんも、唖然とされています。どんな気に障るようなことを言ったのかと、思われているようです。「いえそんな…あたしは、ただ…。ねえ、あんた。何とか言ってよ」。お隣に座られているご主人に助けを求められました。かしご主人にしても、ただただ、「あの、これが失礼なことを……」と、ご老人の剣幕に気圧されていらっしゃるようで。 −−−−−−−−− 「まあ、いいわ。皆さま、お騒がせして申し訳ありませなんだな。では、わたしの話を聞いて頂きましようかな。わたくしめと愛娘であめる妙子との、それはそれは哀しいお話を」 穏やかな表情にもどられたご老人、静かな口調でございました。が、皆さまはうんざりと言った表情でございます。しかしここでまた声をかければ、それこそ何を言いだされるか分かりません。やむなくご老人の話を聞くことになりました。♪梅は咲いたか、桜はまだかいな。あ、ちょいちょい♪ と、またしても歌いだされたご老人でした。 |