| (四百六十一) 茂作にとって曾孫である武士がもどってきた。「ぜんそく治療に は空気のきれいな場所が最善です」という医師の勧めもあり、さらにはひとり残している茂作も気がかりな小夜子の苦渋の決断だった。田舎を飛びだしてひとり暮らしをはじめてからの苦労が、小夜子をして変わらしめたと、本人は思っている。アクの強い武蔵の嫁として十年近くを添い遂げたのだからとも、自負している。ただこれだけは、たしかに変わったといえる。茂作にたいする思いが、「させてやっている」から「してもらった」へと変化した。茂作への感謝の気持ちがわいてきていた。無論のこと、「茂作は茂作で、あたしはあたし」という考えがきれいさっぱり消え去った。まるでなかった協調性というものが、小夜子のなかに生まれていた。武蔵を失ってからは、よりその思いが強くなり、実家に帰らねば、茂作の面倒をみなければと思うようになっていた。 しかし実家暮らしは、小夜子の思い描いていたものとはちがい、茂作とのあいだで諍いがたえなかった。武士の育て方について、なにかと茂作が口をだしてくる。父親を失ってしまった武士が、母親とのかかわりが皆無だったおのれとだぶり、どうしても甘やかしてしまう。しかし茂作には、それが歯がゆい。小夜子を育て上げたという自負のある茂作だが、母親を失わせてしまったという自責の念から甘やかしてしまったという後悔がある。世間知らずさや人の好さが災いしての不始末で、ここに戻ってきたと思っている。そして二度と同じ過ちをくりかえすまいと、念じる茂作だった。 そんななか武士の希望はすべて無視され、なにごとにおいても茂作の意志で決定された。けっして反抗をゆるさず、規則ただしい生活を強いた。目上の者にたいする接し方については、とくに厳しかった。武蔵の茂作にたいする不遜な――武蔵にその気がなくとも、それこそ茂作がこの地において奉られていることが武蔵の威光だと思い知らされていることから、傲慢に見えてしまった。ゆえに茂作としては、より以上の傲慢さで武蔵に相対した。武蔵が茂作の元に寄りつかなかったのも、それも大きな因のひとつだった。武蔵にしても、小なりと言えども一国一城の主なのだ。頭ごなしの茂作に我慢ができなかった。 そして今日もまた、武士に茂作の声がひびく。 「武士! わしの言うとおりにいていれば、なんの心配もない。口ごたえは許さんぞ」 お小言を頂戴しているとき、小夜子が目配せをする。とりあえず、ハイと言いなさい=B毎晩のように小夜子のとこにもぐり込み、シクシクと泣いていた。なんとかしなければ=Bそう思いはするのだが、武士が小夜子の胸で眠るのがなによりうれしく感じた。 ひとり寝の辛い小夜子にとっては、至上の喜びともいえた。 (四百六十二) 武士はすべてにおいて優等生であり、模範生だった。家庭においては行儀の良いお坊ちゃんであり、学校においては教師に逆らうことのない学業優秀の生徒だった。教師間では評判の良い生徒ではあったが、当然のごとくに生徒間では不評であった。友人と名の付く者は、ひとりとしていない孤独な生徒だった。すべての時間を学業に費やし、ただひたすらに勉強をした。その甲斐あって県下一の進学校に入り、そこにおいても首席を保ちつづけた。 しかしその為に、自ら部活動すら決めることすらできないひ弱な青年に育ったことも、否めようのない事実だった。というよりも、なんのクラブにも所属せずに学生時代を終えた。そんな武士だったが、中学時代から大学入試に全力をかたむけている頃、校庭でボールを追いかける同級生を見るにつけ、己の境遇に疑問をいだきはじめた。のびのびと学生生活を楽しむ同級生たちが、女子生徒たちと楽しく笑い興じている同級生たちが、羨ましくかつまた眩しく見えた。 武蔵によって創設された[あしなが基金] が、皮肉にも武士が使うことになった。自宅から通うことができぬことから、学費とまかない込みの下宿代が支給されることになったのだが、茂作の意向により学費のみということになった。一部の村人のやっかみが小夜子に向くのではないかと考えたからだった。その懸念通りに一部から「ヘンな話じゃのお。自分のためにつかうんかい」という声が上がりはじめたが、助役の「これは誰に対しても、わけ隔てなくということだ。ほかのもんも、あとにつづけばいいじゃろうが!」という一喝ですぐにおさまった。 「助役さん、やっぱり学費も辞退しますわ」。武蔵の遺産としての基金なのだが、それ故に使いたくなかったのだ。幸いなことに潤沢な収入もあることだし、と考えた。しかし「制度ですから、辞退は困ります。後につづく者の使い勝手も悪うなります。現にふたりほどが頑張っております」と助役に説得されて矛を収めることになった。 武士は武蔵のようにはなりたくなかった。「顔つきやらようすがお父さんそっくりだ」という、村人たちのことばに嫌悪感さえ感じていた。武蔵は脆弱な体つきで、村人たちの前では腰も低く人当たりの良い人物だった。その風貌からは、強引な仕事ぶりは想像がつかない。しかし同業者に対する強面ぶりは、暴力団顔負けだった。多人数相手でも決してあとにはひかない。筋の通らないことでも頑としてゆずらない。むろんGHQという後ろ盾があることが大きくはあったものの、多弁な武蔵の前に、結局は相手が折れてしまうことが常だった。 経済的には十分すぎるほどに恵まれていた小夜子だが、そして武蔵からの溢れるほどの愛情を受けている小夜子だったが、武士のまえでは不幸な家庭生活だったとこぼした。「浮気者のお父さんのようになっちゃだめよ」と、ことあるごとに嘆いてみせた。武蔵をおとしめることで、小夜子に対する思いを強くしたいと願っていた。武士の愛情を一身に受けたいと願う小夜子だった。 (四百六十三) 村人からの歓待はある程度の想像はしていたものの、小夜子の予想を大きく上回るものだった。着いた当日から小夜子詣でがはじまり、とくに愛らしい武士の一挙手一投足がみなの笑顔をさらに膨らませた。「小夜子さまの小さいころにそっくりじゃ」という声があちこちから上がり、玄関土間、そして庭先でのあまりの人いきれに武士が泣き出す始末となった。さながら夏祭りの様相となり、「運動場にやぐらでも組んで、盆おどりにしたらどうだ」と言う者まで出る始末だった。 「そうだそうだ。そのやぐらに、さよこさまにでもあがってもらったらどうだ?」などという意見が出ては、 「小夜子さまは見世物じゃねえし、映画人でもねえ! 勘違いするでねえ!」と、助役の雷が落ちることになった。 「それから、これはなかば決定事項だが、小夜子さまには、村の広報課長に納まっていただくことになった。ご本人の承諾は得てある。固辞されたが、村長とわたしの説得により、ご納得いただいた」。さも己が功績だとばかりに、顎を上げての上から目線となった。 座敷に上がり込んで茂作の横にすわる村長である重蔵も、ただただ苦笑いをするしかなかった。たしかに、嫌がる小夜子を説得したのは助役だった。しかし援護射撃として、茂作の説得に当たったのは重蔵だった。茂作の「村に恩返しせい」ということはで決まったようなものなのだが、助役は己の弁舌で小夜子に決断させたということにしてしまった。 小夜子にしてみれば、富士商会からの月給だけで十分に生計は成り立つ。というよりも日々の糧は、毎日のように届けられる野菜やらキノコ類、果ては果物に川魚で、あり余るほどになる。米にしても本家の方から届けられている。風呂と煮焚き用の薪もまた本家から十分に回ってくる。水道は井戸水であり、電気代だけが小夜子の負担となる。 茂作もそこは心得たもので、日中は陽が差し込む縁側に陣取っている。庭先で遊ぶ武士の姿を、眼を細めてながめている。そのそばには色とりどりの花を植える小夜子がいて、花壇のとなりと奥には、少しの季節もののキュウリやトマトがあるが、ほんの二、三株で十分な収穫となる。茂作の晩酌代は、村からささやかながらも茂作に支給される嘱託としての給金でまかなえる。なので系咲き的にはなんの苦労もない。 雨の日には襖というふすまを開け放ち、武士の大運動会がはじまる。障害物競走が大好きな武士のために、あちこちに箱のトンネルやら布団を重ねた小山がつくられる。暑い夏の雨の日には大きなたらいに水をはり、それもまた障害物のひとつになるのだ。武蔵が願ったように、脆弱な体ではなくさりとて筋肉隆々でもなく、健康体に育ってきた。この地に来るきっかけとなったぜんそくも、医師の見立てどおりに改善されていた。 村人の誰もが知る小夜子は、常人には理解不能な、さしずめ宇宙人とみられていた。気まぐれ、傲慢、自己中心、高飛車、尊大、居丈高、傍若無人、etc……。小夜子を評することばは、侮蔑的要素の入ったものが並べられる。しかしそれらすべてが小夜子を否定するものではなく、逆に賞賛の対象としてのものとなる。許されてしまうのだ。富士商会での小夜子と同様に、お姫さまとして崇められる。 小夜子の思いは、誰にもわからぬ難解な方程式ではなかった。ただあまりに単純な思考のため、だれも気づかないことだった。いやひとりいた、それが武蔵だったのだ。 なぜあそこまで社長はお姫さまの言いなりなんだ?=B富士商会の社員全員が抱いた疑問だった。五平ですら、武蔵の真意を図りかねていた。 (漢(おとこ)、御手洗武蔵が、これほどにベタ惚れするとは……) ひとりでいい、たったひとりだけでいい。全身全霊をかけて、小夜子に愛情を注いでくれればいい。それだけで、小夜子は生きていけた。帽子もブランドの洋服も、イタリア製の靴もいらない。銀座でのステーキを食しなくてもいい、築地の鮨を味合わなくてもいい。あの小汚い食堂でのラーメンもいらない、武蔵の愛用するソファがなくてもいい。アメリカから取り寄せたシャンプーもリンスもいらない。 ただただ、小夜子だけに注がれる愛情を感じとることができれば、それで良かったのだ。母親からの愛情を受け取ることができなかった小夜子にとって、それだけが願いだったのだ。それが茂作であり正三だった、そしてアナスターシアであり武蔵だった。そんな小夜子の根っこに気づいた武蔵だけが、小夜子からの愛情をすべて受けた。小夜子から、ありったけのわがままを、そして愛情を受け取ることができた。思う存分に母親に甘えてわがままをぶつけることができなかった小夜子から、これ以上はないといえるほどのわがままを受けることができた武蔵は、その死に際して五平に告げていた。 「俺の一生は短いけれども、中身の濃いものだったよ。波瀾万丈、そのことばどおりだった。けどな、後悔はない。なかなかに面白い人生だったよ。なにより、小夜子に出会えたことが大きい。あいつのわがままを精一杯受け止められたことが、なによりだった」 その真意が五平に伝わることはなかったけれども、「納得の人生だったのだ」と、ひとりごちる五平だった。 (四百六十四) わがままな娘だ、と村中から非難されようとも、いかにそしりを受けようとも、小夜子の願いは聞きいれる茂作だった。小夜子から母親を奪ってしまったという罪悪感が、茂作にある。さかのぼれば、澄江の母であり小夜子の祖母であるミツを殺してしまった、その思いがある。どんなに理不尽なことであっても、茂作は望みを叶えてやった――やりたいと思った。 身の丈を超えたことであっても、どれほどに本家から「いいかげんにせんかい!」とお叱りのことばを受けても、茂作には贖罪なのだ。どう頑張っても金銭的に無理なことであっても、たとえ田畑(でんぱた)を手放すことになっても、小夜子の希望はかなえるつもりだった。赤いダイヤと称された小豆相場に手を出したのも、小夜子のためだった。それがために、結局は本家に田畑をとられることになってしまったのだが。 正三とともに訪れた百貨店で出会ったアナスターシアによって、天上の世界かと思える地にのぼった。そして映画スターにすらかしずかれるアナスターシアを見て、新しい世界を見た。アメリカというキラキラと輝いているであろう国のことを知り、そして世界を旅するという想像もつかぬことが、目の前に開いている。不慮の死によってかなえられることはなかったけれども、夢を見るということはできた。 そして武蔵もまた、然りだった。身も知らぬ男、キャバレーという歓楽施設で知り合った男にすぎぬ武蔵から、贅の極みを教えられた。女給ではなくタバコ売りとしての小夜子を、掌中の珠のごとくに扱う武蔵だった。嫌悪感を抱かぬ訳ではなかったが、武蔵に引き合わせた五平にその嫌悪感がぶつけられた。とにかく金で買えるものなら、なんでも買ってくれた。銀座での一流店での食事も、小夜子を舞い上がらせた。小夜子のプライドをくずくり、周囲の女給たちにはうらやましがられ、果ては憎まれ意地悪もされた。しかしそれとて梅子という女給たちを束ねる女傑によって守られて、そしてなにより武蔵の一喝によって収まった。次第次第に武蔵に惹かれていく自分が許せず、より高慢になり、より高価なブランド品をおねだりするようになった。手のかかる女だ、そう思わせることによって、世の中には金で手に入らぬものもあるのだと示したいとまで思うようになってた。もちろんそれが己自身、小夜子であることは言うまでもない。 正三という許嫁がいること、逓信省という官吏になっていること、そしてなにより世界的モデルであるアナスターシアという守護神がいることを、宣言している。それでもなお小夜子を崇めるというのなら、平民が神をたたえるがごとき思いなのだと思い込んでいた小夜子だった。しかしいま、みなが小夜子元を離れていった。だれもいなくなった。茂作のそして武蔵の立場に小夜子が立ったとき、武士という我が子を庇護すべき立場に立ったとき、そのときはじめておのれのわがまま、傲慢さに、心底気づかされた。いや分かってはいたのだ、己のことは。ただ己の無茶振りがどこまで許されるのか、どこまでの高みに行けばこころが満たされるのか、それを知りたかった、感じたかった。 与えられる愛情の限界を知りたかった。世の母親の限界を知りたかった。そしていま、己がその立場になったとき、そのすべてを愛(まな)息子に注ぎたい、そそがねばならぬと決めた。 そして注いできた、はずだった。未来永劫に己(おの)が元からはなれず、のはずだった愛息子が、ともに暮らすべき愛息子が離れていく。大人への一歩を踏み出していく。あり得ないことが起きはじめた。世の母親は知らず、己にだけは小夜子にだけは起きえない、そう思っていたのに……。 母親として反対はできない。一縷の望みは茂作だった。茂作ならば反対してくれる。独り住まいなど許すはずがない。そう思っていた。しかしこともあろうか、その茂作が許した。それも、大学の寮という監獄に閉じ込めるというのだ。下宿ならば小夜子が会いに行くことを拒絶することはない。しかし大学の寮は、大病でない限り許されない。どうしてそんな仕打ちができるのか! …………己の、小夜子の所業を忘れていた。かつて小夜子もまた、茂作の呪縛からのがれるために、正三という駒を使って逃げだそうとしたのだ。そして加藤家という牢獄に押し込められた。 (四百六十五) そして現在のこと。 (たびたび過去と現在に行き来するのは、読み手のあなたに負担をおかけすることになるけれども、どうぞご容赦ください。筋立てをキチンとせずに書き殴るという、悪癖なのです。そのまま話を進めていこうかとも思いはするのですが、どうしても書いておきたい逸話が次から次へと浮かんでくるのです。後に推敲するとしても、うまく繋げられるかどうか不安な気持ちがあり、やむなく思いついたそのときに書きこんでしまっています。繰り返しになりますが、わたしの悪癖だと諦めていただきたく思います。申し訳ありません) 武士の、茂作に対する最初にして最後の反抗は、大学入試だった。茂作の希望した大学を、故意のミスにより失敗した。そして、滑り止めとして受験した現在の大学に入ったのだ。そしてそれは、茂作の呪縛から逃れることになった。 「武士! どういうことだ! 太鼓判を押されていたのに、どうしたことだ!」 はげしく茂作が詰めよる、鬼の形相を見せて詰めよる。 「どうしたの、ボクちゃん? あなたらしくもないわねえ。体調が悪かったのね? そうよね、そうなのよね」 必死の小夜子の弁解にも、武士はなんの同意も表さなかった。茂作から見れば、平然としてそしてせせら笑うかのようにも見えた。そこに、小夜子を娶りに、いや奪い取りにきた武蔵を見た。忌まわしいあのときのことを、いまふたたび眼前で見せつけられた思いだ。 「もういい、もういい。いまさらどうしようもないわ! 好きにせい」と、吐き捨てるように言うと、そのままふすまを開けて自室に閉じこもってしまった。 いままで反抗することのなかった武士が、突如として茂作にたてついた。いやたてついてはいない、茂作の、小夜子の意向を無視をしたのだ。聞く耳を持たずとばかりに、ひと言の言い訳もなく、そして唖然とする小夜子を残して、部屋を、家をでた。 陽は高い。曇り空ではあるものの、ときおり薄日がさしてくる。山頂を見上げれば、多くの樹木がたっぷりの枝を茂らせている。間伐の手入れがまったく行われていない。背の高い樹木の下には陽が差さずに、植物が育ちにくい。 良かれと思ってのことが、武士には苦痛になっている。幼いころはそれでも良かった。転ぶ先に、石ころを片付けてくれた。雨ふり後の水たまりでは、板を渡して水をさけてくれた。カンカン照りの日差しの下では、日傘をさしてくれた。小腹がすく前に、おやつを用意してくれた。のどが渇く前に、お茶を出してくれた。しかしそれがために、ひ弱な、こころが折れやすい子どもになった。 小夜子という美しい母をもったがために、周りからやっかみやひがみを受けた。茂作には情けないと叱られて、気持ちの優しい子と小夜子になぐさめられた。中学、高校と進み、勉学だけに打ちこむ毎日をおくる武士だった。教師の覚えがよいことが、女子からは憧れのまなざしを受け、男子からは侮蔑のことばを浴びせられた。そして毎晩、小夜子の床にもぐり込み、トントンと背中をたたかれて眠った。 明治生まれの頑固な祖父の元から抜け出した武士は、十分過ぎる自由を持てあまし気味になった。 小夜子が用意した賄い付きの下宿にはいる手もあったが、武士自身が申し込んでいた大学の寮に入ることになった。 お母さんが用意したのに、と不満を口にする小夜子だったが、寮に入ることで不摂生な生活にはならんだろうと、茂作の後押しもあり、入寮が決まった。 寮では見に行くこともできないわ=B不満のたまる小夜子だったが、茂作までもが武士側については矛を収めざるを得ない。月に一度の富士商会への出社時に武士の下宿先で一泊をというもくろみが外れてしまった。 あんなにお母さんお母さんと言ってくれた武士が、あたしの元をはなれるなんて=Bどうしても納得のいかない小夜子は、なんとか出社当日の食事を約束させた。武士にしても、茂作から離れられることにうれしさは感じるものの、小夜子と離ればなれになることには不安な気持ちが消えない。そしてまた富士商会の社員たちに会えるかもしれないと思うと、たとえ食事の場に呼べないとしても、小夜子とともに出社してみたいという思いがわいていた。 小夜子には、「是非にも武士坊ちゃんとともに」と、社員のほとんど――というよりも、真理恵ひとりがまゆをひそめているのだが――が口々に言ってくれていることが嬉しかった。そんな中で小夜子にとっては不愉快極まりないことがあり、それが五平のことだった。アルコールとタバコの匂いで包まれたスーツのことが、強く印象に残っている。 武士が「だっこ、だっこ」と五平にまとわりつくたびに、柳眉を逆立てて小夜子が連れ戻しにきたことも、幼いながらも記憶に残っていた。というよりも、竹田が思い出話として聞かせている内に、己の記憶としてすり込まれたのかもしれない。小夜子が会社を去ることになったとき、是非にも武士坊ちゃんをという強い要望から、武士を伴っての出社をしたときだった。 (四百六十六) 日付をさかのぼってのこと。 実家に帰ってはじめての出社日、武士を連れてのこととなった。 月に一度の出社ということにしていたが、田舎での歓待であとっいう間にふた月近くが経ってしまった。まだかまだかと催促の手紙がとどくなか、やっと武蔵のひとつぶ種である武士の来社が実現した。ちょこちょこと動き回るその様に、社員一同が大騒ぎをした。食堂での昼食後に集まっていた中を右に左にと走りまわり、社員たちのスカートやらすズボンにたっぷりの涎をつけて回った。 「坊ちゃんぼっちやん、こっちですよ。(あたしにも、ぼくにも)たあっぷりつけてくださいな」とハンカチを取り出して待っていた。 ところがそこへ五平が扉を開けて入ってくると、今度はこともあろうか、満面に笑みを笑みを浮かべてよたよたとかけ寄った。ズボンにしがみつくと、なかなか離れようとしない。どころか、タバコと酒のにおいを体中から発している五平に、「パアパ、パアパ」と、両手をあげて抱っこをせがみはじめた。 はじめはにこやかに見つめていた小夜子だったが、五平にしがみつくにいたって、みなが驚くなか、「武士! いらっしゃい」と、金切り声をあげて武士を引き離した。火のついたように泣き叫ぶ武士にたいし「お仕事の邪魔よ!」と、叱りつけてしまった。そのときはじめて、嫉妬心というものを知った。嫉妬されることはあっても、小夜子には無縁の感情だった。 武士の動きに、五平もまた同様に面食らった。武士が生まれてからというもの、すこし離れた場所から武士の成長ぶりを見守っていた。小夜子に嫌われているとは百も承知だ。武士の視界のなかに、五平はいなかったはずだ。病室で、「武士を抱いてやってくれ」と武蔵に言われても、いやいやと手を振って後ずさりしていた五平だった。 武士のなかに武蔵との想い出はなにもない。海水浴に出かけたおりの写真だけが、武蔵の愛情を示している。親子三人が写ったそのなかに、満面に笑みを浮かべた父親然とした武蔵がいた。小夜子もまた笑みを浮かべている。そして、武蔵に抱かれた武士だけが、泣いていた。そんな家族団らんから数ヶ月後になって、あの事件が起きた。そして病院の必死の治療にもかかわらず、年が押し迫ったころの凶事となってしまった。 半狂乱の小夜子に、武士がしがみつく。まだ事の意味が分からぬままに、父親の身に凶事がおきたことは感じていた。凜としていた母親が髪をふり乱している。千勢に抱かれたまま駈け寄ることができない。昨日までは「おいで、おいで」と手招きしてくれた母親が、今日は武士を身体いっぱいで拒否をしている。昨日までは口に含ませてくれた乳房を、今日はしっかりとボタンをかけて拒否をする。「ママ、ママ」。なんど叫ぼうとも、武士をふり向かない。 ただただ、激しく慟哭するだけだ。 千勢が「ぼっちゃん、ぼっちゃん」と、しっかりとその胸に抱きしめてくれる。必死に小夜子に手を伸ばしても、千勢がそれを押しとどめてしまう。昨日までは愛おしく感じていた千勢が、今日は恨めしい。 それよりもなによりも、もっと恨めしいのは、呪わしいのは……。布団の上に横たわる、武士をかわいがりつつも大人の匂いをプンプンとさせた、「パーパー」と呼びかけても、目を開けぬどころか口も聞いてくれぬ男が恨めしい。布団の上にどすん! と乗れば、「なんだなんだ」とばかりに飛び上がる機械人形が、今日はいない。そして生意気にも、「これか、これか」と、武士の身体をいじくりまわす生物――いまは物体がいない。 「こちょこちょしろ」と精一杯のいたずらを仕掛けても、その手は指は、そして眼(まなこ)もとじられたままだ。「ぼっちやん、ぼっちゃん。おつかれなのですよ、だんなさまは」と、武士をあやす声もしない。かわりに「だんなさまは、もう……」と、泣き崩れてしまう。 寺院本堂で、正面には大きな像がある。それが仏像なのだということは、まだ十年と言う月日を待たねば、武士には理解できない。仏像の周りには荘(しよう)厳(ごん)具(ぐ) が整然と並べられ、そしてきらきらと光る木の葉の形をした瓔(よう)珞(らく)が天井からぶら下がっている。僧侶がお経を唱え、参列者が香炉に香炉灰をふりかけていく。神妙な顔つきで、喪主である小夜子に「とつぜんのことで」」「ご愁傷さまで」、「気を落とさすに」と声をかけていく。そして小夜子の横にちょこんと座る武士に対しても、にこやかに微笑みながら「お母さんを大事にね」と、やさしくに声をかける。武士はただ口を真一文字に結び、「うんうん」と頷いた。 |