(四百三十一)
小夜子の一日は、朝の十時に出社し夕方は四時に退社する。朝の出勤時には「おはよう! きょうもがんばりましょうね」と、明るく声をかけている。社長室にはいると、徳子が「昨日の売り上げは、荷の入荷は」と説明にくる。うんうんと頷きつつも、特段なことのない毎日で、「ありがとう」のひと言で終わる。
その後は、来客があれば社長室で応対し、なければ閉じこもっている。新規開拓も一段落し――というより、「これ以上販売先を増やすな」と、耳を疑うような指示がでた。
「弱肉強食です」と言いはる服部にたいし、竹田が冷厳な事実をしめした。
「これ以上の商品配達はムリだ」。前日に荷物を積みこみ、翌朝に交通渋滞のはげしいなかを、複数台のトラックが出発する。しかし夜の七時をまわっても届けきれない。「もう店を閉める」、「受け入れ時間をすぎた」と、苦情の電話が鳴りっぱなしだ。
米つきバッタのようにあやまりつづける事務員たちが、苦言を呈しはじめた。さらには配達員たちのなかに、体調をくずす者がでてきてしまった。他社では、「同一商品で同一価格なら、富士商会で」と、暗に値下げを要求されはじめている。ここまでくると、「芸者営業だ」との非難の声を無視するわけにもいかない。
なにかの拍子に、他業者の団結をまねき、袋だたき状態になりかねない。商慣習としても、現状が異常なことは、五平も重々わかっている。で、小夜子の禁足が決まった。
そんな中ひと月にいちど、武士を連れてくる。わっと取り囲み、社員たちが大騒ぎをする。そのあまりの歓待ぶりに、武士が泣き出してしまった。徳子たちのぎこちない抱き方をされるせいか、泣き声のトーンがあがる。となると小夜子のあやしだけでは収まらない。
そんなとき、竹田があやしてみた。武士を抱いたまま椅子にすわり、電卓を与えたところ「キャッ、キャッ」と大喜びした。「さすがに未来の社長だ!」と、こんどは社員たちがキャッキャッ状態になる。そして五平の「さあさあ、仕事だ!」で、宴の終了を告げられる。
小夜子が、自席に戻ろうとした徳子にたいし「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、あとでいいから部屋に来てくれない」と声をかけた。日常の業務報告ならば、当然のことにこののち報告にいく。それをことさらに、部屋まで来てくれということばに、なにがしかの悩みを抱えているのではと小夜子の異変に気づいた。
あいかわらず社員たちは、小夜子を社長ではなくお姫さまと呼んでいる。新しい経営者としての己を思いえがいていた小夜子にとって、あるいみ屈辱的呼称なのだが、いまはお飾りに過ぎないのだ≠ニ自覚している。
その証拠に社長としての決裁事項は、すべて五平が行っている。月に一度の業務会議にしても、すべて五平が仕切っている。小夜子には議題にのぼるすべてが理解できない。黒板に書き込まれる数字だけはわかる。売り上げと仕入れの額をグラフ化されたものをみれば、業績向上もわかる。
そしてそれが小夜子効果だと説明され、拍手が起きると嬉しくなる。貢献しているのだと自覚できる。しかし武蔵がのこした負の遺産ともいうべき、証文騒ぎの処理でミソをつけてしまった。相手の言うがままに押し切られてしまった小夜子に、社員の評価が真っぷたつにわかれた。
(四百三十二)
女子社員は同情し武蔵を責め、男子社員は小夜子の軽率さを指摘した。そのなかでひとり竹田だけは、立場をきめかねた。小夜子を知る者として、双方から責め立てられた。
「軽率であることはちがいないけれども、その人情味あふれるところが、お姫さまじゃないのかなあ」
そのことばによって、全員が「お姫さまと、ともに!」と拳をあげた。そのことを伝え聞いた小夜子は、竹田が己のわがままにだまって付き合ったことや理不尽な怒りをだまって受け止めてくれていたことを思いだし、そしてまた武蔵からは多くの愛情をうけとっていたことが思いだされた。
多くの約束をして、そのほとんどを叶えてくれた武蔵だった。「浮気したでしょ!」。小夜子のなじることばにも、にこやかな表情を見せる武蔵だった。
いまにして思えば、そんな小夜子のことばに癒やしをおぼえていたのではないか、そう感じられる小夜子だった。そして「お姫さまを見初められてから、社長は変わったよね」という女子社員たちのことばで、小夜子のほとばしるような喜怒哀楽もまた、武蔵に人間らしさを取りもどさせていたのかもしれないと思うようになった。
「どうされました、お姫さま」。徳子がソファの小夜子に声をかけた。
「あ、あのね」。次のことばが、なかなか出てこない。どう切り出せばいいのか、なかなかことばがつむげない。どう話したところで、小夜子の意が伝わらないような気がしていた。どんな風に言ってもそして問いかけても、小夜子のわがままとしか受けとられないのではないか、そう思えていた。
幸いにも武蔵亡きあとの富士商会の業績はよい。武蔵の号令一下で動いていた社員たちにも、さほどの動揺もなくすんでいる。
「自分で考え、判断し、動く」
受動態だった風潮が能動態に、うまく切り替わっていた。
「知恵を出せ、汗を出せ、出せない者は去れ」
強権的な会社風土が、いまでは上長の指示がなくとも、己の判断で動いている。
もちろん失敗はある、トラブルもある。武蔵の時代では、即減給となる。それが緊張感をうみだしていた。いまではそれが懐かしいと感じるほどに、寛容な会社になっていた。ひとりの天才軍師が動かすのではなく、それぞれの部門長たちの協議で指針が決まり、それをもとにそれぞれが動いている。
ひとりの天才プレーヤーが動かすのではなく、組織体として全員が動くようになりつつあった。組織としてのルールが設定され、人治ではなく法治体制がとられている。以前の、武蔵が培った家族経営を懐かしむ声もあがりはするが、それはあくまで郷愁的なもので、そのころに戻ろうという機運はない。
(四百三十三)
無味乾燥だった社長室が、まったくの別室に変わっている。大きな机の上に、大きな花瓶が置いてある。そしてその中にはシャクヤクの花が活けられ、ソファのテーブルにはチューリップが置かれている。窓には黄色のカーテンが取り付けられ、その横の帽子掛けには造花がそえられている。
書籍棚のなかには、いかめしい経済書や会社録が収められている。下段には、小夜子らしい「女の生き方」「婦人公論」そして「青鞜」がならべられていた。向かい側のかべには大きな鏡がとりつけられて、全身が映し出されるようになっている。小夜子の主な仕事である取引先の接待時には、その鏡が大活躍する。数人の若い女子社員たちとともに、キャッキャッと騒ぎながら装いをコーディネートしていく。
武蔵が愛用したソファに座るようすすめながら、「あのね、徳子さん」と切りだした。いつもにくらべて暗い表情をみせる小夜子に身構えながら、「夜の接待はおつらいですか? やめましょうか、もう」と、探りを入れた。
小夜子の悩みの種である夜の接待を切りだしてくれたことに、やっぱり徳子さんは優秀だわ。武蔵がなかなか辞めさせなかったのもうなづけるわ≠ニ、納得感がわいた。徳子が武蔵の愛人だと知ったときに、「辞めさせて、そんな女は」と噛みついたことがある。
いつもは小夜子の意に反することはしない武蔵だったが、このときばかりは
「すまん。それだけは勘弁してくれ。もう関係は切っている。今後もいっさい男女の関係はもたん」と、土下座をせんばかりに懇願した。以降もことあるごとに噛みつく小夜子にたいし、
「こればかりは許してくれ。あいつほど優秀な事務員はいないんだ」と、そのつど頭をさげた。
そしていま、残ってもらって良かったと、心底思う小夜子だった。
「そうなの。夜はね、武士との時間にしたいの。なんとかなる?」
手を合わせんばかりの小夜子にたいし、
「お姫さま。誤解しないでいただきたいのですが」と、徳子が思いも寄らぬことを告げた。
「どうでしょう。そろそろ会社から身を引かれては。せめて武士坊ちゃんが中学に上がられるまでは。社長ではなく、嘱託として残られませんか」
小夜子も、考えないでもなかった。会社でいまのような無為な日々をおくることになんの意味があるのか。しかし、と、それを否定する小夜子もいた。なにもしていない、なにものこせていない
武蔵亡きあと、おぼろげながらも富士商会の未来をつくってみたいと思った。あたたかみのある家族経営である富士商会としてみたいと思った。相撲部屋のように親方と女将さんがいて、弟子たちすべてが子どもとなる。
誰とて隔てなく愛情をそそぎ、しかし甘やかすことなく厳しい稽古をかさねて、幕下幕内、そしていっぱしの力士へと育て上げる。いまは親方がいない、異常事態なのだ。おのれが中心となり、富士商会という家を守りたいと思った。身を引く、継続する、相反する気持ちが、小夜子のなかに生まれていた。
「ほんとに、誤解はなさらないでください」
眉間にしわを寄せて、辛そうに申し訳なさそうな表情をみせ、ことばがつづいた。
「お姫さまのご尽力で、業績は右肩上がりです。これ以上は望めないほどの、業績です。ですが、限界にきました。いったん足踏みをしたいのです」
ことばを発しない小夜子にたいし、「ほんとに、誤解なさらないでください。お姫さまは、富士商会の宝なんです」と、つづけた。
渡りに船だった。小夜子の弱ったこころを察してのことかのような、徳子の提案だった。富士商会の宝、小夜子にもよくわかる。
「当初のように、週に二日でけっこうなんです。夜の接待はなしにしましょう。昼間に、ここで歓談していただければ十分です」
ひと呼吸おいて、徳子がつづける。
「じつは、これは竹田の提案なんです。竹田が言うには、『ぼくがいえば、お姫さまは反発なさるかも』と心配しまして。ですので、あたしの口から言わせていただきました」
ソファから立ち上がり、深々とおじぎをする徳子だった。
(四百三十四)
「ありがとう、徳子さん。でもね、あたし、もうすこし頑張ってみようとおもうの。せっかくタケゾーが起ち上げた会社でしょ? タケゾーの思いがいっぱいつまってる会社よ。あたしももっとお勉強をして、みんなのお話にはいっていけるようにしたいの。待って、さいごまで聞いてちょうだい」
立ち入ってはならぬゾーンへ小夜子が一歩を踏みだそうとしているのではないかと、危惧するおもいにとらわれた徳子だった。現在の社員たちの思いを勘違いしていると感じた徳子が、小夜子に一線を越えることばを発せないためにいまここで止めないと、と口をはさもうとした。
「最近ね、なんだか会社内がギスギスしてる気がしてるの。以前はね、もっと笑い声がたえない職場だったじゃない? いまみたいな口論なんて聞かなかったわ。昔のような家族経営にもどしたいのよ。分かってくださる、徳子さん」
このことで社内がいっきに騒がしくなった。数字にこだわりつつも、個々それぞれの事情を勘案してくれた武蔵だった。しかしいまは、個々の事情、その背景は無視される。純然たる数字だけが求められている。上長からの指示はうけずに、おのれの采配で判断することは許されている。しかし裁量範囲が大きくなる反面、責任も負わなければならない。
それを良しとする者もいれば、まずいと感じる者もいる。そこで配置転換を希望できることとなった。しかし花形の営業から裏方の配達員への異動を希望すれば、周囲の目はつめたい。できない男、と烙印を押されてしまう。
人治ではえこひいきがはびこりやすく、法治では数字だけが優先される。たしかに武蔵の掌握術はたけていた。それは万人がみとめるところであり、賞賛もされた。しかし武蔵亡きいま、小夜子には不安がまといつく。
感情の起伏が激しいことは、周知の事実だ。といってそれは、武蔵相手であり竹田にたいしてだけのことでもあった。他の社員が叱責をうけたことは、いちどたりともない。小夜子の自制なのか、それとも相対することがなかったことからなのか。
「すこし考えさせてもらえるかしら。楽になりたいという気持ちはあるのよ。でも、それではタケゾーに申しわけがない、そんな気持ちにもなるの」
本音ではない、建前だと、小夜子にもわかっている。会社の内外からチヤホヤされている現状を、いまの立場を捨てきれない、その感情が自分のなかにあるとわかっている。しかし一方で富士商会の現状が、武蔵が創りあげてきた富士商会とは異質なものに変貌しようとしている現状が許せないでいた。
いまの富士商会は、タケゾーのつくった富士商会なんかじゃない!=Bそんな気持ちが小夜子のこころを覆いつくしている。
武士が継ぐべき会社なの。でもそれは、こんな富士商会じゃない!=Bどうしてもそんな気持ちがぬぐえなかった。
(四百三十五)
自宅にもどり、千勢からきょうの武士を聞くにつれ、すやすやと眠っている武士を見るにつれ、小夜子のこころにまた、たゆたう想いがうまれた。
武士のいまは、千勢だけが知ってるのよね。つかまり立ちした、ヨチヨチ歩きをした、ことばを発した。千勢のことばでしか、わたしは武士を知らないんだわ
家のあちこちにあった武蔵のにおいが、日一日とうすれていく。おとといは玄関からにおいが消えた、そして廊下のかべからも。「ガラガラ」と音をたてて、武蔵がかえってくる。ドタドタと音をたてて。千勢が走って玄関先に行く。
「騒々しいぞ、千勢。せめてパタパタにしてくれ」。そう武蔵が言う。ところが二階からは、ドカドカという音をたてて、こんどは小夜子が下りてくる。苦笑いをしながら、こりゃだめだと肩をすくめる武蔵だ。
「おかえり!」。そのひと言に、武蔵のつかれがふっ飛んでいく。千勢が目の前にいるにもかかわらず、靴を脱ぐのももどかしげにとっちらかして小夜子を抱きあげる。
「うーん。小夜子のににおいだ、どんな花よりかぐわしいにおいだ」
千勢が、脱ぎ捨てられた革靴を、カマホゾ組みと称されるつくりの下駄箱にしまい込む。木炭をならべてにおいをとっているが、ムッとするにおいは残ってしまう。
「もっとたくさん入れて! くさいんだから、武蔵の靴は。あたしの靴ににおいがうつらないようにして」
そんなことばが、いまは懐かしい。もう武蔵のにおいは消えてしまった。
そしてきのうには、居間から消えた。武蔵が愛用したソファからは、小夜子のにおいだけが――武士が飲みこぼした、ゲップで吐き出した母乳のにおいだけがある。
ゆったりとソファに体をあずけて、庭の樹木を愛でながらラッキーストライクのたばこをくゆらす武蔵が、小夜子の脳裏にあざやかに浮かびあがる。うたた寝をした武蔵がつけた、たばこの焦げあとを、武蔵が愛飲したラッキーストライクの香りがしないかと嗅いでみるが、それも詮ないことだ。
そしていま。二階の寝室でベッドに横たわる小夜子のとなりには、武士がスヤスヤとねむっている。ふたりして武蔵のにおいにつつまれながら、スースーと寝息を立てる武士を見やっている。
「ごめんね、武士。あたし、ムキになっていたわ。ほんと、ごめんね」
そうだった。わたしの、いちばんの仕事は社長業なんかじゃないわ。武士を育てることだった。武士を一人前の男にそだてることだった
いますぐに新しい女になる必要はないわ。先はながいんだもの。武士を育てあげてからでもおそくはないわ
新しい女は、新しいことをする女じゃない。自立した、自立できる女のことなのよ
小夜子のこころがきまった。
(四百三十六)
翌朝、徳子に「専務を呼んでちょうだい」と告げた。なにごとかと社長室に飛びこんできた五平にたいし、
「専務。あなたに社長職をゆずります。いえ、あずけます。武士を立派にそだてあげるのが、わたしの仕事でした。そして専務。武士をりっぱな社長にしてちょうだい。これがタケゾーの思いでしょう」
机のまえに直立不動の姿勢をとる五平にたいし、宣言文を読むように告げた。そして表情をくずすと、
「本当はあなた、タケゾーからそう聞かされていたんじゃないの? タケゾーがひと言もなく逝くなんて、おかしいもの。あの日の早朝、そんな話になっていたんじゃないの」と、なかば詰るような口調になってしまった。
「タケゾーの口からあたしに告げられたのは、『武士をたのむぞ』だったもの。あたしの小っちゃなプライドをおもんばかってのことだったんでしょ? ありがとう、専務。いえ、五平さん」
椅子から立ち上がって五平の元によると、五平の手を両手でしっかりとつかみ「富士商会をたのみますね」と、満開になった桜のような満面の笑みを浮かべた。
小夜子の決意が全社員に告げられ、さまざまな声が発せられた。大半は「お疲れさまでした」の声だったが、「早すぎます」、「納得できません」と惜しむ声もあった。
「とつぜんすぎます、花束もご用意できないなんて」
徳子の声があがったとき、堰を切ったようにあちこちですすり泣く声がきこえた。
「辞めるわけじゃないのよ、火曜と金曜には来るんだから」。小夜子のことばに万雷の拍手がおこった。
これで良かった。いきなり俺が社長になっていたら、こうはいかなかった≠ニ、五平が己の判断を、おのれにほめた。
涙する事務方のなかでひときわ大きく声をあげて泣いたのが、意外にも徳子だった。人目もはばからず涙する徳子など、お局さまとしてのご威光を発揮してきたことが嘘のようにおもえる。もう会えないのではないか、そんな感傷にとらわれた徳子だったが、嘱託として会社にのこり火曜と金曜日に出社してくるのだ。そのことを進言したのが己だというのに、下卑ないいかたをすれば裏切り者という思いいが消えない。
そもそもが、徳子から武蔵という愛する男をうばったにっくき女であるのに、なぜかこころを通わせてしまった。わがままで気分屋で唯我独尊とばかりに武蔵をふりまわす。とうてい徳子には真似できないことを平然とする。徳子には思いもつかぬ悪口を平然と口にする。
しかしそれを武蔵はいとも簡単に認めてしまう、許してしまう。そして徳子もまた、それを当たり前のこととして認めてしまう。二十歳そこそこの小夜子を、まるで妹に接するがように愛でてきた。
(四百三十七)
服部が、[社長退任慰労と嘱託就任祝い]なる奇妙な発案をした。だれも異を唱えることがなくすんなりと決まるかにみえたが、当の本人が首をたてにふらない。
「そんなことにお金を使わないで」と、五平のことばで小夜子が反対した。
「専務のケチケチが移っちゃった」。そんな陰口があちこちから聞かれた。しかし実際のところは、五平が服部に「俺がいうのも変だから、服部から提案してくれ」と耳打ちしたことだった。
武蔵の死後、五平の意識が百八十度転換した。
「社員たちを大事にしてやってくれ。あいつらの頑張りのおかげで会社が育ってきたということを認識してくれ。もう俺たちが味わってきた屈辱は、終わりにしよう」
あの朝、「遺言だとおもって聞いてくれ」ということばが、まだ耳に残っている。
「大和魂なんてことばは、俺たちで終わるぞ、きっと。GHQが植えつけたアメリカ文化が、これから日本にもはびこるはずだ。『お上の言うことには逆らえねえ、ごもっとも』なんて時代は終わったんだ。もうけたら社員たちにもいい思いをさせてやってくれ」
すぐさまこの社長交代人事が取引先に連絡された。販売先と仕入先関係で評価が別れはしたものの、「早かったですなあ」という声が圧倒的だった。小夜子の未知なる経営手腕に不安がありはした。しかしさまざまな周囲からのサポートを受けつつ勤めあげていることから、その不安も次第におさまっていた。そのさなかの交代劇なだけに、なにか衝突が? といぶかしがる声もありはしたが、想定の範囲内であることから好感を持って受け入れられた。
しかしそんななか、ひとりほくそ笑む者がいた。
「あたしの出番ね!」。五平の妻、万里江が五平に詰めよった。
「あの人になんか任せてられない。あたしが陣頭指揮を執るわ!」。 そしてここに富士商会における、新たな女帝がうまれた。
小夜子の嘱託としての活動は、相変わらずの取引先へのあいさつまわりだった。ところがある取引先において、会社案内をさせてほしいという申し入れがあり、それをむげに断ることもできず、滞在時間が延びてしまった。同行していた竹田だけが先に帰ることになってしまった。そのことを聞きつけた他の会社が、うちの会社もと申し入れが重なり、けっきょく相手先の車が送り迎えをすることになった。
当初こそ「そこまでの女なの?」と、ねたみそねみの思いを抱いた真理恵だったが、社内で采配をふるうことには好都合だと考えるようになり、よろこんで送り出していた。
(四百三十八)
進学援助の後日談。
小夜子の故郷における[御手洗武蔵のあしなが基金]が活用されることはなかった。これまでにはあの正三だけが上級亜学校に進学していた。二年間で五人が挑戦したのだが、全員が討ち死にとなってしまった。こうなるとあとにつづく者たちも怖じ気づいてしまい、三年目には手を挙げる者がいなくなってしまった。その事態は、武蔵にも思いおよばぬわけでもなかった。そもそもが社交辞令的な提案であり、繁蔵の尊重選への援護射撃であり、そして茂作への置きみやげだった。
しかし村人のあいだから不満が噴出した。理不尽なことだとはわかっているのだが、前村長派からの「はなからムリじゃと思っておったんじゃ。金なんぞ出す気はなかったんじゃ」との挑発的なことばで、怒りが爆発した。
竹田家からは大婆さまに茂作、役場からは村長の繁蔵に助役そして企画課長で、鳩首会談がおこなわれたものの、名案が浮かぶはずもない。その内に「あいつらは試験を受けずに遊びほうけておった」などと、根も葉もないうわさが飛びかった。経過報告に「茂作に行かせては」という声があがったけれども、「あんな男のもとになんぞ行けるか!」と、頑として茂作が拒否した。苦慮した末に、武蔵へことの顛末を手紙で知らせることになった。
事態を知った武蔵は、「だろうな」と苦笑いするだけだった。といってこのままに放っておくわけにもいかない。どうしたものかと考えあぐねているうちに、茂作から小夜子宛の手紙がとどいた。村人たちの下にもおかぬ接遇を書きつづり、なんとか武蔵をたらし込んでくれと言わんばかりの手紙だった。
武蔵のせいじゃない! 勉学をおろそかにする方が悪い! と、怒り心頭になった。といってこのままでは、竹田本家はもちろん茂作までになんらかの意趣返しがおこるかもしれない。いいしれぬ不安にかられた小夜子は、意を決して武蔵に話した。
「分かった。心配するな、うまく処理するから」
結局のところ、寄付金として村に送りつづけることで話し合いがついた。もともとが武蔵の善意からのことであり、それ以上のことはできない相談だ。村長である繁蔵の決断で、二日にわたって行われる盆踊りにおいて村民全員へ二日分の仕出し弁当を配るということで話をおさめた。そして一世帯に一本の日本酒がとどけられ、子どもたちにはお菓子が配られることになった。
さらにはやぐらが新しく造られることになり、小学校の校庭に組み立てられたその上で、これもまた新規購入した大太鼓が叩かれることになった。それまでも大勢の村人たちが集まっての踊りだったが、仕出し弁当が用意されたことで食事の用意から解放された女性陣総出となり、かつてない人数となった。
(四百三十九)
そして武蔵の死後、この支援金をめぐってひと悶着がおきた。武蔵個人の発案なのだからいままで寄付金を会社が用意したのが間違いだと、支店長である佐多がかみついた。会計処理上は寄付金という名目での支出だったがゆえに、これまでの処理は認めるとして、今年度からは廃止すべきだと声を大きくした。
しかし小夜子にしてみれば、武蔵の死でもって終わらせることなどとんでもないことだ。それでは茂作がまた、昔のグータラ生活にもどってしまうのではないのかと危惧した。ひとつぶ種の武士が成人し嫁をとり、そして富士商会のあとを継いだおりには、小夜子は村にもどる決心をしていた。
そのときのためにも、凱旋できる実績をつくっておきたい。なので支援金はなんとしてでも残しておきたいのだ。富士商会内部において情に訴えかけることしかできないおのれが歯がゆかったけれども、必死の思いで継続をもとめた。
幸いに会社では小夜子に社員たちの大半が賛意を示している。五平もまた、武蔵の遺志であることは重々承知だ。しかし家庭にもどれば万里江に責め立てられる。銀行に赴けば、佐多に責め立てられる。板ばさみになやむ五平に、「ミタライ社長への慰労金を活用しては?」と、徳子が奇策を提案した。
その案に飛びついた五平が小夜子を説得して、武蔵への退職金を[御手洗武蔵のあしなが基金]に繰り込むことで、存続させることにした。村側には、以降10年間という期限をもうけることで了解をとり、佐多にも納得させた。
「ケチくさいことを」と陰口をたたく職員もいたが、これまでのことを考えるとこれ以上の無心はムリだ、と村長である繁蔵が受け入れた。
村の発展のためにと、武蔵の尽力により風光明媚な観光地としてホテルが建てられた。旅館の方がいいのではと村側は陳情したが、「これからはホテルの時代です」と押し切った。ムリだと思われた源泉発掘が奇跡的にうまくいき、温泉ホテルというブランドが受けて、村に潤沢な税が落ちることになった。
さらには草木染めの職人が呼ばれ、自然豊かな山からの恩恵を受けて土産品としても村の財政に寄与した。五百人足らずだった村民も、働き口のないことなどから隣県などに移住していた村人たちの帰還により、一気に住人が増えた。そしてこれらの陰に武蔵の各官庁にたいするつよい働きかけがあったことが、繁蔵の発表により村人全員の知るところとなった。
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