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| (四) |
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| 高校に入って初めての夏休みのことです。声をかけられたのは夏休みにはいるすこし前のことです。上級生の女子に声をかけられました。純朴な青年じゃなくて、まだ少年ですね。「すこし話をしたいんだけど」だったか「楽しいところに行かない?」だったか、そんなようなことだったと思います。女子との会話なんて、挨拶のことばすらまともにかわせない時期のことですから。いや女子だけではなく、同性とも話をした記憶がありません。学校に着いて一時間目の授業をうけて、給食を食べて二、三、四時間目の授業を受けて、ひと言も声を発することなく帰路についた日もありました。 すみませんねえ、いつものくせで。なかなか本題に入らなくて。入ります、すぐに。そんなわたしですから、その女史にたいしても声を発することなく、ただただ頷くだけでした。どこかで待ち合わせをして、向かった先がどこかの体育館だったような、とにかくだだっ広い部屋でした。 そこに若者たちが大勢いましたが、そのなかのひとりが見覚えのある人でした。なぜ分かったかというと、ある意味有名人でして。学校の正門前で、登校してくる学生たちにビラを配ったり演説をするグループがいまして、そのリーダーだったんです。先生たちといつも押し問答をしている人で、そういうことで有名人だったんです。 その場所でいきなりフォークダンスがはじまりました。わたしも女子生徒に手を引っぱられて輪のなかに入らされました。ですがわたしはただ突っ立っているだけで、進めません。というのも、経験がないんです、わたし。女子生徒と手をにぎりあって踊るなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない、できないことなんです。 すぐに輪から離れました。何度か誘われるんですが、ただただ離れた場所で突っ立っているだけでした。その後に車座になって床に座り、あのリーダーが中央に入って演説をはじめたんです。要するに勧誘だったわけです。わたしの他にもそうやって連れてこられた学生が多々いまして、居心地のわるそうな顔をしていたと記憶しています。後に知ったのですが、民青とかいう組織のようです。 その後ですか? きっぱりと断りました。ええええ、きっぱりとです。ただあっけないものでした。「あ、そう」てなもんでしたから。こちらが拍子抜けするぐらいでしたから。もしももしも、もういちど、いや三顧の礼をもって迎えられていたら……、またのこのこと付いていったかも? 冗談ですがね、これは。彼女はオルグのスカウトウーマンだったわけですね。ですから、きれいな女性だったわけですよ。いわゆるデートのお誘いだと、驚天動地状態のわたしだったわけです。完全に裏切られたわけですし。まあ相手にしてみれば、わたしみたいな軟弱な男を勧誘しても、ということだったんでしょう。でも意外にわたしみたいな男が、組織に対しシンパシーを覚えたら、猛烈組織人になったりして、ね。 仲間ということばはあまり使いたくありませんが、当時のわたしは独りなんですわ。小六のときに九州から岐阜市いう本州のど真んなかに引っ越して、そして半年間の小学校生活を送り、親友とよべる相手もつくらず。いや、つくれず、か。そして県内でも最大学生数を誇るマンモス中学に入学。三千人とも言われる人数の中に放りこまれました。まさしく、わたしにとっては放りこまれたのです。 すでに兄は卒業しています。しかし兄は立派な足跡をのこしていました。県内一の進学校に入学しているんです。「おお、きみが弟か」。「兄さんほどではないにせよ期待してるよ」。複数の教師から声をかけられます。けれども、わたしはわたしであり、兄ではないのです。 新年に入りました。さあつづいては、初ナンパのことです。「清水の舞台からとびおりる」というのは、こういうことを指すのでしょうねえ。ナンパの経験はあるといえばありますし、ないといえばないです。またまた禅問答のようになりました。お怒りになる前にわたしの心情らしきものをひとくさりお聞きください。 対人恐怖症、それとも女人恐怖症? 面と向かっての会話が苦手でして、だれかを間に入れてのことならばいくらでも話が出来るのですがねえ。いえいえ、何度もいうようですが、昔々のことですから。ですので、わたしの場合は直の会話よりも手紙という手段をとりました。 まあねえ、いまでもその名残りというのでしょうか、携帯電話の常態化にある現代においても、直電が苦手でメールなりを多用しています。そういえば現代の若者たちもまた、ラインなる通信手段が多いとか。通信費の節約ということからなのでしようが、それが高じての対人恐怖症にならなければよいのですが。またまた長口舌になりました。それでは人生初の、直接ナンパ(こんな単語があるかどうか、また相応しいかどうかは分かりませんが)のエピソードをどうぞ。ああここからは、わたしは神としてふるまわせて頂きます。悪しからずです。 長いながい、少年の煩悶がつづいた。〝どうして……〟。〝なぜ……〟。〝どうする……〟。〝どうやって……〟。〝どうして……〟。〝なぜ……〟。悲しいことに、なにをどう煩悶しているのか、少年には分かっていない。ことばだけが堂々巡りしている。 少年の視線の先にいる女は、食い入るようにバンドを見つめている。〝ほら、ほら、声をかけてやれ〟、〝ほら、ほら、待ってるんだぞ〟。煩悶が、いつしか逡巡に変わっていた。靴のかかとが、コトコトと音を立てている。よしっ! と、握りしめたこぶしも、すぐに力が抜ける。気を取り直しての力も、かかとが床に着くと同時に、立ち上がろうとするとゆるんでしまう。 気づくと、バンドが交代している。身を乗り出さんばかりだった女も、ストローを口に運んでいる。バンドのボーカルが、マイクスタンドを蹴っては、がなりたてている。素っ頓狂な声を張り上げている。「シャウト! シャウト!」と、なんども叫んでいる。ホールで踊りに興じる若者たちも、「シャウト!」と、合わせて叫んでいる。ボーカルに合わせて、こぶしを振りあげている。天井には大小のミラーボールがまわり、四方のかべに色々の色彩で投射している。踊り狂う若者たちもまた、ラメに反射する色の洪水にもまれている。 少年が立ち上がった。しかし逡巡はつづいている。帰られるのだ、このままなにごともない顔をして帰ることができるのだ。しかし少年の足は、あの女のもとへ動いた。手足のない達磨のような少しの歩みではあっても、確実に少年の歩はすすんだ。亀のようにのろい歩みではあっても、たしかに女のもとへ。竜宮城の乙姫のもとに。 少年には永遠の時間のように感じた、その道のり。話に興じるアベックたちの間延びした声が、少年の耳にとどく。バンドの音楽も回転数を間違えたレコード音のごとくに、間延びして聞こえる。少年が立ち上がって、ものの五、六秒。三つのテーブル先に陣取っていたあの女が、いままさに目と鼻の距離にいる。そして階段も、ほんの一、二メートル先だ。 「あのお……」。少年は、自分でも信じられないほどに容易く女に声をかけた。つまりつまりしながらも、少年が女に話しかけた。いぶかしげに見あげる女にたいし、精一杯の真ごころをこめて話しかけた。付き添いの女の雑音にはまるで耳をかさず、ひたすら女にむけて発信した。少年の熱い目線を避けてうつむくだけの女にたいして、異国のことばで語りつづけた。 「止めなさいよ、midori! このひと、すこしオカシイんじゃない」。悲鳴をあげる豚のように、金切り声をあげた。まわりの若者たちが一斉に彼に視線をおくる。彼には「ガンバレ、ガンバレ」と聞こえ、ケバい女には「カッコ悪う」と聞こえている。 「あなたをイメージして、詩を書きあげたんです、いま。こんどは、小説を書いてみたいんです」 走り書きしたメモ用紙を見せて、彼女を納得させた。 「わたしも、詩を書いてるんです……」。嬉しいことばが発せられた。思いもかけぬ優しいことばに、彼の脳内は爆発寸前になっている。 (ああ、なんてキレイな声だ。それにぼくの差し出したメモ用紙に、midoriさんが住所を書き込んでくれるなんて。もういい、明日が来なくても、この店を出たとたんに車に轢かれてもかまわない)。感激屋の少年です、面目躍如の感情に浸っています。 「知らないからねえ、あたし!」。あきれ顔で、連れの女がいう。 「ダイジョーブ! 詩を書く人に、悪いひとはいないわ。それに、素敵よ、この詩。わたし、好きよ」 (にこやかな笑顔が、ホント眩しかった。これは、マジで頑張らねば……)。 花が咲いたよ パッと赤い花が 咲いたよ 白い花も 咲いたよ ぶぁーっと お花畑いっぱい 咲いたよ 陽が照ってきたよ サッと 青い花が背伸びしたよ 緑の花も背伸びしたよ わぁーっと お花畑いっぱい 背伸びしたよ 風が吹いてきたよ ドッと 赤い花が踊ったよ 白い花も 踊ったよ どぁーっと お花畑いっぱい 踊ったよ 水が撒かれたよ ワッと 青い花が喜んだよ 緑の花も喜んだよ うぁーっと お花畑いっぱい 喜んだよ お花たちが言ってるよ ありがとう! うれしいな! それなのに、もう一枚のメモ用紙に書かれた…… なにひとつ不満のない生活━ 愛する妻がいて、愛する子どもがいて、 絵に描いたような幸せな生活 ベビーシッターとして現れた、娘 妻との生活をエンジョイするための、娘、のはずが…… 男は、同時に複数の女性を愛せるものらしい 女は、どうなんだ……? 答えがかえってきた 「冷めるわ!」 おお、恐あ! 幸せな時間に浸りきることができない、かれ。常にふたつの世界を思いうかべるカレ。どうしても、自身を信じきれない彼なのか。 さてさて次なる場所は、福岡県久留米市篠山小学校です。ここには特産品がありまして。それをご存じですか? 素晴らしい! 久留米かすりでゆかたを作ってもらった記憶があります。白地に紺の模様入りだったと記憶しています。夏祭りに着させてもらったはずです。のりが利きすぎていてゴワゴワ感が半端じゃなく、首元がチクチクと痛かったです。市内の篠山小学校に通っていたといっても、住居は田舎でした。それがどこだったのかが、いまとなっては分かりません。汽車とバスを乗りついで通学をしていたという記憶が、しっかりとあります。電車ではありませんよ、「シュッシュッ、ポッポ」の蒸気機関車です。D51? C63? なんだったでしょうねえ。それと、バスは木炭自動車ではないですからね。現在と同じディーゼルエンジンですから。 列車とバスを乗りついでの通学だったとお話ししましたが、久留米駅の前に大きなバスセンターがありました。そこから各方面のバスが発着していました。現在はないようですね。そのおとなりに喫茶店がありまして、全面のガラス窓がありました。そこで大事件です。大人たちが、飲み物とともに、ショートケーキをほおばっているんですね。それがうらやましくて、羨ましくて。(大人になったら、ぜったい食べてやる!)。そう決意したのです。 駅からはバスを使って小学校に通っていましたが、いつも同じ車掌さんでした。定期券を使っての通学ですが、けっこう大人たちが顔パスで降りていくんです。これ、覚えておいて下さいね。 ある日のことです。いつものようにバスに乗りこんで、顔なじみの車掌さんに「おはようございます」と挨拶しました。そして「こっちにお出で」と呼ばれ、車掌さんのもとに立ちます。そして車掌さんに抱かれるようにして立たせてもらいました。幸せな時間ですよ、ほんとに。柔らかい胸に顔をくっつけて、甘い香りに包まれていました。たぶん。そう、お分かりですね。痴漢対策でしょうね。ギューギュー詰めが多く、ときには乗降口のドアを開けて、手すりにつかまりながら車掌さんは身体を外に投げだすようなこともありました。発展途上国のニュースで見た経験はありませんか? 日本でも、昭和三十年代前半では当たり前のシーンでした。 そんなある日のことです。降車の段になって、定期券を忘れてきたことに気が付きました。もう、ドキドキですよ。「ていきけん、わすれました。ごめんなさい」。ひと言そう言えば、大目に見てくれると思います。でも、言えないんですね。そのまま顔パスしちゃったんです。ひょっとしたら、顔を真っ赤にしていたかもしれません。案外、車掌さんはお見通しだったかも? です。ところで不思議なのが、バスの顔パスは覚えているのですが、汽車はどうしたのか……。当然のことに、汽車も定期券です。どうやって降りたのでしょうか? だれか、教えて下さいな。 問題は、帰りです。もう顔パスは通用しません。学校から駅まで、どのくらいの距離だったか。googleマップで調べると、七、八百めーとるでした。時間にして十一分ほど。子どもの足だと、十五分それとも二十分? 駅まで行かなければ、家まで帰るルートが分からないのです。現代のようなスマホによる地図検索なんてできません。道を尋ねるにしても、住所なんか知りませんし。ともかくも駅まで行き、線路伝いに帰るしかないんです。 線路は道路沿いばかりではありません。鉄橋を渡ることもあったと思いますし、田んぼやら畑の真ん中を横切ったりもしたでしょう。鉄橋? どうやって渡ったのでしょうか。記憶が……。ちょっと待ってくださいね。いまむりやりに記憶の引き出しをこじあけていますから。そう、そうでした。すこし離れたところに、人だけが通れるほどの幅が半間ほどの狭い橋がありました。「都合よく記憶がよみがえったもんだね」。って、そんなことおっしゃらないでくださいな。「物語りだもんね」。「…………」。嫌みな人は嫌われますよ。 それから線路に戻るために、堤防という立派なものではなく土手ですわ。土を盛りあげて造った、堤とも呼ばれるものですよ。道路ではなく、人だけが歩ける、道ならぬ道を歩いたはずです。いえ、歩きました。それでやっと線路に戻って、ということです。芥川龍之介作の「トロッコ」という作品、覚えてらっしゃいますか? あの作品の地を行きました。レールの上をひとりでトボトボと歩いたのです。棒かなにかををふりまわしながら、大声で歌ったりしたと思います。 「シュッシュッポッポッ、シュッシュッポッポッ」。「なんださかこんなさか、なんださかこんなさか」とばかりに、後ろから汽車が走ってきます。黒煙を吐いて「ボーッ、ボーッ」と汽笛を鳴らしながら、時折白い水蒸気を上げながら走ってきます。そして無情にも、わたしを追い抜いていきます。 毎日々々ランドセルを背負って通っているというのに、わたしに対して知らん顔をして過ぎ去ります。そしてそしてわたしときたら、ボロボロと大粒の涙を流して、誰も助けてくれないという現実と戦ったのです。助けを求めない――求められない自分を呪いながらも、そんな自分を愛おしく思いながら、ひとりトボトボと歩いたのです。 でもでも、こんな素敵なことがありました。普段は何気なく見ていた田園風景を、この日ばかりはゆっくりと眺めることができました。いえ、いやでも目にはいってきます。一面が田んぼで、レンゲ草がそこら中に咲きほこっていました。ピンク色の華が競いあうように美しく咲き誇っています。 そしてそのレンゲ畑に、蝶々がたくさんひらひらと飛んでいました。紋白蝶の中にアゲハチョウも飛び交っています。まるでダンスをしているかのごとくに、軽やかに舞っています。思わず線路から駆け下りて、その蝶々たちの中に飛び込みました。 畑の中には、大麦が植えられていました。この記憶が事実かどうか判然としませんが、大麦の中に黒い穂がありました。触れるとその「黒」が付いてしまうのです。後に知ったのですが、これは黒穂病とかいう植物の病気によって発生するものらしいです。遊びまわっていたわたしへの罰だったということでしょうか。ズボンやらシャツやらに付いた状態で帰宅し、母親からこっぴどく叱られたものです。 そうだ! 叱られたといえば、こんなことばを大声で叫びながら帰ったものです。近所の悪ガキとともに、畑のあぜ道を「はらへったあ、めしくわせえ!」と、連呼しつづけたものです。畑仕事の大人たちから「げんきがええのお!」と声をかけられたことを思い出します。でもその途次で、たわわに実ったびわの木からいくつか頂戴していました。正直甘みが少なかったですから、まだ完熟ではなかったのでしょう。収穫には早すぎたのでしょう。もちろん追いかけられました。 もうひとつ、大事件が勃発です。学校では上靴をはいていますよね? もちろん、わたしもはいていました。夏休み明けだったと思うのですが、一ヶ月ほどの期間での上靴モニターというのがありました。クラスのなん人かの中から選んで、靴メーカーが提供してくれた上靴をはくのです。その中のひとりに選ばれました。で、月曜日返却だったと思うのですが――意味、わかりますよね。「洗って返す」ということなんです。それは良いのです、母親が洗ってくれますから。 その当日、大事件です。お分かりですね、忘れちゃったんです。学校に着いて、クラスメートが机の上に真っ白い靴を置いていたんです。そのときに忘れ物をしたことに気がついたのです。父親はもちろん、母親も仕事で家にはいません。誰もいません。定期券のときと同じように、「ごめんなさい、忘れました。明日、持ってきます」で事なきを得たと思うのですよ。 叱られはすると思いますが、そしてまたクラスメートにはやされたり馬鹿にされたりはすると思いますが。だめなんですねえ、わたしは。叱られること、そして馬鹿にされたりすることが我慢ならんのですわ。プライドが高いのか、メンタルが弱いのか、「優等生であらねばならぬ」という気持ちが強かったのですよ。 どうしたと思います? そうなんです、そのまま脱兎のごとくに、だれにもなにもいわず、教室を飛びだしたわけです。そしてバスと汽車とを乗りついで、無事に持ってきました。久留米駅バス停からは、歩いて学校に戻ればよさそうなものなのに、猛ダッシュしたんです。途中でへたりますから、五分と違わないと思うのです。それよりもバスに乗ればいいものを、バスを待つという選択肢がなかったわけです。頭の中には、早く学校に戻らなきゃ、それだけでした。思い浮かばなかったわけです。ここらあたりが、真面目に超が付いた所以でしょうか。純真な児童ですから。 残暑の厳しい日で、学校に着くと汗だくです。さあ、ここからです。教室の扉を引いたとたん、その場に倒れこんだのです。ドアのレールに引っかかったのか、ひざが笑ってくずれ落ちたのか、それとも恥ずかしさから自ら倒れたのか……。 「家から走ってきたらしいぞ」。そんな声が飛び交っています。いえいえ、わたしはそんなこと、ひとことも言ってませんて。先生が「保健室に連れて行ってやれ」と言ったような、言わなかったような。「馬鹿正直なやつだ」と、笑っていたようないなかったような。 クラスメートの何人かに胴上げ状態にされて、保健室へ直行です。その時どうしてたか、ですか? ただ目をつむって、失神(気絶?)のふりをしてました、と思います。ほんと、だめですねえ。ひと言「大丈夫だから」って言えばいいものを。 最後に、ひとことを。当時は「いじめ」ということばはありませんでしたが、「よそ者に対する視線」といったものはありました。当人たちは意識していなかったかもしれませんが、少なくともわたしはそう感じていました。話しかけてくれるとき、とくに女子生徒なのですが。ひと呼吸おいてからことばを発してくるのです。それもていねいなことばづかいでして、他の同級生に対するようなぞんざいなことばづかいは、最後までありませんでした。重圧ですよ、そりゃ。常に見られているという観がありましたからね。それをはねのけるためにも、「優等生でなければ…」という思いが強かったと思います。そしてそして、学業優秀だった兄の存在が大きかったのです。 次なる場所に移動です。小学五年生から六年生の夏休み前まで通った、福岡県中間市の中間小学校に行きましょう。一級河川の遠賀川の堤防下に建てられている学校でした。ですがあまり記憶にありません、学校内は。六年生ですからねえ、覚えていてもおかしくはないのに。 学校外でのことばかり思い出すんです。倉田くん、佐々木くん、ぼくのこと、覚えていてくれるかなあ。互いの家が近かったこともあり、放課後によく遊びました。家のわきに国道と並行して線路があったのですが、その地がさっぱり分かりません。その線路わきに小山というか小高い丘というか、頂には社があったと記憶しているのに、それらしき場所がさっぱりです。 中間小学校に通っていたということは、この近辺だということなんですがねえ。小川が流れていて、すこし離れたところに小さな池があり、そうだ! 神社もあった。神社? 山の頂きが神社でここは社じゃなかったか。その隣の小っちゃな空き地で三角ベース野球で遊んだんだ。若い方はご存じないでしょうね。一塁と三塁だけの、三角形なんです。人数が少ないおりの、そしてまた狭い場所での遊びでした。 遊んだ? そういえば、兄はいなかった。やっとひとりだち? 倉田くん、佐々木くん。三人でいれば楽しかった。でもある日を境に、ふたりとは疎遠になってしまった。なぜ……? いまもって、理由はわからない。分からない? いやいやそうじゃない。そうだ、そうだった。女の子がいました。鼻水を垂らしていたんですが、それが妙に可愛く感じられる子でした。近辺に女の子はその子ひとりでしてね。自然、みんなが可愛がるというかちやほやするというか……。その子に、その他大勢と一緒になって、まとわりついていた? むろん、倉田くんと佐々木くんもいましたよ。でもふたりは、早々に離れて行っちゃいました。だから、あのふたりとは疎遠になった? |