(三)

 それじゃあ、地獄めぐりに戻りましょうか。鬼山って、地獄なのか天国なのかわからぬ部分もありました。動物園なの? 植物園なの? なんて思っちゃいましたよ。入るとすぐに、ワニがわんさかと居るわけですよ。七十頭ほどを飼育しているらしいですわ。ここなんか、息子を連れてきたら、ワアワア泣いて手に負えなかったでしょうね。
 案外わたしもまた、そうだったかもしれないですがね。そこを過ぎるとこんどは温室部屋を通ることになって、南国系の植物がいっぱいでした。種々雑多なサボテンがあり、その見事さにうっとりしちゃいました。見惚れてしまいました。それにしても、なんでここの名称は鬼山地獄なんですかね、天国みたいなんですがねえ。
 鬼山さんという方が創設されたのかと思ったら、そうではなくて地名なんだそうです。そうだ、そうだよ。別府には、鬼伝説があったじゃないか。中学時代に学校の図書館で読みあさった、日本全国の県別民話全集の中にあったと記憶しているんです。そこに由来しているのかもしれませんね、こりゃ。
 白池そしてかまど地獄では、外国人観光客たちが大声ではしゃぎまわっていました。なにごとかと彼らの視線の先を見ますが、わたしには特段のことではありませんでした。白池地獄の白っぽい湯から立ち上る湯気が面白いのか、かまど地獄の熱泥がボコボコと踊るさまが面白いのか、はたまた巨大な鬼の像に感嘆しているのか……。
 とにかく大騒ぎしながらの移動でした。そうそう、かまど地獄では、極楽がありましたよ。1丁目から四丁目まであり、なかでも足湯が一番の盛況でした。子どもたちと訪れていたら、足や体はもちろんのことこころまでがほこほことして、わたしにも……。いまさら詮ないことですがね。
 さあて残すは、[血の池地獄]と[竜巻地獄]です。二キロ半と、すこし離れたところにあります。駐車場で整理に当たっていたおじさんは「大した距離じゃないですよ。みなさん、車はここに置いてまわられますよ」と、のたまわったんです。でも、海地獄の切符売り場のお姉さんは「鬼山・白池地獄までは歩いての方がいいですけど、血の池地獄には車で……」と忠告してくれたのに、「ちょっとあるけどなんとかなるさ」、「別府湾を眺めながら歩くのも一興だ」、「たかが二キロ半じゃないか」と軽く考えちゃって。
 いま考えれば、駐車場のおじさんが言ったことは、血の池地獄ではなく白池地獄までの範囲を言っていたのかも、ですわ。ですがきょうは妙に体調が良いので、タクシーならぬテクシーにすることに。キロで考えたのがまずかったのかも? 二千五百メートルと考えたら、こりゃまずい! と、バスを探したと思うんですよね。数字が小さいと、高をくくっちゃうんですよ、わたしは。 
 ええっと、何時だったか、出発したのは。着いた時間は、しっかりと記録していました。十二時でした。九百三十円だったかで、アマゾンで購入した腕時計で確認しましたよ。職場の同僚なんですが、まだ二十代ですが時計マニアの彼に「カッコいいですね、それ。どこで買われたんですか?」と聞かれた代物です。シンプルなデザインが、彼の琴線に触れたのでしょうか。彼、一週間と経たないうちに購入していましたよ。
 いろいろと説明(というよりは、自慢話に聞こえましたが)「フランクミュラーとかバティックフィリップとか、ウブロとか……」。ちんぷんかんぷんです、わたしには。ロレックスとかカルティエの名前を出してくれれば、まだうんうんと頷けるのですが。彼にしてみればマニアックなところを示したかったのですかね。本人いわくに、所有している最高値の時計は、used(中古と言わずに、わざわざ英語を使うとは。資産価値があるということでのことでしようか)で三十万円ほどのフランクミュラーらしいです。「値上がりしたら売りますよ」。そう言っていましたが、どうなりましたか。
 血の池地獄ですね、そうでした。ちょっと気を許すと、すぐに横道にそれちゃいます。性格が移り気というわけではないですよ。気が散りやすい、これは当てはまるかもしれませんが。どこが違うんだ! とお叱りを受けそうですが、集中するときは集中しますんでね。はい、これからは愚痴のオンパレードになります。覚悟して読んでくださいね。「いままでだって十分に愚痴だらけだったぞ」ですって? すみませんねえ、わたし自身はそんな風には考えていなかったものですから。
 グーグルマップで確認しますと、「歩いて三十七分」とあるんですよね。それで、地図上に貴船城があるのですが、右手に見ながらのルートになっています。が、が、です。わたしは左手に見ながら歩いたわけです。ということは、より海岸寄りに歩いたことになります。時間にしても、実感として一時間近く歩いた気がするのですわ。まあねえ、歩行速度というものは、個人差がありますしねえ。これはねえ、とんでもハップン! なわけですよ。ひょっとして、遠回りしちゃった?
 とにかく歩けど歩けど、まったく着きません。まあその分、たしかに景色は堪能できました。できましたよ、たしかに。大きな海原で、ところどころ白波が立っています。はるか向こうにはだけど、舟も見えます。フェリーは見えないかと目をこらしてみますが、いませんねえ。というより、このお昼の時間帯に走っているわけなんかないでしょう。なにしろ、早朝の到着なんですから。馬鹿ですわ、わたしも。ない物ねだりなんかしちゃいました。
 別府湾は広いですからねえ。同じような風光ばかりです。海原なわけです、実際のところは。飽きてきました、少々。道路の左に、「貴船城入り口」なんて立て看板があります。あの坂を登っていくのか、ご苦労さんなこった。そんな思いしか湧きません。とてもじゃないですが、貴船城まで登っていこうなんて気はおこりませんて。
 ああ、この崖が石垣なんだ、結構に苔むしている箇所があるし。平安時代にこの地に島流しされた源為朝が造った砦だったということでした。そう、あそこの蔵が物見櫓だ。「どう見たって蔵じゃない、たんなる物置き小屋だろ」。そんな身も蓋もないことなんか言わないでくださいな。ほら、そこの狭い半間程度しかない登り口があるじゃないですか。あそこを武士たちが歩いて登城したんですよ、そう思って見てくださいな。想像の翼がたりないって、あの人に叱られますよ。誰だって? 「花子とアン」の吉高由里子さんですがね。
 それにしても疲れました。体が、くの字に曲がります。腰がビリビリと痛みます。腰を伸ばしてみますが、すぐにまたくの字に曲がってしまいます。こりゃまずいです、杖が必要です。実は、山道を登るときに使うトレッキングポール(ウォーキングポール)を買っているんです。あれは良いですねえ、楽です。といっても、今日は持ってきていないんです。よし! あれをやろう。浮遊術です。大きく息を吸って吐いてえ、体を心底軽くして、ふわっと浮かせる……。子どものころ、よくやりました。
 毎夜兄とふたりだけの、両親が出かけているアパートでのことです。布団の中で、目を閉じます。ゆっくりと深呼吸して、大きく手を広げて、軽く地面を蹴ります。それでふわっと体が浮いて、ゆっくりと体が浮くんでいきます。水泳の平泳ぎのように手足を大きく動かしてます。グングンと上昇して、右折するには体を右にかたむけ、左折時は左へとかたむけます。下降するときは両手を体にピッタリとくっつけます。そして地面近くになったら、顔を上げて両手を広げます。そして着地です。そう! スーパーマンですわ。
 向こうから帰りのタクシーでも来てくれると助かるのですがねえ。そんな都合良くはいかないでしょうなあ。「物語りならば作者の思いどおりに出来るのでは?」ですか。まあたしかに、そうなんですけどね。そんなご都合主義は取りたくないですし。それに、これはノンフィクションなんですよ。体験記でもあるんですか。Life! なんですぞ。
「浮遊術は?」。あなたも嫌みな方ですねえ。ではでは、やってみましょうか。ああ、だめだ。今日は荷物が多すぎる。現在七十五キロの体重です。そして荷物が、多分七~八キロはあるでしょう。ということは、八十キロを超えているわけです。わたしの浮遊術では、八十キロまでなんですよ。というのは冗談ですが。お分かりだと思うのですが、浮遊術というのは、純真な心持ちでなければ使えません。七十歳のわたしです、世俗の垢に汚れによごれています。もう使えませんよ、SuperManじゃないんですから。
 ほんとのことを言いましようか。わたしの浮遊術というのは、体が浮くと言うことではないんです。幽体離脱、聞き覚えがありますよね。まさに、それなんです。後々にくわしくお話しすることになるかと思いますが、体から魂がはなれるんです。といっても、つながってはいるんです。細い、人間の作った単位では計れないほどの超極細の糸でつながっています。
 でも、細いからといって、簡単には切れません。物理的に切ることは不可能なんです。己もしくは、神さまと称すべきかどうかは分かりませんが、超越した存在によって、その意志によってのみ、切れるというか外れるというか、そういったものなんです。
 どうしたものかと、立ち止まります。座りこみたい心境です。でも立ち止まったところで、血の池地獄の方から近づいてきてくれるわけでもないですし。泣いたからといって、あちらから近づいてきてくれるわけでもないですし。そうこうしている内に、冷や汗が出てきましてね、大変でしたわ。ほんと、大変……あれ? なんで? 大晦日の寒い日だというのに、なんで汗が? 冷や汗がどっと……。胸もムカムカするし、だるくなるし。いかん! 低血糖だ。休まなきゃ、とにかく。ブドウ糖を体に入れて、しばらく休憩しなくちゃ。
 失礼しました、落ち着きました。おかしいなあ、朝食もしっかりと摂ったし。ゆっくりと休み休みしながら歩いてきたわけだし。。低血糖になる素地はまるでないのに……。まさかインシュリンの量を間違えたのか? でも打ち忘れることはあっても打ち過ぎなんて、有り得んだろうに。認知症? まあ、後期高齢者に近付いてはいるけど、せっせと毎日、あれこれ妄想しながらキーボードを叩きつづけているんだ。ボケ対策になるはずなんだけどなあ。「指先を使うことは良いことですよ。ブログ? 頭を使う作業も良いですねえ」。そう勧めてくれたのに、お医者さんも。

 充実感でいっぱいです。ついに歩ききりました。血の池地獄に到着です。低血糖の症状は収まっています。持っていたあめ玉を二個口に含んだが効いたようです。大坂のおばちゃんを真似して良かったです。あのとき歩き疲れから、道路に、地べた座りというんですか、コンビニの駐車場なんかで女子高生たちがお尻を、でんとばかりに座っているじゃないですか、そんな風に座りました。冷たかったですが、体が火照っているのでOKでした。
 そういえば岐阜市に移り住んだ小学六年生のころですか、木之本小学校の運動場でこんな格好(体育座りといったかな)で座った記憶があります。朝礼で校長先生の話を聞きましたね。なにせ団塊の世代ですから、体育館なんかでは入りきれなかったんじゃないですかね。ひとクラス五十人ほどで、六クラスありましたから。で六学年でしょ、二千人近い児童数なわけです。
 中学時代なんか、凄かったですよ。一クラス五十五人ほどで、しかも十六クラスあるわけです。想像できます? 教室は現在と同じくらいのはずです。机なんか小さなもので、体の横幅が大きい生徒なんか机のなかに足を入れることができませんでしたからねえ。教壇間際から後ろの壁までぎっしりです。机ふたつをくっつけて、なんとかかんとかに収まる状態です。机の横なんかひとり通るのが関の山で、机の前後はギチギチでした。
 でですね、一学期ごとに席替えをしたと思うんですけど、くじ引きじゃなかったかなあ。かわいい女子生徒の左右前後なんか、希望者殺到になっちゃうんで収拾が付かないわけですよ。わたしですか? とんでもないです、後ろの方で小っちゃくなってましたよ。背が高い生徒は後ろの方に回されますから。実はね、三年生のときなんすが。気になる女子生徒がいまして、メガネをかけてたんですけど。どちらかというと、ツンとした狐顔でした。
 性格的にもハキハキしてましたね。そうだな、女性タレントさんで言うなら、江角マキコさんとか米倉涼子さんタイプかな? その女子生徒ととなり合わせになりましてね、もう緊張しっぱなしでした。あるとき風邪を惹いちゃいましてね、大変でしたよ。鼻がグスグズなわけですよ。鼻をかみたいのですけど、それが中々できなくて。ちり紙(当時はティッシュなんてしゃれたものは使いませんて)を鼻に当てて、音を立てないようにして鼻汁をちり紙に吸い込ませるわけです。馬鹿みたいなんですが、音を聞かれたくなかったんです。
 成人した後でしたか、偶然にまったく偶然に、街中で出くわしました。ふたりして喫茶店に入りました。そこで、先ほどの話が出たわけですよ。「風邪を惹いてるんだから、しっかり鼻をかめば良かったのに」と言われました。まさか覚えられていたとは意外でした。意外といえば、こんな話が飛びだしたんです。
「男性の浮気は許されるのに、女性の浮気が許されないわけ、知ってる?」。知りませんよねえ、そんなこと。どっちゃにしても、浮気は双方ともよろしくないと思うんですがねえ。で彼女曰くに「男性の精液の一部が、女性の血管にはいりこむわけ」と、受け身だからと解説するんです。(科学的根拠があるのかないのか、今でもわたしにはさっぱりです)
 それも唐突にですよ。それこそ目を白黒させましたよ。なんでそんな話をするのか、見当がつきません。でね、帰りぎわですよ、爆弾発言が飛びだしのは。とにかく驚かされっぱなしでした、彼女には。「あたしね、来年の春に短大を卒業するの」。すこし哀しげな表情だった記憶があります。
「四月に嫁ぐことになるでしょうね。お見合いしたの、あたし。これから式場探しなのよ。今日のこの日に、会うなんて。運命的なものを感じるわね」ということばが合図のように、別れました。あ、別れたといっても、付き合っていたというわけではありませんので。中学時代のわたしは、暗黒時代でしたから。人というものに信頼がもてず、友という存在は独りもいませんでしたから。
 いえいえ、まるっきりの独りぽっちというわけではありません。こころを許せる友がいなかったということです。ですので、異性を意識しても、思いは押さえつける毎日でしたから。待てよ、ひょっとして彼女、わたしに気があった? すみません、悪いくせがでました。なんでも自分の都合の良いように考えちゃって。♪おれがそんなにモテルっわきゃないよ♪(*植木等:スーダラ節)
 ここでちょっとお話ししておきたいことがあります。さっきにお話ししておかなくちゃいけなかったのですが、ここで失礼します。「鉄輪地区」なんですが、どう読むのか分かります? わたしね、「てつりん」と読んでたわけです。そうしたら、大目玉を食らいました。
「この、たわけ者が! かんなわと読むのじゃ、すこしは勉強してこんかい」
 でですね、なぜ鉄輪地区なのか、と思ったわけです。その前に、この地に伝わる一遍上人さまのことをすこしお話ししたいと思います。鎌倉時代のことです。念仏行脚の途次に、この鉄輪地区で猛り狂う地獄地帯を鎮めて、湯治場を開かれたということです。僧侶が行脚されるときには錫(しやく)杖(じよう)をお持ちになっていますよね。上部に輪が付いている杖ですよ。でね、一遍上人さまが「シャリーン」とふられて鎮められたのです。
 村人たちはその杖が、錫杖という名称だとは知らないわけです。鉄の輪だということは分かったのでしょう。そこでこの地を鉄輪と呼ぶことにした、ということでどうでしょう。
「たわけ者! かんなわ、と称する意味をどう考えるんじゃ」。そうでした、そうなんです、なんで「かんなわ」なんでしょう。まあ、諸説あるみたいでして。そこは、郷土史家さんやら学者さんたちにお任せしますわ。そんなことよりも、血の池地獄の色ですよ。赤色というよりは、橙色に近いんですがね。毒々しい色にも見えはしますよ。でもどうして?「酸化鉄やら酸化マグネシウムを含んで……」。ストップ、ストップ! 科学的見地は結構ですから。言い伝えとか昔話を聞きたいわけですが。
 たとえば、一遍上人さまに退治された鬼たちの流した、涙だとかなんとか、そういったことをお聞きしたいわけですが。ということで、「ものごとには表と裏というものがあるもの。では、その裏の話でもさせてもらいましょうか」ということばをいただきましたよ。

 むかしむかしのこと。
 山口県下関市壇ノ浦、源氏と平家の最後の戦いは、みなさんご存じのことでしょう。平家滅亡が声高に喧伝されましたが、じつのところは数人の落武者が豊後灘を泳ぎきっていたのです。いやこの地、敵(あ)見(みだ)郷(ごう)に、流れついたというのが至当でございましょう。ですが甲冑を身につけてのことでもあり、ただのひとりを残して息絶えてしまいました。
 この若者が、じつに眉目秀麗でして。お名前は……、やんごとなきお立場のお方、とだけ申しておきましょう。やはり血筋というものは争えぬものでございますな。その顔立ちにしてもですが、立ち姿にしてもな、凜とされておりましたわ。
 ここいらの村人ときたら、顔全体がごつとごつとしておりますし、目ん玉はギョロリと飛び出しております。鼻は低く平らげで口といえば大きく横に広がっております。無理もありませんがの、食事などに時間を割くひまはなく、なんでもかでも口を大きく広げてひと飲みにするような始末でして。なにせいつなんどき大魚に出くわすやもしれませぬ。おっとりと食していては食べ損なうことにもなりかません。むろんのこと、体は頑丈でございますとも。大魚との格闘は命がけでございますでな。すこしでも気を許せば、尾ひれに弾き飛ばされかねません。しっかりと狙いをさだめて銛を放ちますゆえに。
 に比べてこの武者はなよなよとして、遠目にはおなごか? と見誤りかねません。ですが、先ほども申しましたごとくに、そこはかとなく漂う気品は隠しようもございません。どこぞのお公家さまであることは一目瞭然でございます。ですので、この若者を見つけたおとよという娘は、すぐに洞穴にかくれるように指さしておりました。幸いなことにおとよだけがその岩陰に参りましてな、他の娘たちは浜辺におりましたでな。万が一にも村人たちの知るところとなれば、すぐにも突き出されたことでございましょう。
 このおとよという娘は、村一番の器量好しでございます。年は、十六歳についぞこの間になったはずでございますが。ええ、ええ、近在からも「ぜひにも、うちのせがれの嫁に」と声がかかっております。親としますれば、おいそれとは返事ができません。網元、もしくは庄屋さま。あるいはお武家さまの正室になどと大それたことを考えおる始末で。娘もまた、まだまだ親元を離れるつもりはないようです。
 その通りでございます、あなたさまのお考えどおりです。ふたりは恋仲になったのでございます。その後のおとよの献身的な世話によって、みるみる若者も元気になりました。雪のように白かった若武者の肌も赤銅色に変わりまして、村人たちと変わりません。手ぬぐいでほっかむりなどしておれば、村にはいりこんでも見咎められることもなくなりました。
 おなごの世話ばかりにはなっておられんとばかりに、ときに浜の大網引きに入ったりもしました。「そんなかいなじゃ、おなごにもまけるぞ」とからかわれつつも、次第になじみはじめました。
 しかしさすがにどこの誰とも分からぬ若者でございます、不審がる者が出てきてもおかしくはありません。「どこのむらのものだ」と騒ぎ出して、とうとうその正体がバレてしまいました。よりにも寄って平家の落ち武者だということで、更にはかくまっていたということになれば、どんな難事になるかもしれません。すぐにも突き出せということになりましたが、おとよが涙ながらに訴えます。
「ややこが、このおなかにおりまする。ふたりしてこの村を出ますゆえに」と、頭をこすりつけて懇願いたします。むろんのこと、嘘偽りでございます。しかしこのような閨ごとのことは、当の本人しかわからぬこと。村人たちも「まさか……」「むくなむすめなのに……」と絶句いたします。
 しかし当の若武者はといえば、どっかと胡座をかいたままでございます。そして「わたしは雲上人である。そなたらの弾劾はうけぬぞ」と、大声を張りあげて、村人たちを威嚇します。遠巻きにした村人たちは、口々に「でてけ!」「つきだすぞ!」と、棒っ切れを突き出しています。
 命乞いをせぬところは、さすがに肝がすわっていると頷く年長者もおりましたが、このままにしておく訳には、というのが大半の村人たちでした。役人に突き出すかどうかの相談がはじまりましたが、おとよの泣きすがる姿に、村人たちもその日には決めることが出来ませんでした。とりあえずのところ網小屋に閉じ込めて、明日にもういちど話し合うこととなりました。
 翌朝はやくに網小屋を見まわったところ、かんぬきが外されており、なかに閉じこめていた若武者がいません。さらには、おとよもまた姿を消していました。村人たちの詰問にあい、とうとう母親が白状しました。けさ早くに、おとよが若武者を小屋から解放して、そのまま村を出たというのです。行き先については口をにごしていましたが、だれも追っ手は来られぬだろうと速見郡の鉄輪に逃げたと白状しました。
 地獄の猛り狂う地といわれる鉄輪では、とてものことに追いかけようという者は現れません。そこまでの思いならば仕方あるまいと、皆は納得したのですが、父親だけは納得しません。「連れかえった者に娘をとつがせる」と宣言しました。しかしやはり、だれも手を挙げる者はおりませなんだ。それぞれの家に戻りかけたときに、意を決したひとりが「おらがもらうぞ!」と、浜辺ぞいに走りだしました。
 女連れであったがために、とうとう追いつかれてしまいました。
「吾(ア)は、帝に不忠なり」。「あちし(わたし)は、おやにふこうなり」。「ともに不忠不孝なれば、この煮えたぎる池の湯に身を投じ、その罪を贖うものなり!」
 山の中腹まで逃げたところで諦めたふたりは、赤いひもで互いの腕をむすびあい、下の池に飛びこみました。もともとは水底の見えるきれいな池だったのですが、赤いひもから滲みだした赤色で真っ赤に染まってしまいました。そしてそれが、現在の血の池地獄となったということです。

「聞いたことがない話だ」、「この地では初めて聞いた」、ですか? そりゃそうでしょ。この話は、いま思いついた、わたしのお話ですから。そんな怒らないでくださいな。はじめに申し上げたでしょ? わたし、うそ吐きだって。まだお怒りですか? なんだか旅行記みたいな風になっていたので、あくまで物語りなんですよと、いうことなんです。
 ではでは。お怒りが和らいだところで。
[血の池地獄]と称される所以は、言わずもがなですが池の色にありました。おっと! 後ろから大勢の人たちが……。さっきの観光バスから降りたのでしょうが、うわあ! 外国人だらけ。海外からの観光客が激増しているとはニュースで聞きますが、なるほどですなあ。かつての日本と同様に高度経済成長の真っただなかだということですから、一気に海外旅行熱が高まったと言うことですか。
 日本においては、昭和四十年からの十九年間だとか。わたしでいえば、十歳から二十九歳までですか。いやあ、ぜんぜん実感がないです。十二歳のおりに九州を離れて岐阜の地にやって来ました。赤貧時代です、まったくの。中学を卒業後に就職しまして、定時制高校に通いましたからねえ。
 この頃が一番荒れていました、わたしは。といって不良グループに入ったということではなく、ひとり、孤独地獄に落ちこんでいました。もっとも、このあとすぐに、刎頸とまではいきませんが、無二の親友ふたりに出逢いました。じつに幸運でしたね。彼らとの付き合いがなければ、うーん……、どうなっていたことか。想像するのも恐ろしいです。
「日本最古の天然地獄」と、看板に銘打たれています。先ほどのわたしの創作話をお聞きいただきたくて、「鉄輪」の話を持ち出してみたんです。
 うおっと、観光バスが「そこのけ、そこのけ」とばかりに、やってきました。あわてて、端っこに寄りました。なのに、端っこに寄ったはずのわたしの元に、またやってきます。さらにあわて横にずれましたが、プンプンです。なんでわたしを追いかけてくるんですかね。まあ真相はと言えば、どうやらわたしが逃げた場所が悪かったようです。駐車スペースなんですね。でもそんな表示はなかった気がするんですが。歩き疲れているわたしに鞭をうつようなこんな仕打ち、恨んでやるう! なんてね。こんな年寄りをいじめてなにが楽しいか! ですよ。へへへ、こういうときだけ、年寄りあつかいして欲しいんですよ。
 良い天気になりました、ほんとに。朝も晴天ではあったんですが、快晴とまではいきませんでしたからね。そうそう、ご存知でした? 晴天と晴れの違い。ついでに曇りとは? って。晴天は分かりますよね。雲がですね、空の一割以下ということらしいです。そして曇りとは、逆に二割以上が雲に覆われていることを指すらしいです。問題は、晴れです。半分以上は、って思いません。ブッブーです。二割以上らしいです。要はですね、明るいかどうかということでしょう。太陽からの恵みである光の量が多いかということなんでしょう。曇りにも、薄曇りというのがありますもんね。きめ細やかです、日本語は。世界に類を見ないほどの、語彙がありますもんね。
 ああこういうところですかね、「削りの文学」というところは。横道にそれすぎていますもんね。でもでも、これがわたしなんですよね。サービス精神? というか、気になることがあると、どうしても調べてみたくなるんです。まさに、蛇足ですかね。気になるお方は、飛ばし読みしちゃってくださいな。わたしもときどきやることがありますので。「自分のうそ吐きは棚に上げて、他人のうそには憤慨する」。まさしく、わたしですわ。またひとつ自分を知ることができました。
 それにしても汗ばむ陽気ですわ、ほんとに(「マジで」などと若者ことばは使いません)。でもですね、ほんとのところを言って、「マジ」と言うことばは、われわれ世代も若いころに頻繁に使っていたんです。「マジっ、スか」とか「マジにぃ」なんて使い方はしませんでしたが「マジなところ」とか「マジな話」と言った風に。どちらかというと、悪ぶっていた若者たちのあいだで多く使っていたような気がします。
 さあそんなことより、中に入りますよ。
 地獄の門があります。右手に血の池地獄の石看板があり、左手には愛嬌のあるの金棒を持った鬼さまが立っておみえです。そして門の屋根には赤文字で地獄の入口とあります。うわっ、柱におどろおどろしい形相の鬼の面がありました。
 血の池です。やや明るめの赤色ですね。ここに、あの山腹からふたりが飛び込んだんですね。しつこいですか? じゃあ止めましよう。池のとなりにちょっとした広場があり、ベンチがありました。腰掛けて炭酸系飲料水を飲みました。のどにジンとした刺激があり、美味い! でした。そよ吹く風も気持ちよかったです。地獄とは思えぬ安らぎの場所での時間でした。
 それでは竜巻地獄のことをお話ししましょう。血の池地獄のとなりにありました。なんだか江戸時代にあったような真っ白い土塀が、まず迎えてくれます。大きいトイレですね、ここは。その前に車が六台止められるようになっています。その隣に、竜巻地獄の看板を備えた二階建ての建物です。建て替えたのでしょうか、真っさらでした。お土産屋さんですね、先ほどの海地獄同様に。
 竜巻地獄、一体どんな地獄なんだと、正直わくわく感でいっぱいです。竜巻をウィキペディアで参照したところ「気象庁の定義は空気の渦巻きで、大きな積乱雲の底から漏斗状に雲が垂れ下がり、陸上では巻き上がる砂塵、海上では水柱を伴う」とありました。
 はいはい、中に入りますって。小さなお店です。駄菓子屋さん? 的な。なにも買う気がないので、店の裏手になる入り口に向かいました。といっても、十歩も歩けばOKです。チェーンがかかっていて、「少しお待ちください」という立て看板がそこに置いてあります。時間表のようなものが壁に貼ってあり、十分ほど待たなくちゃだめなようです。その間にお買い求めください、ということでしょうか。
 結論からいうと、竜巻地獄は間欠泉でした。ネーミングが違うのでは、と思えるのですが。間欠泉はあちこちに存在しているんですが、ここのそれは特異なものだということなんですかね。休止時間が三十分程度と短いこと、そして噴出時間が長いということのようです。さらには高さが三十mほど噴き上がるとか。危険防止のために屋根を付けましたと説明書きがあります。安全第一、ですか。それでは迫力がないじゃないか、と思うのですが。
 たしかにねえ、安全には気をつけねばなりませんがねえ、自然の豪快さがねえ、消えちゃうんですよねえ。どうにも最近は、安心安全ということばが大流行りですね。最たるもののひとつが、いやふたつか。公園なんかの遊具の撤去問題やら、運動会やらでの騎馬戦に器械体操の中止とか。子どもたちの体力低下が原因ですかねえ。
 チェーンが、いま、目の前で外されました。屋根付きの観覧席が用意されています。後ろに行くほど段がついていましたが、当然にわたしは最前列です。わたしの後から何人かが入ってこられたようです。突然に、なんの予告の声も説明もなく、湯が吹きあがりました。実際に三十メートルの高さまで噴き上がるのかどうか、高さが二メートルほどの洞窟ですからわかりません。しかしこちらに湯がはね返ってくるところをみると、相当な高さに噴き上がるのは間違いのないところでしょう。でも五分ぐらいですか、あっという間、という感じですね。
 帰りはバスにしました。テクシーはもうイヤですし、タクシーはお金がかかりますしね。第一、目の前にバス停があるのですから。ちょっと休憩しながら待ちますよ。待ち時間は、十分ぐらいでしょうか。ところが、時間になってもなかなか来ません。電車は正確ですが、バスとなると交通事情が違いますからやむを得ませんかね。
 ああ、バスが来ました。わたしの後ろに二十人ぐらいでしょうか、みなさん、行儀よく外国人も含めて並んでいます。まあ、道路際ですしねえ、危ないですから。結構な数の車が行きかっていましたし。道路幅はバスがすれ違えるだけはありますねえ。やれやれと、一番前席に座りました。テクシー状態では、途中から景色を楽しむ余裕などまるでありませんでしたからねえ。小さなトンネルを抜けて、そうそう来るときもここをくぐりましたよ。自然の岩をくりぬいたようなトンネルです。いまもあっという間に通過です。
 ちょっと待ってください。岩をくり抜いて――どこかで聞いたというか読んだというか、青の洞門って覚えてみえませんか?――作られたんでしょう。そうそう、大分県中津市本(ほん)耶(や)馬(ば)渓(けい)町(まち)にあるんでしたよ。
[諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った善海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保二十(千七百三十五)年から自力で岩壁を掘り始めました]。*本耶馬渓町観光協会・HPより
 なんてこったい! 小一時間近くかかって歩いてきたというのに、バスだとわずかに十分かい。流れゆく景色の味気ないことといったら、立ち上る湯煙りなんか、すぐに視界から消えちゃって。きつかったけれども、やっぱり歩いて正解でしたね。そう思うのは、アナログ人間だからですか。
 歩いたといえば、半世紀ほど前のことです。二十代前半でした。柳ヶ瀬という歓楽街からアパートまでを、タクシーを追い求めて、てくてくとテクシーです。酔っ払ってのことでしたから、おそらくは小一時間は歩いたと思います。午前零時をまわってのご帰還ですが、タクシーが捕まりません。とにかく人人人でして、大通りはもちろんのこと柳ヶ瀬地区からすこし離れた一角にも人がたむろしていました。かくいうわたしも、戻ってくるタクシーをはやく捕まえようと歩いたんです。
 時折戻ってくるタクシーに出会いますが、そこはプロですね。離れた場所にいる我々は相手にしません。やはり行儀よく待っている中心部のお客のもとへと走って行きます。酔っ払っているわたしにはそんなことに思いが及びません。ただただタクシーを探して歩きます。で、気が付いたら相当な距離まで歩いていました。
 ネオンサインははるか遠くで、街灯すらもまばらです。灯りといえば、空に浮かぶお月さまだけです。時折過る厚い雲なんかでさえぎられると、真っ暗になることもありました。でも、なんとかたどり着けるもんですね。ああ、あなたにも経験があります? ですよねえ。案外のところ「おれ、どこに居るんや」なんて口走ったりしていたかもしれませんね。
 尻切れトンボ的に、地獄巡りからの退出です。遊びほうけていた二十代前半ですが、どう位置づけすればよいのか。人生における華ととらえるべきか、禍と評すべきか。ただこの時代がなければ、老をむかえた現在を悠然と過ごせぬのも事実だと思えるのです。当時にしても現在にしても、わたしがわたしであることに変わりはありません。
 意味不明ですか? 正直わたし自身もどう伝えたらいいのか、ことばが見つからないんです。「人間は変われる」。「人間は変われるものじゃない」。どちらもよく聞くことばです。わたし自身の経験から言えば「変われる」ですし、「でも変われない」なんです。思いだしてもらえませんか、はじめのころにお話しした、ある疑問を。
 矛盾してますよね、矛盾してます。哲学論を聞きたいんじゃない! お叱りはごもっともです。それではわたしの経験をお話ししましょうか。わたしが心臓をやられて、現在ペースメーカーを植えこんでいることはご存じですよね。心臓移植が必要な拡大型心筋症だと診断されて、正直「ここまでか」と覚悟させられました。ですがペースメーカー植え込みによって、劇的に回復しました。肥大していた心臓が通常サイズにまでちぢみました。ただ、伸びきったゴムのごとくになった心筋は回復しません。なので現在でも、心臓から送り出される血液量が、常人の半分以下です。不整脈が起きやすくもあります。
 そこでペースメーカーのお仕事です。送り出す血液量を増やすことはできませんが、心拍だけはリズムよく補ってくれます。おかげで体の隅々にまで血液が送りとどけられています。ありがたいことです。
 長口舌はこれくらいにして、本題にはいりましょうか。「変われる」。でも「変われない」。大病をされた方なら、克服された方ならば、わたしの言わんとするところがお分かりだと思います。死地を脱した人間というのは、面白いものですね。それまでとは違った自分になれるんですよね。というより、なりたいと思うのでしょうか。
 ことし古希を迎えるわたしを、友人たちは口をそろえて「こんなキャラじゃなかった」と言います。「しかめっ面の~い男だった」。「俯いて歩く男だった」。「女の話には一切乗ってこなかった」。まったく失礼な話ですよ。わたしだって笑うときもありましたし、異性に関心はありましたよ。
 ただその機会に恵まれずにいただけの話で。いやいや、そうじゃない。わたしだってナンパされたことがありました。ナンパをしたことだってあるんですから。その話をしましょうかね、笑い話になるかもしれませんが。ああ、これからの話は事実ですから。創り物ではありませんから。