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ああ、ひどい目にあった! プン、プン! です。もう二度とフェリーは利用しません、もしするとしたら、個室にします。なにを怒っているのか、ですって。結局は、わたしの期待が大きすぎたせいかもしれませんがね。
一番)レストランでの夕食が食べられなかった。待ち時間がながすぎて、お腹がもたない。
二番)二等船室のベッドがせますぎる。畳一畳ぐらい? しかも、天井が低くて。エコノミー大部屋の方がましか?
三番)シャワールーム有りとはいえ、こちらも時間待ち。(後日にホームページで確認したところ、展望浴室が別の階にあったようです。確認不足でした)
四番)船外の景色を楽しもうにも、人が多すぎて……。しかも、話し声がうるさい。(プロムナードというんですかね、窓からの夜景がステキだったようですが)
五番)遅くまでうるさい。けれども子ども相手では怒るにおこれない。(廊下を走りまわっているんですわ。これには閉口しました)
「子どもが嫌いなのか」ですって? いえいえ、お母さんの腕の中ですやすやとねむる赤児をみていると、つい目尻が下がります。授乳時は、とくに優しい気持ちになりますね。「おなかいっぱい飲むんだよ」なんて声かけしたいぐらいですよ。ええっ! 「おっぱいに見とれていたんだろう」ですって。あなたは鋭い! なんてことはないですよ。
あくまで赤児ですよ、たっくさんの汗をかきながら、両手でしっかりとお母さんの乳房をかかえて飲む様なんか、西洋の宗教画ですよ。慈愛に満ちた聖母マリアの、キリストを慈しむ眼差し、ステキじゃないですか。母と子といえば、あの女性画家ですよ。名前は、名前は……、あれ? 誰だったっけ? えっと、ええっと、確かですね、大阪市立美術館で初めて観た画家さんで。そう! カセットじゃなくてカサット、メアリー・カサット女史です。
いつ眠ったのか分からんのですが、寝ていました。明朝は明け方の五時半に新門司港に到着して、六時ごろだったかに、放り出されましたよ。というより、早くはやくと急かせてわたし自身が逃げ出したという感じかな? 今日は平成最後の大晦日なんですよね、怒りをしずめて楽しまねば。
七時前に、コンビニに立ち寄りました。眠くてたまらんのです。普段ですと、夜の十時台にベッドに入ります。遅くなっても、十一時をすこし過ぎたぐらいですかね。まあ、休みの前日となると、十二時をまわることがありますが。で翌朝の起床は、八時半ぐらいでしょうか。ときには九時近くになることもありますけどね。ということは、十時間ほどの睡眠となります。眠りが浅いのでしょうかね、そのくらいの睡眠時間でなければ、仕事に支障が出るんです。
午後からの仕事で四時間なんですが、もうヘトヘトになるんです。年齢もなんですが、心臓が常人の半分ほどしか機能していませんからね。お医者さんに言われているんです。「ムリをしないこと、これが大前提ですから。だるくなったり眠気におそわれたりしたら、すぐに休むこと」
耳にたこができるほど聞かされていることです。なのに、この大冒険とでもいうべき旅行を計画したのですから、自分が分かりません。果たして無事に旅程をこなせるかどうか……、乞うご期待といったところですか。
またまた前段がながくなりました。菓子パンをひとつと缶コーヒー二本を立てつづけに飲みました。コーヒーはカフェ・オレにしました。むろん、甘さ控えめタイプです。そもそも糖尿病を罹患したのは、メロンパン一個と普通の缶コーヒーを、昼食として食べつづけたせいなんですよね。半年はそんな食生活でしたかね、独りになっていたものですから。たぶん夕食も、スーパーで弁当を買っていたと思います。
七時半ぐらいに、大分県別府市に向けて出発です。わたしのルーツ探しですので、本来なら福岡県中間市へ向かい中間小学校を訪れるべきなのですが、別府地獄巡りを敢行することにしました。年末の早朝ということもあり、大分自動車道ではほとんど車が走っていません。順調に走らせることができて、予定時間よりはやく「坊主地獄」に到着。八時四十五分でした。パンフレットによるコースとしては、坊主地獄 → 海地獄 → 山地獄 → 白池地獄 → 金龍地獄 → 鬼山地獄 → かまど地獄 → 血の池地獄 → 竜巻地獄と、[九大地獄]になりますね。あれ? 別府の地獄って、[七大地獄]じゃなかったっけ。
実はですね、[七大地獄]というのは、別府地獄組合加盟の地獄なんですねえ。いま立ち寄っているのは組合に参加していない「坊主地獄」だというわけです。観光バスの定期コースに入っていない「地獄」がです。ということで、いま着いた「坊主地獄」には、観光バスは来ません。だからでしょうね、駐車場の小っちゃいこと、小っちゃいこと。中に入ると、延内寺という寺院がありました。明応七年の日向灘地震で爆発が発生、寺院は住職もろとも吹き飛び、地が裂けて熱泥が噴出したと伝えらています。こわいお話ですけれど、史実だということでお知らせしておきます。この坊主地獄は、あっという間にまわり終えました。ご存じだと思いますが、泥がボコボコと盛り上がって、さながら坊主頭のごとくに見えることからの命名でした。
国道500号線を走り、いよいよ「べっぷ地獄めぐり]へ向かいます。時間は九時半をまわったところですから、駐車場に余裕はあると思うのですが。と心配するひまもなく、到着です。五分、もかかりませんでした。上り坂となっていますが、係員のおじさんが手招きしています。車に貼ってある身障者マークを見つけてくれて、誘導してくれました。ありがとさん、です。「ちょっと待て」ですか? 「九大地獄って言ったぞ」。はい、ごめんなさい。そうなんです、数えると九つの地獄になるんです。すみません。種明かしはのちほど、ということで。
さあ、着きました。べっぷ地獄めぐりという看板があります。海・山・鬼石坊主地獄の三ヶ所がとなりあっていまして、すぐ傍らにかまど地獄があります。そしてすこし歩きましたが、白池地獄とこれまたとなりあうように鬼山地獄です。&、そう、アンドです。後述しますが、大変なことになった、血の池地獄と竜巻地獄の二ヶ所です。あれ? 七大地獄と言いましたが、八ヶ所ありますね。先ほど入った坊主地獄は別ですからね。ああ、パンフレットでは、山地獄がありませんわ。でも確かに「海」のとなりに山がありましたからね。「山地獄」という立て札も立っていたし。そう言えば、岩肌のようにも見えた気がします。キチンとした建物もなく、通り過ぎるだけだったような……、そんな気もします。
かやぶき屋根の大きな建物――お土産屋さんの一角に、入場券売り場がありました。はい、そうなんですよ。ここでも入場券は半額でした。ありがたい、ありがたい。ほんとにありがたいことです――が、お出でお出でと呼んでいます。
まず「海地獄」から入りました。足を入れたとたんに、強烈な硫黄の匂いが漂っています。これです、これですよ。温泉は、この硫黄の匂いがしなくちゃ。ここには、はるか昔の幼稚園児時代に来ているんです。でもわたし、正直のところは覚えちゃいないんです、まるで。「わあわあ、泣いて、大変だったんだぞ」と、父親に言われましたがね。何にって、硫黄の匂いですよ。それと、地獄という名称にビビったというわけです。
それがね、わたしの息子もそうでした。三歳でした。名古屋の東山動物園に出かけたおりのことなんですがね。虎舎でのことなんです。小動物ばかりを見てきた息子に、猛獣をみせたくなったんです。男は強くなくちゃ、と教えるつもりでした。それがですね、入り口で立ちすくんだまま動こうとしないんです。薄暗いなかをのぞき込んで「なにがいるの?」と、後ずさりをしていく始末でした。
そういえば、自宅でのことなんですが。夜のこと、灯りの点いていない二階からなにかを取ってこなくちゃいけないらしく、階段下に立っているんですわ。どうしたのかと思って見ていましたら、三つ年下の娘にたいして「おまえ、先に行け」と言うんです。このときは小学校にはいっていたと思うのですがね。まだ幼稚園児だった妹に先陣をきらせたというわけです。とにかく怖がりなんです。
「おいで、ベンガルトラだよ」
「檻のなかだから大丈夫さ。寝ているよ」
なんど声をかけても入ろうとはしないんです。「抱っこしてあげるから」。そう言ってもだめでした。みるみる涙を浮かべて、いまにもこぼれそうになっていました。ならばと、人だかりのしているライオンの檻の前に行きました。けれど、雌ライオンが寝転がっているだけなんですよね。抱えあげて見せたものの「ねてるねえ」です。猛々しさにはほど遠くて。
裏手にまわってみると、驚いたことに雄ライオンが立っていたんです。頑丈な檻とガラスに遮られているとはいえ、間近でみるそれは、さすがに百獣の王たる威圧感がありましたよ。「おまえはなにものだ」。そう問われたような気がしました。じっとわたしを見つめているんです。威嚇の表情をするでもなく、さりとて媚びるような風でもなく、「われになにようだ」とばかりに、わたしを凝視しているんです。しばしの間、その目に釘付けになってしまいました。わたしの後ろでしがみついている息子のことも忘れ、まさしく王からの風圧にさらされてたんです。
「パパ。おしっこ」。息子の声で我にかえったわたしは、王に一礼をしてからその場を去りました。その時です、「パパは、ボクちゃんのことすき?」と言うんです。「どうしてそんなことを聞くの」と聞き返すと「ママがね。パパは、ボクのこと、かわいくないのかもって」と、悲しげな目をして言うんです。「かわいいさ。ボクも妹のとも姫も大好きだよ」
喉の奥から絞りだすように口にし、必死の思いで「きょうは、パパとお出かけしてるだろ。とも姫は、お眠(ねむ)だからさ。それにママのおっぱいをすぐに欲しがるだろ」と、弁解しました。情けないです、ほんとに。
「よかった。ボクちゃんもヒメもかわいいんだね!」。 目を輝かせて、わたしをじっと見てきました。そのキラキラ星のような瞳は、いまでも忘れられません。「よし、肩車をしてやろう」と、息子を肩にのせました。うっすらと滲んでくる涙を、息子に見られたくなかったんです。なぜ涙が出てきたのか、純真な子どもを悲しませたことに罪悪感を抱いたのか。いやそうではない。愛おしさが涙となったのだ、そう思っています。
しかしなぜ妻がそんなことを息子に言ったのか、まるで見当のつかないわたしでした。息子が生まれたころは仕事が忙しく、育児はまかせきりにしました。自営業だったこともあり、妻にも手伝わせていました。孫請けといった業態ですので、正直のところ家庭に目をむけることができませんでした。せめて休日ぐらいはと言う妻にたいし、仕事だと強弁するわたしでした。
けれど案外のところは、髪をふり乱しての子育てをしている妻から、逃げ出したのかもしれませんね。猛省しています、いまは。そのしっぺ返しでしょうか、その後、息子から「パパ」という声かけが消え、「父ちゃん、父さん」の声かけもありません。娘は、たまのホントにたまにの外食時には、わたしの膝に乗るかとなりの席を陣取りました。ですが、とうとう「パパ、とうちゃん、父さん」のことばは出ませんでした。
すみません、横道にそれすぎました。海地獄です。でもなんで海地獄なんですかね。海に面しているわけでもないし、大きな池がありますが――ああひょっとして、この池が大きいから海に例えたのかな? きれいなコバルトブルーですしねえ。そういえば、琵琶湖もそうですね。「海に見えれば、こころが広い人です」とかなんとか、修学旅行でのバスガイドさんのことばだったような……。父の話によると、わたしが幼少のみぎり、みぎりですよ――そのころは、お大尽のお坊ちゃまですからね。で、みぎりに連れられてきたおりには「うみ、うみ」と大騒ぎしたらしいんです。まったく覚えていないのですけれど。
大はしゃぎしたのはいいのですが、突然に泣き出したというのです。金棒をもった鬼が池のそばに立っていて、それを見たとたんに金縛りにあったように立ちすくんだらしいです。「おしっこを漏らして大変だった」なんて言われたのですが、ホントの事かどうかは定かではないですよ。そうか、「息子の怖がりはわたし譲りだったのか、そうかそうなんだ」。変なところで嬉しくなってしまいます。
池からは少し離れていましたが、小高い場所に椰子の木群が植えられていました。まさに南国そのものですよ。ああ、平成三十年のハワイ旅行を思い出します。「他所で言いふらさないように」。会社からの厳命です。クルージングでのショーは素晴らしかったですよ。若いころに流行ったツイストなんかを踊ったりしましてね。昭和のダンスで、大流行したんです。正直のところ、ツイストを踊るのは初めてなんですよね。膝を曲げて腰を落とし、ひねるんです。ねじるんです。お爺ちゃんお婆ちゃん世代に聞いてみてくださいな。知らない人はいないはずですから。平成のバブル時代に、ワンレン・ボディコンブームがあったでしょ? 勝るとも劣らぬほどの盛況ぶりでしたよ。
ここでちょっと寄り道させてくださいな。会社主催でのハワイ旅行です。いつものように下調べとばかりに、インターネットでいろいろと検索しました。その中のひとつのサイトで、good pointを見つけちゃったんですよ。[Blue Note]ハワイ店です。ところであなた、[Blue Note]をご存じですか? レコードのレーベルなんですけどね。われわれ団塊世代にとっては、[Blue Note]という文字は絶大なることばなんです。いや、Jazzファンにとっては、かな? 高校時代なんですが、もう寄ると触るとその話ばかり(というのは大げさですかね)、けっこう花が咲いたもんですわ。
マイルスだモンクだ、いやアートブレイキーだ、俺はコールマンだと。要するに、熱病のごとくにのめり込んだジャズ音楽の聖地みたいなもんだったわけです。案外のところ、一部のマニアックな会話だったかもしれませんが。正直なところ、わたし、とりたててジャズが好きだということはありません。どころか「カッコ付けてんじねえよ!」という感じでした。ここを予約したのはミーハー的感覚で、本場のジャズを本場である[Blue Note]でのライブ演奏を聴きたかった、その生の現場の空気を吸いたかった、そういうことなんです。音楽の、クワズギライといったところでしょうか。
たとえが悪いかもしれませんが、ホルモンを喰らったときのことです。若いころに友人に誘われてはじめて、ホルモン料理を喰らいました。食べましたなんて上品過ぎて使えません。そもそもが、ホルモンなんて、見た目がグロテスクでしょ? ナマコ然りで、見た目の悪いものには箸がうごかないんです、わたし。それにぐにゅぐにゅといった食感はまるでだめなんです。
そうそう、定時制高校に通っていたおりに、大はまぐりをご馳走になったことがあります。国立大学の病理学教室でアルバイトをしていた時のことです。助教授(いまは准教授というんだそうですね)のお手伝いで、薬の動物実験でマウスの世話をしたんです。臨床試験や治験の前段階なんですがね。
それが無事に終了したということで、製薬会社のお礼としての食事会に招待してもらえたということです。その料理のなかに、大ハマグリがありました。初体験でした。貝類では味噌汁のしじみぐらいしか食したことがありません。で、口にいれて噛んだとたんに、そのグニュグニュ感と汁が口のなかに溢れたとたんに、モーレツな吐き気に襲われてトイレにかけこみました。みっともない話です。
ホルモンに戻ります。嫌がるわたしに「ロースもあるから」と強引に引っぱりこむんです。むろん、ロースをパクつきましたよ。うまかったです、ホントに。さあこれからです。「ひと口だけでも食べないか」。
しつこく言うんです。まあねえ、なんども言われるものですから「トイレに駆けこむぞ」と宣告してから、小さなカケラを口に入れました。一センチ四方ぐらいの、ほんとに小っちゃなカケラをです。そんな小さな物体ですから、噛むなんてこともなく喉をスルリですわ。
「どうだ?」。「分からん」。首をかたむけるわたしです。本音です、タレの味のみです、分かったのは。「じゃあ、これ行ってみろ」と、いきなり三センチ四方ほどの物体をたれ皿に突っ込まれました。「今度こそトイレだかんな」と念押しして、口に入れ噛んでみました。やはり、「ぐにゅっ」でした。
が、が、驚いたことに、なんの化学変化も起きません。のどをスルリと通過しても、なんの違和感も嫌悪感も感じません。「うまいじゃないか」。思わず口にしたことを覚えています。さあそれからが大変でした。毎週日曜日になると(週休二日ではなく、日曜のみ休みでしたから)「ホルモンに行こう」と、友人宅にむかえに行きました。苦笑いしながらも、三ヶ月近く付きあってくれました。食べず嫌いのわたしの、変な言い方ですが、面目躍如でした。 すみませんねえ、しつこくて。ですが、ある意味、わたし自身を知るためには通らねばならぬエピソードなんですよね。
そのハワイでの[Blue Note]でのジャズ演奏鑑賞をしたときのことです。「また寄り道か」って。すみませんねえ、毎度々々。でもねえ、是非にこれは聞いて欲しいんですわ。失態を犯しちゃったんですよ。それがですね、なんともお恥ずかしい限りでして。夜の六時半からの演奏だということで、もうウキウキで入りました。そうしたら、店内が暗いんですよ。食事付きだったので明るいと思っていたのですがねえ。実はですね、ルール違反というかマナー違反をしちゃいました。
本来は食後に演奏を聴くべきなんですよ。なので誰も食べていないんです。もう食事は終わっていたみたいなんです。でもねえ、午後六時半ですよ。早すぎると思いません? ただねえ、演奏予定がこのあと、九時からもあったんです。ということから早めの食事だったわけですね。いやね、演奏開始が九時にしては六時半入場というのは早いなあ、とは思ったんです。でもね、食事に時間を掛けるんだ、と勝手に思い込んじゃったんです。
マナー違反のわたしでした。まあ店側としても、遅刻したとでも思っていたかもです。ですので、もっと早くに店にはいり食事をすべきだったんです。なんかねえ、食べた気がしませんでしたわ。しかも、量が半端じゃない。さすが、アメリカです。持てあまし気味だったわたしのところにスタッフがやってきて、話しかけてきます。むろん、英語です。ちんぷんかんぷんです。突然に「takeout,OK?」と聞こえたので、「Yes,Yes!」と頷きました。
こういうところなんですねえ、わたしの至らぬ所は。けっして悪気があってのことではないんですよ。ハワイでの[Blue Note]は、ホームページから直接予約をしました。英語ではないですよ、キチンと日本語での説明でしたから、予約が出来たんです。ただね、そこに、なんて言うか「食事を済ませてから、演奏をお楽しみください」。そんなひと言があればですねえ、わたしだって早めに入ったんですが。言い訳にはなりませんね、そうです、ただただ恥じ入るだけです。そして、自分という者がどういう人間かと言うことが、すこし垣間見えたということですね。それじゃ、[Blue Note]に戻りますか。地獄めぐりについては、もうすこし待ってくださいな。
演奏は素晴らしかったです。CDリリース記念コンサートだということでして、はじめにピアノのソロ演奏です。軽快にリズム感あるメロディーが流れていきます。ときおり客席に――日本の歌舞伎で言えば 流し目ですかね――チラリチラリと顔を向けます。ハワイでは有名人なのですかね? そういったことにわたしは疎いですから。とたんに、激しい拍手と歓声があがりました。その後クラリネットが入り、シンガーの登場でした。
最後に、万雷の拍手が起こり、ドラムとベースの登場です。やはり、ドラムがないジャズは「クリープを入れないコーヒーなんて」(なつかしいフレーズですね)と同様に、締まりのないものですよね。陶酔感ただよう表情で、小気味よくたたかれるスネアやフロアタムと呼ばれるドラム部から出てくる乾いた音のなかに、シンバル系でおしゃれ感を紡ぎだしてくれたりと、音そのものとともに動く様が絵になるのですよね。
ドラマーといえば、真っ先に浮かぶのが、石原裕次郎さんです。映画「嵐を呼ぶ男」で観せてくれた、若き天才ドラマー国分正一です。当時人気ドラマーのチャーリー・桜田(ジャズ歌手である笈田敏夫)とのドラマー共演が最高でしたね。ドラムのソロ演奏って、けっこう聴かせるんですよね。Venturesというグループ、ご存じですかね。かつてのエレキブームを盛りあげてくれた、いやいや創りあげたグループです。♪テケテケテケテケテケ♪ その先駆者じゃないんですかね。
でもですね。今回見直したというか、「アホだったんだボクは」と思い知らされました。♪ブン、ブン、ブン、ブン♪ と、お腹にひびく音が流れだしたんですよ。ベースです。地味な楽器ですよね、図体だけはデカいんですけど。デンと、まさしくドテッと大地に根を下ろした大木、まさしくはオランウータンです。主役ではないけれど、そこに居る、在るだけで、圧倒的な存在感を示している。オランウータンって、よくよく見ると愛嬌のある顔をしてません?
本来は弓をつかっての演奏に使われるものでしょうが、弦を指ではじく奏法(ピッツィカート)で行われ、ポピュラー音楽ではこちらが一般的ですよね。当然この場では、ピッツイカート奏法でした。というよりは、わたしは、まったく違う楽器だと思っていました。恥ずかしい! ドラム演奏の興奮が冷めやらぬ中、♪ぶんブンぶんブンぶんぶぶんブンブン♪と、強弱高低差のついた音が流れはじめました。
もう、世界が変わったと言っても過言じゃなかったです。なんというか、引き締まったというか、もっと強く言えばホンモノになった。浮ついていたものがどっしりと地に足がついた観なんですよね。一列に並んで聞こえていた音が、お行儀良くしていた音が、奥行きができてそしてあちこちに花が咲きはじめたんです。
ピアノがポンポンポンと飛びはねて、クラリネットが空を泳ぎだすんです。そうしたらギターがそんな空気を激しくかき回しはじめて、ドラムがドカンドカンと大砲を撃ちだして。そんな収拾が付かなくなりそうなところを、ベースがしっかりとつなぎ止めるんです。おまえたちの居場所はここだとばかりに、大地を踏みならすんです。
そう言えば、TOKIOの長瀬くんでしたっけ。「ベースが代わったら、もうTOKIOの音楽じゃない」と言っていたのは。その真意が、やっと分かりました。
一時間半という短い時間でしたが、至福の時間でした。初めて感じる「音楽に浸れた時間・空間そして五感」でした。こころが揺さぶられるものでした。ハワイに来て良かった。いまさらジャズなんて、と諦めないで良かった。もう、最高、さいこう、サイコー!! 「明日が来なくてもいい!」。思わず、そう思っちゃいました。
でもその夜、ベッドに入って思ったことは、「アシタは、憧れのムスタングだぞ!」。そうなんです、明日はレンタカーで、マスタング(Mustung、日本での発売時には、ムスタングでした)を走らせるんです。しかも、オープンカーで。「明日が来なくてもいい!」。なんて叫んだのは、一体なんだったんでしょう。さらに言えば、この後
もまた口にするかもしれません。そういう男なんです、わたしは。感動屋なんです、よく言えば。悪く言えば、……いや、これは勘弁してください。
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