ブルーの住人


第五章 蒼い友情 〜マーダー〜 
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この章辺りから、「ブルーなコア」にお気づきになる方がお見えになるのでは…と、思います。

これは、昭和の御代、40年代の話だということを、先ずもってお知らせしておきたい。
令和という現代のみよとはそぐわぬ事例や、思考回路が出てくるやもしれぬことをもお知らせしておきたい。
 
(一)朝

 それは、ここちよい朝の目ざめだった。きのうの朝のことが、まったく嘘のようにさえ思える。これほどにも土地柄のちがいというものが、人間に影響をあたえるのであろうか。いまにして街でのむなしさを知り、また街での処し方がいかにむずかしいかを知った。それは次に来るべきあすの予測をあやまった者が味わう、惨めすぎるほどの挫折――仮に想像の域をだっしないものだとしても――が、多大な不安をあたえる。
 真っ青な空に、二つ三つの白い雲。その間をぬって風は流れ、その風の流れにのって雀も飛び交う。いま、畑のあぜ道をくわをかついで歩く腰のまがった老人がいる。こびりついた泥を見れば、畑たがやしおえての途次だろうか。土ぼこりの舞う道のさきに、老人の家がある。平屋建ての家屋をいけ垣がぐるりとかこみ、庭には柿の木がう植えられている。秋になるとカラスやらが飛んできて熟した実をついばんでいくだろう。
 道の両端には重くこうべを垂れる稲穂がある。もうすぐ刈り取りの季節となるだろう。春にはれんげ草が咲きみだれ、多くの子どもたちがそこに寝ころび、蝶々とたわむれるのだろうか。しかし今は、老人が歩いている。しっかりとした足取りで、老婆の待つ家に向かって一歩いっぽ力強く歩いている。
 入り口をすこしまわって鬼門の東北には別に建てられた厠があり、そのそばにはおきまりの南天の木が植えられている。えんがわで洗濯物をたたむ老婆の目が老人のすがたをとらえると、おおきな声で「おかえり。たいへんじゃったろう」と迎えてくれる。
「おおっ!」。片手をあげて、破顔一笑の顔をみせた。ゆっくりとした歩が、とたんに速くなった。まがっていた腰も、心なしか伸びたように見える。 
 十年前の自分にもどりたいとは思わない。しかしもう一度、故郷のれんげ草のにほいをかぎたいとは思う、自分だ。


(二)友

 わたしはこころの命ずるがままに動いた。そのつもりであり、いまもそう確信している。が、友の新一に言わせれば、「踊らされている」となる。わたしとしては、思うがままにうごき、思うがままに言葉をはっし、そして結果をえている。しかし新一は、「踊らされている」と言う。
 わたしが新一といついかにして知り合ったのか、ふたりとも明確な記憶をもっていない。いつの間にかわたしの前に現れて、それがいつの間にかあたりまえのことになった。どこに行くにもいつの時も、ふたり一緒だ。そしてふたりは、家族よりも、その間柄は濃密だ。しかし新一のことは、家族の誰にも話していない。
 新一は、人生を否定的に考えるくせがある。人間は決して満足しない生き物だと考えている。それゆえに、人間は不幸でしかありえないと言う。わたしとは相容れない思考へきがある。そのことから、あの「踊らされている」という言葉になっていると思える。


(三)コメンテーター

 きのうの早朝、窓の中にどことなく白々としている街並びがあった。無機な世界がそこに存在している。がらにもなく早起きをしたわたしは、テレビにかじりついていた。現在をにぎわしているヒッピー族と称する若者のインタビューに耳をかたむけた。コメンテーター――文化人と称する、評論家に大学教授に医者――三人が、卑怯にもひとりのヒッピーに対して、矢つぎばやに質問をしている。
 平然とそして冷然と受け答えをしていた若者だが、ものの五分と経たないうちに態度が粗雑になりはじめた。若者のことばが荒くなり、刺とげしくなる。コメンテーターたちの質問も辛らつさを増していく。次第にいらだちはじめた若者。その光景は、見るも無残なものだった。
 一匹の子羊を、血に飢えた狼と腹を空かせた熊と猛り狂う猪とがいたぶっている。結局のところ、ヒッピー気取りの若者をこらしめるといったことなのか。


(四)反吐

 それにしても、マスコミという化けものの餌食となった若ものもあわれだ。錬達なカメラワークの中で、若ものはしだいに色をうしなっていく。とどのつまりが「あんたたちになにがわかる!」とどなり散らして、スタジオをあとにした。まだ年わかい、未熟な、そして無知な若ものをいたぶって、なにが面白いのか。コメンテーターたちの勝ちほこった顔がアップとなるに至って、わたしを嫌悪感がおそい、反吐がでそうになった。
「あのヒッピーもどきが、つまりきみだ。コメンテーター=マスコミさ、マスコミの意のままに踊らされているんだ。ヒッピーがそのことに気づいて逃げだしたのか、あの若ものほどバカな男もいない。自然に生きようとする者が、なぜに人工物の最たるテレビにでるのか。気づいてのことなら……いや、あそこにたった段階で、若ものはヒッピー失格さ」


(五)テレビ

 わたしに向かって投げかけたことばかと思い、身がまえるわたしだったけれども、新一の目はわたし見ていない。テレビに視線は向いていたけれども、見ているようには感じられない。そう、ブラウン管に映っている新一自身を見つめている、そんな風に感じた。
「おとなに分かるわけがない! そう主張するのなら、答える必要はない。そもそもテレビに出るなど、言語道断だ。文明社会を捨てて、大自然の中に戻るヒッピーなのに。文明社会の最たるもののテレビに出るなど、だ。明らかにギマンだ。あいつはヒッピーじゃない! 単なるスネ男だ」
「ヒッピーはすでに人間失格なんだろ? 文明社会においては、生存の場はないんだろ? だったら、ただだまって、大自然にかえればいいんだ。トンボめがねをかけて、布袋を背にして、ゴム靴をひきずって。もどきだ、もどきだよ! 淋しい、さびしいぞ、バカめが!」
 だれに話しかける風でもなく、むろんわたしを意識していた風でもない。やはり、新一自身にむけてのことだったのか。自身に対するメッセージだったのか。新一のまぶたが閉じられるその刹那、新一の目に憎悪の炎がもえているように感じた。けれども次にあふれでた涙で、炎は消えてしまった。しばらくつづいた沈黙のあと、こんどはわたしがことばを紡いだ。


(六)原則

「若者だって、そのくらいの計算はしているんじゃないか。どう猛な獣にいたぶられる小動物然として、よろんの同情を買ったのじゃないかな。だいいち君をして、マスコミに対し悪感情をだいたじゃないか。若者のためになみだを流したじゃないか。同世代の純朴な若者が攻撃されたのが、たまらなかったんだろ?」
「それにだ。わずかではあっても、ヒッピーに対する偏見をとりのぞけらればと思ってのことかもしれないぜ。ひょっとして……」
「そのものわかりの良さが、だめなんだよ」。新一がわたしのことばをさえぎって言う。
「流されちゃだめだ。ものの本質が変わるわけがない」。そしてつづけて
「原則が大事なんだ。踊らされちゃだめだって」と、わたしをたしなめる。


(七)人でなしの国

 そんな新一のことばに、わたしは黙した。独善的な新一に反論はゆるされない。一の反論に対して、十の再反論がかえってくるのが常だ。わたしが黙りこくると、新一は満足げにうなづく。正直のところ癪にさわるが、新一と口論してもはじまらないと、わたしがいつも矛をおさめてしまっている。ものわかりの良いわたしが、吐きだすことばをのみこんでしまう。おなかがいっぱいだ、ことばで。
 相反する意見のふたりのあいだに、友情というものは存在しうるのだろうか。はたして、同一行動をとるふたりだからと、友情が存在しているのだろうか。わたしと新一のような従ぞく的関係でも、それは友情とよばれるのだろうか。
 わたしは新一が好きだ、尊敬もしている。新一もまた、わたしが好きだと言ってくれる。
 新一は言う。
「愛憎の(はざま)に、人は住んでいるのじゃないだろうか。感情を持たない人間などいるはずがない。
もしいたとしたら、その人は超人だろう。すべてを超越して論理的に思考する……ぞっとするね。『超人たちの国』なんて、『人でなしの国』だろうからさ」


(八)詭弁

「ひとつ目人間の国にまよいこんだ男が、年月が経つにつれて、ふたつ目のおのれを不具者と見てしまう。こわいことだけれど、いつの時代でも起きている。真理なんてものは存在していないのさ。そんなものは時代じだいで変わるものだ。『後世の歴史家が判断してくれる』って言い訳するけれども、あんなものは詭弁だね」
 新一のことばはつづく。わたしは口をはさめない。いや、ただ聞き入ってしまうのだ。
「だってその時代に生きた者にとっては、後世の人間なんて関係ないだろうが。人間だれしも、幸せになるために生きてるんだろ? そのために一所懸命がんばるんだろ? 但し、ただしだ。欲ばってはいけない。分相応ってやつを考えなけりゃ。戦争なんて、欲ばりの人間がひきおこすものさ」
 真理という哲学的な話が、こんどは戦争などという生々しい話題へと移ってきた。
「仕掛けた方が欲ばりだと、断言はできないだろうけれどね。じっと我慢の子だった方が、もう我慢ならん! となる時だってあるだろうからさ」と、立て板に水のごとくに話す。いつもこの調子だ。たとえ話を組みこまれては、妙に納得せねばならないような錯覚におそわれてしまう。やっぱりわたしは、ものわかりが良すぎるのだろうか。


(九)走る時間だけがある

 新一はいつも言う。
「机上の論理をこねまわしてちゃだめだ。その前に、動いちゃえ。若いんだ、行動あるのみだ。青春時代には、考える時間なんてないんだ。走る時間だけがある」
 この新一の論理には、一もニもなく賛同した。そしてつねに行動することを意識して、そう、走りながら考えることを実行した。と、新一に微妙な変化があるように感じられはじめた。思い過ごしなら、それはそれで結構なことだ。むしろその方が嬉しい。しかし皮肉めいた新一のことばが気になるこのごろだ。
 新一流の人の分け方――愛と憎悪のどちらに位置するか――で判断するに、いまの新一は憎悪側に傾いたのか? 愛に位置する人というのは、余力を持って人と相対しているわけだ。憎悪の念がつよいというのは、こころが荒んでいる――ふくらみすぎている――そういうことだろうか。たしかに、以前の新一はわたしを見くだすようなところがありはした。


(十)実のところは

 しかし、いまはどうだ? ライバル心むきだしといった観ではないか。いま、新一のアドバイス前に、事がはこべている。他人との接触において多分にしりごみしがちだったわたしが、積極的とは言わないまでもキチンと対している。弟子が一人前になることは嬉しいが、いちまつの寂しさも感じる――そういった心境なのだろうか。
 どうにも、そうとは思えない。
[可愛さあまって憎さ百倍]というじゃないか。ことばを交し合う相手がわたししかいない新一にとっては、憎悪の対象となってしまったのか。だとしたら、わたしは以前のわたしにもどりたいと思ってしまう。新一の憎悪の対象にはなりたくない。が、いまの心地よさを失うということも、つらくはある。
 思いだせ、思いだすんだ。
 以前のわたしは、どうだった? 
 新一との口論になると、きまって口をつぐんでいなかったか? 
 議論を交わすことから、逃げてはいなかったか? 
 新一の気性を知っているから? 
 恐ろしいことだけれども、わたしの方こそ、新一を見くだしていなかったのか?  実のところは。


(十一)分からずじまいの方が

 パタパタという軽やかなスリッパの音で、ようやく新一の呪縛からのがれられた。きのうの回想からぬけでた。新一とわかれてこの地に来て、おだやかな朝を迎えたわたしだ。空気の美味しさを、いくどとなく繰りかえす深呼吸で、たんのうした。まるで故郷にかえったかと錯覚させられる。
 ふと思った。
 気心の知れた者との、棘のある会話のなかにみいだす愛。
 そしてまた、他人との穏やかな会話のなかにみいだす冷たさ。
 新一に気づかされる、物事のうらおもて。
 知らずにいた方が、分からずじまいの方が良いことも多々あるだろうに。
 夢を見ることしかなかったわたしが、その夢を実現すべく立ちあがる。そのための勇気を、新一からもらった。そしてゆめが現実となったとき、たしかに快感をえる。満足感にひたっている。幸福感に満ちあふれてもいる。がしかし、一瞬間きょらいする空白感をも、味わってしまう。


(十二)そのニヒルさが

 青春の真っただ中にいるわたしの夢といえば、小さなことだと笑われるかもしれないけれども、やっぱり異性との交際につきる。遠くからじっと見ているだけのわたしが、ゆめ見てはため息を吐いていたわたしが、当たって砕けろ! と。玉砕の憂き目にあったこともあるけれども、デートにこぎつけられたことも。二度三度とデートをかさねて、ゆっくりながらも階段を上がっていく。
 手をにぎることで、どぎまぎした初デート。二度目は相合傘で肩を抱き、そして三度目のデートで甘いキス。
 思いが達せられたと歓びに満ちあふれつつも、一瞬間すぎる虚脱感。温かいぬくもりに包まれながらも、突如おそいくる空虚感。デートの間中、一瞬のかげりも見のがさない。そしてそのかげりに、どれ程にこころを痛めたことか。
 相手に見せる笑いの中に、どこか暗さといったようなものが現れ出ているらしい。そのニヒルさがたまらないという女性もいた。ネクラと称された眉間にしわをよせる仕種が、いまでは男の顔だと称される。笑ってしまう、まったく。


(十三)銀の皿

 新一と出会うまえのようなオドオドした暗さとはちがい、どこか慇懃無礼さがある、と思える。こころの中に内在している――でんと居すわっている新一を、消しさるためのひとり旅だ。別人格をそだてあげて苦痛からの逃げ場をつくったことが、ときに重荷となり障害となることに気づいた。おそかったかもしれない、あるいは気づかぬままの方が良いのかもしれない。
「朝食のご用意、よろしいでしょうか?」
 鈴とまではいかないけれど、それでもすがすがしい声で尋ねられた。
「そうですね、散歩をしてきます。三十分ほどで戻りますから、そのあいだにお願いします」
 国道づたいに歩いていると、トラック類が引っ切りなしに行き交う。その間を肩をすぼめるがごとくに、乗用車がはしる。それにしても、排気ガスの臭いには閉口させられる。
“平日なんだ、きょうは”。仕事をさぼった気恥ずかしさから、うつむき加減で歩いてしまった。車の流れが途だえたおりに国道を横ぎり、すぐの角を右におれた。
 すこし歩くと、水のながれる音が耳にはいった。小川の水面に、美しい空の景をみつけた。キラキラと輝く、小さく波だつその流れは、さながら銀の皿をならべた観があった。“銀の皿か、われながら良い比喩じゃないか”


(十四)まやかしのように

 柵から身をのりだして、自分の姿をその水面に映してみた。美しい空の景のなかに自分の顔をみつけ、“うん、好い男だ”と、ほくそえむ。しかしどう考えても、余分だった。やっぱりわたしはいらない。空の美しさに感動している自分の興をそいでしまう。山々に見え隠れする太陽のひかりを受けて、明るい世界の住人になっていた。覚悟した。もうもどれない、きのうまでのくらい世界には。
――
 闇とは「光の欠如」であり、闇という「なにか」が存在するわけではない。
 仏教用語にある、無明とは「迷い」である。
 真如とは「あるがままに」あることである。
――
 すべてのことに対し、まったく素直な自分に気づいた。素直さのなかでは、なにもかもが肯定できた。なにもかもが素晴らしい! It’s beautiful!
 こころに安らぎをえたいと、レコード鑑賞に映画鑑賞、にそして読書にと血道を上げていたことが、いまでは、まやかしのように感じられる。楽しんでいたのではない。絶賛されているから、名作だと言われているから、聴いて観てそして読んだだけのこと。
 それらのことで、いったいどれほどの安らぎが得られたというのか。新一のひと言で、ガラガラと音をたてて崩れさったではないか。
 歓びに満ちあふれている時にかぎって、ひょっこりと顔を出す新一。
なのにいま、仏教でいう安心《あんじん》の世界にどっぷりと浸かっている今というときなのに、新一は現れない。


(十五)願う己と、阻止したいじぶん

 新一を抹殺する――それをねがう己と、それを阻止したい自分――とがいる。まるで神とあくまの代理戦争のごとくに思えていた。そしてそのことに、どれほどの時と労力をついやしたことか。それがいま、それらすべてが、こころの外側に位置している。この一瞬間の歓びをあらわしたい。
 踏みしめている大地にほおずりしたい。そのままひざまずき、イスラムの祈りのように、大地に接吻したい。ひんやりと湿った土から与えられるもの、そうだ。この匂いは、この香りは……おふくろが毎朝作ってくれていた、みそしるの香りだ。大きな背におぶさわれた折の、親父のあせの匂いだ。
 先夜の、恋人とのいさかい。行きちがい。ねっとりとした熱い空気が体にまとわりついた夜のこと。不快指数100%だったあの夜のこと。minakoからの電話。


(十六)23歳の、minako。

「ヒハハラアヒラヒノ、ヘヘホレル?(いまからあいたいの、でてこれる?)」 。異国語のように聞こえた、まるでロレツのまわっていない声。時計を見ると、十時半をまわっていた。休日前の夜は、普段ならばふたりして食事をしているはずなのに。
「こんやだけはごめんね」と、手を合わせたminako。訳を聞くと、すまなさそうに苦しげな表情を見せたminako。
minakoが指定した場所に行くと、強いライトによって暗闇のなかに浮かびあがっている、コンビニという異世界。その前で女子高生らしき娘どもが、地べた座りしている。
「ああいうのって、いやね」。なんて言ってるminakoが、タクシーから降りるやいなや飛びかかってきた。酒くさい息が、体の中にはいり込んできた。なんどか引き離そうとしたけれど、がっちりと首に回された手がほどけない。“こんなに、力、強かったっけ?”。それとも、本気でひき離す気がなかった?
23歳の、minako。
お姉さんの、minako。
看護婦の、minako。
くりくり目の、minako。
少し団子っ鼻の、minako。
おちょぼ口の、minako。
可愛い、minako。
ボクだけの、minako。


(十七)ベタ惚れ?

「ばんごはん、なにたべた?」
「いま、なにしてた?」
「どんなテレビ、みてた?」
「フリーターってたのしい?」
「おふろ、はいった?」
「どこから、あらうの?」
「シャンプー、なにつかってる?」
「トリートメントは、しゅうなんかい?」
「−−−−−?」
「*****?」
 矢つぎ早の問いかけ。 答えるまえに、次の質問がとぶ。
 右腕にしがみついて、しなだれかかるminako。
 ときおり拳をつき上げて、そして嬌声をはりあげるminako。
 “どうした? こんやは。ただただ、とまどうばかりだ……”。
 のらりくらりと歩くふたりの目に、緑の木々が飛びこんでくる。チラホラと紅葉した葉っぱが、じつにきれいだ。が、立ち止まって見入ることはない。ぼくの急かす声で動きをはやめるminako。とどまりたげなminakoの気持ちに気づいてるくせに、わざと意地悪をするぼく。
神社仏閣めぐりの好きな、minako。
閑静な場所が好きな、minako。
付き合うぼくは、minakoにベタ惚れ?


(十八)新一

「も、もういちど言ってくれ」
「病院、変わるの」
「そうじゃないって、そんなことはいい!」
「怒鳴らないで!」
「どういうこと? どうするんだよ!」
「どうするって…」
「なんで、なんで、どうして…」
「ごめんね、ごめんね」
「行くな、行くな!」
「…… ……」
そんなわたしの声を押しとどめた新一、そんなわたしを叱った新一。
「踊らされるな!」
「自分を持て!」


(十九)「よっ!」「元気してた?」

そして minako から届いた手紙。
 toshi くん。
あなたを呼ぶときには、いつも「くん」付けでしたね。年下だったから、ついつい「くん」と呼んじゃいました。あなたの、男としてのプライドも考えずに。ひょっとしてわたし、あなたをあなたのことを見下していた? 
ごめんね…ごめんね…ほんとにごめん。もうすぐ24歳になる、minako です。我が家では、家訓としてね、24歳には嫁入りすることになってるの。お母さまもお婆さまも、そして大お婆さまも……。
あなたがあの日……。いいの、いいのよ、もう。あなたは、まだまだ子どもだったってこと。そのことに気づかなかったわたし、でした。
楽しい想い出をいっぱいありがとう。でも、悲しい想い出もつくってくれたわね。いいのよ、それも含めていい想い出になっています。いままで、ほんとにありがとう。
もし、もしまた会うことがあったら、「よっ!」と、声をかけてね。
そしたらわたし、「元気してた?」って、聞くから。
キョトンとする旦那さまの前で、にっこりと微笑みかけてあげるから。


(二十)グデン・ぐでん

そして書いてあった、詩。
(グデン・ぐでん) というタイトルが。
――
わたしはいま、とても酔っています。
グデン、ぐでんの、泥酔状態です。
わたしはいま、とても淋しいのです。
人恋しくて、ひとこいしくて、たまりません。
わたしはいま、とても泣きたいのです。
ワアー、ワアーと、号泣したいのです。
あのひとはいま、どうしていますか。
よっしゃ、よっしゃと、駆け上がってますか。
あのひとはいま、燃えていますか。
ワッセイ、ワッセイと、囃し立てていますか。
あの人はいま、泣いていませんか。
わたしを、わたしを、思い出してませんか。
わたしはいま、とても酔っています。
グチャ、ぐちゃの、ハッピー状態です。


(二十一)大っきい病院だね?

 病院の住所がわからないわたしは、奮発してタクシーに乗りこんだ。とても親切な運転手さんで、少ない情報しか持ち合わせていないわたしに、最大限の協力をしてくれた。無線機をつかって、ほかの運転手さんに呼びかけてくれたりもした。
「kashiwara 市の病院だね? 大っきい病院だね? 市民病院ではないんだね。公立病院じゃないわけよね。kashiwara 総合病院というのがあるんですよ、民間だけれども。了解! すぐですから、ほんの5、6分で着きますから」
「お客さん、地元の人じゃないね」
「観光かい? きょうは」
「ここには……なんかあったっけ?」
「ああ、そういえば、神社があるねえ」
「お正月には、すごい人だよ」
「そうそう、ずいぶん古いところでさ」
「ことしは、なん年だっけ?」
「うん。ことしはね、皇紀2000年以上なんだってさ」
「おかしいよね、ことしは1961年なのにさ」
 

(二十二)押し問答

「申しわけありません。もういちど、名前をお聞かせください」
「minako さんです」
「苗字は、なんと言いますでしょうか?」
「最近、ひと月も経っていない最近に勤めはじめたはずです」
 押し問答をくりかえして、たぶん十分は経ったと思う。受付の女性もうんざり顔だが、ぼくだってうんざりだ。どう説明しても理解してくれない。ぼくに多少の非があることは分かる。うかつだった、確かに。おたがい名前を呼びあう仲だったので、苗字をきいていなかった。
「ご実家の電話番号を…」と言われても、いつも minako の方から連絡が来ていたから…。
「何科勤務なのか、わかりますか? それと以前の勤め先病院名は、分かりますか?」
 立てつづけに質問される。それも意地悪な質問ばかりだ。ぼくの知らないことばかりを問い詰めてくる。どんな顔立ちかどんな性格か、そういったことは聞いてくれない。
「23歳で、お姉さんで、看護婦さんで、くりくり目で、すこし団子っ鼻で、おちょぼ口です。そうだ! アイドルのKちゃん、知ってますよね。あの(ひと)に似てるんです。可愛いですよね、Kちゃん」
「それではちょっと……。すこし、待ってくださいね」


(二十三)last

どういうことだ? 病院をまちがえた? 確かに、kashiwara 総合病院のはずだ。親切な運転手さんが探しだしてくれたんだ。思いだした! 手紙にそうあった。そうだった、手紙だ。手紙を見せれば良かったのに、失念していた。
この内ポケットに入れて…、ない! ここにもない! そうだった。鞄の中だ、落とさないようにと入れ替えたんだ」
「……ない! おかしいぞ、忘れてきたのか? 新一くん、ヒンヒシフン…ヒミ、ヒラナヒカ…?(シンイチクン…キミ、シラナイカ…?)」
「… …」
ソンナカオヲシナイデクレヨ。コエガ、コエガ、コワレテルナンテ……
ウケツケノアナタ……ソンナカオヲシナイデ……ヨ……