青春の囁き
 それは、あおいそらにたったひとつしろいくもがうかぶ、とってもすてきなそらでした。
 そらとちのあいだをとぶこのわたしがすこしきはずかしさをおぼえるような、そんなきよらかなくうきがただよっていました。ふんすいのこうえんでの、とってもすてきなふたりむごんのあいのささやきにかんどうしていたわたしは、まだこうふんのさめきらないおもいですべてがバラいろにみえていました。

 まちのはずれにあるがっこうがみえてきました。
 こうもんてまえのみちのうえで、うばぐるまのなかでなきさけんでいるあかちゃんがいます。
どうやらおさんぽのとちゅうのようです。
「ベロベロバァー!」と、あやしにかかっているおとうさんがあくせんくとうちゅうのようです。
あかちゃんは、おかあさんのおっぱいでもほしがっているのでしょうか。

 とおりのむこうにはがっこうがありました。 
 ポプラのこかげでは、二、三人がほんをひろげてよみふけっています。そしてこうていでは「キャッ、キャッ」と、そらにまうしろいボールを、四、五人がおいかけています。たいいくかんのいりぐちにたむろしていた、やはり四、五人があかちゃんのなきごえをききつけて、おおきくてをふっています。
「おとうさん、がんばれー!」

 すがすがしいあさです。
 すこしいったしんごうきのしたでたったひとりたちすくんでいる、きいろのブラウスにうすみどりのスカートをみにつけたおじょうさんがいます。いまにもなきだしそうなかおで、とおくのかどをみています。
 てにしろいハンドバッグをもち、しろいヒールくつでいしころをけとばしています。ほんとうにかなしそうなかおです。なんといじわるなてんしたちでしょう。どこかでわらいころげながらみているにちがいありません。

「おじょうさん、どうしました?」
 わたしでさえおもわずこえをかけたくなるのに、てんしたちときたらまるでくらぬふりです。
「だーれだ?」
 大きな大きなてのひらがおじょうさんのかおをおおいました。そのてのところどころにあおやあかのシミがあり、せいけつとはおもえません。かみもバサバサでていれがなく、ねおきのまま、そんなかんじです。かおもあかぐろく、かおをあらっているのでしょうか。

でもかがやくひとみのうつくしさがすてきです。それに、ヨレヨレではありますがまっしろいTシャツもすてきです。大きなてからはインクのにおいがします。レモンのようなあまずっぱさでした。
「ごめん、ごめん。でんしゃにのりおくれてさ。きのういそぎのしごとがはいって、よなかまでざんぎょう。アパートにかえったのはよなかでさ。おそくなったこと、おこってる?」
 なんどもあやまるせいねんでした。そんなすかずかしさをかんじさせるせいねんに「がんばれ、わかもの」とこえをかけながら、おじさんたちがいきすぎます。

 でもおじょうさんはうつむいたままでした。おじょうさんの目から大つぶのなみだがこぼれています。しばらくしておじょうさんのこえが、かすかにわたしにとどきました。
「あたし、せんせいにしかられたの。せいせきがおちてるって。おとこのことのこうさいはやめなさいって」
 おじょうさんはかおをちいさなてでおおって、はげしくなきだしました。せいねんは、ただだまってうしろからおじょうさんをやさしくだきしめました。

 しばらくのあいだ、ふたりはむごんでした。せいねんのどうようしているさまがつたわってきます。
おじょうさんのすすりなきはつづいています。せいねんのひたんにくれたこえが、おじょうさんのみみもとにささやかれました。
「そうか、がくせいにはべんきょうがたいせつだもんな。ごめんな、ぼくのせいでせいせきがさがって。……。わかった、きょうはこのままかえるよ。きょうはべんきょうしな。あしたもあさっても。しばらくあわずにいよう」
 とぎれとぎれに、しぼりだすようなこえで、せいねんがいいました。

 おじょうさんはしゃくりあげながら、なみだごえでいいます。
「いやよ、そんなの、あたしはいやよ。いいの、べんきょうなんか、そんなもの。せいせきがさがってもいいの」
 だまりこくったせいねんのことを、おじょうさんはかおをふせたまま、てでおおったまま、そっとぬすみみしました。

 すこしのまをおいて、せいねんがいいます。
 「それはいけないよ。だいいち、おとうさん、おかあさんがかなしむよ。それに、べんきょうができることをしあわせにおもわなくちゃ。よのなかには、べんきょうしたくてもできない人もいるんだぜ。
ぼくだって、おやじがげんきならだいがくにいきたかったんだから。だからぼくのためにもがんばってくれ。じゅけんがすんでから、またあえばいいじゃないか」
 
「いや! そんなのしんぼうできない。それじゃ、まるではいいろよ。あたし、にねんよいま今。せいしゅんを、いまを、たのしみたいわ」
 おじょうさんはなみだのいっぱいたまったひとみを、せいねんにむけます。せいねんはやさしくほほえんで、こぼれおちるなみだをふいてやりました。
「わかった、わかったよ、だからもうなかないで。ふたりでかんがえよう、どうしたらいいのか、かんがえよう」

 そののち、このふたりがどうなったのか、わたしはしりません。せいねんのいうとおりしばらくのあいだあわずにべんきょうにいそしんだのか、そのままあっているのか。でもこのせいねんならば、こころやさしいせいねんですから、うまくのりこえているとおもいます。
 それにしても、わたしにひとつのぎもんがわいてきました。わたしたちツバメにとっては、こいのきせつがいちばんのじゅうようなものなのです。そのためだけに、わたしたちはいかされています。

 わかものにとって、じんせいでもっともじゅうような「こい」については、なにもおしえないのでしようか、りょうしんも、がっこうも。かつてあくたがわりゅうのすけというさっかが、[しゅじゅのことば]というなかで、このようなことをなげいていたときおくしているのですが……。