しずかなしずかないなかみちを、もう八十にちかいながーいおひげのおじいさんにつれられて、くびをうなだれてかなしげにあるく仔牛がいました。おじいさんは、ときおり仔牛をみてはなみだをこぼしました。仔牛も大つぶのなみだをこぼしていました。
みちばたにさくなもないおはなも、おじいさんと仔牛のそのすがたに、かなしくしおれきっていました。
 すぐかたわらのおがわのせせらぎのなかでは、かえるたちがのどのうがいをしながら、いっしょうけんめいうつくしいこえにかえようとしています。なぐさめようとしているようです。しずかだったこのでんえんも、そのなきごえでさわがしくなりました。

 おじいさんはいっぽいっぽ、いちばにつづくみちをあるいていきます。子牛はだまってうなだれて、おじいさんについていきます。とちゅうで、おじいさんはしょうねんにあいました。なにやらしんこくなかおつきでひとことふたこと話をすると、いくらかのぎんかをしょうねんにわたしました。しょうねんは、そのぎんかをうけとるとよろこびいさんではしりだしました。おじいさんは、しょうねんのはしっていくうしろすがたに「うん、うん」とうなずきました。
 
 いちばのなかをとおりぬけ、すこしはなれたばしょに牛のとさつじょうがあります。おじいさんはかわいいセバスチャンのびょうきをなおすために、仔牛をうることにしたのです。おいしゃさまにみてもらうおかねや、たかいおくすりをかうためです。おじいさんは、かみさまになんどもおねがいしました。きょうかいにでかけてはキリストさまやマリアさまにおいのりしました。ぼくしさまにもおはなしをきいてもらいました。けれども、セバスチャンのびょうきはおもくなるばかりです。

 とほうにくれたおじいさんは、しかたなくたったひとつのざいさんの仔牛をうることにしたのです。
さきほどしょうねんにわたしたぎんかは、仔牛のだいきんでした。仔牛も、だいすききなセバスチャンぼうやのためにとなっとくしました。
 仔牛のおとうさんもおかあさんも、このおじいさんにかわいがってもらいました。いまこそおんがえしのときだとおもったのです。でも、そらをじゆうにとぶとりたちをみると、「じゆうにそらをとびたいなあ」とおもってしまいます。そして、じぶんのひうんをなげきました。

 でこぼこのみちにさしかかったとき、おじいさんがやさしいこえでいいました。
「もうすこしだから、がんばっておくれ」
 仔牛はげんきいっぱいのこえで、「モー(だいじょうぶ)!」とこたえました。おじいさんは、「うん、うん」とうなずき、子牛のあたまをなてであげました。
 ようやくでこぼこみちをぬけて、たいらなみちになりました。ホッとした子牛がそらをみあげると、ツバメがとんでいます。仔牛がツバメにいいました。
「あんたはいいねえ、じゆうで」
「あんたはいいねえ」と、ツバメはこたえました。
「どうしてだい、ひにくかい?」と、仔牛。
「あんたはいいよ、あたまをなてでもらえて」と、ツバメはいいました。

「あんたはいいよ、じゆうだから。ぼくは、これからうられていくんだ。ころされるんだ」と、仔牛はなみだぐんでいました。
「それでも、こんどうまれてくるときはあんたになりたいよ」と、ツバメはいいました。
「ぼくは、あんたにうまれたかった」と、仔牛はこたえました。
「でもね、ぼくはだれのせわにもなれないんだよ。おなかがすいてもだれもたべものをくれないんだ。じぶんでみつけるしかないんだ。あんたは、『おなかがすいたー』っていえば、おじいさんからもらえるだろう。それにね、あめがふっていてもかぜのつよいときでも、ぼくはとばなければいけないんだ」と、つばめはいいました。
「だけど、あんたはじゆうだ。どこにでもいけるじゃないか。それにひきかえぼくは、これからころされるんだ」
 ツバメと仔牛の口げんかは、いつまでもつづきました。

 あるくにのおうさまのはなしです。
 そのくには、おうさまのけんりょくがつよいところでした。おうさまが「だめだ」というと、なにごともすすめられませんでした。 あるひ、おうさまはこじきをよんでたずねました。「おまえは、わたしがうらやましいか? わたしは、おまえがうらやましいぞ」

 こじきは目をまるくしていいました。
「なにをおっしやられます。わたしはおうさまがうらやましいです。おいしいごちそうをたべ、たくさんのめしつかいたちをつかわれ、なによりあたたかいおふとんのなかでねむることができるのですから」

「いやいや、おうさまはきゅうくつだ。いつもおまえたちがしあわせにくらせるようにと、かんがえねばならぬ。たこくからのしんりゃくのときには、おおくのへいしにめいれいをださねばならぬしの。それにいつ、どうめいこくのうらぎりにあうかもしれぬのだ。きがやすまるときがない。やはり、おまえがうらやましい」

 とさつじょうから、おじいさんがたったひとりででてきました。かたをおとして、しょんぼりとしています。そらのうえを、ツバメがとんでいます。くるりくるりと、なんどもとんでいます。

 そのとき、きょうかいのかねがなりひびきました。