トンコ編

omko!

今、どうしてますか? 結婚…しましたか? もう、いいですか?

「二十四歳までは、結婚しないで! 私より先に、結婚しないで!!」

それが、別れのことばでしたね。どうして 二十四歳なのか、ぼくには分からないけれど
きみには、確固とした理由があるのでしょうね。
手紙の遣り取りの中で、「トンコ」という文字を、嫌がった君だったね。ならば、と
「tomko」と、変えたぼくでした。きみは、あきれ返って そして 笑って許してくれた。

Q=「m」は、ミススペルなの?
A=いや、違うよ。「n」では、トンマになっちゃう、と思ったからサ。

ホントは、ミススペルでした。でもそれを認めたくなくて、つい、嘘を吐いてしまいました。
でも、いいよね。

今、どうしてますか? 倖せですか…? もう、いいですか? ぼくも、青い鳥を求めても。
tomko!

長いようで短い、四年半でした。
今日が何の日か、覚えていますか? ぼくたちが初めて、文通をはじめた日です。
覚えているよね、きっと。それとも、幸せな日々の中で、忘れ去られている…?
寂しいけれど、それが良いことかも……。

きみは言ったね。
「やっぱり、運命的な出会いだったのね? まさかあなたが、修学旅行で、わたしの街に
やってくるなんて! といっても、おとなりの町なんだけどね。逢いに行くわ、わたし。昼間は
無理でしょうから、夜の自由時間にでも、逢いたいの。きっとよ、きっとよ!」

で、ぼくは言った。
「いいとも! 大歓迎だょ。単独行動は禁じられているけど、なあに、お腹が痛いとかなんとか、
理由をつけてホテルに居残りするよ。とりあえず、ロビーで逢おうよ。
その後のことは、成り行き任せさ」

それ以来ぼくの胸は、……痛いです。きみのことを想うだけで、キュン!
“ああ、これが、恋なんだ…”
東京に着いたよ。
でも、きみの元には、まだだ……。

明日、あしたなんだね。明日の夜には、きみに逢えるんだね。
きみはいま、何を考えているんだろうか……
ぼく? ぼくは……

怖いんだ、怖こわんだよ、ぼくは。
写真の中のきみは、満面に笑みを浮かべている。クラスメートなのかい?
きみのとなりに立って、きみの肩に手を回している男は、誰なの?
聞きたかった、……でも、怖くて、聞けなかった。そりゃあ、女の子も居たサ。
その子も肩を組んでいたサ。そのとなりの子もまた、肩を組んでいたサ。
「文化祭終了時の、打ち上げパーティよ」
説明書きがあったよ。でも、その男は……。悔しいけど、二枚目だあ!

ぼくが送った写真を見た、きみのひと言。
「淋しそう、……」

omko!

覚えていますか? 初めて逢った夜のことを。

フロントからの連絡で、ぼくはすぐにロビーに駆け下りました。六時四十八分でした。
約束の時間は七時だったのに、きみは早く来てくれました。エレベーターを待つ時間も
もどかしく、ぼくは階段を駆け下りました。

モスグリーンのスカートに、白いブラウス姿のきみは、光り輝いて見えたものです。
ソファに行儀良く座っていたきみの横顔を見たとき、思わず立ち竦んでしまったものです。
同じ高三とは思えない、大人びたきみが居ました。緊張のせいか、強張った表情でしたね。
伏目がちのきみは、他に居た誰よりも、綺麗でした。

「おおお! 美人ジャン!」
「すっげえ!」
とつぜん、ぼくの後ろから歓声が上がりました。驚いて振り返ると、クラスメートが居ました。
てっきり自由外出に出かけたと思っていたのに、どこで嗅ぎ付けたのか、きみを待って
いたらしいんです。

とんでもない! ぼくは、誰にも話してません。心外だ、そんな疑問を持たれるなんて。
でも、ここ二週間ほどの僕から、"なにか、あるゾ!"と、思ったらしい。
とつぜんにやついたり、ため息を吐いたり、遠くを見るような視線とか…。修学旅行が
近付くに連れ、そんなことが多々あったらしい。ぼくは、まるで気が付かなかったけど。
でも、助かりました。きみに何て声を掛けて良いのか、分からなかったから。
クラスメートの歓声に、驚いたように顔を上げたきみは、ぼくを見つけて、ニコリと
微笑んでくれたんだよ。そして、ペコリと頭を下げてくれた。
背中を押されるようにして、きみの元に駆け寄ったぼくでした。

「コ、コンバンワ…」
何てことだ、はじめてのことばが、これだとは。あれだけ悩みに悩んだのに…。
「こんばんわ! 初めまして、ですよね…」
はじめて聞く、きみの声。まるで、鈴の音です。感激! でした。きみは少し、はにかみつつ、ぼくを見上げるように言ったんですよ。

177cmの僕と、152cmのきみ。
「チッチとサリーみたいね…」
なんのことか分からぬぼくに、漫画なのと、教えてくれた。ぼくの劇画好きを知っ
てるきみは、
「子供っぽいかな…?」と、鼻に小じわを寄せて笑いましたね。胸が、キュン!
と、また痛みました。
「どこか、行きたい所ありますか?」
「いや、どこといっては…」

"誰も居ない、ふたりだけの世界に浸りたい…"。そんなこと、言えるわけがない。

そんなぼくの気持ちを察してくれたのか、それともきみ自身の気持ちがそうだったのか、
連れて行ってくれたのは、大学のキャンパスでした。
「わたしね、ここに入りたいの。いまの成績では、少し無理みたいなんだけど、入りたいの。
親にあまり負担をかけたくないから、私立には行きたくないの」

杜の都と言われるだけあって、たくさんの樹木でした。月明かりの下、幻想的な世界に
、どっぷりと浸りました。
君はたくさんおしゃべりをしてくれました。ぼくと言えば、たゞ黙って聞き入っていたっけ。

「意外だわ。もっと、おしゃべりな人だと思ってた…」
ドキリ! と、しました。手紙では雄弁なぼくだけど、ホントは無口なんだ。
「感激してるから……」
「まあ! そんな嬉しくなるようなこと…」
"to、tomko!"
抑え切れない衝動に、悩まされつづけていました。でもきみは、そんなぼくの気持ちにまるで
気付いてくれなかった。ぼくの、勇気のなさが、情けなかった。

「寒くない?」
「全然! 寒いの?」
ホントは、すごく寒かった。心の中に、冷たい風が吹きまくってた。
tomkoに、暖めて欲しかったんだ、ホントは。
omko!

ぎこちない会話が、続きましたね。と言うよりは、ぼくが緊張していただけかな?
きみはたくさん 話してくれました。
「ホントはね、もっとお洒落して来たかったんだけどね。制服なのよ、これ。通称
hakujo_kou のね。紐リボンだけは、外してきたの」
「そ、そうなんだ…」

“ステキだよ、とっても!”
そんなひと言ぐらい、付け加えても良さそうなものなのに。喉がひりついて、どう
しても出てこなかった。
「風邪 惹いてるの? 喉 いたいの?」

「心配かけて ごめん! 緊張してるんだよ、実は。
出掛けに、クラスメートに冷やかされちゃって サ」
「ええぇっ! なんて、言ってたあ? わたしのこと」
「うん。美人だっ、て。羨ましがられた、ちょっとこずかれたりも したしサ」
「うわあ! やっぱり、お洒落してくれば良かったあ。T君がさ、 制服だから、
わたしも制服にしたんだけど」
「十分だよ それで。これ以上ステキになられたら、ぼく 一緒に歩けないよ」
「無理しちゃってえ! お世辞だって見えみえだあ」
ぼくの背中を 力いっぱい叩いたんだよ、tomko。思わず、咳き込んじゃった。
「ごめんね、痛かった? ごめんね、ごめんね」
何度も謝りながら、ほわ゛くの背中をさすってくれたね。嬉しかった、ホントに。
きみの温もりが、その手を通じて 伝わってきました。
それからだね、会話がスムーズになったのは。ぼくも、緊張がほぐれました。

色んな話をしたね。と言っても、大半はきみの学園生活が主だったけど。だって
ぼくに話をさせてくれなかった じゃないか。
でも いいんだ。ぼくなんて 話すことは何もないんだから。
でも、ハイネが好きだってこと 嬉しかった。ぼくも 大好きなんだ。男のくせに
変だろ? でも きみは目を輝かせて「嬉しい! やっぱり わたしの好きなT君だあ」って、ぼくの腕に……。

君のふっくらとした その…あれが…ドキッ! だった。
でもきみは、まるで無頓着だった。ひょっとして 誰にでも そうなの?
だとしたら…少し 淋しいや。
「あの写真の、ひょっとして 彼氏なの…?」
「なに それ? ああ、あの文化祭の写真のこと? やだあ! あっ!ひょっとして
妬いてるの? ふふふ…だったら嬉しいなあ」
「違うの? いかにも って感じだったしさ。それに、すごく…」
「ストップ! 彼がね わたしに好意を持ってくれてるのは、知ってるけど。わたしには もっとステキな彼氏がいるの!」
ぼくのことばを遮るように、きみは言った。

「だ、誰なの? だよなあ、そうだよね…」
「もう! 分かんないの? 鈍感!」
「えっ、えっ、それって、もしかして……」
とつぜん きみの指が ぼくの唇に触れてきた。

「ナ・イ・シ・ョ!」
愛くるしく笑いながら、きみは言った。もうぼくは 天にも昇る気持ちだった。
omko!

きみは ホントにステキな女性だ。ぼくはもう、きみに首ったけだよ。夢中だよ。

何時ごろ だったろうか? 時計を見れば時間が分かるのに、お互い 見ることは
なかったね。ひと晩中でも 君きみ一緒に居たかった。でも、そんなわけにも……。

路面電車の停留所にあったベンチに腰掛けて、ぼくたちは電車を待っていた。
でも車一台通らないなんて よほど遅かったんだろうか?

無口になりました、二人とも。別れの時間が 近付くにつれて、口が重くなりました。
そんな寂しさの中でも、ぼくは幸せでした。幸福感に 浸りきっていました。
tomko、きみもそうだよね。ことばなんか いらなかったよね。

偶然なんだろうね、それとも 神さまの心遣いかな? タクシーが通りました。
一旦 通り過ぎた後、バックしてきた。
「電車は、もうないよ。迎えの車が来るのかな?」

助かったような、余計なお世話のような……。そしてそれが 別れの時でした。
tomko!

大変です、ホントに。ホテルに帰り着いたら、十一時近くでした。
同部屋のクラスメートが、心配げに ロビーで待っててくれました。フロントに
頼んでくれてて、先生にはバレずに済みました。
点呼時が、一番大変だったようです。
“風邪気味で、寝ています”って、誤魔化してくれてました。
彼らには 迷惑をかけました。でもその夜は、質問攻めでした。

「手を握ったか?」
「キスぐらい、したよな?」
「まさか、ホテルになんか……」

もう、大変でした。根掘り葉掘り聞かれて、
「なにもなかったよ」
何度言っても、信用してくれませんでした。ベッドに入ったのは、明け方近くに
なっていました。

tomko、きみはどうしたんでしょう? 怒られませんでしたか? 心配です。
翌日、一日中 ボーッとしてました。
白虎隊のお墓に行きました。ガイドさんが、一生懸命説明してくれていました。
ごめんなさい! 全然 頭に入りません。
雨でした、涙雨ですか? tomko きみが降らせた雨ですか……?
細かい 糸を引くような雨でした。でもね、ちっとも寒くないんだよ。
体がポカポカと 火照っているんです。
tomko きみのお陰です。きみのことばが、ぼくを暖めてくれてるんです。
『ステキな彼氏がいるの!』

突然、雨が止みました。“どうして…?”
振り向くと、クラスの女の子が 傘を差してくれていました。
「濡れるよ」。「ありがとう! でも、いいんだ」
意味ありげに、その子 笑ってるんだ。

「T、入れてもらえ! お前、風邪を惹いてるんだろがあ!」
先生のひと言で、結局 その子の傘に入れてもらうことになった。
ごめんね、でも 浮気じゃないよ。

バスに戻るまでの道すがら びっくりのことばを聞かされたんだ。
「T君! お楽しみ、だったわね」
「えっ! どういうこと?」
「夕べ、電停に座ってたでしょ? 女性と二人で」
「ど、どうして…れを…」
「だってさ、わたしたちの泊まってたホテルの前だったモン」
そう言えば、ホテルがあったよね。まさか女子の宿泊ホテルだった、とは。

「ねえねえ、親戚じゃ、ないわよね。遠距離ラヴなの?」
「どこで知り合ったの?」。「キスぐらい、した?」
もう矢継ぎ早の、質問攻めだよ。参っちゃった、ホント。
でも、ちっとも煩わしくないんだ。それどころか、嬉しいんだよ。
クラスの女子が 声を掛けてくれたからじゃ、ないよ。
きみのことを思えることが 嬉しいんだ。

だけど きみのことは、なにも話さなかった。笑って誤魔化した。
なんだか きみのことを口にすると、この幸福感が逃げてしまうような、
そんな気がしたんだ。