はたちの(うた)という、詩から生まれた小説です。
わたしが二十歳になった時を出発点に、しています。
とは言っても、すみません、ほとんど事実ではありません。
新聞記事やら、噂話やらを、元にしています。
でも、当時の自分の思いは込めました。

 (序) 
  
ぼくの青春は、決して灰色だとは思わない。しかし、バラ色だとも思わない。
結局、青春といういまを、考えることがなかったわけだ。
だけど、そんなぼくに「突然」ということばでさえ、のろさを感じるほどに突然、春がおとずれた。
あの瞬間、ぼくは灰色の青春であったことを意識し、バラ色であろうと、いやあるべきだと考えたことはない。
自分の人生にたいし、傍観者として対処してきたこの二十年間。
人との交わりをわずらわしいものとして、敬遠してきたこの二十年間。
「愛とは、与えること!」
信じられないようなことはじを、ぼくは口走ってしまった。
いまでも思い浮かべられるんだ、くっきりと。
そのひとは黒い緞帳のまえに、居た。

どこからともともなく流れくる歌声。
こころの奥底まで染みとおりそうな美しい声とともに、スポットライトを身体いっぱいに浴びてあらわれた。
彼女は、いのるように全身全霊を打ちこんで歌う。
派手な衣装をまとうでもなく、はでな振り付けをするでもなく、ただ宙を見つめて歌う。
そしてその瞳はいつしか潤みはじめ、くらい波間でその妖しい美しさ―― 一服の絵としての美しさ―― を、そのためだけに光りを放つ夜光虫になった。
そして、さくらんぼのような唇から流れでる声は、甘く、しかも軽やかだ。
ときに母のように、ときに姉のように、そしてときに恋人のように。

無名の歌手だった。拍手もまばらの前座歌手にすぎなかった。けれどもぼくは口走っていた。
「愛とは、与えること!」
 
 (一)六月
六月十日  (曇り)

もうダメだ! 自分自身を嘲笑し、なにもかもに感動を失った。
自暴自棄に近いよ。何もかも放り出して、それこそ自由気ままに生きたいよ。
自殺 頭の中をかけめぐる。
そういえば、彼はどうしているだろう? 
二度もの自殺未遂の末に、むずかしい病名の精神病と、内臓疾患の病名と、もう一つなんとかという病名を付け加えられて、保護されたはずだ。
ぼくにはどうしてもわからない。
たしかに、現実と夢のくべつが付かないようではあったよ。
だけどこのぼくだって、いや大なり小なり、話を面白くするために誇張することはあるじゃないか。
彼のばあい、その度が過ぎただけじゃないのか。

星の流れが霧に閉ざされ、ときの流れも止まった今夜、ぼくはきみと歩いている。
……それだけでぼくは幸せなのに、きみは不満げだ。
そして口づけをせがむ。
触れ合うものはこころだけでいい。
肌の触れ合いが必ずしも、永遠にしてくれるものではない。
それどころか、このぼくには、タブー。
きみに、ガラスのドレスを着せたい。
ガラスの帽子にガラスの靴。
きっと、素敵だろう! 弱い月の光にきっと、七色の虹にかがやくだろう。
なのにどうしてきみは、夢に酔えないの? 
きのうを想うでもなく、きょうを見るでもない。
まして、明日あしたのことではない。
”夢は、ゆめよ!”
そのとおりだ。
だけど、きみは嫌う。なぜ?
”ガラスは固いから、靴ずれするわよ!”
これがきみの答え。
きみには、それを嫌がるぼくが不思議だろう。


彼が病院に連れ去られるすこし前のことだったよ、この話を聞いたのは。
「クスリを飲み、次第に意識が薄れていく。
手首の血管から血がドクドクと流れでる。
おそらく耳にまで届くだろうさ、その音が。
そして、ガス栓からのシューッという吹きだすおとを耳にしながら、ぼくは彼女とかたりあう。
”ほら、こんなに血が流れでて、きれいだぜ”
”シューッだってさ。ピュッピュッと、断続的に吹きだせばもっと面白いのに”
そんなことを、ふたりして話すんだよ。
どうなんだろうね、その時セックスはするものだろうか。
それとも、ただ手を握りあって、じっと見つめているだけだろうか?
いま、悩んでいるんだ」

彼は、そんなことを真顔でぼくに話たよ。
ぼくときたら、そんな彼に羨望の眼差しを、向けていたような気がする。
なんて素敵な方法を思いつくのだろうって。
もっとも、正直なところ彼がほんとうに自殺をはかるとは思ってもみなかったけどね。
いちど目の未遂、「量をまちがえたのさ」と言った。
にど目には、家族や医師をののしったらしい。
そのときの彼の形相、鬼気せまるといった具合らしい。
ぼくがお見舞いに行ったおりは、前回とちがって口数がすくなかった。

人間、いかに生きるかを考えるにだよ、色々人は言う。
けれども、そのどれもがこじつけだ。ぼくの結論は、こうだ。
いかに生きるかと考えるから駄目であって、いかに死ぬか――そこに至るまでの道程が大事だ――を考えれば、自ずと道も開けるはずだ。
逆もまた、真なり! だよ。
けれども、ただ考えるだけでは駄目だ。本当に、向き合わなければ。

しかしご家族のはなしでは、内蔵疾患を苦にしていたとのことだ。
「一生を病人ですごしてわたしたちに迷惑をかける位なら、と自殺を図ったのです。
この子は、あなたもご存じのとおりとても気の優しい性格ですから」
あるいは、ご家族のことばが正しいのかもしれない。
多分そうなのだろう。病のことが彼を苦しめ、精神的重圧となり、あの彼のことばになったと思うよ。
彼はいま、どうしているだろう? 
いまでも、病院だろうか……。
かけることばが見つからないまま、見舞いに行っていない、行けていない……


六月十六日  (曇り)

いまは嫁がれた、高校時代の先輩のことばを思い出した。
「あなたには、夢がないのね」
文芸誌の発行で掲載してもらう作品を、読んでもらったんだよ。
そのときのことばだ。
当時の先輩は恋愛中で、卒業後すぐに結婚されたらしい。
憧れていたのになあ。
 
きょう、二十歳になりました。そしてある意味、記念日になるかもしれない。
会社からいただいた歌謡ショーのチケット。
ことしから始まった、なんだっけ、そう! 福利厚生とかで、誕生日には休むようにって。
ついでに課長から入場券をもらってさ。なんか、取ってる新聞屋さんからもらったんだって。
けど平日だろ? わざわざ休んでまでってことらしい。
それでぼくが、ファンというわけでもない、演歌歌手のショーを観てきた。
良かった、ホント素敵だった。
課長に、感謝、感謝!


六月十八日  (晴れ)

あれほどに降りつづいた雨も、昨夜のうちにすっかり降りつくしたらしく、眩しいばかりに太陽がかがやいている。
きょうという日は、まったく素晴らしい。
なんだか、周りのものすべてが輝いて見えた。
なにもかもが楽しい。
道路のあちこちの水たまりの中に映っている、青空。
石をけると、ポチャン! と、音を立てて青空がゆがんだ。

きのうまでのぼく、まるでぼくではないような。
いや、きょうのこのぼくがぼくでないのかも。
ぼくのことを口舌の人、と決めつけていた先輩でさえも、きょうのぼくに驚いていた。
これほどに楽しいものだとは。
けれども、結局かたおもいに過ぎない。
ただ単に、客席のなかのひとりにすぎない。
いや、このぼくの存在さえ知らないんだ。
なんてこった!


六月三十日  (曇り)

決してうらみになどは思わない。それが当然だと思うんだ。
でも、悲しいんだ、情けないんだ。
手紙、ファンレター? それともラブレター? を出して、きょうかあすかと待ちこがれ、十日目のきょうに返事がきた。
いや、手紙のかるさを怒っているんじゃない。
三十枚近くにおよんだ手紙にたいする返事が、いち枚の便箋にもりこまれていた。
そのことを怒っているんじゃない。
手紙を書くことが苦手の人だろうさ。それはいい。

時候のあいさつにはじまり、あの舞台の感動、そして彼女にたいする激励。
ここで止めておけばいいものを、ここで文通をしたいと言えばいいものを。
つい、少女雑誌に連載されたまんがのないようをダラダラと書きつづってしまった。
たしかに、無名の歌手が大スターになるまでのうよ曲折がえがかれ、真ごころの大切さを高らかにうたい上げてはいた。
けれども、現実とはあまりにもかけ離れているだろう。
だいいち、釈迦に説法じゃないか。
それになによりも、男たるぼくが、少女雑誌を読んでいることからして。

仕方ないさ、断られても。だけど、偏執狂と思われたのかもしれない。
さも迷惑だ、とでもいうような文面。
そんなんじゃない、断じて! 純粋に、ファンになったんだ。
応援したいんだ。

よし、もういちどだけ出してみよう。
誤解されたままじゃイヤだ。ごかい? 嘘をつけ!