はたちの(うた)という、詩から生まれた小説です。
わたしが二十歳になった時を出発点に、しています。
とは言っても、すみません、ほとんど事実ではありません。
新聞記事やら、噂話やらを、元にしています。
でも、当時の自分の思いは込めました。

 (七)二月
二月十日  (雪)

[ただいま……]
冷たい雪だった。風もつめたかった。けれども、外の方がまだ暖かい。わかっているよ、きみの言いたいのは。あれ程きみに約束したのに、結局もどってきてしまった。わずか四十日ちょっとだけど、耐えられなくなったんだ。仕方ないんだ……
 
チコと別れたのは、正月休みのあとだったよ。そのあと、一ヶ月あまり我慢した。耐えたんだ。じっくりと、お互いのことを考えつづけたけれど、どうしてもダメなんだ。いや、けっして嫌いになったんじゃない。いまでもすごく好きだし、会いたい。だけど、ダメだった。耐えられないんだよ。
ぼくが子どもなのかもしれない。ぼくのエゴかもしれない……

いまは、自分が身の毛もよだつほどキラいだ。こんな嫌悪感ははじめてだ。こんやは、きはみに全部はなすつもりだ。わかっている。所詮、きみは日記であり、ぼくの一方的な告白であり、単なる愚痴にしか過ぎないってことは。そうとわかってても……

あの夜チコは、ぼくをベッドに寝かせてくれた。チコは、ごろ寝でいいって聞かない。慣れてるからって。ぼくは、興奮気味だったこともあるけど、なんども起きたよ。チコは、どういうのかな、スヤスヤと眠っていた。習性なんだってさ。
「いつもは夜行バスのなかでねむるの、宿泊代も馬鹿にならないから」。スター歌手なんかでも、車のなかでらしい。もっとも、倹約のためではなく時間が取れないということ。

あさ、七時ごろに目が覚めた。チコはもう起きていた。「おはよう!」って、笑いかけてくれた。とってもすがすがしそうだった。チコの用意してくれた朝食、パンとコーヒーだったけど、すごくおいしかった。食事のあと、すぐにアパートに戻ったよ。

[味の保証]
管理人のおばさんに書き置きをあずけて、またチコのアパートに、すぐ戻った。それからいやがるチコと一緒に大掃除をしたよ。このあいだ入ったばかりだから……ってゴネてたけど、ぼくが掃除をしたかったんだ。
夕方近くに買い物に出かけたら、
「買い物? あらあら、仲がいいのね」だって。
「ひさしぶりに作るから、味の保証はないわよ」って言うだけのことはあって、たしかにおいしくはなかった。けど、楽しかった。

[ショック!]
だんだんぼくの口数がすくなくなってきてね、チコが心配してた。「そんなに不味かった?」って。で、チコに話した。毎年、おふくろのお迎えで実家で新年を過ごしていることを。悲しそうな顔をしてくれるかと思ったけど、そうでもなかった。ショック!

「今年は帰らない! もう、親ばなれする!」と、宣言した。うれしそうな顔をしてくれたけど、すぐに「やっぱりダメ、帰りなさい」って叱られた。「けど、帰らないってメモ書きを置いてきてるもん」
なごりおしかったけど、とりあえずアパートに戻った。ことしは帰らない! って言うつもりで。道々、その理由を考えたけれど、なかなか妙案がでない。結局、先輩といっしょに初詣に行くということにした。でもいざアパートの灯りを見たら、なんだか部屋に入るのがおっくうになった。
結局、そのままチコのアパートに戻ることにした。おふくろに会ったら、ぜったいに帰ることになるような気がしたんだ。おふくろの涙に弱いんだよ、ぼくは。「正月は、帰れないかもしれない。今夜も戻れない」と、書き置きしたことだしさ。

ところが、チコ、居ないんだ。寒いし、足も疲れたしで、ドアの前にしゃみがみこんでた。あとで考えれば、管理人さんに鍵をもらって、中で待っていれば良かったよ。従弟です、と紹介してくれていたから。どの位待ったかなあ、とにかく長く感じた。
とにかく寒かった。アパートに戻ろうかも考えたけれど、おふくろに連れ戻されるだろうしさ。じっと我慢した。いまにして思えば、あの時に帰っていれば。いまのぼくじゃないはずだ。けど、あのときは、いま離れたら、ずっと会えなくなりそうで。一生ダメになりそうに思ったんだ。

[涙が止まらない]
くらい顔をして歩いてくるチコを見たとき、ボロボロ涙がこぼれた。母親にはぐれて泣いている子どもみたいに。母親が見つけてくれると、子どもって、どうしてだかもっと泣き出すじゃないか。あのときのぼくがそうだった。止まらないんだ、涙が。

チコも、「ごめんね、ごめんね。」って、泣き出した。しっかりと抱いてくれるチコの胸で泣きじゃくった。しゃくりながら、「おふくろが来てるからアパートに戻れない」って言ったんだ。チコは、「わかったわ。だからもう泣かないで」。そう言って、背中をさすってくれた。
あのときチコが泣いたことを、ぼくの涙につられてのものだとばかり思っていたけど、ホントは違っていた。もちろん、多少はあるだろうけれど、引き金だったんだ。あの長距離電話のときに気がつくべきだった。ダメな男だよ、ホントに。

[すっぽかし]
チコは、仕事をすっぽかしてしまったんだ。ぼくに会いたかったから? うん、少しはそれもあるかも。本当の理由は、あとでわかった。
でその夜、やさしいチコのことばに促されて、チコを抱いた。というより、抱いてもらった。暖かいチコの胸のなかで、気持ちよく眠った。おふくろの胸で眠ったような感じだ。えっ? なにもないよ。ただ、眠っただけだよ、ほんとに。おっぱいには触ったけどね。
大晦日の夜、というより元旦の早朝だった、チコに男にしてもらったのは。ますます、チコが好きになった。だけど、そのことが……

[お迎え]
二日の朝だった。急にドアを激しくたたく音がして、チコの顔がこわばった。隠れようとしたぼくに、”そのままで”と目で言うと、チコはドアの外に出た。なんだか異様な雰囲気だった。
「やっぱりか!」。はげしい怒鳴り声に、ぼく、体が硬直した。低いチコの声は聞こえなかったけど、断片的にあいての声はきこえてきた。耳をふさぎたくなる話だった。興行主との約束事をやぶったとか、そのために、ことしからの興業に支障をきたす、とか。

チコがそのことを話してくれたのは、三日の夜だった。その日は、ひとりになりたいというチコの希望どおりに、アパートに戻ったんだ。おふくろの置き手紙があった。
辛かったよ、チコの話は。どうしようもないやりきれなさ、憤り、そんなものがうずまいた。すべてがそうではないらしいけれど、興行主の力というものは凄いものらしい。どんな無理難題も聞かされるらしい。といって、事務所としても要求すべてを飲むわけにはいかない。

[一夜妻]
その要求でいちばん多いのが、一夜妻らしい。といって、これから売り出す歌手にそんなことは、させられない。そこで、代役が必要らしい。それが、チコの役まわりだった。
ショックだった。天地がひっくり返る、そんな感じだった。なにも言えなかった。だけど、許せなかった。興行主も、事務所も、そしてチコも。どうして愛情もないのに……。それが仕事だなんて、ひどすぎる。まるで、売春婦じゃないか! 

そうしないと、若い歌手が可哀相だという。じゃ、自分はどうなんだ。可哀相じゃないのか。チコのデビュー当時も、そうやって助けられたというのかい? でも、どうしてチコなんだい。いやだよ、そんなの。チコだって嫌だったんだろう、だから逃げ出したんだ。
「やめちゃえ、そんなことなら」。もちろん、言ったよ。だけど、悲しそうな目で言うんだ。
「うたが好きなの。どんな形であれ、うたっていたいの」
「ぼくはどうなるんだ、ぼくは。チコが大好きな僕は、ぼくは……」
しばらく、こまった顔をしていた、チコは。そしてひと言、「ごめんね」って。

頭のなかが、グチャグチャになった。ぼくの大好きなチコが、ほかのだれかに……。気が狂いそうだった。なみだが、また、ボロボロ流れてきた。悲しかった、腹が立った。興行主に、事務所に、チコに、そして自分にも。なにも出来ない自分に腹がたった。

チコがぼくを抱いてくれた。しっかりと抱きしめて、なん回も「ごめんね」って、言った。ぼくはたまらなくなって、チコを突きとばしてしまった。

「きたない!」
「ふけつだ!」
そんなことばを口走ったような気がする。いま思えば、悪いことをしたと思うよ。チコの立場も考えずに。いや、納得したわけじゃない。だけど、ぼくがどうこう言えることじゃなかった。

[別れ]
きょう、チコのアパートに行ってみた。いなかった。帰ろうとしたら、管理人のおばさんに呼びとめられて、手紙をもらった。
「ごめんね。ホントにごめんね。あなたの純真なきもちに触れられて、嬉しかった。どこかでわたしを見かけたら、また声をかけてね。お友だちとして、またラーメンを食ようね。 チコ」

辛いよ、とっても。好きだ、すごく好きだ。『愛』がどんなものか、まだわからない。ひょっとして、許すことが愛情なのかもしれない。でも、いまのぼくには無理だ。
もっと大人になったら、許せることなのかもしれない……。おふくろの置き手紙の中に、あった。

―― ―― ――
人間というものは、いくつかの暗いトンネルをくぐり抜けて、大人になっていくのです。
短いトンネルもあります。明るいトンネルもあります。
でも、暗く長いトンネルもあります。
どうしてもひとりでは、そのトンネルを脱け出られないと思ったら、帰ってきなさい。
お母さんの所に帰ってきなさい。みんな、待っているからね。
―― ―― ――

おかあさん、わかってたんだ。ぼくが、チコといっしょだってこと。女の人といっしょだってこと。でもって、うまくいかないってこと。
そういえば、中学時代にもあった。初恋だった。クラスのみんなでハイキングに行って、その子とふたり、とちゅうではぐれちゃって。でも、気持ちを伝えるまえに……。
疲れた、とにかくつかれた。はじめてだね、こんなに長くきみに語ったのは。いまは、ただ眠りたい。なにもかも忘れて……。忘れて? けど、時がいやしてくれるだろうか……。すこし前に話したね。忘れるまで、どうしたらいい? また、言いそうだ。

こんどは、全身火傷だ。こころまでも……、かえろうかな。