(一)

 それは、突然のことだった。CRTーDという大層な機器を胸に植え込んで、僅か二十日目の朝に起きた。いつものようにすっきりとした思いで目を覚ました私は、勢い良くベッドの上で体を起こした。と、突然に天井がグルリグルリと大きく回りだし、そのまま何かに引っ張られるように後ろに倒れてしまった。思わず目を閉じたが、それでも天井の回転が感じられた。そっと、左胸に植え込まれている機器に触ってみた。特段熱を発している風もなく、異常な振動のようなものも感じられない。
 目を閉じた状態がどの程度続いたろう、次第に目まいの感覚が収まってきた。やれやれと思ったのも束の間、今度は猛烈な吐き気が襲ってきた。喉元にまでせり上がってくる吐瀉物をぐっと抑え込みながら、ベッドから降りた。一歩一歩の歩みののろさが、実に腹立たしい。わずか五メートル足らずのことなのに、はるか遠くの場所に感じられる。機器を植え込む以前に告げられた医師の診断が思い出された。
「心不全ですね。」
“もう少し柔らかい言い方はないものか”と思いはするが、言葉が変わったからといって、症状が改善するわけもない。ただ心不全状態の折とは、異質な嘔吐感であることが幸いだった。いや、ある意味質(たち)が悪いかもしれぬ。以前とは比べものにならないほどの、嘔吐感なのだ。
 便器の蓋を開けたところで、皮肉にも吐き気が収まった。しかし今度は、猛烈な下痢だ。危うく漏らしそうになる。慌てて座り込む。どどっと音を立てて出た後に、シャーッという水音が響いた。体中の水分全てが出てしまうのでは、と思えるほどの量だ。
 トイレのドアはいつも開けている。ひとり暮らしなのだ、何の不都合もない。ドアを閉じたまま地震か何かで閉じ込められて、そのまま死を迎えることになったら…。みっともない。「自意識過剰だ!」と、よく言われる。そのくせ他人の評価は気にならない。矛盾と言えば矛盾だ。要するに、私をもうひとりの私が見ている、それだけのことだ。
“このまま逝ってしまうのか?”という思いが頭を過ぎった。不思議と恐怖感はなかった。ただ“トイレで逝くっていうのは、どうなんだ? こんな無様な恰好だなんて…。俺の美意識に反するぞ。それに、洗濯物を干しっ放しだし、流しの中には、洗い物を入れっ放しだ。”と、愚にも尽かぬことが頭を過ぎった。
 そしてもう一つ、もっとも重要な気がかりがあった。別段残してやれる財などないから遺言書は不要ではある。のだけれども、己の人生を振り返って辞世の句とまではいかなくとも、何かひと言を遺しておきたいと常々考えている。
「中々に、面白い人生だった。」
 そんな書き出しの自伝でもと考えたりもしたが、やめにした。大層な人生でもないし、他人に威張れるような品格のある人生でもない。で結局のところ、その文言だけを書き残しておこうと考えた。誰に見て欲しいというものでもなく、己の自己満足に過ぎぬことではあるのだけれども。
 そんなことを考えている内に次第に下痢も収まり、何ごともなかったかのごとくに落ち着いてきた。恐る恐る便器から立ち上がったが、目まいも嘔吐感もない。隠れていた病気が新たに顔を出したのだろうかと、暗澹たる気持ちの中、携帯を手にした。
 今日は久方ぶりに、民子に会う日だった。昨年のお盆以来だから、八ヶ月ぶりになる。突然に「暇してるよ。」と、昨日にメールが来
た。もうすぐG・Wの大型連休が来るというのに、「所用で。」とずる休みを取っていた。
まさか民子とのデートという所用ができるとは思いもかけぬことだ。約束の十時にはまだ一時間ある。民子に二度ほどかけてみたが、電話に出ない。やむなくメールを送信した。
[体調不良につき、病院に行く。]
 道中に不安のあった私は、やむなくタクシーを利用することにした。目まいから一時間ほどが経っていて、今は落ち着いている。心臓は力強く波打ってくれている。気になったふらつきも、タクシーに乗り込むまで起きることはなかった。
“タクシーでなくても良かったな。自分の車で良かったかも。三千円強の出費か…。いや往復だぞ、往復。痛いな。”
 そんな思いが頭をかすめた。しかしすぐに“いやいや、何が起きるかもしれないんだ。救急車という手もあったけれど、自分で移動できるんだ。良しとしなきゃ。”と思い直した。


(二)

 先月のことだ。互いの誕生日を祝う目的で集まった居酒屋で、二人の友に言われた。
「お前は、杓子定規なんだよ。」
「そうそう。臨機応変って言葉、お前の辞書にはないだろ。」
「会社で浮いてるって言うけど、そんな性格が災いしてるんじゃないか?」
 二人とは高校時代からの付き合いで、もう彼是四十五年を数える。誰の発案だったか覚えてはいないけれども、それぞれの誕生日を三人で祝おうということになった。幾ばくかの金員を出し合って、プレゼントを買い求めた。何を贈りあったのかまるで覚えていないけれども、腹を抱えて笑いあった記憶がある。ろくなものは贈っていないだろう。そして二十歳を過ぎてからは、当然の如くに飲み会に変質していった。
「うんうん。箱の積み方なんか、どうでもいいだろうに。荷崩れなんて、考える必要あるのか? その日の内に出てくんだろ?」
「タメ口が気になるって、それを気にするお前が時代に合ってないんだよ。」
「時に作法通り、時にざっくばらんに、だよ。人は人、自分は自分だ。自分の作法を押し付けちゃだめだ。」
 自分でも分かっている。今は一介の契約社員で、相手は正社員だ。上司とまでは行かないけれども、指導を受ける立場なのだ。多少の威圧的な態度は、我慢せねばならない。例えそれが、うら若き女性であってもだ。
「女か? そうか、女かぁ…。それは、ちょっときついなぁ。」
「あぁ、きつい…。涙が出るくらいきつい。」
「無視しろ、無視。で、いくつなんだ?」
 瀬尾が聞く。
「二十代の…半ばかな?」
「美人か?」
「うん。ま、そうだろうな。」
「ますます、きついな。でもさ、できれば仲良くしたいよな。」
 村井からは、彼らしく波風を立てないようにとの忠告だ。
「いや、そいつは無理だ。こいつにそんな芸当はできない。だろ?」
 間髪入れずに瀬尾が言う。私は苦笑いをするしかない。
「はいはい、って言ってれば良いんだよ。面従後背、面従後背!」
「村井の特許だ、そりゃ。そうやって、中卒で四十五年働いてきたんだよな。そして今は定年退職して、嘱託でさらに良い思いをさせてもらってるんだよな。」
 少し酔いの回った瀬尾が、からみ始めた。しかしそこは村井も十分に承知だ。軽くいなしていく。
「嘗ての部下に、へこへこと頭を下げて仕事してるんだ。俺ぐらいのもんだ、そんな処遇に耐えられるのは。けど、山本はだめだ! そうだろ? そんな芸当はできないだろ?」
「あぁ、できん。といって、正面切って喧嘩もできない。村井の言うとおり、面従後背で行くさ。要は、黙って頷けば良いってことなんだから。」
 「よし! それじゃ、飲もう。山本は、ウーロン茶か。糖尿と心臓のダブルじゃ仕方ないな。おい、村井。空けろ、空けろ。あぁ、それにしても、女が欲しいぞ。還暦を過ぎてなお、盛んなんだぞ、俺は。居るんだよな、良い女ってのは。聞いてくれよ、おい。あの人とやれたらもう死んでも良い、なんて思えるくらいの女性が。」
「山本は良いよな、生きがいがあるから。瀬尾だって、それはある意味生きがいだよな。俺には、何にもないや。」
 コップを空にしながら、村井がポツリと呟いた。
「作ればいいじゃないか。」
 簡単なことではないと思いつつも、そう言ってしまった。これが私の限界なのかもしれない。
「女に走れ! 男を取り戻せ!」
 突然に瀬尾が叫んだ。他の客に聞こえているだろうほどの大声で。
「実は……」
 声を潜めて、村井が話し始めた。
「若い女の子と一晩を過ごしたいんだよ。どうしたらいい?」
 呆気に取られた私だったが、村井が乗り気になり始めた。冗談とも本気とも分からぬことを言い始めた。
「よしよし、やっとその気になってきたか。で、若いと言うと、幾つぐらいだ? 女はな、三十いや四十が良いぞ。俺が狙ってるのも、四十ぐらいだと思うんだよな。」
「そんな年増は、いやだ。二十代の若い子に決まってる。なぁ、山本。そう思うだろ?」
 村井も真顔で答えている。“こいつら、本気なのか?”と戸惑いを感じてしまった。
「こいつは、だめだ。女は卒業してる。そうだろ?」
 瀬尾が決め付けてきた。苦笑いを見せた私に対し、村井が問いかける。


(三)

「そうなのか? もう、勃たないのか? 実は俺もなんだよ。力がさ、ないんだよ。大きくはなるんだ、確かに。けど、ふにゃって感じで。それもだ、無理やりに起こしてだぜ。」
 力のない自嘲気味の声で、村井が言う。
「悪い、村井。まだ、現役だと思う。」
「なんだ、なんだ? ほんとか? 見栄張ってるんじゃないか? 俺なんか、バイアグラを使うかどうかの瀬戸際だって言うのに。」
 疑いの目を向けてくる瀬尾に対し、慌てて付け足した。
「いや、だから、まだ反応はするってことだ。もうその気はない。」
「羨ましい! だからな、若い子だと大丈夫かな、と思うんだよな。一度試してみたいんだ。」
「よし、教えてやるよ。金を用意しろ。そうだな、十万もあればいいかな。」 
 身を乗り出しての瀬尾に対し「そりゃ無理だ、少しまけてくれ。」と、村井。冗談なのか
本気なのか、分からぬままに私も悪乗りしてしまった。
「駅裏に行け。ソープランドに行け。高級店の方が良いぞ。五、六万もあれば、良いんじゃないか?」
 意に反して、村井はムッとした表情を見せた。“やっぱり本気なのか?”と、信じられぬ思いになった。真面目一本の村井の筈が、一体どうしたのか。“いや待て。冗談というか、単なる願望とも受け止められるじゃないか。”と、思い直した。現実味のある方策を私
が示したものだから、慌てたのかもしれない。それが証拠に、瀬尾に対し盛んに交渉を続けている。
「十万は無理だ、まけてくれ。」
「そのくらいの金、用意できるだろうが。たっぷりと退職金が、入ったじゃないか。」
 村井の申し出に対し、瀬尾も譲らない。
「母ちゃんに渡してしまった、そんなの。」
「情けない奴だな、まったく。それじゃ、うーん、どうだ八万は行けるか?」
「もう一声、頼むよ。」
「七万は…だめか? えぇい、いくらなら良いんだよ。」
 とうとう、さじを投げてしまった。
「今手元にあるのは、五万。昼食代が要るから、だから…」
「あきらめろ、もう。そんな計算なんかする奴に、若い子がついてくるわけがない。どーんと、札束をテーブルに積み上げるくらいにしなくちゃ。」
「それじゃ、一番上だけ本物でさ…」
 まるで漫才になってしまった。やはり本気ではないようだ。安心すると共に、淋しい気もした。人生の終焉が近付いていることを、三人が、共に意識し始めたという事実がそこにあるのかと。それにしても最近は、まず女性の話になってしまう。若い頃の武勇伝を互いに披露して、互いを褒め称え合う。老年に差し掛かった男たちの哀しい性(さが)だろうか。そしてひとしきり盛り上がった後には、判で押したように「今の政治家はなんだ! いや政治屋だな、もう。」と、世相斬りになっていく。そしてやがて、酔いつぶれていく。


(四)

拡大型心筋症という診断を下されて、いよいよ機器の植え込みのために入院することになった。鎖骨下辺りにメスを入れ、皮膚と筋肉の間に入れ込むらしい。「皮下に植え込みます。男性の場合は目立ちませんよ。」と説明
を受けたが、筋骨隆々ならいざ知らず、胸板の薄い私では…と、半ば諦めた。
 真新しい病室の窓からは、ゆったりと流れる二つ三つの雲が見えた。ここは時間の流れが違う。一日を十分刻みに予定を組み込まれる外の世界とは違い、己の決めた時間を適用する。それは時に怠惰な一日をもたらすけれども、本来の生活リズムはこういうものなのかもしれない。
 面白いことに、四人部屋であるにも関わらず、どのベッドも窓際になっている。イガイガ状に見えたへんてこな外観は、この為だった。三年ほど前に立て直された病院ゆえに、設備は最新のものになっている。天井からして違う。幾分ベージュがかった優しい白色となっている。照明のカバーは全面ではなく、縦板を幾つも並べた形状になっている。
 管には、LEDを使用しているよだ。人工的に感じる色調で、少々冷たく感じる。そうか、なるほど。なればこその縦板なのだ。少しでも心理的な負担を少なくしようという配慮なのだろう。なんだか嬉しくなった。
 入り口横の壁には、洗面台が据え付けてある。大盤の鏡がはめ込んであり、上の灯りはやはりLEDと表示してある。給水栓は手を差し出すだけで水が出てきた。勿論レバーを動かしてお湯に切り替えることもできる。
 入り口の引き戸を開けて廊下に出ると、左手に大きな洗面台が二つ並んでいる。大人二人がゆったりと並ぶことができる。全面が鏡になっている。寝間着姿でうろつくことの多い廊下であっても、身だしなみは整えなければならない。
仕切り窓のない、まるでカウンターのように開放的なナースセンターを中心にして、用具室・風呂場・トイレ等色々の部屋がある。そしてそれらを取り囲むようにして病室がある。エレベーターはナースセンターの前にあり、外部からの出入りは全て確認できる。そういえば階段が見つからないが、非常階段のみなのだろうか。耐震設計がしっかりとなされているのだろう。
ナースセンターの斜め前に、ガラス張りの談話室がある。五十インチほどの大型テレビが設置してあり、いくつかのテーブルが置いてある。患者と見舞客、そして患者同士の語らいの場になっている。時として、教室にもなる。糖尿病患者に対する授業が行われる。 入院して二日目に、私も三人の患者と共にテレビでのビデオ教育を受けた。すでに他の病院で受講していたけれども、「若い女性ですよ。」という担当看護師の言葉に騙された。
当日現れたのは、四十代半ばの女性だった。少し語気を強めて「どこが若いのよ。」と詰め
寄ると「山本さんよりは、若いでしょ。」と軽
くいなされてしまった。私としては苦笑いをするしかなかった。
「山本さーん、山本さーん。」
 私の名前を呼びながら、看護師がやってきた。病室に不在だった私を探し回ったらしい。どこといって行く場所もないフロアでは、談話室以外に居場所はないのに。手を上げると、にこやかな表情と共に苦痛の色も見せている。本人に言わせると小走りなのだそうだが、どう見ても歩いているように見える。
「探しましたよ、山本さん。」
 汗を拭き拭き、恨めしげに言う。
「検査が入りました。このまま行けます?」
「分かりました、田口さんの仰せの通りにしますよ。」
「聞き分けの良い患者さんは、好きですよ。皆さんそうだと良いんですけどね。ではご褒美に、車いすで移動しましょうね。」
 ナースセンターのカウンター横に、ご大層にも車いすが用意してある。「いらないよ。」
と言う私に対し、「念のためにね、用意したんですよ。いいから、殿様気分を味わって下さいな。」と譲らない。しかしいざ乗ってみる
と、これがこれが。まさに、そこのけそこのけ状態だった。
「車いすが通りまーす。」
 声をかけては廊下を滑っていく。皆が皆、道を空けてくれながら、私に憐憫の色を見せていた。
「ありがとう、ございまーす。」
 F1並みのテクニックで、スイスイと角を曲がる。エレベーター内での方向転換など、曲芸まがいだった。ヒヤリとする場面もありはしたが、衝突寸前で回避する。圧巻は、車いす同士のすれ違いだった。互いに中央を通りながら、寸前で少しの移動を見せてすり抜けていく。レーサー同士のハイタッチを、私は見逃さなかった。
「はい、着きました。えっと、本日は五分と十二秒でした。記録達成とは行きませんでしたが、満足のいけるタイムでございます。帰りは、乞うご期待ですね。」
苦笑いする私を後目に、「外で待ってますから。」と、技師に声をかけた。


(五)

「愉快な看護婦さんですね。あ、今は看護師さんでしたっけ?」
「いいんですよ、看護婦で。皆さん、そうおっしゃいますよ。」
 私の声かけに対しにこやかな表情を見せつつ、てきぱきとした手付きで、足首やら手首、そして胸にと配線がなされていく。
「冷たいでしょ、ごめんなさいね。」
 そんな優しい声かけに、私の心がときめいていく。
“なんだかドキドキします、先生。もし波形とかがおかしかったら、それは先生のせいですから。”
声にならない想いが、頭の中で渦を巻く。どうやらF1まがいの運転に酔ってしまい、興奮状態のようだ。
「はい、終わりました。次は、心エコーですね。はいはい、ゆっくりで良いですよ。」
 そんな優しい声に「ありがとうございました。」と目を閉じたまま答えて、ゆっくりと起
き上がった。
“先生。ハートマークの波形はなかったですか?”
 これもまた、声にはならずに、頭の中でぐるぐると…。恋愛において、もう一歩の踏み出しが甘い、それが私の限界だった。
「終わりました? 山本さん。」
 カーテンを開けて、看護師が車いすをベッド横に持ってきてくれた。「歩いて行きますよ。」という私に、「いいから、いいから。お
殿様気分で行きましょ。ね、チューナー。ふふ、韓国語で、殿様と言う意味ですよ。今、韓流ドラマにはまってるんです。時々ね、マングカオミダなんて言いそうになるんです。仰せつかりました、ありがとうございます、感謝します。いろんな意味に使われているみたい。はい、着きました。じゃ又、廊下で待ってますから。」と、まるで飽きさせない。
「えっと、山本さんですね。生年月日が…九月九日ですか。ほおほお、重陽の節句じゃないですか。そうですか、そうですか。そりゃ良かった。」
 老技師が盛んに良かったと繰り返すのだが、私にはなぜ良いのかさっぱりだった。そもそも重陽の節句なる言葉、恥ずかしながら初めて聞いた言葉だ。「重陽の節句とは、なんですか?」と、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざを思い出して尋ねてみた。
「確か、中国を起源としたもので、菊を愛でるものだったと…。日本では平安時代に宮中での年中行事となっていた筈ですよ。」
静かな声で教えてくれた。公的病院では総じて事務的に事を運ぶと聞かされていたが、ここは患者に対してある種敬意じみたものをもって接してくれている。
「それじゃ山本さん、始めますよ。」
ぬるぬるとした液体を付けたパッドで、心臓辺りをグリグリと円を描くように動かし始めた。時にグッと強く押され、時に脇腹をえぐるように動かしていく。モニターに映し出される画像を見ながら、「ふむふむ、ほおほお。あぁ、なるほど…」と、一人で相づちを打ちながら作業を進めていく。
「はい、大丈夫ですか。少し冷たいですけど、ごめんなさいね。」
 カーテン越しに声がした。どうやら、お隣でも検査が始まったらしい。そう言えば、中年の女性を見た気がする。“男には男、女には女か。なるほど。”と、妙なところで感心し
てしまった。
「はい、結構です。結果は、先生からお聞き下さい。」
 老技師の声を追いかけるように、隣でも声がした。こちらが早く始めたにも関わらず、ほぼ同時に終わったということは、私の検査時間が長くかかったということになる。なんだか得をしたような気になったが、考えてみれば宜しくないことなのだ。
 服を着込んだところで、看護婦から声がかかった。
「山本さん、いいですか。カーテンを開けますよ。」
 着終わっていた私だが、突如遊び心が湧いてきて、わざとズボンを下ろした。
「エッチ!」
 カーテンが開くと同時に、悪戯っぽく笑いながら看護師に投げつけた。しかし「山本さん。どうせなら、パンツも下げて下さいな。」と、逆襲される。そして私の敗戦の弁が「だめだ、だめだ。田口さんには叶わないや。もう降参だ。」と、なる。首を振りつつ、「終わりました。」と答える私がいた。空想の産物でしかない遊びだった。ズボンをおろすなど、思いもよらぬことだ。あの悪友二人が隣に居てくれたならば、ひょっとして…いや間違いなく実行していたろう。


(六)

 部屋に戻ると、昼食が届けられていた。この四人部屋には、私を含めて三人の患者が入っている。看護師の話では、今日もう一人が入院するらしい。
「ね、ね、どんな人? 年は幾つなの? やっぱり、心臓をやっちゃったんだろうね?」
 しきりに探りを入れる御仁が居る。もう何年も入退院を繰り返している、この部屋の主(ぬし)のような小野という人物だ。一部上場の企業に勤めているということだ。羨ましいことだ。中小企業ならば、そうそう甘い顔もしてくれない。私にしてからが、契約社員として所属する身だ。会社との契約打ち切りの覚悟で手術に臨んだ。
「しっかりと治療を受けて下さい。今の人員で、山本さんの穴はしっかりとカバーしていきますから。」
 思いもかけず、ありがたい言葉を直属の上司から頂いた。思わず落涙してしまい、「どうしたんです、山本さんらしくもない。」と肩を叩かれた。その手が暖かく感じられたのは言うまでもない。兎にも角にも、私の杞憂に終わった。
「山本さん、山本さん。先ほどね、田川さんという方が、入院されましたよ。なんでもね、急に心臓があぶついてね、それでも豪の者ですな、自転車で来られたと言うんです。ほぼ三キロの距離らしいんですが……」
 小野さんから声が掛かった。他人の病状については色々と聞きたがるのだが、己の病気については、とんと口が重い。やっと聞き出したところでは、前回の入院は一昨年の冬で、二ヶ月程だったらしい。しかし今回は、四ヶ月近くになっているとか。然も、退院の目処がまだ立っていないとのこと。うつろな目でこぼされた言葉が痛々しかった。
「いくらなんでも、もう会社に席はないでしょうな。今回で三回目の入院ですが、残念ながら全快とも行かないようですし。依願退職となるでしょう。」
前回までの入院時には、殆ど毎日のように入れ替わり立ち替わりの見舞客があったとか。しかし今回は、上司の見舞いが一度きりだということだ。その折りに「会社のことは気にせず、気長に構えなさい。兎に角、治療に専念することだ。」と、最後通告とも取れる言葉があったとか。
「まあしかし、見舞客が少ないというのも、ある意味では安心できます。これでね、兄弟やら親戚やらが大挙して来てみなさいな、死期が近いんだと思ってしまいますから。」
 明るく笑う表情が印象的だった。死を意識せざるを得ない病気かと身構えさせられたが、小野さんに言わせると私もそうだとか。
「脅かすつもりはありませんがね。機器を埋め込んだ後にね、いったん心臓を止めるわけですよ。千人に一人だったと思いますが、そのまま亡くなってしまうんです。確率的には低いものですが、裏を返せば、千人に一人は亡くなるという事です。運が悪かったでは済まされません。田川さんにしてもそうだ。軽く考えてみえるようだが、心臓を患ったということは、死に直結していることなんです。糖尿も患っていらっしゃるとか。尚のこと気をつけなくちゃ。なーんてね、先生に脅かされたでしょ? まだ? だったら、明日にでも、だ。卒倒しないようにしなさいよ。」
 最後は少しおどけ気味に締めくられた。成る程と思いつつも、万が一にtheーendだったとしても、それはそれで仕方ないことと思った。未完の小説が心残りだけれど、構想止まりの作品も残念だけれど、「それもまたありか。」とも。そして又「あるがまま、で
いいさ。」とも、思えた。


(七)

 手術を終えて三日目のことだ。ベッドでうつらうつらとしていた私に「おい、生きてるか!」と、声を掛ける者がいた。瀬尾だった。相変わらず口が悪い。
「あぁ、もちろん。アイアンマンなんだぞ、今じゃ。調子良くなったよ、すごく。まったく嘘みたいだぜ、昨日までが。」
 体調の良さを見せるべく、飛び起きて見せた。
「そりゃ、良かった。」
 破顔一笑の瀬尾の顔があった。その人なつっこい笑顔は、まさしく水戸黄門の印籠ものだ。何かしら安心できる。そして半歩下がった場所に、細君が居た。
「これは、これは。奥さんご同伴でしたか、申し訳ないです。」
「ご無沙汰してます。お元気そうで、何よりです。」
 相変わらず、愛くるしい顔だ。確か、ひと回り近く年の差があるはずだ。
「こんな若い嫁さんを貰いやがって!」
 そんな言葉を投げつけた記憶がある。背の低い女性で、背の高い瀬尾と並ぶと、まさしくノミの夫婦だ。
 休憩室に移動した私たちに、細君が缶コーヒーを用意してくれた。
「なんだ、おい。山本は、無糖に決まってるだろうが。糖尿なんだぞ、恐い恐い糖尿さまなんだからな。買い直して来い。」
 大げさに手を振り回して、部屋から追い出した。
「いや、いいよ。一本くらい、大丈夫さ。奥さん、奥さん……」
「いいからいいから。癖になる、行かせろ。それでなくても、最近口答えするようになってきてるんだから。それよりどうなんだ、セックスはいけるのか?」
 細君が出たことを確認して問いかけてきた。
「なんだなんだ、そっちの心配か? 大丈夫ってことだよ。医者の話だと、無茶なプレーじゃない限りは、OKだと。機器から電気ショックのようなものはありませんか? って聞く女性もいるらしいが、先ずもってそんな話は聞かないとさ。」
「そっかそっか。なら、良いんだ。俺もな、心臓じゃないけれど足の血管で、やったじゃないか。いずれは心臓に来るのかな、とな。そっか、OKか。うんうん、そっか。」
 大きく頷きながら、戻ってきた細君に「セックスOKらしいぞ、俺も入れてもらおうかな。最近、弱くなってきたからな。だからだろう、威張りだしたのは。」と、本気とも冗談
ともつかぬ事を言って細君を困らせた。
「もう、お父さんたら。笑って見えますよ、皆さん。でも、そうすると何がいけないんです? 良いことずくめなんですか、その何とかという機器は。」
「ま、僕にとっちゃ、良いことずくめですね。電磁波です、NGは。IHの調理器具ですよ。いやいや、僕は持ってないです。そんな高級調理器具なんて、無縁です。そうそう、携帯電話を使うときにね、左ではなく右の耳で会話してくれと言われました。何にせよ、気分が悪くなったら、すぐにその場を離れること。これに限るということですわ。」
 興味津々といった風に、私の話に聞き入る細君だった。恐らくは、明日には得意げに近所の主婦達に講釈することだろう。と、突然に、瀬尾が素っ頓狂な声を上げた。
「ひょっとして、飛行機はだめか? そいつは、残念だ。退院と体調回復の祝いで、外国にでもと思ったのに。」
 にやつきながら言う瀬尾だが、言外に、”外
国で女でも買おうぜ。”と聞こえてくる。
「大丈夫だって。外国は無理だとしても、温泉という手があるだろうが。待ってろって。今年の文学賞を総なめにしてだな、どーんと賞金を稼いでだ、皆を温泉に招待するから。」
「おうおう、大きく出たな。ま、期待せずに待ってるよ。俺の宝くじと、どっちが確立が高いかな? ま、俺の方だろうけれども。」
「奥さん。先ずは男三人で行って、その後、奥さん同伴でご招待しますから。」
 三人寄る度毎に宣言している、私の目論見だ。還暦を過ぎた今になっての挑戦ではあるけれども、遅れてきた新人、というキャッチフレーズを作っては悦に入る私を、二人の友は認めてくれている。もっとも、酒の肴に丁度良いのかもしれないけれど。
「まあまあ、ありがとうございます。子供も成人してますし、お父さんに言っているんですよ。でもね、中々に。自営ですからね、長いお休みというのは難しくて。お正月やらお盆は、それぞれの実家の用事がありますしね。五月の連休といっても、全部お休みするわけにもいきませんし。去年なんか……」
 と、一気に話し始めた。瀬尾が肩をすぼめている。兎に角、自慢の夫なのだ。旅行には行かないけれど、日曜日の家庭サービスもないけれど、それでも自慢の夫なのだ。細君に対してサプライズを仕掛けては、ひとり悦に入る自慢の夫なのだ。
 ネットで新鮮な魚を取り寄せては、包丁で捌いてくれる。そして時に、肉の燻製を拵える。細君に言わせると、プロの仕様だということになる。近所に配っては、羨ましがられていると、鼻高々なのだ。
「さ、帰るぞ。」
 瀬尾のひと言で、細君の話が終わった。何度お父さんという言葉が、褒め言葉が出たろうか。
「そうそう、村井だ。今日は京都だと。だから平日に寄ると、言ってたから。」
「分かった、今日はありがとう。」
 エレベーターに乗り込んだ二人を見送って部屋に戻ろうとした時に、隣のエレベーターが開いた。


(八)

「よっ! 出迎え、ごくろうさん。」
 まさかの、村井だ。
「どう、体のバランスは。機器の分だけ、体が片方だけ重いんだ。傾いたりしないか?」 相変わらず突拍子もないことを言う。
「今の今、だよ。瀬尾が来てたよ。お前、京都だって言ってたぜ。平日に来ると聞いたばかりだ。」
「あぁ、行くには行った。行ったが、予定を繰り上げて帰ってきた。ちょっと、やり合ってさ。」
 宿泊先のホテルのラウンジで夜の京都を見下ろしながらの食事を済ませてから、最終での帰宅予定だったらしい。昨日は祇園をぶらついて、祇園白川の枝垂れ桜を堪能したらしい。
「京都には何度か行ったけれども、春は春で良いなぁ。どうしても、祇園祭に目を奪われちまうけど。吉井勇の歌の意味が、やっと分かったよ。『かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる』風情だせ、ほんとに。知ってたか? 阿吽の呼吸は、八坂さん南楼門の狛犬からだってこと。梵語で、魔除けの意味を持ってたんだと。」
 いつもの如くに饒舌ではあるのだが、何かしら村井らしからぬ話し振りだった。やはり喧嘩中の細君が気がかりなのだろう。高校時代に見初めた細君で、二つ下の筈だ。息を呑むほどの巨乳の持ち主で、瀬尾の羨ましがること羨ましがること。村井にしても、自慢の細君だ。猛アタックを繰り返して交際を始めてからは、確かに我々との交流が途絶えがちになったほどだ。一年ほどした頃には、細君の実家に転がり込んでいた。
 村井は生来の口達者で、その饒舌ぶりが一家の笑いを産んでいた。細君の家庭は、祖母に母に妹と、女性ばかりの四人所帯だった。細君には、まだ早いと躊躇する気持ちがあったのだが、祖母に気に入られたことで話がとんとん拍子に進んでいった。十八と十六の二人であることから、互いの親同士の話し合いにより、細君が高校を卒業後に結婚ということで決まった。
 それからの村井は、とに角、細君一筋に邁進していた。その洒脱さから良く女子生徒たちと談笑していたけれども、細君の影がチラリとでも感じられると、すぐにその場を離れていた。私の知る限り、二人の女子生徒から交際の申し込みがあった筈だ。そして又、男子生徒にどんなに揶揄されようとも、まったく意に介さない村井だった。その意志を貫く様は、到底私の真似できるところではない。
 それにしても、今回の諍いの因というのが、村井には悪いが、笑ってしまうことだった。昨日の内にみやげ物は買い揃えたらしいのだが、細君が今朝になって買い足したいと言い出したらしい。長男の交際相手のご両親宛のみやげ物を忘れていると言いだしたとか。しかし村井にしてみれば、まだ相手の両親とは挨拶すら交わしていないのにという気持ちがあったらしい。それに、と付け加えて村井が言う。
「まぁ、聞けよ。息子本人が買うっていうのなら、話は分かる。息子に頼まれているわけじゃない、と言うんだ。それが何で、俺たちが買わなくちゃいけないんだ? まだ顔合わせもしていないんだぜ。それにだ、俺はもう現役じゃないんだ。嘱託になっちまったんだし。そこのところが、あいつは分かっちゃいない。」
 憤懣やるかたないといった具合だ。現役を退いて嘱託へと職位が変わったことで、村井の心の中に変化があるのだろう。分かる気もする。補助的な仕事をしている現状に、気持ちの切り替えが中々に出来ないのだろう。
「金が惜しいわけじゃない。給料も、申し訳ないがお前よりはるかに貰っている。年金だって、特例で早く貰えたし。公務員云々なんて言うなよ、四十五年間払い続けたんだから。瀬尾が居たら『退職金だって、しこたま貰ったしな。』って、言いそうだけどさ。なぁ、山
本。お前、女房の言い分、分かるか?『良い娘さんなのよ。ご両親に、良い印象を持ってもらいたいじゃない。』って、言うんだ。冗談じゃない! 息子だって、どこに出したって恥ずかしくないぞ。新聞社で、第一線で頑張ってるんだ。なんで、下手に出なけりゃいけないんだよ。そりゃ、息子には勿体ないくらいの娘さんだよ。よくぞ来てくれました、って言いたいよ。だけどな……」
 驚いたことに、突然に目が赤くなり出した。何かが、村井を突き動かしたようだ。
「いや、すまん。また、来るわ。」
 突然に、席を立った。
「あぁ、ありがとうな。奥さんと、仲直りしろよ。こうやって入院すると、しみじみと思うぜ。付き添いのない淋しさをな。」
「そうだな、うん、そうだな。」
 私への返事ではなく、村井自身への言葉に聞こえた。


(九)

そして、今日。
「異変を感じたら、必ず来てください。状態が改善されても、自己判断はだめですよ。」
 退院時に、医師から告げられた言葉が頭の中で反芻している。病院の入り口で、一瞬身構えた。総合受付というカウンターの中に、女性二人が座っている。その二人が、私を注視しているように感じた。
「予約していないんです。今朝、突然に目まいに襲われて。体調不良で来たのですが……」 恐る恐る身障者手帳を差し出した。満面に笑みを称えた女性が、手を奥に向けながら応じてくれた。
「あちらの外来受付と言う所に、申し出てください。大丈夫ですよ、すぐに処置してくれますからね。」
 言われた場所で再度告げると「二階に診察受付機がありますから、そこに診察券を入れてください。後は待合の椅子に座って待っててください、声が掛けられますから。循環器科は分かりますね?」と、今度は事務的に指示をされた。大勢の患者が居るのだ、止むを得ないかと己に言い聞かせた。
 中央にあるエスカレーターを使って二階に上がって循環器科に進んだ。壁際に設置してある受付機に診察券を差し込み、出てきたA4の紙を、受付に提出した。空白の多い書式で、B5でも十分に対応できそうだ。
 先日のこと、かかりつけの病院でのことだ。
「B5でいいんじゃないの? 無駄遣いだよ、これじゃ。」
「実は、A4の方が安いんです。」
「そうなの? エコに反するんだけど、仕方ないかね、そういうことじゃ。」
 隣で聞いていて得心のいかぬことではあったけれども、そういうことかと納得せざるを得なかったことを思い出した。
「はい、山本さんですね? こちらの問診票を書いてください。」
 廊下の壁沿いに椅子が並べられている。三列に並べられた椅子ではあるけれども、その殆どが患者で埋まっている。まるで己の所有物かの如くに、どっかりと深く座っている。
「あんたも風邪かね? 風邪位で大病院に来るなと言われるけどさ、あたしら年寄りは色々と病気を持ってるでね。やっぱし大病院じゃないと、不安じゃからね。ほれほれ、ここに座んなされ。」
 端の方から声がかかった。立っているのが辛かった私は、渡りに舟とばかりに腰を下ろした。そしてひと通り問診票を書き終えて、急いで受付に手渡した。
「目まいが、起床時にあったんですね? それから吐き気が襲ってきた。今は、収まってます? そうですか、それじゃその旨先生にお話しておきますから。少しお待ちください。ご気分が悪くなりましたら、すぐに仰って下さいね。」
 説明を受けている最中に、携帯電話がブーブーと唸り始めた。民子からだった。携帯電話禁止と壁に貼ってある。バツの悪い思いをしながら、慌てて廊下の端に行って電話に出た。
「ごめんね。今、病院? で、どうなの? いいわ、これから行くから。病院名を教えてくれる? それと大まかな場所も。」
 メールに、今気が付いたと言う。山の中ではメールも届かないのよと愚痴っていたが、鞄の中で忘れられていたのだろう。相変わらず、文明の利器を毛嫌いする奴だ。
「仕事ではパソコンも使うけど、プライベートにまで持ち込みたくないわ。ほんとは携帯電話も嫌なんだけど、子供たちがうるさいから。ま、便利であることは否定しないけど。でもさ、おトイレに入ってる時に限って掛かってくるのよ。いやになっちゃう。」
「山本さん、検査に行きますから。」


(十)

 看護師から声が掛かった。これから検査だと告げて、電話を切った。大げさなことだと思いつつも、車椅子に乗せられて移動した。万が一を考えてですからと言われては、従う他ない。
「先ず、心電図を取ります。それから心エコー検査に移ります。その後に機器のチェックを、会社の方にしてもらいます。でその結果を、先生に診てもらいますから。」
 個人情報ということだろうか、ひそひそ声だった。腰を屈めて、耳元で囁くように話してくる。何年ぶりだろうか、女性に耳打ちをされるなど。久しぶりの、嬉し恥ずかしの心境になった。
「はい、結構ですよ。ゆっくり起き上がってください。」
 ベッドから少し体を起こしたところで、またグルリグルリと回りだした。
「すみません、ちょっと…」
「良いですよ、良いですよ。あぁ、回ってますね。そのまま、横になっててください。落ち着くまで、ここに居てください。」
 優しく声をかけてもらった。自覚症状だろうと思っていたが、分かるらしい。どんな症状が出ているのか、不思議な面持ちではあった。後の耳鼻科での検査で知ったことだが、目玉が確かにぐるぐると回るものだった。
 どの位経ったろうか、不覚にも眠ってしまったらしい。聞き覚えのある声に目が覚めた。
「大丈夫? 吐き気はどう?」
 心配げな表情で覗き込む民子が居た。
「おぅ、来てくれてたのか。今は、おさまっている。」
「起きられる? ゆっくりでいいからね。」
 現役の看護師である民子の介添えよろしく、背に手を当てられてゆっくりと起き上がった。
「大丈夫だ、もう落ち着いたみたいだ。」
「診察には、あたしも立ち会うからね。良いよね? 看護師さん、その旨先生に伝えてもらえますか。」
 私の返事も聞かずに告げる民子だ。相変わらずだ、こいつは。独りよがりなところは、高校時代からだった。一人で壁にぶつかって一人で悩んで、そして悔し涙を流して。泣きながら俺を捕まえて、一方的にまくし立てて”あぁ、すっきりした!”と一人納得する。
そして”好きなようにやるさ。”と俺が締めて終わりだ。
「どう、心臓は?」
「すこぶる! だ。息切れやら胸の痛みも、まったくと言っていいほどない。この間なんか、ゴミ収集に間に合わせようと走っちまった。階段で息切れすることもなくなったし。心不全の胸のムカムカ感もなくなったし。けども今度は、目まいだ。一難さってまた一難か。七難八苦を与えたまえ、なんて祈った覚えはないんだけどな。」
 そんな会話をしながら一時間ほど待たされたろうか、やっと医師から声がかかった。
「お待たせしました。えー、心臓は落ち着いていますね。多少の不整脈はありますが、ま、心配のないレベルですね。CRTーDも異常はありませんでしたし、ね。」
「先生、ちょっと良いですか? すみません、口を挟みまして。心臓の状態はどうなんでしょうか。相当ひどかったようなんですが。」
 待ちかねた様に民子が声を上げた。
「お知り合の方ですね。山本さん、よろしいですか?」
 にこやかな表情で私に言う。正直何が良いのか分からぬ私だったが、別段隠す必要もないことだしと「はい、どうぞ。看護婦をやっているので、気になるようでして。」と答えた。
「そうですか、分かりました。手術前に比べて、退院時にお話した通りに大きさはグッと縮みました。まだ常人と比べれば大きいですがね。肺の水もなくなりましたし、順調に機能しています。数値的には……」とパソコンの画面を指差しながらの説明となった。当の私にはさっぱりの専門用語が飛び交った。
「で、目まいですが。耳鼻科が今日は休診日でして、予約を入れておきます。大丈夫ですよ、切迫したものじゃない筈ですから。問題ありません、心配いりませんから。」
 しかし切迫していないと言われても、あの症状は気になった。と、そんな私の不安に気付いたのだろう、民子が声をかけてくれた。
「心配ないよ、あたしも耳だと思う。心電図の波形なんか、特段心配するようなものはなかったよ。CRTーDもキチンと作動しているみたいだったし。でも良い先生だね、こんなに詳しく説明してくれるなんて。」
「だけど、耳なんて初めてだぞ。」
「多分ね、平衡感覚が狂ってるんだろうね。でも大丈夫! 今は薬で落ち着かせることができるから。心配ないって。」
 不思議なもので、医師の言葉よりも民子の言葉の方が安心できた。ずっとずっと昔、痛み出した虫歯に泣いている私を優しく抱いて“痛いの痛いの、飛んでけえー!”と声をかけてくれた、あの…思い出したくない人と同じ感覚に襲われた。


(十一)

 久しぶりの公園だ、もう何十年ぶりになるだろうか。まるで生まれ変わってしまっている。中学時代に良く通った図書館がない。ミニ動物園もあったはずだ。二頭のライオンが居て、待て待て、確かペンギンも居たはずだ。そして私のお気に入りだったのは、孔雀だった。大きく羽を広げて、私を包み込んでくれた。そうだ、水族館もあったぞ。オオサンショウウオが目玉だったと記憶している。
「どうしたの。気分、悪くなったの?」
 立ち止まってしまった私の背に、心配げに民子が手を当ててきた。感傷に浸ったことがなぜか恥ずかしく思えてしまった。
 お腹が空いたと言う民子の希望で、小さな茶屋に入った。みたらし団子を主とする店で、おでんに焼きそば、そしてラムネという郷愁を誘う商品群が店先に並べてあった。戦前からの店だと言う説明に、民子の興奮ぶりは相当なものだ。
「博多じゃ、中々お目にかかれないわ。うれしいぃぃ!」
 子供のようにはしゃいで、大騒ぎだ。年季の入った黒光りのするテーブルに陣取り、これまた黒光りするソース焼きそばに舌鼓を打った。きれいに平らげた金属製の皿をしげしげと見ながら、「ねえ、覚えてる? 学校の帰り道にあった焼きそば屋さん。昨日ね、行って見たのよ。残念無念よ、無いの。と言うより、町並みが変わってて分からなかったの。あぁ、昭和は遠くになりにけり、ね。」と残念がった。
「山本くんは、寄ってたの? うぅん、寄ってないわね。タイプが違うわ。あぁいう店には入らないでしょ。ごちゃごちゃした、汚い店だったもの。」
 上目遣いで、私を覗き込む。
「真面目だったもんね。変に硬派ぶって、女子なんか寄るな! って雰囲気だったわよ。いっつも眉間にしわを寄せてうつむき加減でさ、ブツブツ言いながら歩いてたもんね。」
「そんなことないだろ、ブツブツなんて。」
 確かに、とげとげしいバリアを張り巡らせていた筈だ。裏切りを恐れ、捨てられたらという恐怖心に囚われていた頃だ。極端なほどに臆病になっていた。激しい孤独感や寂寥感に襲われていた。他人の親切が信じられず、常に一歩下がっていた。本の世界に逃げ込み、空想の世界の住人となっていた。
 やがてその空想を物語りとして書き始めた。己の思い通りに筋を創ることの出来る楽しさに入り込んでいた。しかし所詮は一人遊びに過ぎない。周りの喧騒の中に溶け込めぬ寂しさは、大きくなりこそすれ消えることはなかった。
 そんな私に、村井と瀬尾と言う二人の友ができた。卒業生を送り出す予餞会において、学年として劇を上演することになった。その折に言葉を交わすようになったのが瀬尾で、村井はその瀬尾との絡みで知り合った。「職員室で、先生の話を一々メモしてる変人が、山本だったよ。」とは、瀬尾の言葉だ。そしてその二人が廃部となっていた男子バレーボール部を復活させて、女子バレーボール部に民子が居た。


(十一)

「実はね、三月に退職したの。残ろうと思えば残れたのよね。実際に、前の師長さんは残っておられるし。でもさ、一応師長としてやってきた者が、一介の看護師に戻るのよね。勿論病棟は変わるわよ。でもやっぱり…。でね、思い切って辞めたの。大学生の息子も、バイトで自活してくれてるし。『母さんの好きにしなよ。自分の人生を生きて良いよ。』なんてね、ナマ言うのよ。」
 子供の話になると、キラキラと目が輝いてくる。携帯電話での写真を見せられたが、中々のイケメンだった。自慢の息子なのだ。民子にとっては、親の離婚という傷を負わせてしまったことが、心に重く圧し掛かっているようだ。経済的には十分な生活を送ったものの、片親というハンディを背負わせたことが苦痛らしかった。
「未だに、ガールフレンドの一人もいないの。あたしもね、晩熟だったけどさ。息子は、輪をかけてるわよ。どうなの? そういうことって、あるの? 親の離婚で、臆病になってるんじゃない? 山本くん、男だから分かるでしょ?」
 沈んだ表情の民子を見るのは珍しい、常に前向きな姿勢を取り続ける民子だ。私は大きく笑って言った。
「心配ない! 時が来たら、発情する。手に負えないほどに、だ。男は、そんなもんだ。」
「そうなの? だったら良いんだけどさ。そうだね、山本くんだって、そうだったしね。でも、結婚できて良かったね。高校時代の山本くんからは、想像も出来なかったわ。子供、二人だって? 良かったじゃない。けど、やっぱり山本くんね。離婚だなんて、さ。もっともあたしもだから、人のことは言えないけど。離婚に関しては、あたしの方が先輩だから。」
 明るく笑う民子に対し、私は苦笑するだけだ。
「でね、今度パソコン教室に入ろうかと思うんだけど、どう思う? 今さら、かしら。新しい職場に行っても、やっぱりパソコンは付いて回るでしようし。でも、好きになれないのよね。」
 明らかな嫌悪感を見せる民子だ。
「こんな良い物はないぞ。俺なんか、パソコンがなけりゃ、お先真っ暗だ。生きてられないかもな。パソコン使って小説を創って、インターネットで発信して。少しかもしれんが、毎日毎日、読んでくれる人が居て。」
「ブログ、とか言うの? 山本くんにとって、小説って何?」
 民子が問う。
「俺にとっての小説は…そう、オナニーだ!」
 言い得て妙だと自負する私に対し、目をまん丸くして呆れ顔を見せた。
「そいつは冗談だとしてだ、本気で打ち込めるものかな。小説の創作があったから、折れかけた心が頑張れたんだよ。人として生きていけるんじゃないかな。」
「ふーん、山本くんの小説を読んでくれてる人が居るんだ。それって、嬉しいよね。」
 我がことのことのように喜んでくれる民子、何よりの心遣いだ。
「あたしも、何か始めなくちゃね。このまま仕事だけで一生を終えるのって、淋しいよね。ほんとはバレーをやりたいんだけど、昔みたいに体が動かないし。みんなどうしてるんだろ? 会いたいわ、バレー部のみんなに。実はね、昨日ね、学校に行ったのよ。体育館でね、見学させてもらったの。懐かしかった、ほんとに。ね、ね、山本くんさ。戻れるとしたら、いつがいい? あたしは断然、高校時代。思いっきり、バレーに打ち込みたいわ。」
 空を見つめながら、目をキラキラさせている。
”高校時代に戻れるものなら、たとえ一週間でも戻りたい。”
 それが、口癖になっている。確かに高校時代の民子は、光り輝いていた。女子バレーに打ち込んで、必死の練習を繰り返して試合に臨んでいた。勝てば嬉し涙で号泣し、負ければ悔し涙で又号泣していた。そして私に問いかける。
「やっぱり、高校時代でしょ? そうよね、みんなそうよね。」
 親友と呼べる二人が出来たのが高校時代であり、民子と出会ったのも高校時代だ。青春真っ盛りの、キラキラと輝く時代だ。しかし戻れるとしたら……高校時代ではなかった。


(十二)

 母に置き去りされて三月(みつき)が経っていた。二月の寒い日に、警察署の一室で母に再会した。
「お母さんと、一緒に暮らしてくれない?」
「いやだ!」
 そんな会話を交わしたと思う。中学三年生だった私は、とに角母恋しの思いだった。なのに、私の口から出た言葉は、拒絶の言葉だった。母の家出の原因は、分からない。どん底の貧乏生活に嫌気をさしてのことなのか、父との確執なのか、今も分からない。しかし兄と私の二人を置いての家出だった。子連れでの家出など、昭和三十七八年頃では有り得ないことだろうに。私一人を引き取りたいと言った母の心情を、推し量るすべもない。
 その時の私には、己一人が声をかけられた、という後ろめたさがつきまとっていた。兄一人残れば、おそらくは家出をしてしまう。すると一人になった父は自暴自棄となり、酒で身を滅ぼすのではないか、そんな恐怖心にかられた。身の危険を感じるというのではない。中学と高校に通う男二人の面倒をみてくれた父だ。家事一般を全てひとりでこなし、仕事も遅くまで従事した父だ。夕食にと途中で仕事を抜け出してきた父だ。恐らく同僚からは蔑まされた視線を、受けていたことだろう。そんな父が、哀れに思えたのだ。不遜にも、父を守ることが子の責務だと考えたのだ。
 今にして思えば、母の行動に納得もいく。昭和三十八年当時に、子連れでの家出など不可能であることは自明の理だ。泣く泣くの断腸の思いであったろう。しかし十四歳の子供に、それを理解することなどできない。捨てられたという思いだけがあった。憎しみの思いが渦巻いていた気がする。もっと言えば、愛という存在が消し去られていたかもしれない。
 以来、甘えることができなくなった。家族に甘えられず、当然ながら他人を頼ることも忘れた。必然寂しさに襲われて、もう一人の自分を創り出していった。そのもう一人の自分に己を見つめさせては、慰めの言葉をかけさせることを覚えた。”ブラジルに伯父さんが居て、その伯父さんが実は大金持ちで、僕を探している。そしていつか、僕を迎えに来てくれる。”と、そんな夢物語りを思い描いては、己の境遇を慰めたりした。もちろん他愛もない妄想であり、現実にそれが起きるとは思ってもいなかったけれど。
 そして藤の花が真っ盛りの五月に、あの藤棚の下で母に会った。見も知らぬ男が傍らに立っていた。母が勤めていたキャバレーの客だと、後に聞かされた気がする。もう今ではどんな会話を交わしたのか、覚えていない。思い出せない。いや、消してしまったのかもしれない。もしも今、戻れる時があるとしたら、おそらくはあの警察署の一室に戻りたいと願う。そして母の胸に飛び込むことを選択するだろう。いや、違う! あの時に言えなかった、本当の自分の気持ちを言うのだ。でも言えるだろうか。「戻ってきて!」という言葉を。
 今、気付いた。捨てられたのではない、捨てたのだ。私が母を拒絶したのだ、自ら。思いもかけぬことだった。私が置き去りにされて、拒否されたのだと思っていた。しかし今、はっきりと思い知った。忘れていたのではない、しっかりと覚えている。母の嘆願を、涙を浮かべた顔を、覚えている。そうだ! 昨年も一昨年も、ずっとずっと思い出したりもしていた。なのに、捨てられたと思っていた。
 そうなのだ、そうでなければ、自己崩壊を起こしていただろう。己の意思で決めたことだと意識してしまうことを、拒否していたのだと思う。それが今、CRTーDという機器によって心臓の動きを助けられている今になって、認める心境になったのだろう。いやいや、離婚という事態に陥った時に、独りになった時に「父さんに捨てられたんだ!」との息子の声を聞かされた時に、知ったのだ。
 2Kのアパートに移り住んだ折に、息子達に知らせていなかったアパートに、「パソコンの具合が悪いから、父さんの所で宿題をさせてよ。」と、やってきた。しかしあの時の私ときたら。確かに経済的にどん底状態で、昼間の仕事と共に夜間のバイトを続けていた。土日にバイトを入れて、養育費の捻出に苦心してはいた。ために、まるで気持ちに余裕がなく、体力もまた然りだった。
「悪いが、父さん、寝るから。」
 翌朝目覚めたときには、息子の姿はなかった。果たして息子の言うように徹夜をして課題を仕上げたのか、それとも物言わぬ父親に絶望して帰ったのか。どうしてあの時、「元気にやってるか?」と、このひと言だけでも掛けてやらなかったのかと、悔やまれてならない。
”違う、違うんだよ。母さんと一緒の方がお前たちの為なんだよ。父さんがそうだったんだ。母さん恋しの思いをどれだけ…”
 何度思ったことか、しかしそれを言ったところで、息子の声は消えない。息子の思いは変わるまい。因果応報という言葉が、私の中で渦巻いている。分かっている、私が悪かったのだ。家族を知らない私が、持つべきではなかった。私は、心の冷え切ったアイアンマンなのだから。