愛の横顔 〜地獄変〜
(五) 娘の居ない日々は、やはり地獄でした。針のむしろとでも言うべき日々でごさいました。毎夜、妻に嫌みを言われ続けたのでございます。 「娘に甘すぎる!」、「娘が居ないと、途端に帰りが遅い!」などと。 わたしときましたら、そんな妻の愚痴に対して反論することもなく、そそくさと自分の部屋に閉じこもりました。そして娘のことばかりを考える始末でした。子供のようですが、帰る日を指折り数えていたのでございます。それが、それが……。ええい、くそ! くそ! くそめがあ! 娘からは、合宿の初日から電話が入りましてございます。 「着いたよー! 感激ー、よ。お父さん、ありがとうね」 ハハハ、ハハハ、ハハハ、でございます。先日の娘の喜びようが、わたくしの五感に蘇ります。娘に抱きつかれてもんどり打って倒れた折の、あの感触が五感すべてに蘇ります。そのままごろごろと畳の上を、娘と。あ、お忘れください、お忘れください、どうぞお忘れを。 わたしの傍らでせっつきますので、妻と代わりましてございます。夜叉のごとき顔が一変いたします。菩薩さまのようにたっぷりの笑みをたたえて、娘と話しております。 空気が澄んだ所で、満天に星が輝いていたと申しておりますようで。娘がわたくしにも聞こえるようにと、ひと際大きな声で話してくれております。しかしあまりに喜びに満ち溢れた声に、次第しだいに腹が立ってきました。 妻との会話が長いせいではございません。わたしには言ってくれた『ありがとう』の五文字を、妻には言いませんのですから。腹立ちの訳は、別のことでございます。わたくしの元よりも良い所があるなど、とうてい考えられません。有ってはならぬことなのでございますよ。 二日目、三日目と電話がかかります。夜の七時でございます、お客さまからの電話であろう筈がございません。すぐさまわたくしが受話器を取ります。妻のふくれた顔など、知ったことか! でございますよ。 「お父さん? 元気してる? お母さんは? 代わって」と、もう矢継ぎ早でございます。わたしと話せることがよ程に嬉しいのか、息せき切って言いますです。そんなわたしの傍らには妻が来ております。腹立たしいことには、受話器を引っ手繰るのでございます。それにしても、どうして女どもは長話が好きなのでございますかな。何をそんなに話すことがあるのでございましょうか、まったく。 四日目のことでございます。娘が、とつぜんに帰ってまいりました。そして部屋に閉じこもり、日がな一日泣きじゃくるのでございます。理由を問いただしても、ただただ泣きじゃくるばかりでございます。娘の顔を見たいと願うわたくし目ですが、なんど声をかけても「放っといて!」とかえってくる始末で。もう涙がでてまいります。その点、女は冷たいものでございます。 素知らぬ顔をしております。いまはなにを言っても無駄ですよ、と取り合いません。お友だちと喧嘩でもしたのでしょ、と言うのです。しかし不思議なもので、そのように言われますと、そんな気がしてくるのでございます。 ところが、事はそんな生易しい事態ではございませんでした。娘を追いかけるように顧問の先生が見えたのでございます。畳に頭をこすり付けての謝罪でございます。申し訳ございません、もうしわけございません、とただただ謝られるだけでございます。娘のからだに傷でも付けられたのかと、気が気でなりません。妻ですか? さすがに妻も、顔を曇らせております。いえ、曇らせるどころではありません。みるみる顔が紅潮して、怒鳴りつけるのでございます。 どうやら仲の良い友だちと夜の散歩中に、複数の男たちに襲われたようでございます。幸いにもご友人がうまく逃げだして、助けを求めたとの事。未遂に終わったとはいえ、そのショックは大きく、失意のなか立ち戻ってきたのでございます。しかし妻は、はなから犯されたものと決めつけて、あろうことか娘を非難いたします。やれ医者だ、警察に訴える、と大騒ぎして、娘の純真なこころを傷つけるのでございます。 わたくしは、あまりの妻の狂乱ぶりに呆気にとられておりました。が、なんとか妻をたしなめて、その騒ぎを納めました。わたくしにしても、はらわたの煮えくりかえる思いではございました。が、娘の将来のことを考えて、この騒ぎはそれで終わりにしたのでございます。しかし妻とわたくしの間に、このことにより埋めようのない亀裂が生じてしまったことは、改めて申すまでもございますまい。わたくしは、妻の口ぎたない罵りをひと晩中聞かされました。が、わたしの耳には届いておりません。ただただ、娘のことばかりを考えておりました。 成熟しはじめた娘の体つきや細やかな仕草。それらに歓喜の情にふるえていた折りでもあり、ただただ聞き入っておりました。ただただ、娘のことばかりを考えておりました。ときおり見せる妻の冷厳な目つき、すこしの無言があり、「なるほど」とか「やっぱり」ともれることも。わたしの心を見透かされたような錯覚におちいり、冷や汗がどっと……。半狂乱の妻の罵倒は、夜明けまでつづきましたのでございます。 正直に申し上げましょう。それ以来しばらくの間、毎夜のごとく悪夢に悩まされました。林のなかを逃げまわる娘。追いかけまわす数人の男ども。右に左にと逃げまどう娘に、三方四方から男どもが迫るのでございます。娘の足はすり傷だらけになり、赤い血がそこかしこに滲んでおります。 木々の枝にブラウスが破られ、しだいに白い柔肌があらわになっていくのでございます。男どもは、そんな娘のあらわになっていく肌に、より凶暴になっていきますです。とうとう一人の男につかまり、落ち葉のうえに押したおされてしまいます。 「いや、いやあ!」。そんな娘の叫び声は、かえって男どもの劣情をそそらずにはいません。 「やめて、やめてえ!」。むすめの懇願のこえも、男どもの嬌声にかき消されてしまいます。いえ、むすめの懇願のこえが、さらに男どもの凶暴さに火を点けるのでございます。 なんということでしようか。娘が、わたしのむすめが……。男どもに陵辱されているのでございます。泥でよごれた手が、ごつごつとした手が、娘の漆黒の髪をつかんでおります。光りかがやく漆黒の、キラキラとした髪が、汚泥にまみれています。気も狂わんばかりでございます。うす汚いことばがほとばしるその口が、わたくしの娘の、可憐なむすめの唇にむさぼり付くのでございます。泥で汚れた手が、可憐な娘の、わたくしの娘のブラジャーをはぎ取り、まだ固さの残る乳房をあらわにするのでございます。さらには、娘の両手をすねで押さえ付けております。そして、そしてそのうす汚いナニを、口にするのもおぞましい物を、娘の可憐な口に、、、。 じつのところ、いまひとり居るのでございます。いや、もうひとりおりますです。娘の足首を、片側ずつつかんでおります。バタバタと激しく動かそうとしている足首を、しっかりと押さえつけている手が、、、。 「待てっ! 待てっ! 待ってくれえ! それだけは、やめてくれ。ほかのことは、許そう、水に流そう。後生だから。それだけは、それだけは、やめてくれえい!」 断じて許すことはできません。八つ裂きにしても足りない男どもでございます。しかしもうわたしには気力がございません。お話しする気力が、ございません。もう、このまま死にたい思いでございます。まさしく地獄でございます。……地獄? そう、地獄はこれからでございました。 じつは不思議なことに、男どもには顔がなかったのでございます。もちろん、その男どもをわたくしは知りません。見たことがありません。だから顔がない、そうも思えるのではございます。しかし、……。そうですか、お気づきですか? ご聡明なあなたさまは、すべてお見通しでございますか。”申し訳ありません! 申し訳ありません!!”わたしは、犬畜生にも劣る人間でございます。 “○してください、わたしをこの場で○してください。この大罪人の、人非人を!” そうなんでございます、男どもは、すべて、わたしの顔を持っていたのでございます。……、この、わたくしめの顔を……持っていたのでございます。 蝿が飛んでおります、銀蝿でございます。あの野糞にたかる、汚わらしい銀蝿でございます。ぷーんぷーんと音も五月蝿く、飛び交っております。死人にも似たわたくし目の周りを、飛び交っております。手で払いのけるのでございますが、中々に立ち去ろうと致しません。立ち去らない? 虫けらに立ち去らないなどということばを使うわたし、ふふふ、気が狂れたのかもしれませんな。 じつは、じつは、その銀蝿……。どうぞ耳をふさいでくださいまし、後生でございますから。おぞましいことに、このわたくしめの顔を持っているのでございます。なんと、なんと言うことか、このわたしが、銀蝿などと! |