ひょっとこ

「Janusと云ふ神様には・・・・・その通りである。」という所に、何か新鮮な感じが感じ取られる。芥川の博識が伺える。キザッポイというより、小気味よい技巧、と感じた。鴎外の影響だろうか、とに角面白い。
夢と現実との境がつかなくなったのだろうか。それとも、酔っている時の自分でありたいと願う為であろうか。普段の平吉に愛想を尽かしていることだろうか。嘘の固まりの自分に。
平吉の嘘の理由は何であろうか、人生の退屈さにやりきれないのだろうか。何か大事が起きた時の英雄的行為をした自分に、無意識の内に憧れ、酔っている為であろうか。
どうやら芥川自身・・・・・。

       羅生門

芥川の作品中、最初に本格的に読んだ作品である。いつだったろうか、中学一年か二年だったと思う。芥川の名前は、『トロッコ』という作品によってのみ知るだけであった。
その頃の私は、何故か日本の民話に強く惹かれ、読みあさったものである。図書館での民話の冊数は帯びただしかった。都道府県の数だけあったと思う。しかしそれを、毎日毎日睡眠時間を削って読破した。
現実にはあり得ない事柄の中に、或種の快感と不安を覚えていた。まだ幼かった頃、よく父にイラン国の王子様と、そこに住む魔法使いの話を、寝物語に子守歌の代わりによく聞かされたものだ。その幼い頃の、怪異物に対する好奇心からか・・・。又は、煩わしい現実から逃げる為か・・・。非現実的な怪異物を好んで読んでいた気がする。

最近、芥川の作品を読む時も民話を読んだ時も、同一の心境ではなかったかと思い始めている。確かに、中学二年まではそうであったろう。しかし、中学三年あたりから様子が変わったような気もする。
芥川も、幼少年時代には非現実的な怪異物を読んだということである。その理由には、彼の持って生まれた本能の他に、彼の育った本所小泉町周辺の「本所の七不思議」というような、怪談めいた気味の悪いお竹蔵や、薄暗い割下水に江戸そのままの面影を残していたという。
その為か、少年時代の彼は、こういう怪異話を聞かされていた。その為に
「夢とも現実ともつかぬ境にいろいろの幽霊に襲われ勝だった」と、芥川自身言っている。
それは、彼の虚弱な体質や神経質な怯え易さ故か、
「落ち葉焚き 葉守りの神を 見し夜かな」という俳句からも窺える。しかもこれが、尋常小学校四年の時に作ったというから、驚かされる。この幻想的な句は、少年としては異色な秀抜な句というべきだろう。
確かに、芥川は異常だった。俗人とは、およそかけ離れた人間だった。そしてそれが、長所であり短所でもあった。幼年時代の、妖怪を信じ超現実世界を恐れつつも慕った彼の性癖は、成人となっても失われなかった。どうやら、これがミステリー的小説に傾倒していた所以であろう。

芥川の生涯の作品を貫く一つの特色は、まとまりすぎる程にまとまっているにも関わらず― いやそれ故か ―、人を感動させる力に欠けていることである。私の学友で、彼の作品に感動したという者は皆無である。面白い、とは言うけれども。
額縁に、ちんまりと行儀良く入っている絵画で、その額縁の外にまで溢れる程の迫力は感じられない。その正確さ・器用さは、一面から言えば、常に完璧を目指す必死の努力と精進のたまものであろう。
その根拠はここにある。とに角芥川は真面目だったようだ。トルストイの『戦争と平和』の長編を、三日間で読破したなどというエピソードがある位だから。漱石らを驚かせたのもムリはない。三日三晩寝ずに、などということは芥川には問題にならないらしい。読む楽しさに囚われていた。勿論それらが、彼の健康を害したことは言うまでもない。

ところで「羅生門」の時代背景は、平安時代である。一見何でもないようだが、ここにも彼の苦心の跡がうかがえる。
芥川が、或テーマを捉えてそれを書こうとし、それを芸術的に最も力強く表現するには、異常な事件が必要になってくるのである。その場合、異常であればあるほど良いだけに、彼の生きた明治・大正時代では書きにくかったらしい。強いて書けば、不自然の観を読者に起こさせて折角のテーマがムダになる。犬死にだと考えたからである。
芥川は、その時代背景にも真実性を持たせる為に、又彼の古典的趣味のせいもあり、原典を古典に求めた。『羅生門』も然りである。

相当に話が横にそれていたが、本題に入ろう。
この主人公の下人は、生きる為には盗人となるより仕方ないと思うが、その決心がつかない。羅生門の上で、死人の髪を引き抜く老婆を見て― 先に盗人になろうとしたことも忘れ ―正義感にかられその老婆を斬ってすてようとする。しかし、死人も生活の為に悪を犯した女だと聞き、下人も決然として引剥になり老婆の着物を剥ぎ取る、というストーリーである。
私は、言いようのない空しさを感じた。誰をも責めえない。無理に責めようとすれば、下人を責めねばならない。下人の存在そのものを、である。然にも悪にも徹しきれない不安定な人間を、芥川は浮き彫りにしてみせたのである。
内容は勿論、文章にしても実に真に迫っている。鋭い描写である。特にね羅生門上の死骸の描写は、私の背筋に水を流し込んだ。
ところで、この『羅生門』や『鼻』等を書く前に、芥川は失恋したらしい。それ故に、人間のエゴイズムを見事に暴き出したり、無理にユーモラスに書こうとしたらしい。が、ユーモラスな物として書いた『鼻』が、果たしてユーモラスかどうか、それは次に述べることにする。

       

芥川の文壇的出発の第一歩を、この作品によって踏み出した。この作品が、明治の巨峰夏目漱石の賞賛にあったのは、余りにも有名である。芥川は、この老大家の賞賛により自身を得たのである。
漱石のこの頼もしい言葉が、ひよこになろうとしてもがいている卵にひびを入れたも同然であった。芥川は、水を得た魚の如くにハッスルした。

この作品も、出典は古典である。今昔物語中にある物語の一つで、『池尾禅珍内供』のことについて書いたものである。
原典は滑稽を主として書かれてあるが、芥川はこの原典に彼一流の独創的な解釈を為し、主題を禅珍内供の心理の変化に置いたようである。
長い鼻をどうにかして治療したいと常に願っていた内供は、やっとの思いで治療に成功した。そして、年来の願いが叶ったことに非常に満足感を感じた。
ところが周囲の者がその事に対し、いたって嗤うので内供は後悔し始める。そして、又長い鼻になればいいと願い、元の長い鼻に戻り、内供は却って晴れ晴れとした心持ちを感じる、という話である。

この微妙な心理変化が、細部の気の利いた描写のおかげで、十二分に引き立っている。
私の特に感動 ―というより同感?―した部分は、長かった鼻が短くなったのを見た周囲の心理である。他人が不幸を切り抜けると、今までその不幸を同情していた傍観者が今度は物足りなくなり、もう一度不幸に陥れてみたくなる。更には、敵意さえも抱く。そんな利己的なものだと、周囲の者の心理を説明しているところである。

私は同感だと思うと同時に、又『羅生門』と同様、空しさを感じた。にも関わらず、筋の面白さもさることながら、芥川の軽妙な筆のタッチがおかしさを起こさせる。
確かにユーモラスな作品だが、それは暗い影を持ったユーモアだった。そして私の知る限り、このユーモアは芥川のみの持つものだった。


       

はっきり言って、芥川龍之介という異色人物に畏れを抱き始めた作品だ。と共に、淋しさも味わった。私の手の届かない所に居るような気がしてきた。勿論、もうこの世の人ではない。そういう意味ではない。私が死んだとしても、彼の傍には行けないということである。彼は、私とは異なる次元の人のように見えたのである。

自分の親を「ロンドン乞食」と評し、友人の前で嘲笑した能瀬という中学生に対し、親孝行者の判断を下すとは。私にはどうしても理解できず、苦しんだ。
しかし、何度も何度も読み返し、じっくり考えるにつれ、彼の心境が理解できるようになってきた。まだ、ボンヤリとした輪郭のみしか― いや、輪郭すらもはっきりしていない。研究不足で申し訳ないが・・・何というか、その時代の道徳観念への挑戦の如きものではないか、と思える。
こうなってくると、この『父』という作品に対して、新しい感動を覚え始めた。しかし、やはり何か無理があるような気もする。引っかかりの興ってくるのをどうすることもできない。

文章には、一段と冴えがあるような気がする。特に、
「当日になると、・・・・・、気が気でない。方々の工場で鳴らす汽笛の音が、鼠色の水蒸気をふるわせたら、それが皆霧雨になって降って来はしないかと思われる。」は、焦りの気持ちを巧く描いたと感じた。


       手巾

芥川の小気味良いほどの心理描写は、今や小気味良いではなく、恐ろしいものとして私にはね返る。
「茶を飲んだものだろうか、飲まないものだろうか。― かふいふ思案が、青年の死とは全く独立して、一瞬の間、先生の心を煩わした。」
よくもマア、こんな心理が書けたものである。といって、この移り行きを否定するものではない。むしろ肯定する。あくまで、想像というより、同じ人間としてそう思うのである。

ここで、この作品のテーマについて考えてみた。ところが、意外にこの作品は奥深く感じられ、なまじの手では届かない。
端的に言って、何かの否定である。その何かが何を指すのか、それが問題だった。
武士道?大正時代の風潮を指すのか?或いは道徳を指すのか。それとも、三島由紀夫曰くの「美談」か。私は、既成道徳の否定ととらえた。
勿論、これはその人の解釈によって、広くも狭くもなる。私としては、美談否定・英雄否定を含むと言いたい。そう、既成道徳というよりむしろ時代風潮への反抗とでも言った方がいいだろうか?しかしそうとすれば、芥川の英雄及び美談否定は、趣味の問題だとの主張が正しいことになる。
私には、唯単に時代風潮への反抗では、言い尽くせぬ根深いものがあると思われるのである。
「――― 私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、ては手巾を二つに裂くといふ、二重の演技であった。それを我等は今、臭味と名づける。・・・・・」

       或日の大石内蔵助

この作品については、初めにテーマ及びそれに類似するものを書き、それを端的に又は外回りに示しているいるものに入って行こうと思う。

元禄時代の世間が、自分(大石内蔵助)の価値そして行為=仇討ち=の意味を、自分の考える以上に買い被りそして激賞していることに対する後ろめたさを、そして世間の利己主義さを描いた。
同胞の犠牲の上に成り立っている自分の今の名声―この事件前と変わらぬ自分への、賞賛に対する自責の念を、その心理を深く掘り下げた作品である。
大石内蔵助というより、芥川の大石内蔵助に対する感想を書いている。受けたイメージを元に、新しい大石内蔵助を創り上げたといっても、過言ではないと思う。それまでの、小説・舞台等に登場した内蔵助とは異質の人物像である。

「近代人的な悲哀」という言葉で、吉田精一氏は簡潔明瞭に表している。
しかし又他の一面から見ると、元禄時代の武士に、大正時代の小説家― 特に芥川の病的な程に繊細な神経を押しつけるのは、少々ムリがあり滑稽でもあった。それに、四十七人もいる武士の内で、大石一人が味わったというのも不自然ではある。
が、芥川の目的は『鼻』『芋粥』同様、人生の幻滅を、念願の大業を成し果てた後に内蔵助が感じた虚脱感を描くことだったのであろう。
そんな内蔵助の心境は、こんな所にも読みとれる。
「まだ春の浅い座敷の中は、肌寒いばかりにもの静かである。」

彼らの仇討ちが江戸町民の間にもてはやされ、そんな仇討ちブームがあるという話に、内蔵助以外の者は皆笑った。そして、快く思った。しかし、
「唯一人内蔵助だけは、僅に額へ手を加えた儘、つまらなさそうな顔をして黙って」いたのである。と共に、
「今までの春の温もりが、幾分か滅却したやうな感じ」を持ったのである。
そして同志達は、途中で脱却した者らは、背盟の徒と罵りはじめた。若い武士達は、
「愈手ひどく、乱臣賊子を罵殺しにかかり」始めた。しかし、
「その中に唯一人、大石内蔵助だけは、両手を膝の上にのせた儘愈つまらなさそうな顔をして、だんだん口数をへらしながら、ぼんやり火鉢の中を眺め」た。
「彼としては、実際彼らの恋心を遺憾とも不快ともおもってゐ」はした。しかし、それは違った意味からである。
「憐れみこそすれ、憎いとは思ってゐ」なかったのである。
「何故我々を忠義の士とする為には、彼らを人畜生としなければならないのであろう。我々と彼らとの差は、存外大きなものではな」かった。我々という意味を、内蔵助自身ととるとより明確になる。

内蔵助は、
「放埒の生活の中に、復讐の挙を全然忘却した駘蕩たる瞬間を味わった事であらう。」
「彼の放埒のすべてを、彼の忠義を尽くす手段として激賞されるのは、不快であると共に、うしろめた」かったのである。
「いっさいの誤解に対する反感と、その誤解を予想しなかった彼自身の愚に対する反感」とが、渦巻いていた。
そして「近代人的な悲哀」が、
「自らな一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した」として、内蔵助に感じさせた。
それはつまり、芥川自身のことを暗示しているのである。

       戯作三昧

これは、滝沢馬琴の『馬琴日記抄』を元にしての作品である。色々と調べてみると、滝沢馬琴の人生及び芸術観や、性格描写は、単に外面をすらすらとなでたものらしい。
芥川自身の人生観・芸術観、そしてそれらにまつわる諸々の問題、又感情を、馬琴に託したと受け取る方がいいであろう。例えば、芸術と道徳との相剋、検閲官に対する罵り、民衆に対する孤高な態度である。

この戯作三昧は、対策として迎えられた。私自身そう思うが、特に文章がきれいに掃除されて気持ちがいい。
芥川は、馬琴の口を借りて、和歌や俳句を軽蔑した。自分の全部を注ぎ込むには、余りに形式が小さいというのである。これを逆にとって考えれば、芥川の芸術はそんな小さなものでも、根の浅いものでもない、との自負心の表れであろう。

馬琴(或いは芥川)は、戯作の価値を低いものとした。否定した。そして芸術的感興に陥ると、フト感じる不安を拭い去ることはできない。芥川は、そんな馬琴に自分を見ているのである。そしてそれを、こんな風に書いている。
「しかし読むに従って拙劣な布置と乱脈な文章とは、次第に眼の前に展開してくる。― 略 ― 彼は急に、心を刺されるやうな苦痛を感じた。― 略 ― 彼自身の実力が根本的に怪しいやうな、忌はしい不安を禁じる事ができない。」
彼は、必死に戦った。
「静に絶望の威力と戦ひつづけた」のだ。そしてその結果、彼は芸術至上主義の境地を、何ものにも惑わされない、汚されない、絶対的なものとみた。そしてそこに、安住したのである。
「観音様がさう云ったか。勉強しろ、癇癪をおこすな。さうしてもっとよく辛抱しろ。」
「王者のやうな」「戯作者の厳かな魂」は、利害・愛情・名誉に煩わされることなく、唯
「不可思議の悦び」と「恍惚たる悲壮の感激」との中に、
「」あらゆるその残滓を洗って、まるで新しい功績のやうに、美しく作者の前に輝いている。」人生を見た。そして彼は、書きに書いた。全てのものを忘れて。
何と素晴らしく、羨ましい境地だろう。
しかし、そんな境地も『戯作三昧』で終わってしまった。次の『地獄変』では、この境地を一歩進めた。その結果、・・・・・

       地獄変

私は、この地獄変について、書くべきか書かざるべきか、色々と迷った。道徳的に考えれば、私にはどうしても書けない。私自身を、この作品の主人公=良秀=の如きにせねばならなくなる。
私の主義として、作品を読む場合 ― 特に芥川の作品については、主人公に己をオーバーラップする。そうでもしなければ、心理がわからないのである。
私は、やはり書くことにした。それだけの価値を持つ、と信じたからである。

テーマは、もう語ることもなく、絵師良秀の芸術至上主義者のことである。そして又、『戯作三昧』の或意味での続編である。
『戯作三昧』の中で安住していた芥川は、この『地獄変』では、更に一歩深く押し進めた。
目前に最愛の娘を火にかけて焼き殺しながらも、
「さながら恍惚とした法悦の輝きを、しわだらけな満面に浮かべ」て見守った。自己の芸術的野心の為には、実の最愛の娘も
「唯美しい火焔の色と、その中に苦しむ女人の姿」としてのみ、彼の目に映った。もうそれは、唯の人間ではなく
「夢に見る獅子王」だった。その場合には、
「怒りに似た怪しげな厳かさ」さえ、感じられた。
「円光の如く懸ってゐる、不思議な威厳がある。」
「何と云ふ荘厳、何と云ふ歓喜」。芥川は、ここに芸術至上主義者としての理想像を描いた。

良秀の一生は、この一枚の屏風絵「地獄変」に代表される。そしてその為に、ありとあらゆるものを犠牲にした。道徳はもとより、最愛の娘までも。そして、良秀はそれが許されるとしたのである。
「そこへしどけなく乱れた袴や袿が、何時もの幼さとは打って変わった艶かしささへも添へております。― 略 ―。すると娘は唇を噛みながら、黙って首をふりました。その様子が如何にも亦悔しさうなのでございます。」
良秀は、自分の娘に何かをしたのである。誰とは書いてはいない。娘も言いはしない。しかし、明らかに良秀なのである。
そしてそれをどうやって知ったのか、大殿が良秀を戒める為に、あの牛車の火あぶりを許したのである。さすがの良秀も
「急に色を失って喘ぐように唯、唇ばかりを動かした」のである。そしてその屏風絵「地獄変」の完成の次の夜、梁へ縄をかけて縊れ死んだ。芸術の為に実の娘を焼き殺し、そして自らの命を断ったのである。
何故?私はこう受け取った。
芸術の為には如何なる非道徳的行為も許される、と信じたものの、やはり道徳よりの犠牲を余儀なくされたのである。
前にも述べたように、芥川には倫理的なものが彼の信念の前に横たわり、又それが後ろ髪を曳いていたのである。

芸術上での完成は、現世での敗北を意味する。
「地獄変」の屏風は、見る者をして炎熱地獄の責め苦、大苦難をじかに感ぜしめても、良秀の墓は、
「雨風に曝されて」その存在もあやふやになっている。

       蜜柑

何と清々しいことか!
芥川の文章の、洗練された文章の効果は、一段と冴えわたる。内容自体も、実に面白い。少々理屈っぽいとみる人もいるだろうが、それは余りに芥川を見下している。彼を知らなさすぎるというものだ。
「人生は一行のボードレールにも若かない。」
これは、芥川の有名な言葉である。
「不可解な下等な、退屈な人生」を送る芥川の真底の叫びである。

美しい姉弟愛、芥川は初めて人間らしさを取り戻した。というより、触れた。そしてその瞬間、彼は
「この時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れ」えたのである。
芥川は、冷笑と皮肉との仮面の中から、その疲労の中から、つい自分の真の心を吐き出したのである。耐えられなくなったのである。遊びでも息抜きでも、ましてマンネリ化を恐れる為の産物ではない。

しかし、こんな見方もできるのである。
小娘は自分の純粋な唯一の目標に向かって進んだ。そしてその為に、彼は
「殆んど、行きもつけない程咳き」こんだ。全くの非常識である。それらを突き進んで考えれば、極論すれば、背徳行為とも見られる。そう、既成道徳の打破。
しかし、私としては前者だと、信じたい。

       沼地

この作品も、『蜜柑』と同様、文章のすっきりとした作品である。そして又、一本の細い筋が流れている。

彼は、「悲壮な感激を」もって「沼地」という、無名の画家が描いた作品を見ていた。
「画が思うように描けないと云ふので気が違った」無名の画家。
彼は、それ程までに一つの作品に忠実になりえた画家に、
「厳粛にも近い感情」を抱いた。
そして又再び
「この小さなカンヴァスの中に、恐ろしい焦燥と不安とに虐まれてゐる優しい芸術の姿を見出した。」
芥川の、或面の理想像であろう。『地獄変』での良秀に、本質的には同じである。時代の異なる二人の、同一人物と言えるだろう。

作中の主人公は、キッパリと言い切った。
「傑作です。」
芥川は、自信を持って自己の芸術を、芸術観を言い切った。社会のそれと逆行してでも。

※ 文中の、「」内の引用文は原本そのままです。故に、旧仮名遣いになっております。